砂漠のディナーは密やかに
砂漠の夜は、昼の酷暑を嘘のように忘れさせるほど冷酷に更けていく。ダイアナは、新設された居住コンテナの鏡の前で、不本意ながらも身なりを整えていた。ドミニクから支給されたのは、砂漠の夜にふさわしい、柔らかなカシミアのチュニックと細身のパンツだった。
「管理物には、それなりの装いをさせるということね」
自嘲気味に呟きながら、彼女はドミニクの待つ特設トレーラーへと向かった。
トレーラーのドアが開いた瞬間、ダイアナは息を呑んだ。そこは砂漠の真ん中とは思えない、ロンドンの高級クラブを彷彿とさせる空間だった。磨き上げられたマホガニーのテーブル、クリスタルのグラス、そして静かに流れるチェロの調べ。
その中央で、ドミニク・スタッフォードは既に席についていた。彼はジャケットを脱ぎ、白いシャツの袖を軽く捲り上げている。その無造作な仕草さえも、鍛え上げられた腕の筋肉を強調し、暴力的なまでの雄々しさを放っていた。
「3分遅れだ、ダイアナ」
ドミニクは顔を上げず、手元のワイングラスを揺らした。
「……時計が砂で狂っていたのかもしれないわ」
「言い訳は無用だ。座れ」
ダイアナが席に着くと、ドミニクお抱えのシェフが、見事なラムのローストを運んできた。スパイスの芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。
「食べろ。君のその細い体では、砂嵐が来たら骨まで削られてしまう」
「ご心配なく。私はこれでも、あなたより長くこの砂漠で生き残ってきたの」
ダイアナがナイフを手にとると、ドミニクの視線が彼女の指先に注がれた。日中の作業で爪の間に入り込んだ砂は、どんなに洗っても完全には落ちない。それが彼女の誇りだったが、ドミニクの前に晒されると、急に自分が無防備で、汚れているような錯覚に陥る。
「その服は、君の瞳の色を殺しているな」
ドミニクが唐突に言った。琥珀色の瞳が、彼女の顔をじっと見つめる。
「だが、君のその強情さだけはよく引き立てている」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
「皮肉だよ。君はそうやって常にトゲを逆立てていなければ、自分を保てないのか?現場の男たちが君をどんな目で見ているか、本当に気づいていないわけではあるまい」
ダイアナの手が止まった。
「……彼らは私のチームよ。仕事の仲間だわ」
「ふん。君が身を屈めて地面を這っている時、彼らの視線がどこを向いているか。君の無防備なうなじ、作業着の下の柔らかな曲線……。君は考古学を武器にしているつもりだろうが、実際にはその女としての危うさを振り撒いて男たちを繋ぎ止めているだけだ」
「なんて卑劣な言い草なの!」
ダイアナは立ち上がろうとしたが、ドミニクの鋭い声に遮られた。
「座れ!食事はまだ終わっていない」
ドミニクはゆっくりと立ち上がり、テーブルを回ってダイアナの背後に立った。彼の気配が近づく。高価なサンダルウッドの香りと、彼自身の熱い息吹。ダイアナの背筋に、戦慄にも似た震えが走った。
「君を守るために、私はこの契約を結んだのだと言ったら、信じるか?」
耳元で囁かれた低音の震動が、ダイアナの理性を麻痺させる。
「……信じないわ。あなたは私を支配したいだけ」
「そうだ。支配だ。だが、支配される側が安全であることもまた、契約の一部だ」
ドミニクの手が、ダイアナの肩に触れた。薄いカシミア越しでも、彼の掌の熱が火傷のように伝わる。ダイアナは拒絶しようとしたが、身体が金縛りにあったように動かない。彼の強引なまでの魅力に、本能が屈服しようとしていた。
食事が終わり、解放されるように自分のコンテナへ戻ったダイアナは、乱れた呼吸を整えるためにベッドへ倒れ込んだ。胸の奥が、激しく疼いている。ドミニクへの憎しみと、彼に触れられた場所の熱。その矛盾に、彼女は泣きたくなった。
彼女は震える手でスマートフォンを取り出し、秘密のメールボックスを開いた。そこには、『ミスター・ガーディアン』からの新しいメッセージが届いていた。
『ダイアナ。砂漠の夜は孤独だが、空を見上げてほしい。同じ星が君を見守っている。君は決して一人ではない。君の純粋な魂は、誰にも汚されることはないのだから』
「ああ……ガーディアン様……」
ダイアナはスマートフォンを胸に抱きしめ、瞳を閉じた。冷酷なドミニクの言葉に傷ついた心が、顔も知らない誰かの温かな言葉によって癒やされていく。
彼女は気づいていなかった。隣のコンテナで、ドミニク・スタッフォードが一人、冷えたワインを煽りながら、苦悶に満ちた表情でスマートフォンの画面を消したことに。彼の手には、ダイアナがかつてガーディアンに宛てて書いた感謝の手紙が、大切そうに握られていた。
「……あんな目で見られるために、君を助けているわけじゃない」
ドミニクの独り言は、砂漠の風にかき消され、誰に届くこともなかった。




