黄金の檻と砂の情熱
エジプト、ギザの西方に広がるリビア砂漠。正午の太陽は容赦なく地上を焼き、立ち上る陽炎が視界を歪めていた。
「ダイアナ、少し休め。その細い腕が折れちまう前に」
野太い声が、発掘現場の静寂を破った。声の主はアーサー、チームで最も経験豊富なベテラン作業員だ。彼は赤茶けた顔に貼り付いた砂を払いながら、隣で跪き、細い刷毛で慎重に土を払っているダイアナに視線を送った。
ダイアナ・コートニーは顔を上げず、作業を続けた。
「あと少し。この層の下に、父様が言っていた彩文土器の破片があるはずなの」
彼女の肌は日焼けに晒されながらも、驚くほど透き通るような輝きを失っていなかった。汗で額に張り付いた金褐色の髪、砂埃を被った作業着。それでも、彼女が動くたびに周囲の男たちの視線が吸い寄せられる。この過酷な男社会において、ダイアナは一輪の、しかし毒と棘を持った砂漠の薔薇だった。
「頑固なところは親父さん譲りだな」
若手のトビーが、冷えた水筒を差し出しながら茶化すように笑う。彼の瞳には、明らかに仕事仲間以上の熱がこもっていた。
「だが、そんなに頑張っても、来週にはここを引き払わなきゃならないんだろ?教授から聞いたぜ。スポンサーが完全に手を引いたって」
その言葉に、ダイアナの刷毛が止まった。胸の奥が、冷たい氷で撫でられたような感覚に襲われる。
「……まだ決まったわけじゃないわ」
「いいや、現実を見ろよ。俺たちはあんたについていきたいが、飯を食わなきゃならない。こんな『出もしない幽霊神殿』の探しっこに付き合えるのは、今日が最後かもしれないんだ」
男たちの視線が痛い。同情、諦め、そして「女にこの仕事は無理だったんだ」という無言の軽蔑。ダイアナは唇を噛み締め、立ち上がった。埃を払う仕草一つにも、彼女がロンドンの社交界で身につけた気品が滲む。
「失礼、少し風に当たってくるわ」
彼女は逃げるようにテントへと戻った。灼熱の屋外とは対照的に、テントの中は薄暗く、革と古い紙の匂いが満ちていた。ダイアナは震える手で、デスクの引き出しから一通の手紙を取り出した。
上質なボンド紙に、力強くもエレガントな万年筆の跡。差出人は『ミスター・ガーディアン』。
『親愛なるダイアナ。
君の情熱が、乾いた砂に命を吹き込む日を心待ちにしている。
自分を疑ってはいけない。
君の父、ヘンリー・コートニーの志は、君という美しい守護者の中に生き続けているのだから』
「……ガーディアン様」
ダイアナはその名前を、祈りのように呟いた。顔も知らない匿名の慈善家。父の死後、汚名を着せられ学会を追われたコートニー家を密かに支え続けてくれた唯一の人物。彼の言葉だけが、この孤独な戦いの中でダイアナの心を繋ぎ止めていた。
その時だった。キャンプの入り口で、場違いなエンジン音が響き渡った。砂漠を切り裂くような、鋭く、傲慢な機械の咆哮。
ダイアナがテントの外へ出ると、そこには砂塵を巻き上げて停車した、漆黒のベントレーがあった。場違いな高級車から降り立ったのは、一人の男だった。
仕立ての良いチャコールグレーのスーツ。砂漠の熱気など、まるで別の世界の出来事だと言わんばかりに、彼は冷徹なまでの完璧さを纏っていた。
ドミニク・スタッフォード。
「氷のCEO」と恐れられる、スタッフォード・ロジスティクスの頂点に立つ男。
「誰が責任者だ?」
ドミニクの声は低く、そして信じられないほど冷ややかだった。彼の視線が、驚きで固まる男たちを通り抜け、真っ直ぐにダイアナを捉えた。その鋭い琥珀色の瞳に見つめられた瞬間、ダイアナは全身の血が逆流するような衝撃を感じた。
「私が、この発掘チームの責任者、ダイアナ・コートニーです」
ダイアナは努めて冷静に、顎を引いて彼に対峙した。ドミニクは彼女を、値踏みするように上から下まで眺めた。その視線は、彼女の衣服を透かし、魂の奥底まで暴こうとするかのように無遠慮だった。
「ふん。君がコートニーの娘か。父親と同じように、砂遊びに夢中なようだな」
「砂遊び……?失礼ですが、スタッフォード氏。これは歴史を塗り替える可能性を秘めた、神聖な研究です」
「研究、か。私には死人の持ち物探しにしか見えない」
ドミニクは一歩、ダイアナに歩み寄った。彼の放つ圧倒的な男性的なフェロモンと、高級な香水の香りが、ダイアナの理性をかき乱す。周囲の男たちが気圧されて後ずさるなか、ダイアナだけが彼を睨み返した。
「資金が底をついたと聞いた。私の会社が、君たちのパトロンになってやってもいい」
ダイアナの瞳に、一筋の希望が宿った。だが、ドミニクの次の言葉が、その希望を無残に打ち砕いた。
「ただし、誤解するな。私は君のくだらない夢に一ペニーも投資するつもりはない。私が投資価値を見出しているのは、この発掘プロジェクトの『話題性』と……そして、君の『時間』だ」
「私の、時間?」
「そうだ。これからの三ヶ月、君のすべては私の管理下に置かれる。発掘の進捗、君の行動、そしてそのプライベートに至るまで。私が『右』と言えば、君に拒否権はない」
ドミニクはダイアナの顔のすぐ近くまで顔を寄せた。彼の熱い吐息が、彼女の耳たぶをかすめる。
「君の夢に投資価値はない。私が買うのは、君という女だ、ダイアナ。この条件を飲むなら、今すぐサインしろ。さもなければ、明日にはこのテントごと砂に埋もれるがいい」
ダイアナは、怒りに身体を震わせた。目の前の男は、彼女が最も軽蔑する類の人種だ。金で人の尊厳を買い、夢を嘲笑う。だが、その一方で、彼女の身体は裏腹な反応を示していた。ドミニクに睨まれた場所から、熱が広がり、心臓が痛いほど脈打っている。
(ミスター・ガーディアン……教えてください。私は、この悪魔の手を取るべきなのでしょうか)
砂漠を渡る風が、ダイアナの決断を待つように、静かに吹き抜けていった。




