仮面と鏡の輪舞曲(ロンド)
神殿の入り口が拓かれた翌日、キャンプの空気は一変していた。ドミニクが持ち込んだ最新の照明設備が、地下へと続く階段を白日のもとに晒し、男たちは湧き上がる功名心に目を輝かせながら作業に勤しんでいた。
だが、ダイアナは独り、空調の効いたラボ用コンテナの中で、昨日運び出された最初の遺物と向き合っていた。それは、数千年の時を経てなお、微かな光を宿している「銀の手鏡」だった。
「……信じられない。保存状態が完璧だわ」
ダイアナが柔らかな刷毛で砂を払っていると、自動ドアが開き、あの重厚な足音が響いた。振り返らなくてもわかる。彼女の肌が、ドミニク・スタッフォードの存在を察知して、細かな産毛を逆立てていた。
「作業の進捗はどうだ、ダイアナ」
ドミニクは、昨日の泥まみれの姿から一転、涼やかなネイビーのシャツを纏い、いつもの完璧な紳士に戻っていた。だが、その瞳に宿る熱だけは、昨日の余韻を孕んでいるように見えた。
「素晴らしいわ。見て、この裏面の細工。蓮の花の中に、知恵の神の象徴が刻まれているの。当時の王妃が愛用していたものに違いないわ」
ダイアナが熱心に解説すると、ドミニクはふらりと彼女の隣に立ち、その鏡を覗き込んだ。
「鏡、か。女が己の虚栄心を確認するための道具だな」
「そんな言い方をしないで。これは、真実の姿を映し出すための神聖な道具でもあったのよ」
「真実、か」
ドミニクはふっと鼻で笑うと、ダイアナが持っていた洗浄用のクロスを奪い取った。
「貸せ。君の手は、昨日からの無理がたたって震えている」
「……っ」
指摘されて初めて、ダイアナは自分の指先が微かに痙攣していることに気づいた。ドミニクは彼女の隣に座り、大きな手で、壊れ物を扱うように慎重に鏡を磨き始めた。
その横顔を見た瞬間、ダイアナの胸に激しい既視感が走った。厳しい口調とは裏腹な、繊細な手つき。そして、彼の口から漏れた独り言。
「目に見えるものだけが真実じゃない……。本質は常に、磨き上げた心の奥底にある」
ダイアナは息を呑んだ。
(今の言葉……。ガーディアン様が、先月の手紙に書いてくれたことと全く同じ……)
「スタッフォード氏。あなた、以前にもどこかで同じことを言ったことが?」
彼女の問いに、ドミニクの指が一瞬、凍りついたように止まった。彼はすぐに無表情を取り戻し、鏡の表面を見つめた。
「ありきたりな教訓だ。……それよりも、君は鏡を見ていないな」
ドミニクは鏡を傾け、そのくすんだ銀の面にダイアナの顔を映し出した。
「そこに映っているのは、自分の価値に無頓着な愚かな女だ。砂にまみれ、埃を被り、自分が世界で最も希少な宝石の一つであることを忘れている」
「スタッフォード氏……」
「来週、カイロのグランド・ハイアットで、この発掘の第一報を祝うレセプションパーティーを開く。スポンサーや学会の要人が集まる。そこで君には、このプロジェクトの『顔』として立ってもらう」
ダイアナは困惑した。
「パーティー?でも、私はドレスなんて持っていないし、何よりこの現場を離れるわけには……」
「ドレスなら用意してある。エメラルドの色をした、君の瞳にふさわしい最高級のシルクだ。それを着て、君の父を嘲笑った連中の鼻を明かしてやれ」
ドミニクは立ち上がり、ダイアナを見下ろした。
「これは命令だ。拒否権はないと言ったはずだぞ」
彼はそれだけ言い残すと、颯爽とコンテナを去っていった。
一人残されたダイアナは、磨き上げられた銀の鏡を見つめた。くすみが消えたその面に映る自分の瞳は、期待と、それ以上の不信感で揺れていた。
(どうして。どうして彼は、時々あんなに優しい言葉をくれるの?ミスター・ガーディアンが私を励ましてくれる時のように……)
その時、机の上に置いていたスマートフォンが、一通のメッセージの受信を告げた。『ミスター・ガーディアンより』
『ダイアナ。もうすぐ、君が世界で一番輝く夜が来る。どうか、自分を信じて。君は決して、一人で戦っているのではないのだから。カイロの夜風は冷えるだろうけれど、私の心はいつも君を温めている』
ダイアナは、スマートフォンを握りしめ、窓の外に広がる砂漠を見つめた。すぐそこにいるはずの、見えない守護者。そして、目の前に現れた、冷酷なはずの支配者。
二人の影が、ダイアナの心の中で複雑に交差し、一つの輪舞曲を奏で始めていた。彼女はまだ知らない。そのレセプションパーティーで、ドミニクの用意したエメラルドのドレスが、彼女の運命を永遠に変えてしまうことを。




