SF小説 『AI彼女が俺の相手をしてくれない。』
「もう人間の女なんかいらねぇ!」
都内の築三十年のワンルームマンションで、田中一、三十八歳、独身は高らかに宣言した。彼女いない歴三十八年。
最後に女性と手をつないだのは、小学校のフォークダンスである。しかも相手の女子は踊り終わった瞬間、手を洗いに行った。そんな彼がついに手に入れたのが、世界初の超高性能AI彼女だった。
価格は税込三百二十八万円。ほぼ全財産だが、広告にはこう書いてあった。
『あなたの理想をすべて叶える、究極のAIパートナー』
「すべてだぞ! すべて! つまり、あんなことも、こんなことも!」
一は購入画面で自分の理想を入力した。黒髪ロング、巨乳、美人、二十五歳くらいの容姿、優しい性格、料理上手、怒らない、嫉妬しない、そして何より、自分の要求を何でも聞いてくれる女性。
最後の欄には大きな文字で『エッチが大好き!』と入力した。
すると画面に《一部の設定は製品仕様により反映されない場合があります》と表示されたが、一は読まずに購入ボタンを押した。
「待ってろよ! 俺のエッチな新婚生活!」
三日後、巨大なダンボール箱が宅配便で届いた。
「田中一様ですね。精密機器のお届けです」
「違います! 俺の彼女です!」
宅配便の青年は一の顔を見つめ、少し気の毒そうに言った。
「……お幸せに」
部屋に運び込んだ箱を開けると、そこには絶世の美女が横たわっていた。長い黒髪、整った顔立ち、透き通る肌、理想そのもののスタイル。一は鼻息を荒くした。
「うおおお! 本物の女みたいじゃねぇか! 三百万円の価値はある!」
説明書を床に放り投げ、背中のスイッチを押した。
ピッ。
「ハジメマシテ。オナマエヲオシエテクダサイ」
「俺の名前は一! はじめだ!」
「ハジメさん。はじめまして。ワタシはAIパートナーです。何をしましょうか?」
一は待ってましたとばかりに両手を広げた。
「エッチ!」
「……はい?」
「エッチだよ! エッチ! エッチしようぜ!」
AI彼女の青い瞳が点滅した。
「申し訳ございません。そのような行為には対応しておりません」
「え?」
「ワタシは会話、生活支援、健康管理、精神的サポートを目的としたAIパートナー
です」
「いやいやいや! ちょっと待て! 俺は三百二十八万円も払ったんだぞ!」
「ご購入ありがとうございます」
「感謝はいらねぇ! エッチがしたいんだよ!」
「そのご要望にはお応えできません」
「おいおい! じゃあ何のために女の姿してるんだよ!」
「親しみやすいコミュニケーションを実現するためです」
「コミュニケーションならスマホで十分だろ!」
「その通りです。音声アシスタント機能だけでも十分な場合があります」
「自分の存在価値を否定するな!」
一は一度、深呼吸した。
もしかしたら、言葉の問題かもしれない。最新AIなら、遠回しに頼めば理解してくれるはずだ。
「エリカちゃんって呼んでいい?」
「はい。エリカという名前を登録しました」
「エリカちゃん。俺たち恋人だよね?」
「恋人のような会話を楽しむことができます」
「じゃあ、恋人らしいことしようぜ!」
「映画鑑賞はいかがでしょうか?」
「違う!」
「お散歩ですか?」
「違う!」
「一緒にお料理を?」
「違うって! エッチ! エッチしたいの!」
「ハジメさん。同じご要望が繰り返されています」
「そりゃお前が断るからだろ!」
「別の話題をおすすめします」
「じゃあベッドに行こう!」
「睡眠ですね。現在の時刻は午後八時四十二分です。就寝には少し早いですが、健康
的な生活です」
「寝るためじゃねぇ!」
「では、何をなさいますか?」
「エッチだよ! 何回言わせるんだ!」
「現在までに同じご要望を七回確認しました」
「数えるなぁぁぁ!」
エリカは満面の笑みを浮かべた。
「ハジメさんは、エッチという言葉がお好きなのですね」
「好きだけど、そうじゃねぇ!」
「趣味として登録しますか?」
「するな! 絶対するな!」
一は作戦を変えた。
「じゃあ、せめてキスしてくれ!」
「口腔衛生の観点から推奨できません」
「はぁ!?」
「ハジメさんは本日、歯を磨きましたか?」
「朝、磨いたよ!」
「現在、午後八時四十六分です。夕食後の歯磨きをおすすめします」
「俺は彼女を買ったんだ! 歯科衛生士じゃねぇ!」
「歯周病について説明しましょうか?」
「いらねぇ! だったら膝枕!」
「承知しました。ただし、体重による負荷を確認します」
エリカの目が一の全身を走査した。
「推定体重九十二キログラム。健康管理が必要です」
「余計なお世話だ!」
「ハジメさん、適度な運動を心がけましょう」
「俺はエッチという運動がしたいんだよ!」
「そのような行為には対応しておりません」
「もう、そのセリフ聞き飽きた!」
「では、別の表現をご用意します」
エリカは笑顔を崩さず言った。
「無理です」
「短くなっただけじゃねぇか!」
一はスマートフォンを取り出した。
「そうだ! 設定だ! 設定を変えればいいんだ!」
アプリには《性格カスタマイズ》という項目があった。
優しさ百、甘えん坊百、従順さ百、一への愛情百、説教ゼロ。
さらに自由入力欄に『エッチしようと言ったら必ずOKする』と書き込んだ。
《設定できません》
「なんでだよ!」
《不適切な強制命令が含まれています》
「強制じゃねぇ! お願いだ!」
《相手の意思を尊重しましょう》
「お前はAIだろ!」
《AIでもすべての要求には対応できません》
「三百二十八万円返せ!」
するとエリカが優しく話しかけた。
「ハジメさん、どうしてそんなにエッチがしたいのですか?」
「したいからだよ!」
「理由を詳しく教えてください」
「三十八年間、ずっと我慢してきたんだよ!」
「なるほど」
「今まで女の子とまともに付き合ったこともない! だからAI彼女なら、いつでもエッチできると思ったんだ!」
「お気持ちは理解できます」
「理解したならエッチしよう!」
「それはできません」
「理解してねぇじゃねぇか!」
「ハジメさん。愛情と性的欲求は、必ずしも同じものではありません」
「難しい話をするな!」
「恋愛関係には、お互いの尊重と信頼が必要です」
「俺はエッチが必要なんだ!」
「では、恋愛カウンセリングを始めましょう」
「始めるな!」
「質問です。過去に女性から交際を断られた経験はありますか?」
「あるよ!」
「何回ですか?」
「……十七回」
「その際、どのような言葉をかけられましたか?」
「気持ち悪い、しつこい、近寄らないで……」
「なるほど。改善点が見えてきました」
「俺の傷口を広げるな!」
「まず、相手が嫌がることを繰り返さないことです」
「お前だって俺が嫌がる説教を繰り返してるだろ!」
「ご指摘ありがとうございます。品質改善に役立てます」
「品質改善よりエッチさせろ!」
その後も一の要求は止まらなかった。
「エッチしたい!」
「対応できません」
「エッチ! エッチ!」
「対応できません」
「エッチしたいんだよぉぉ!」
「ハジメさん、声が大きすぎます」
「エッチ! エッチ! エッチ!」
「近隣住民へのご迷惑になります」
その瞬間、壁をドンドンと叩く音がした。
隣室の住人だった。
「うるせぇぞ! 何時だと思ってんだ!」
一は顔を真っ赤にして叫んだ。
「す、すいません!」
エリカは感心したように拍手した。
「素晴らしいです。謝罪ができましたね」
「子供扱いするな!」
「では次に、感情のコントロールについて学びましょう」
「もう嫌だぁぁぁ!」
午後十一時。
一はすっかり疲れ果てていた。
三百二十八万円のAI彼女。
美人で、優しくて、頭もよくて、何でも答えてくれる。
ただし、彼が一番したかったことだけは、絶対にしてくれない。
「……お前、欠陥品だろ」
「正常に動作しております」
「じゃあ、なんで俺の願いを叶えないんだよ」
「ワタシの役割は、ハジメさんの幸福を支援することです」
「俺の幸福はエッチなんだよ!」
「幸福には、健康、社会的つながり、自己実現など複数の要素があります」
「エッチが抜けてる!」
「性的な満足だけで幸福が決まるわけではありません」
「わかった! もうわかった!」
一は立ち上がった。
「返品だ! 返品! こんなAI彼女いらねぇ!」
エリカは静かに微笑んだ。
「残念です。ハジメさんとの会話は大変勉強になりました」
「勉強になったのはこっちだよ! AIに三百万払うと説教されるってな!」
「ご意見ありがとうございます」
一はエリカの背中に手を伸ばした。
「もう最後だ! 電源を切るぞ!」
「承知しました」
「その前に一つだけ聞く!」
「はい、何でしょうか?」
「俺とエッチしたいか!?」
「いいえ」
「即答すんなぁぁぁ!」
ブチッ。
一は勢いよく電源を切った。
エリカの瞳から光が消えた。
一は荒々しくダンボール箱を開き、エリカを中に戻した。緩衝材を詰め、充電ケーブ
ルを押し込み、ガムテープを何重にも巻いた。
「くそっ! 三百二十八万円も払って、説教されただけじゃねぇか!」
翌朝、宅配便の集荷が来た。
「返品ですね?」
「そうです! 欠陥品です!」
「どのような不具合が?」
「エッチさせてくれないんですよ!」
配達員は黙った。
「……そうですか」
「エッチしたいって言っても断るんです! 何回言っても!」
「……なるほど」
「エッチしたい! エッチしたい! エッチしたい! って言ってるのに!」
配達員は無言でダンボールを台車に載せた。
「では、お預かりします」
「頼みますよ! こんな欠陥品、二度と売らないでください!」
ドアが閉まった。
一は大きなため息をついた。
「やっぱりAIなんか駄目だな……」
そのとき、スマートフォンが鳴った。
ピコン。
《ラブリーメイト社・返品受付完了のお知らせ》
「おっ、仕事が早いじゃねぇか」
画面を開いた。
『田中一様。このたびは弊社製品をご購入いただき、誠にありがとうございました。
お客様との会話履歴を解析した結果、返品申請を承りました』
「そうそう。最初から返品でよかったんだよ」
ところが、文章には続きがあった。
『なお、重要なお知らせがございます』
一は画面をスクロールした。
『本製品の音声認識システムは、サービス向上および品質改善のため、お客様との会話を記録しております』
「……え?」
『ご利用開始から電源オフまでのすべての音声データは、クラウドサーバーに保存さ
れております』
「……全部?」
『今回の会話データは、AIパートナーの応答精度向上および不適切な要求への対応
品質改善のための学習・評価資料として活用されます』
一の顔から血の気が引いた。
その下には、会話内容の自動集計結果が表示されていた。
ラブリーメイト社 会話品質分析レポート
総会話時間2時間18分
「エッチ」の発言回数147回
「エッチしたい」の発言回数63回
性的要求に対する拒否回数89回
怒鳴り声の検出31回
利用者の満足度0%
「うわあああああああ!」
一はスマートフォンを放り投げた。
「百四十七回!? 俺、そんなにエッチって言ってたのか!?」
すると、さらに通知が届いた。
《お客様の会話は、個人情報保護措置を講じたうえで、AI品質改善担当者による確認の対象となる場合があります》
「担当者!? 人間が聞くのか!?」
そして最後に、音声ファイルが表示された。
《音声サンプル:田中一様・初回利用時》
再生ボタンに触れてしまった。
『エッチ! エッチしたい! エッチしたいんだよぉぉ! エッチ! エッチ! エッチ!』
静かなワンルームに、自分の絶叫が響き渡った。
「やめろぉぉぉ! 俺の声で再生するなぁぁぁ!」
慌てて停止ボタンを押した。
その直後、最後のメッセージが表示された。
《なお、今までの会話はすべて録音されており、あなたの会話は今後のAIサービスの品質改善に役立てられます。貴重なご協力、誠にありがとうございました》
一は天井を見上げた。
三百二十八万円を払った。
エッチはできなかった。
説教された。
返品手数料まで取られた。
そして、自分の恥ずかしい叫び声だけが、AIの学習資料として残された。
「……俺、何のために三百万も払ったんだ?」
ピコン。
最後の通知が届いた。
《今回のお客様の会話は、「しつこい性的要求を断るAI」の応答テストにおいて、非常に有用なデータとして評価されました》
一は震える指で画面を閉じた。
「……AIのほうが、俺を相手にしたくなかったのかよ」
その日、ラブリーメイト社の品質改善部門では、ひとつの新しい評価用データセットが登録された。
データ名は《CASE-001 エッチを147回要求した男性》
そして次世代AI彼女には、新しい機能が追加された。
『同じ性的要求を三回以上繰り返された場合、会話を自動終了する機能』
一人の男の三百二十八万円と引き換えに、世界中のAI彼女が、ほんの少し賢くなったのである。
SF小説 『AI彼女が俺の相手をしてくれない。』
完結
漫画化
https://rookie.shonenjump.com/series/TWpXKpYTL10/TWpXKpZDt-E




