裏切りの毒、嫉妬の炎
カイロから発掘現場へ戻る漆黒のベントレーの車内は、墓場のような沈黙に包まれていた。隣に座るドミニクからは、隠しようのない苛立ちが波動となって伝わってくる。彼は窓の外、流れる夜の砂漠を見つめたまま、一度もダイアナと目を合わせようとしなかった。
「……スタッフォード氏」
ダイアナが耐えかねて声をかけると、彼は喉の奥で低く唸るような声を漏らした。
「喋るな。今の私は、自分でも何を言い出すか分からん」
彼の横顔は、彫刻のように美しく、そして残酷なまでに硬かった。パーティーでのあのダンス、耳元での「後悔している」という囁き。あれは一体何だったのか。ダイアナの胸には、甘い疼きと鋭い痛みが同居し、彼女を混乱させていた。
キャンプに到着した時、そこには予期せぬ人物が待っていた。ローレンス・ボーン教授だ。彼は数台のジープと共に、不敵な笑みを浮かべてダイアナの前に立った。
「やあ、ダイアナ。パーティーでは随分と華やかだったようだが、本業を忘れたわけではあるまい?」
教授はドミニクの冷徹な視線を無視し、懐から一巻の古びたパピルスを取り出した。
「これを見てごらん。君の父、ヘンリーが最期に追い求めていた『黄金の碑文』の在り処を示す写しだ。これがあれば、彼の汚名はまたたく間に雪がれるだろう」
「……!それは本当ですか、教授?」
ダイアナの瞳に、パッと希望の光が灯った。父の名誉。それこそが、彼女が人生のすべてを賭けて追い求めてきたものだ。
彼女が吸い寄せられるように教授へ一歩踏み出した、その時だった。
「待て、ダイアナ。その男の言葉を信じるな」
ドミニクの低く鋭い声が、夜の静寂を切り裂いた。
「これは父の……!」
「偽物だ。そんな都合のいいものが、このタイミングで現れるはずがない」
「おや、スタッフォード君。君は実業家としては一流だが、考古学に関しては素人だ。ダイアナ、君なら分かるだろう?この筆致、この文体……。さあ、近くで確認してごらん」
教授が優雅な仕草でダイアナの肩に手をかけ、パピルスを広げようとした。その瞬間だった。
「その薄汚い手で、彼女に触れるな!!」
ドミニクが猛獣のような速さで割り込み、教授の手を乱暴に振り払った。衝撃で教授がよろめき、パピルスが砂の上に落ちる。ドミニクはダイアナの腕を掴み、自分の背後へと強引に引き寄せた。
「スタッフォード氏、乱暴はやめて!」
「黙っていろ!この男が君をどんな目で見ているか、まだ分からないのか?彼は君の父を売った男だ。今度は君を、その甘い罠で食い物にするつもりだぞ!」
ドミニクの叫びは、ダイアナには「嫉妬」ではなく、単なる「支配欲」の表れにしか聞こえなかった。
「いいえ、あなたはただ、私が自分の意志で動くのが気に入らないだけよ!あなたにとって私は、あなたの金で飾られた動かない人形でしかないんだわ!」
ダイアナはドミニクの手を振り解き、彼を真っ向から睨みつけた。
「教授は父の弟子だった人です。私を助けようとしてくれている。それを、根拠もなく侮辱するなんて……!あなたは、私の夢も、私の家族への想いも、すべて金で管理できると思っているのね!」
「ダイアナ、私の言うことを聞け。これは君のためだ」
ドミニクの瞳が、苦痛に歪んだ。その奥にあるのは、正体を明かせない「ガーディアン」としての絶望的な愛だった。だが、今のダイアナにそれは届かない。
「『君のため』?その言葉が一番嫌いよ!」
ダイアナは砂に落ちたパピルスを拾い上げると、教授の方へと駆け寄った。
「教授、行きましょう。詳しいお話を聞かせてください」
「ああ、もちろんだとも、ダイアナ。私のテントへ来なさい」
教授は勝ち誇ったような笑みをドミニクに向け、彼女を連れて闇の中へと消えていった。
一人、砂漠の真ん中に残されたドミニクは、拳を血が滲むほど固く握りしめていた。
「……馬鹿な女だ」
その呟きは、怒りよりも、自分自身の無力さへの呪詛に満ちていた。彼は知っていた。あのパピルスには、触れた者の意識を混濁させる特殊な薬草の成分が塗布されていることを。教授の狙いは、古文書などではなく、ダイアナ自身であるということを。
「行かせてたまるか……。たとえ君に一生憎まれることになっても」
ドミニクは、氷のような冷徹さを取り戻し、暗闇の中で静かに銃の安全装置を外した。彼の中に眠っていた「守護者」が、今、最愛の女性を守るための「修羅」へと変貌しようとしていた。




