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堕ちる


おまけSideも長くなりまして。


後日談は同日22時の投稿となります。







ぴちょん…ぴちょん、と水が滴る音が響いて耳に入ってくる。


徐々に意識が浮上してくると、喉全体が痛み不快感を感じ始める。瞼を開けると薄汚れた床が目に入った。



(え……っとここ、は…?)



ナリエは起き上がる。暗闇に包まれていれている中、唯一の明かりは目の前に見える鉄格子の先にある古ぼけた机の上に灯された蝋燭の僅かな灯りのみ。


目が慣れてきて見回すと、手前には寝心地の悪そうな鉄製の寝台に硬そうな枕に薄い毛布。そのすぐ隣には小さな机と椅子。奥の角には古びたトイレと洗面台に小さな壁掛けの鏡。壁には鉄製の鎖が掛けられていて、赤黒い汚れが壁にこびり付いている。高い位置にある鉄格子付きの小窓は真っ暗だった。


まるで牢獄のようだと想像して寒気が奔る。



(何故こんな場所、に………っ!)



ナリエは思い出す。



(そう…そうだわ。パジェスの皆に責められて…)



徐々に鮮明になっていく記憶に、ナリエは何かの間違いだと段々興奮し息も荒くなったところで咳き込んでしまった。



「っ…ひゅっ…っ…」



咳き込む音が出ずに、ナリエは喉に触れてみる。熱をもっているが腫れているわけではない。首を傾げながら喉元に手をあてて声を出す。



(………え?)



声帯が震えない。

機能…してない?


ナリエが気絶する直前に放たれた言葉。



『喉を潰しておけ』



まさか。ロイがそんな―――――



『俺に初めて怒りという感情を教えてくれたんだからな』



初めて聞いた悍ましいほどの恐ろしいロイの声色。

瞳孔が開いた紅い瞳。

害虫でも見るような眼差し。



(そんな…はずない!何かの間違い!!)



これだけ状況が並んでも現状を受け入れられないナリエはパニックになった。声を出そうとしても口から出るのは空気の漏れたような音だけ。



(声が出ない…何で!どうして!あの女のせいなの!?)


 

自分を省みることが欠如しているナリエは都合が悪い出来事は周りが起こすことで、自分は常に正しいと信じて疑わない。



(あの女がロイ兄様に頼んだの?あの死に損ないが!)



ひゅうひゅう喉から漏れる空気音の中、がしゃんと奥にある扉の鍵の音が響き渡った。



「あ、起きてる」



入ってきたのはラウロとセーナードだった。



「二杯は飲んだから丸一日眠っていたかな?」



天気の話でもするような口調で話すラウロの横を通り過ぎたセーナードが食事を載せたトレーを鉄格子の一箇所だけ開けられる小さな場所からナリエ側に差し入れた。



「食事は朝と晩の二回です。大事に召し上がってくださいね」



トレーを置いたセーナードが離れていく。



(セーナード様、待って…待って!助けて!)



声が出ないナリエは鉄格子を掴み、なんとか行動で表現を試みる。何度も助けてと口だけを動かし、腕を動かし、早々に息は切れてしまう。



「もしかして…ここから出して欲しい、とか?」



ナリエはバッと顔上げて、美しすぎる泣き黒子の色っぽい瞳を見つめて何度も頷く。



(出してくれたら何でも一つお願い事を聞いてあげるから!お願い!)



格子から必死に手を伸ばす。社交場でも寝台でも愛を囁いてくれたのだ。苦痛だなんて言葉はあの場だけの嘘に違いない。



「セナ。もう少し後が良いな。蝋燭の追加だけしておいて。光がなくなると人間って堕ちやすくなるし面白くなくなるから」



ラウロの言葉にセナは頷いて蝋燭の灯る机に向かった。



(待って、セーナード様!…このラウロって男、少し綺麗な顔してるからって何様!?)



ラウロの不遜な態度に苛つきながら、ナリエはトレーの上の物を見る。丸いパンが2つに湯気の立っていないスープ。肉の切れ端と野菜を使ったメイン。そして水だった。



(ふざけないで!こんな下々の食べ物を私が食べるわけないでしょ!)



生まれた時から恵まれた食生活を送り、いつも食卓には何品も並び、好きなものだけを食べ、好きなだけ残していた。トレーにある食事は俗に言う本物の牢獄の食事より何倍もまともなものなのだが、ナリエには当然知る由もない。


ナリエはそのトレーごと手で薙ぎ払った。ガシャンという食器の音とカランカランというトレーが牢内に鳴り響いた。



(もう少しまともなものを持ってきなさい!)



ナリエはどうだと言わんばかりに見返すと、ラウロは床に落ちた食べ物と食器類を見つめてからナリエに視線を合わせる。



「ラヴィならこんなこと絶対やらないなー」



その言葉にカッと頭に血が昇る。



(あの女は這いつくばって啜る人間でしょうけど私は違う!選ばれた人間なのよ)



ラウロは口元だけ微笑む。



「食事はそれだけ。あんた自ら落としたんだから。明日の朝までひもじい思いをすると良い。どうしてもなら拾ってお食べ」



想像しなかった返答にナリエは瞠目した。何故そうなるのだと。まともな物を持ってくればいいだけなのに。ナリエの表情から推察したラウロは憐れんだ顔をする。



「自分の立場忘れちゃったの?それとも都合の悪い部分は消しちゃった?あんたはもう侯爵令嬢ではないし侯爵家も取り潰し。人に命令しても誰も聞かないし、全部自分でやるの。あんたは国家反逆罪とパジェスへの妨害行為、令嬢達への風評被害と脅迫。死罪一択だったけど、ずっと苦しんで欲しいから一生ここが住処。でも下民以下」



そう言って出て行く二人をナリエは呆然と見送った。



(どうしてこんなことに…もとはと言えばあの女が来たからよ…!)



ナリエのこの思考こそが元凶であるのだが、本人にそこに到達する考えは皆無だ。床に散らばったものを片付けたり綺麗に掃除をする使用人もいない。全部自分でやるのだ。それがどうしても理解できない、いやしたくないナリエは叫び、空気の漏れる音を出しながらトレーや食器を壁に投げつける。何度繰り返しても気は晴れない。


そのうち疲れてしまい硬い寝台に横になった時ようやく自分の身なりに気づいた。訪れた時の爽やかな水色のドレスではなく、下級使用人でも着ないようなこげ茶色の質素なワンピース。こんな色の服を着たことなど一度もないナリエは余計腹立たしくなり、枕を寝台に何度も打ち付けた。


暫く暴れて喉が乾いたが、出された食事はひっくり返してしまった。どんどん飢餓感に襲われ、ナリエは仕方なく洗面台の蛇口から水を掬い飲む。不味い。それもこれも全部あの女のせい。誰かがきっと助けに来てくれるはず。私はとても慕われていたから。お父様もきっと上手いことやるはずよ。




翌朝寒さとお腹の音で目が覚めた。お腹が鳴るなんて初めてだった。薄い毛布ではなかなか暖を取ることが難しく、ナリエは朝から苛ついた。小窓を見ると外は晴れているらしい。太陽を浴びれない、家の庭園で散歩することもできない。何もできないことに更に苛立ちが募る。


カチャンと音がして扉が開いた。入ってきたのはラウロ一人だ。



「あれ。放り投げたものはそのままなんだ。別に構わないけど、踏んだり腐ったりして困るのはあんただしね」



そう言いながら食事の入ったトレーを鉄格子の一箇所から差し入れた。ナリエはラウロの近くに寄り、自分には似合わない服を掴んで主張する。ラウロは片眉を上げて首を傾げた。



「この先ドレスなんて必要ないでしょ。着せてくれる人も見せる機会もないんだから。それに汚れたから放置したら臭うしね」



ナリエは何を言っているんだと眉を寄せていると、ラウロは失笑する。



「まさか忘れたの?頭領さんに凄まれた時にあんた粗相をしたんだよ。ソファも絨毯もびっちょり。あれら全部捨てたんだから。わからない?失禁だよ失禁」



その言葉に顔が真っ赤になる。確かに意識が途絶える前に下半身が生温かくなる感覚はあった。それが粗相したものだとは。この年でまさかの失禁。ナリエが硬直状態になっていてもラウロはのんびり話す。



「宝石が散りばめられたドレスだったから宝石は使えるけど。悪いことしたんだから被害者の令嬢達にせめてお詫びくらいはね」



そう言って踵を返して出て行った。



(被害者?誰が?令嬢たちは私より目立っていたから、ちょっと脅しただけじゃない。何で私の持ち物を彼女たちに恵んでやらなければならないの!?)



鉄格子を掴み揺らすがすぐに疲れる。食事をしていないからだ。ナリエは不服な顔でトレーを持って備え付けの小さい机に置き、椅子に座ってから丸いパンを千切り口にいれて咀嚼する。


特に柔らかくもない普通のパンなのにとても美味しく感じた。冷めたスープを一口、魚と野菜屑が混ざったメインを一口。どちらも味は薄いのに体に染み渡る。無言で食べ続け最後に水を一気に飲み干し、あっという間に食べ終えてから我に返る。


温かい絞りタオルもない。

朝一番の搾りたてのフルーツジュースもない。

彩るサラダもない。

香ばしい匂いのパンもない。

カトラリーはスプーン一本だけ。

メインのみで前菜もデザートもない。


下民が食べるような食事を美味しく感じたことにとてつもない羞恥が湧き起こる。



(…お腹が鳴ることなんてなかったのに…こんな粗末なものを食べて美味しく感じるなんて…なんで私がこんな目に合わなければならないのよ!!!)



ナリエはすっかり食べ終わったトレーを薙ぎ払った。物が落ちる音が鳴り響く。はあはあと息を乱しながら枕を掴んで寝台に打ち付け暴れまわる。すぐに息が切れるが、怒りが治まらず何度も繰り返した。



二日経ちナリエは日々鬱屈と過ごしていた。そして体が痒く感じる頃、ようやく湯を浴びていないという事実を思い出したのだ。夜になり、今夜の食事を持ってきたのはリリィだった。前はナリエが話しかけると微かに微笑み対応していたのに、今では無表情の素っ気ない最低限の言葉のみでさっさと戻っていってしまう。



「今夜の食事」



今夜もそれだけ言って去っていこうとするので、鉄格子を鳴らして体を擦る仕草をして湯に浸かりたいことを伝える。



「ああ、あとで盥と布を持ってくる。あと着替えも。薄汚れてきたから」



それだけ言って去ろうとするので、そうではないと鉄格子を鳴らしながら首を横に振る。リリィの眉が僅かに寄った。



「まさか湯を浴びたいとか?入れると思ってた?週に二日くらいは盥に水入れて運んでやるから拭えるだけで有り難いと思いな」



嫌悪感を滲ませながら去って行くリリィをナリエは唖然と見送る。



(湯も浴びれないの?出られないから?)



未だに自分の立場を理解していないナリエは回数は少なくても入れると当然のように思っていた。食事をしている間にリリィが再度訪れ、トレーより少し小さい桶をトレーを置く同じ場所に置き、布と着替えを添えてさっさと出て行った。



(小さい…大して水が入らないじゃない。…石鹸は?化粧水はないの?着替えは同じワンピースじゃない。もっと可愛い色はなかったのかしら!)



ナリエはその桶をひっくり返したいくらい憤慨したが、体が痒くて堪らないので我慢してやることにした。苛々しながら布を絞り水浸しになりながら何度も拭き直す。艶のある巻き髪だったシルバーブロンドは絡まり、手櫛だけで所々引っ掛かり苛つきは増す。何とか一通り終えたところで一息ついた直後、惨めさに拍車がかかった。


翌日の朝に訪れたのはキスラだ。彼は寡黙でナリエが何度も話しかけてやり、特攻工作員の一人だからという理由で気にかけてやっていた。


何も言わずにトレーを置いて去ろうとするキスラが、何だか癪に触り昨夜盥に使った布を鉄格子の間から彼に向けて投げつけたが当たることもなく、ふさっと落ちる。キスラはナリエを一瞥してきたので睨み返してやる。



「こっちは仕事とはいえ嫌々やっている。傲慢な態度ばかりだと、こっちも人間だからな。諸々適当になるぞ」



捨て台詞を吐くキスラに余計腹立たしさが増す。



(何よ、下民のくせに!工作員にならなかったらあんた達なんかただの下衆な集団よ!)



頭の中でこれでもかと罵るナリエだったが、工作員からするとそのまま打ち返したい言葉に違いないだろう。その後もふてぶてしい態度を取り続けていたら、食事の時間や週二日の水拭き、蝋燭を変える回数も適当になり、ナリエはその度に工作員達に八つ当たりをし、彼らはキスラと同等の理由を返す。


どんなにナリエが怒っても相手の対応が一貫しているので、流石のナリエも諸々の時間が全部適当になることが困り、最終的に折れる形になった。ラウロからは「学ぶのが幼児以下。まあ、だからここにいるんだろうけど」と憎まれ口を叩かれた。



ここに閉じ込められてから約一月が経った。未だに誰もナリエを救い出してくれる人は現れない。それでもいつか来てくれるんだと思い、そう思っていないとナリエはやっていけなかった。



「働いてもいないのに一日二回の食事に服も換えてもらえて羨ましい限りだね」



その日は珍しくスーリが訪れ、初っ端から悪態をついてきた。



(あんたが余計なものを出したから私はこんな目に遭ってるのよ!)



相変わらず声は出ないが口は動かし鉄格子も揺する。



「一生声は出ないから諦めろ。それと口臭、臭すぎ。顔も醜いし気持ち悪い、お前」



それだけ言って出て行くスーリをナリエは鉄格子をわなわなと震えさせる。生まれてこの方臭いとか醜いとか、ましてや気持ち悪いなんて言われたことが無かったナリエは久しぶりに暴れた。


それから幾日待っても誰も助けに来ない。

ナリエはようやく自分で動かなければ出られないかもしれないと思うようになったのは二月経つ少し前だった。


だがナリエは声が出ないし、物を運んでくるのは工作員ばかり。どうやっても勝てる相手ではない。それでも何とか知恵を絞り、紙切れやちょっとした武器になるようなものを逃げる時に使えるものを少しずつばれないように抜き取り隠していた。



(絶対出て見せるわ。そしたらここの奴等に報復してやるんだから!)



国王自ら沙汰を受けたことをナリエは記憶の彼方にやってしまい、無意味な正義感に浸っていた。だが隠したはずのものが数日後には跡形もなくなっている。誰にも見られてないはずなのに。


定期的にナリエの食事には睡眠薬が入れられていた。今後彼女が何もできないように身体検査を初め、隠した物を把握するためでもあった。勿論それを知らないナリエは記憶がおかしくなってしまったのかと日々悶々と過ごしていた。



この頃になると、ラウロがずっと暇でしょ?と言って国の新聞を渡してくれるようになった。


載せられていた内容はナリエ個人の社交界での悪行が詳らかに面白おかしく記されていた。そして名前は伏せられていたが、被害に遭った令嬢の対談内容や、ナリエが駒として扱っていただろう令息の内部告発のような懺悔内容などが事細かに書かれていたのだった。



(なにこれ…何でこんなことが…!?ちょっと噂を立てただけで、そんな大袈裟に書くことないじゃない!それに…これ、私の傍に侍らせてやっていた令息達?…本当は逃げたかった?人を貶めることを愉しそうに話すのが怖くて逆らえなかった…?嘘よ!でたらめだわ!)



ナリエは新聞をぐしゃぐしゃに丸めて投げつける。それだけでは飽き足らず次の新聞もひっつかむと冒頭に大きな文字でナリエの家名が目に入った。つい目を向けて読んでみると、侯爵家の衰退事情と取り潰されたこと。元侯爵と夫人の鉱山行きの話や元侯爵家の使用人の内情暴露の内容。



(お父様もお母様も、本当に奴隷として鉱山に…?……それに使用人風情が侯爵家のことを漏らすなんて…有り得ないわ!これだから下民は!)



自分のことを棚に上げてナリエは憤る。新聞をびりびりに破き、息が切れても暴れ続けた。


それから何日経っても何日待ってもナリエを迎えに来てくれる人はいなかった。その頃にはここから出られないのだとようやく理解せざるを得なかった。




ある日の午後、ふと鉄格子のある小窓から陽の光が目に入る。どれだけ陽を浴びていないのだろう。ナリエは古びた椅子を小窓の真下に設置し、登って少し背伸びをしてぎりぎり外が見えるくらいだった。


目の位置に地上が見え、生い茂る草木の数々。僅かな隙間から見える遠い場所に庭園らしき場所、側に四阿もあるが季節の花も植えられておらず、とても殺風景だった。



(もう…庭園を散歩することも花を愛でることもできないのかしら)



そう思い耽りそうになったその時だった。



庭園を一人の小柄な少女と背の高い男性が歩いてきた。肩より少し上の長さの群青色の髪は柔らかく吹く風に靡き、落ち着いたクリーム色のシンプルだが素材が良さそうな膝下の厚手のワンピースとブーツ。



(!!!!!)



その少女はラヴィだった。その傍で彼女の手を繋ぎ、漆黒の髪を緩く結っている冷たい美貌の紅い瞳…なのに少女に向けるのは見たこともない温かい眼差しのロイだった。


ラヴィが何か話しかけ、ロイは頷きながら頭を撫でている。ナリエには優しい眼差しも触れることも何もなかったロイがラヴィには与えているのだ。


今まで忘れていた…自分のことばかりで忘れかけていたラヴィへの憎悪の炎が爆発的に燃え上がるのを感じた。それを更に煽るかのように、ロイがラヴィを抱き上げて遠くへ行ってしまうのを止めようと、鉄格子を揺らそうと両手を振りかざした時、椅子がぐらついてナリエは体のバランスを崩し、床にしたたかに腰を打ってしまった。



「……っ……!」



初めての衝撃の痛みにナリエは腰を押さえながら蹲る。



「何やってんの?――――あ、ラヴィがちょうど今お散歩中だったかな?」



そこに現れたのはラウロだ。

ナリエはこの蟠った激昂を抑えられず、腰を押さえながらも走り寄り、鉄格子をガシャガシャ揺らす勢いでラウロへ絶叫する。



(何であの女が!幸せそうにしてるの!私はこんな目に遭っているのに!何でロイ兄様に抱き上げられているのよ!!あの場所は私のものなのに!!全部私のものだったのに!!!)



「っひゅっ!!……ひっ!……っ!!」



声無き叫びにラウロは片眉を上げて小窓を見てから、またナリエに視線を戻し穏やかに微笑んだ。



「声帯を壊す薬を飲ませたから、声は出ないよ、一生」



数月経っても戻らず、もしかしたらとは思ってはいたが面と向かって宣言されると一層絶望感が募った。



「喉を潰したのはあんたが『ロイ兄様』と囀るのが我慢ならないから。それと胸糞悪い言葉しか喋らない声を万が一にもラヴィに聞かせたくないんだってさ」



ナリエは目を見開き口を歪ませる。



「因みにラヴィは何一つ知らない。あんたがここに居ることも、喉を潰されたことも。国家反逆罪であることも。あの子も何も聞いてこない。何故なら事情があってあんたのこと忘れちゃっているから。居ないもの、存在しない者と同じ。あんたがあの子にやってきたことも」



ラウロが淡々と述べる内容をナリエは信じられない気持ちで聞く。今まで数年間ラヴィに対して色々根回しをしてきたことも忘れてしまっているというのか。



「全部。ぜーーーんぶ忘れて今はロイと楽しく幸せに暮らしているよ」



その言葉にナリエの中の築いてきたものがガラガラと崩壊する音がした。ナリエは力が抜けてしまい座り込んだ。



「失礼、ここに居られましたか。ラヴィさんが捜してましたよ」



そこに初日以降姿を見せなかったセナが現れた。



「ん?可愛いラヴィが僕に何の用かなー」

「庭園の花壇に植える花のことだそうです。貴方の瞳の色の花を幾つか選んだから決めて欲しいと」

「えー嬉しい!僕の為に選んでくれたんだー」



ナリエに対し嘲った話し方と真逆の嬉しそうな声で楽しそうに話すラウロ。



(…あんな女。あんな女より私の方が全然価値があるのに!!!)



再燃した怒りにナリエは座り込みながらも鉄格子を掴みラウロを睨みあげる。その姿を一瞥した彼は一笑してセナに「もうそろそろ良いよー」と言った。



「良いのです?」

「うん。そろそろ一度は堕ちておこうか。大抵こういう思考の人間はね、自死する者って極端に少ないんだよ。痛くて苦しくて死ぬことなんか耐えられないし、何より自分が悪くもないのに何故死ななければならないんだと思う人種だから。まあ流石に全員とは言わないけどね。これは間違いなく前者だよ」



ナリエを顎で指しながら嘲笑したラウロは「どんな花を選んでくれたのかなー」と言いながら出て行った。



その場に残ったセナがナリエの側まで寄ってくる。



「転んだのですか。怪我は?」



甘めの声で囁くように話しかけられ、ナリエは瞠目した。


ナリエはここに来てからただの一度も優しい言葉をかけてくれる者は居なかった。今まで両親もアルナドもロイだって皆ナリエに優しく接してくれた。今まではナリエの思う通りの素晴らしい人生を歩んでいた。



ラヴィが来るまでは。



全ての元凶はあの女で、間違いなくナリエは貶められたのだ。



ナリエはぼろぼろと涙を流し、鉄格子からセナに訴える。小窓を指差し、一番悪いのはラヴィであると。ナリエも少しはいたずらが過ぎたかもしれないが、元はと言えばラヴィさえ居なかったら、こうはならなかったのだ。


それを何とかジェスチャーでわかってもらうように必死に動く。それを見ていたセナは痛ましそうな表情でナリエを見つめる。



「ラヴィさんが原因だと?」



ナリエは何度も頷く。自分を指して首を横に振る。そしてもう一度小窓を指して頷く。セナは更にナリエに近づき、屈んだ。ナリエは震えるほど歓喜する。



(ああ…一番分かってくれるのはセーナード…いえ、セナよ。ロイ兄様なんて、もう要らない…!お願い!!私を救って!)



ナリエは鉄格子から両手を出しセナに向けて伸ばした。



(セナ…セナ!私を―――――)




「屑が」




ドスのきいた低い声が牢内に響く。

ナリエはぱちりと瞬きをする。



「本っ当に学習しねぇ屑だな。いつまで自分を特別だと思っている?死ぬまでか?死んでもか?お前はもう終わりなんだよ、お・わ・り。誰も助けにも来ねぇし誰も覚えてねぇよ」



色気の漂う涙黒子のある紺色の美しい瞳が、今は完全に瞳孔が開いてまるで猛獣のように鈍く光っている。



誰だこれは。



甘めの声とは正反対の低くお腹に響くような重低音の声。それが同一人物と同じ口から発せられている。



「全てにおいてあの子とお前は雲泥の差だよ、マジで。勿論お前が泥の方だ。腐りきった糞きったねぇ泥。お前の汚物のような醜い笑顔、気色悪ぃ。あの子は表情が少ない中で瞳が物語る、美しいオッドアイ。お前とは大違いだ」



セナの変貌にナリエは何が何だか頭で処理が追いつかない。今まで見ていた、美しい彼は一体どこにいってしまったのか。



「残りはせいぜいこの暗い澱んだ場所で朽ちるんだな。絶望を超えて死んでもつまらんからな。せいぜい這いつくばって愉しませろよ。自死でもしてみろ。誰も悲しまねぇし、その辺の沼にでも放り込むか、大量の虫の餌にでもしてやる」



そう言ってセナは立ち上がる。



「では、また夕方過ぎに食事をお持ちしますね」



いつもの甘めの声。優しく色気も含む紺色の瞳と笑み。



遠くでカチャンと扉と鍵が閉まる音が虚しく鳴り響く。

座ったままのナリエは呆然と一点を見つめ動かない。

座り込んだ周辺には液体が拡がっていった。









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