ロイSide 1
ロイ視点
ロイは先代国王の落し胤だ。
先代国王は生粋の女好きであり、王子を産んでから体調が思わしくなかった王妃を省みることも労ることもなく、遊び呆けていた。その中で平民であり厨房周りで下級メイドとして働いていたロイの母を見初め、直ぐに手籠めにした。
当然の如く平民の母は、最高権力の相手に対して否応なしに泣き寝入りだ。程なくして妊娠していると分かり、国王に知られたら遠くないうちに母子共に命を狙われるか、子供だけを利用される可能性を恐れた母はある者の助力を得て王宮から逃げ出した。その頃には国王は既に母に興味を失っていたので、下級メイドの一人が居なくなったことなど気づきもせずに妾を増やし続けていた。
王宮内で一介の下級メイドに手を差し伸べた相手。
その人物とは当時の王子、今では国王であるウェルダー・ロウェイ・ダージェス。当時十歳だったロイの義兄であった。
ウェルダーは幼少の頃、王族として様々な勉学漬けの日々に辟易して、良く厨房奥にある貯蔵庫付近の場所に隠れ、探し回る家庭教師から逃げていた。そこにたまたま下級メイドだった母親が通り、子供なのにあまりにも疲弊した王子の表情に思わず声をかけたことが始まりで、都度ちょっとした会話を話す間柄になっていたらしい。
時には母の読んだことのある本の話、時には厨房で余った使用人仕様のお菓子のお裾分け。ウェルダーにとっては食事の時間さえマナー教師が常に側にいて、味覚すら失くなりつつあったのだが、素朴なお菓子がアフタヌーンティーで食べる豪華な菓子よりもよっぽど美味しく感じたし、ロイの母との何気ない会話にかなり救われていたのだ。
ある日、父王が彼女を無理矢理手籠めにしたとの噂を聞き、接触するために彼女の動向を探っていた。そして隙を見て彼女から妊娠し逃げたいという話を聞き、ウェルダーは手を貸すことに決めたのだ。
以前から父王は贅沢三昧、権力は十二分に振りかざすのに政は甘言ばかりの重鎮任せ。数年前に虚弱状態が戻らず儚くなった王妃のことを想い耽ることもなく、身分も政治でも問題にならない娘ばかりに手を出し淫蕩に耽っていた。
ウェルダーはこの頃には齢十歳で既に側近候補の数名を傾倒させており、彼等の親をも掌握し、父王に不満がある者も調べさせ把握するようにしていた。何時か自分が彼以上の勢力を増強させ、自分の母親を政治の駒としてしか扱わず、心を砕くこともなかった実の父を王座から引き摺り降ろし葬り去ることを夢見て動いていた。
ロイの母は出産後、産後の肥立ちが悪く亡くなってしまった。ウェルダーの命でロイは側近候補の貴族家の一つに預けられることになった。ロイの母に優しくしてもらったウェルダーだが、生まれた子供には特に感慨も無い。今後も匿うのならば自分の将来の為に使える人間に育てようと目論んでいた。
ところが想像を遥かに超えて、ロイは頭も身体も有能が秀でていた。それを面白くない預けられた貴族の面々から妬みや嫉みを向けられ、非道な不遇の扱いを受けていたのだ。多忙を理由に放置気味だったウェルダーが気づく頃には七年の月日が経っていた。
その貴族家は一族諸共取り潰し、それに代わり、武術に長けた騎士などを輩出している伯爵家が手を挙げ、任せることになった。ようやく様子を見に来れたウェルダーが見たものは、痩せ細り子供らしくない無感情の表情を持つロイだった。要らない子供、卑しい女の子供、未来の王の足枷になる子供などと、何年も罵詈雑言を浴びせられ食事を抜かれ、時には暴力を受け、心身に虐待を受け続けた。
新しい預け先の伯爵家に移っても、一度受けた傷はそう簡単に癒えるものではなかった。自分に流れている忌々しい血がある限りは、逃げたとしても殺されるだけだと容易に想像がついたロイは、どうせなら極限まで強くなって堂々と彼らから去れるくらいになってやると心に誓った。伯爵の止める声にも耳を傾けず、日々己を追い込み鍛錬し続けた。
それから八年経ち15歳になる頃には、ロイは最早伯爵の騎士などの比較にならないほどの力を手に入れていた。背も伸び、細かった体は必要な部分に必要なだけ筋肉がつき、屈強過ぎず敏捷さも損なわない身体を作り上げていた。王太子となり25歳になったウェルダーは王宮中枢の大部分を掌握しており、父王を引き摺り下ろすまであと少しという頃にロイに会いに来た。
王太子であるウェルダーに対しロイは特に思うことはなかった。母親を逃がしてくれた恩はあるが、半分血の繋がった者として何故自分がと思うわけでもないし、あまりに違う境遇もどうでも良い。彼から国を、王族の血を引いていることで今の環境になったことを恨んでいるかと聞かれたが、王宮の華やかな場所は元より、人の上に立ち国を治めたいなんて塵とも思わない。ロイが血反吐を吐く思いで身につけた力は己の身を守る為のものだった。
ウェルダーからの提案という名の命令は簒奪後、彼の即位と共に王国の裏を担う暗部組織を立ち上げ、ロイをそこの頭領にするというものだった。15歳という若さで既に誰に対しても無慈悲、且つ頭の回転が早く才能を存分に開花させていたロイは、ウェルダーからしたら味方になれば最高の防壁であるが、対岸になった時に脅威は計り知れないのだろう。
ウェルダーは個人的にロイを義弟と呼ぶことはできないが、この先も共に歩みたいと言われた。国に縛られることは鬱陶しい限りだが、頭領になればある程度の制限をかけられることもないだろう。かけられてもロイならばどうにでもできるのだが。
ロイは首を縦に振る前に二つ条件をだした。
平民の血が混ざっているとはいえ王族の血をひいているのは事実で、今後巨大になるだろう組織に対し、欲を出してこちらを害さなければ牙を向くことはない。国が安定し組織の人員も育ってきた時、ロイが抜けると言ったら無条件に受け入れるという条件を出した。
それに対しウェルダーが快く了承してくれたのには内心驚いたが、万が一の可能性を考えていつ何時でも円滑に実行できるようロイは動けるようにしていた。
そして一年後、ウェルダーが26歳、ロイが16歳の時。
腐りきっていた王国の内部を殲滅させるためにロイは片っ端から指定された貴族を葬った。人間が目の前で命の灯火が潰えるのを何の感情もなく視線すら向けずに進んだ。ウェルダー主導の元、ダージェス国に革命が起こり、王太子が愚王の父を討ち取った。戯言ばかり囁き、甘い汁を吸ってきた重鎮や貴族、前王の妾とその子供の一族全てを根絶やしにした。
粗方一掃した後、ウェルダーが新国王に君臨し、同時にロイを筆頭にパジェスという暗部組織を立ち上げた。この頃になると貴族のアルナドを始め少数の優秀な人材達がロイのカリスマ性に傾倒し順調に組織を拡大していった。
それから約十年。ロイは国への反勢力の駆逐を一手に引受け、暗躍し続けた。勢力は拡大しても少数精鋭だったのもあるが、自分が動いた方が早いので率先して動いていた。
だが数年もすると、国に対抗してくる組織や暗殺者が現れる。それを一つ一つ潰していき、中には暗殺者がロイに魅入られ自ら縛りのある組織に入ってくる者がいたりもしたが、次から次へと湧いてきた。
その中でも人数を増やし、次第に勢力を伸ばしていったのが、アルディスという巨大化した組織だった。当時の頭領は華やかな裏社会の人物という雰囲気でロイと系統は違うがカリスマ性に秀でていた。
圧倒的な人数の多さのアルディスに対し、少人数でも負け無しのパジェスだったが人数の差で苦戦することも多かった。暫くして頭領が病で亡くなり、二世の息子ダリミルが継いだのだが、彼には父のようなカリスマ性はなく、勢力は衰えはしたが、前頭領の側近が皆強くなかなかしぶとかった。それでも年月をかけて少しずつ削っていった。ダリミルは私利私欲に溺れ虎の威を借る狐状態になっており、中枢を守る側近が大半減ってしまった頃。
アルディスがスラム街の一角を襲っているという噂が入る。そういうのは良くあることなのだが、何故か手練れが動いているとの情報を得て、反勢力を一気に減らそうと考えたロイは、自分含め数名でスラム街に訪れた。
そこで彼らが追っていたのは小柄な少女、ただ一人だった。その少女は天性の身のこなしが秀逸で大人である彼らから時折攻撃され負傷はしても逃げ続けていた。
何故か頭から目元にかけて巻いていた布は途中で外れ、その理由は少女がいよいよ追い詰められ、彼等に捕まえられる前に自決しようとしていたのを止めた時に気づいた。
今は汚れで煤けたような黒だが、月の光加減で恐らく紺色だろう短い髪に、紫と黄緑の異なる色の瞳を持つオッドアイの少女だった。
ロイはその瞳を見た時、昔何もかもが鬱陶しく生きているのも面倒になったことがあった。飛び出し闇雲に移動した先で見た夜空に咲き誇るラベンダー畑に重なり、彼女のその瞳を美しいと思った。
オッドアイは希少だと言われているが、呪いだと忌み嫌われる風習もあった。それでも稀な存在であることから下衆な収集家などに高値で売買されているのを耳にしたことがあったのだ。
その少女の表情は乏しく、感情も希薄だ。いつも後始末はアルナド始め部下に任せてしまうのだが、その時は何故か、その少女をこのまま放置させたくないと思い、ロイ自らが一緒に来るかと声をかけていた。
彼女からは一緒に連れていきたいと言う弟分のこと。そして彼には名前があるが、自分にはないからつけてくれと言われた。名付け親になることに少し困惑したが、あのラベンダー畑を予想させる瞳に見つめられ、ラヴィとつけてやると、その異色の瞳が煌めいた。ロイは何故か落ち着かない気分になり、気づくとその少女の頭を撫でていた。
ラヴィは過酷な環境により成長が遅く13歳には見えなかった。何かしら働いてはもらうがいくら天性の身のこなしでも工作員に使えると思ったわけではなかった。パジェスの屋敷は工作員が大半で、怪我などにより退いた者や兼業で屋敷を回させている状態だ。まだ幼いラヴィにやらせるなら屋敷のことやロイの身の回りのことなどをやってもらおうかと考えていた。それによって最低限のマナーも知れると思ったからだ。
アルナドにそれを伝える前に、彼からラヴィは工作員を望んでいるとの話が返ってきた。あの環境で過ごしてきたので多少は戦いはしてきたのだろう。ロイは自分が考えているものを聞かせて、ラヴィに選ばせるように伝えた。
ラヴィからの主張は変わらず工作員と聞かされロイは何故かふと残念だと思ってしまった。年齢のこともあるので、偵察あたりからやらせようと考えていた頃、ラヴィの弟分と言われていたスーリが連れられてきた。
ラヴィより一つ下だという彼は切れ長の三白眼で目つきが鋭く、何を考えてるかわからない表情でありながら、静謐な眼差しは年相応に見えない。
スーリからラヴィに工作員を進めたのか尋ねられたので、個人の意志は尊重するが個人的には屋敷の仕事関連からと思っていた趣旨は伝えた。だがアルナドから強い希望で工作員が良いと聞いたとの話をすると、彼は数拍の沈黙後に自分も工作員になると言われ、それからはラヴィと共に訓練を日々こなしていた。
半年経ち、ラヴィが偵察の任務を始めた。基本工作員への任務の報酬は金貨で支払われるが、ラヴィは金貨はいらないから頭を撫でて欲しいと言われ、また心がざわりと惑わされるような面映ゆい気分になりながらも頭を撫でてやる。勿論報酬の金貨も渡してはいる。
普段の表情が乏しい顔が少しの無邪気さに彩られ「嬉しい」と思ったことを直に目を合わせながら言葉で伝えてくるラヴィに、更に何かが揺さぶられるような思いに駆られ、ロイは初めて無表情を『作る』努力をした。
「ロイ兄様!」
とある日。執務室に入る前にかけられた声に振り返る。そこにはアルナドの義妹であるナリエが小走りで向かってきた。何故かこの屋敷が気に入り社交シーズン以外に入り浸ることがここ数年多くなっていた。
屋敷内ほぼ工作員で構成され、殺伐とした雰囲気もある中、普段関わりの持つことのない部類の人間がいることで得るものがあるかもしれませんとアルナドに言われてそうしてはいるが、どの場所にも自由に動くのはいただけない。
ナリエはロイの前で綺麗なカーテシーをする。
「そろそろ社交シーズンに入るのでお暇させてもらう前にご挨拶を。暫くロイ兄様に会えなくなるのは寂しくなります」
「そうか」
特に話すこともないので応じる返事だけすると、寂しそうな表情をする。ころころと変わる彼女の表情を見ていると、何故か無表情の中にも僅かに瞳が物語るラヴィの顔を思い出し、そちらの方が良いと思ってしまう自分がいた。
「シーズンが終わったらまたお邪魔しても良いですか?ロイ兄様始めここの皆さんに会えるのが嬉しくて!」
とても人懐こく可憐な笑顔なのだろうがロイの心には何も刺さらない。それよりも言うべきことを伝える。
「節度を持ってくれるなら。アルナドの血縁だから一応許可は出しているが、屋敷中好きに動くのは好ましくない」
「あ…はい」
今度は悲しそうに傷ついた表情をするナリエ。社交界においてこんなに表情を表に出して大丈夫なのか甚だ疑問だが、ロイには関係ないことだ。もう用事は済んだと踵を返そうとすると、まだ留めてくる。
「あ、ロイ兄様!さっきここに拾われた女の子に会いました!…でもとても表情が暗い…ううん、あれはきっと過酷な環境で育ってきたから、なんですよね。私のような令嬢に対して冷たいというか…仲良くできたらと思っていたのですが、少し怖くて…残念です…」
そう言って俯き、また寂しそうな表情になるがどうでもいい。
それよりも。
「過酷な環境」
「え…?」
「本人から聞いたのか?」
「あ、……いえ」
アルナドか、他か。
貴族なのに屈託のない笑顔と誰にでも気さくに話すナリエの印象が良いのか、つい余計な情報を与えるものがいるのかもしれない。
「俺から声をかけ、それを相手が了承したに過ぎない。言葉には気をつけたほうが良い」
そう言ってナリエがなにか言う前に、今度こそ執務室に入った。この時のロイの言動が、ナリエのラヴィに対しての敵愾心を助長させたことをロイは知る由もなかった。
その後ナリエが特にラヴィのことを話題に出すこともなくなった。一度抱きつかれた時にうんざりした表情をしてからは少し距離を置いているような態度になったので、早くそうしていれば良かったと思ったほどだ。
アルナド始め周りの工作員からも特になかったので問題ないと放っておいた。ロイは戦略など僅かな疑問も見逃すことは滅多にない。だがそれ以外、特に対人への無関心さと屋敷全体の管理をアルナドに一任していたこと、ラヴィの変わらない表情と態度も相まって微かな疑いも掘り起こすことはしなかった。
スーリからの度重なる鋭い視線も彼本来の目つきのものだからと流し気にも留めず、己の驕りと怠慢からあの出来事が起こってしまったといっても過言ではない。アルディスとの水面下の抗争から浮上して激化してきたことで、ロイ始め精鋭揃いの工作員も日々任務に忙殺されていたからなんていうのは言い訳だ。
主に迷惑をかけたくないという意志のもとのラヴィの身に何が起こっているかなんて四年間知ろうとしなかった愚か者だった。
月が美しく映える夜、日付が変わる少し前に屋敷に戻った時のことだ。
久しぶりに寝台でゆっくり眠れるかという時に、ふと屋上の方に最近会えていなかったラヴィの気配を感じた。アルナドに定期的に聞いているラヴィの様子で、ここのところ夜中に屋上にいることが多いと報告は受けていた。
まだ外着だったロイが屋上に行ってみるとラヴィが屋上の端っこに座り空を見上げていた。久しぶりの彼女の姿に無意識に最近詰めていた息がゆっくりと剥がれ落ちるのを感じた。
ロイをいつも真っ直ぐに見るラヴィに、更に心が落ち着くような柔らかな気持ちになる。外は寒いのにとても穏やかな時間で、ロイはラヴィと付けた名前の由来を話し、美しい瞳だと伝えると色違いの瞳を煌めかせて喜んでくれたので、思わずまた頭を撫でてしまった。
撫でられるのを嬉しそうに目を瞑って堪能するラヴィに、ロイの方がこの時間を堪能したい気持ちになり、つい表情が無意識に緩んでしまったのは本人すら全く気づくこともなかったのだった。
一人の人間に対し、時折乱されるような、それが嫌ではなく擽ったい気持ちになることにロイは困惑はしたが、それを抑えよう、否定しようという気持ちは起こらない。
そんな初めて経験する気持ちにさせてくれるラヴィ。
アルディスとの抗争が落ち着いたら、一度ゆっくり一緒に過ごしてみたい思いが募る。本人が望む工作員の任務だが、彼女はロイの為になるのならどんなものでも良いと言ってくれていた。それなら常に危険を伴う工作員でなく側仕えの仕事が良いと、ロイは自分の心情も併せて決めた。
そのことをアルナドに伝えたところ、彼の表情が微かに強張ったのをロイは見逃さなかった。彼からはラヴィを引き取った当初一度だけ苦言を受けた。何故ロイ自ら声をかけたのかと。
多くはないが今までも傭兵くずれやスラム街出身の工作員はいたし、それについてアルナドも物申したことはなかった。違うのは性別くらいだ。何故ラヴィに対してだけ言うのか。理由を尋ねても彼は言葉を濁して答えなかった。
いよいよ佳境に入ったアルディスとの戦い。殲滅を決行させる前夜のことだ。アルナドからラヴィの側仕えの件を再度聞かれ、今後は自分の側に居させ、工作員からは離れる趣旨を伝える。
「本人もそれを望んでいるのですか?」
「ああ。直接聞いたら俺の望むことがラヴィにとっても良いのだと言っていた」
「……そうですか」
アルナドはもう何も言わなかった。
決戦夜。
ロイは突破した工作員とは違う場所から侵入し、パジェスと交戦している大量のアルディスの輩を後方から攻撃しながら上部を目指して上がっていく。
そして特攻を任せたレビン、キスラはそれぞれ周りを圧倒しているが、如何せん思った以上に小者とはいえ人数が多い。一抹の不安を感じながらも、早々に頭を獲って終わらせようと先に進んだ。
兄への復讐だからと自ら今回の特攻を望んでいたスーリは最上階を死守する者を全員嬲り殺しにしていて、廊下に重なる亡骸はあまりに凄惨な様だった。
気色悪い色の扉が開いていたので入ると、そこにはまるで子供相手として遊ばれているような、傷を増やしていくスーリと、無傷で円月輪のような武器を自在に操るアルディスの懐刀とまで謳われているラウロという青年が交戦していた。
スーリは確かにここ数年で飛躍的に強くなってはいるが、このラウロという青年はそれを凌駕する化け物だ。穏やかな表情を崩さない見た目に騙されてはいけないという良い見本だ。
そして情けないことにアルディスの頭領と言われているダリミルは豪華な椅子の後ろに隠れながら吠えているという体たらくだった。
どさっという鈍い音の先には息を切らせたスーリが満身創痍の状態で転がり、それでも立とうとしていた。相手への戦意は下がってはいないが、彼では勝てないだろう。
「下がれ。あとはやる」
スーリにそう声をかけながら己の武器を手に取る。椅子の後ろから怒鳴り声が聞こえた。
「この若造が!お前ごときが俺の組織を潰すことなんざ許さん!」
許すも許さないもどちらでも良いが、椅子の後ろから出ないで遠吠えする相手を気にかけるまでもない。
「やれやれ。僕でも流石にちょっと強い子の後にパジェスのトップを倒すことは至難の業ですよ。頭領も参加してくださいよ」
「ふ、ふざけるな!俺がやられたらアルディスは終わるんだぞ!守るのがお前の仕事だろう!」
暗殺組織のトップとは思えない台詞に辟易してしまう。スーリをドア側に下がらせてラウロと対峙する。彼の殺気は漏れ出ておらず、今は鳴りを潜めている。
ラウロは自分の頭領に対して情けないと言わんばかりに肩を落としながらロイに向き直る。
「僕でも貴方を平伏させることは難しいですが、やってみる価値ありそうですね。楽しみ」
にこっと微笑んで片手に持つ円盤の武器を軽く回した。瞳の中も穏やかだ、と思った瞬間。
シュッという音と共にガキンという金属音が鳴る。ロイは僅かに目を見開いた。
目の前にはラウロとその手に持つ円月輪の武器。圧倒的な速度と的確に首を狙う攻撃。首元の前に翳した湾曲剣に力を込めて彼を弾き飛ばす。
軽やかに体を回転させて後退したラウロが着地と同時に地を蹴って飛び込んでくる。斬撃音が飛び交い、ロイはその場から動くことなくラウロの攻撃を受け流しながら思案する。
(これはスーリでは無理だ。俺より少し下か同等か…)
僅かな隙を狙ってラウロの攻撃が腕の一部を袖と共に切り裂く。同時にロイの湾曲剣も呻り彼の足を薙ぎ払う。ラウロの表情が僅かに歪んだが、直ぐに体勢を立て直してロイに切り込んでくる。
時間が経つにつれて二人共少しずつ傷が増えていく。このままだと持久戦になりそうだと感じていた時のことだ。
スーリの叫ぶ声と同時にこの場に居ない筈の人物の気配を感知してロイは驚愕した。
ラヴィが物凄い速さで駆けてきてソファを踏み台にしながらラウロに飛び掛かっていったのだ。
ここの辿り着くまで気配を消していたから気づかなかったのかとか、今日決行で何故この場所を知っているのかとか頭に浮かびはしたが、恐ろしい速さで止まらずにラウロに攻撃し続ける彼女を見て全て吹き飛んだ。
攻撃を躱しているラウロに全く怯むことなく攻撃を続けているラヴィにようやくロイは我に返る。
「ラヴィ!」
声をかけるが、ラヴィは止まらない。驚異的な速さで次々に攻撃を繰り出している。速度が緩む様子がない。あまりに異常な動きにロイは魔女から秘薬である黒い錠剤の存在を思い出す。
彼女の継続的な動きをみて、一錠ではないことを確信し怖気が奔る。
「ラヴィ!!」
再度声をかけてもやはり彼女は動きを止めない。そのうちに全ての彼女の攻撃を受け流していたラウロの動きが僅かに鈍る。少し困ったような表情をしながらも少しずつ押されてきたような動きになった時だ。
とうに忘れていた男の叫び声。少し経ってから彼の腕の先にある違法の銃器を認識した直後、ラヴィが即座にラウロから離れロイに向かって飛び込んでくるではないか。その先に来るだろう未来にロイは目を割れんばかりに開く。
銃発とそれに合わせるかのようにラヴィの体が跳ね、ロイは身体中がざっと総毛立ち頭が真っ白になった。
よろついたラヴィが手持ちの武器をダリミルに向けて放った後、がくんと足が崩れたところをロイは抱える。ぬるりとする感触。すぐ足元には長くなった群青色の髪の束。
ロイは全身の血が沸騰するかのような怒りに包まれた。湾曲剣をダリミルの心臓向かって全力で放つ。同時に何故かラウロが能面の表情で彼の首を斬り飛ばした。
ラヴィの向きをそっと自分の方に向かせる。瞳は淀んで潤み、頬には涙の跡があるのを見て胸が引き千切られそうになった。
「ラヴィ、しっかりしろ。目を閉じるな」
彼女の体が痙攣し始め美しい異色の瞳が虚ろになっていく。その様子をみてロイは血の気が引き頭が回らなくなり指先が震える。初めての経験に心がこれでもかと乱される。
ラヴィの頬を手で包むと、紫と黄緑の瞳がロイを捉える。首を僅かに傾げながら、まるでロイのことを知らないかのように瞳孔が全く変化しない。
何故だ。
まさか。
「――、し……い…」
掠れた声で囁くように口が動き、その瞳からはらはらと涙が溢れ美しい異色の瞳が閉じられていく。
閉じたら全てが終わってしまうような喪失感にロイはどうしたら良いかわからなくなる。
「おい!目を瞑るな。ラヴィ!」
閉じてしまった瞼は開かない。何度声をかけても開かない。重傷だったスーリが何故か側でロイの肩を掴み揺さぶる。いつのまにかレビンとキスラ始め数名の工作員が辿り着いている。でもロイは瞼を開けてくれないラヴィから目が離せない。
そこに滅多に言葉を発さないスーリの大きな声と、うんざりとした声も混ざる。
「おい、詳しいことはあとだ!!ラヴィを助けたいなら早く戻るぞ!」
「後味悪すぎ…後日そっちに行くことにするよ」
ロイは茫然自失としながらも何とかラヴィを抱えながら立ち上がった。
不定期でロイSideと後日談を投稿します