第13話 トレッキングウォッチの異常記録
Fが登山に使っているのは、登山者向けの高性能トレッキングウォッチだった。
標高や気圧、歩数、現在地、心拍数。すべてが自動で記録され、あとでスマホのアプリと同期できる。命綱のような存在だ。
その日もFは、馴染みのある山を友人と登っていた。往復で6時間。日没までには余裕のある計画だった。
しかし、下山してウォッチのログを確認した瞬間、Fは背筋が凍りついた。
記録された標高に、明らかに異常がある。
14:32 標高:-27m
14:33 高度変化:+1350m
14:34 現在地:地図上に存在しないポイント「影ノ澤」
「……マイナス27メートルって、地下? そんなわけ……」
さらにおかしなことに、その3分間だけ心拍数が異常に跳ね上がっていた。
F自身には何の記憶もない。確かに歩いていたが、特別なことなど何もなかったはずだった。
同行していた友人にも確認したが、「Fは普通に歩いてた」と言う。ただ、ひとつだけ不気味なことがあったという。
「……お前、あの時、誰かと話してなかった?」
「え?」
「いや、後ろに誰もいなかったのにさ、“もうすぐ帰れる?”とか、“どこまで行けばいい?”って……お前、そう言ってたよ。誰に言ってたの?」
Fには、まったく記憶がなかった。
恐ろしくなったFは、アプリでその時間帯のログを再確認した。すると、地図上には存在しない“影ノ澤”という地点に、ピンが打たれていた。
半透明の霧のようなマークがそこに浮かび、タップすると、音声メモが再生された。
Fはその機能を一度も使ったことがない。
《たすけて。ここ、どこ? 寒い……だれか……》
女の声だった。年齢は若そうで、震えていた。再生ボタンは押していない。勝手に流れた。
慌ててスマホを閉じ、ウォッチの再同期を試みたFだったが、その後、同じ地点の記録は消えていた。
ログも、音声も、すべて。
しかし、数日後。Fのもとに封書が届いた。
宛名は手書きで「F様」。消印は“山梨県某郡”。
中には、手書きのメモが一枚だけ入っていた。
「影ノ澤で待ってます。次は、もっと長くいられますように」