回想~邂逅~
――ジリリリリリリ!!
「ああ・・・」
電話が鳴っている。
喧しい呼び出し音は数回鳴ると、ぴたりと止んだ。
寝ぼけ眼でふと横を見ると襖が開いており、そこから見える、雲の間から覗く初夏の太陽が私に容赦なく陽光を刺している。
「夢・・・か」
――何て懐かしい夢だろう。
あの女は誰だ?
あんな女は知らない。
知らない?
知っている。
知っているのだが・・・。
「はあ・・・」
頭はまだ覚醒しておらず、茫洋として靄が立ち込めている私の脳内は、未だ正常な機能を果たしてくれない。
身体の方も、書斎の固い床で、更に奇怪な体勢で寝ていたので身体が強張っている。
そのお蔭で体中の骨が軋むのを耳の奥で聞きながら上体を起こし、辺りを見回す。
インクの染みが目立つ机に、全く整っていない本棚、埃が堆積している電灯。
何もかも、見慣れた風景である。私の部屋である。
何も変わらない。変わる訳が無い。
――否、変わらないのは私か・・・。
日常が変わらないのではなく、私が変わろうとしていないのだ。
だから私は、相も変わらずこの様な所で惰眠を貪っている。
――まあ、いいか。
どうせ考えても、何かが変わるわけではないのが、私が一番知っている。
身体を横にし、また寝る体勢に入ると、再び電話が鳴った。
喧しい音は、今度は何時まで経っても止まなかった。
私は寝る体勢になっていた身体を無理矢理起こし、受話器を手に取った。
「あ、やっと出ましたね先生」
聞こえてきたのは、聞き馴染みのある声だった。
「ああ、どうしたんだい若本君」
電話の相手――若本は、私が言い終わるや否や、どうしたじゃないですよぅ、と言葉の尻を上げる独特の口調で私を非難してきた。
「先生が持ってきてくれるって言うから、待ってたんですよぅ」
「ああ、そういえばそうだった」
「忘れてたんですか?勘弁してくださいよぅ」
「すまない、今から持っていくよ」
受話器を片手に、机にあるであろう封筒を探す。
封筒は書類やらノートに埋もれていたが、何とか探し出し引っ張り出す。
――錯覚。
封筒には私の汚い文字で、たった二文字、書かれていた。
私の最新刊となる作品で、私の夢である。
――夢なのだ。・・・そうだ、彼女は。
「夢・・・か」
「はい?まだ寝ぼけているんですか?締め切りはとっくの昔に過ぎてるんですよ。夢なんかじゃありませんですよぅ」
「いや、そうじゃないよ」
そう汲んだか。
「まあ、少し待っていてくれ。今から持っていくよ」
「そうですか?なら早くして下さいねぇ」
「ああ、わかったよ」
そう言って、私は受話器を置いた。
外は平日の昼間だというのに、人は多かった。
その人ごみの中を進みながら、物思いに耽る。
知っている。
私は知っている。
よく覚えている。
その記憶は、私という曖昧な輪郭を確固としたモノにしてくれた。
――あれは、そう、三月だったかな・・・。
段々と現から記憶の海へと降下していく私の意識は、『錯覚』を書く原因となった三月の夢を辿って行く。