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ロイSide 2






ロイは急いでラヴィを屋敷に連れて帰り、パジェスの専属医師を叩き起こして診察させた。診察していた医師が皺の増えた顔を顰めながら、ロイとスーリに今のラヴィの状態を話し始めた。


黒い錠剤【魔女の秘薬】を数錠飲んだ人間は過去にも診たことはあったが、二~三錠でも部分的や直近の記憶喪失のような障害が起きたり、酷使した身体がなかなか回復しないこともあった。


ラヴィの場合はスーリが渡された最後の一錠の話を踏まえると、恐らく二桁を超えて摂取している可能性があることに驚愕する。スーリはラヴィからもらった最後だろう一錠を飲んでラヴィの元に来たという。その時点で二錠飲んでいた為、翌日の頭痛が酷かったとのことだった。


体質にもよるが、数錠の摂取した人間でも記憶障害や、意識混濁、最悪そのまま死んでしまった例も少なからずある。魔女の秘薬は瞬間的な己の潜在能力を解放させはするが、無理矢理引き出してその場を打開する為の緊急措置的なもの。魔女本人からも再三言われていたことだ。


ラヴィは比較的毒の耐性が強いとは聞いているが、現在昏睡状態で脈拍も弱く高熱が続き、瀕死の状態に近い。そして恐らく高確率で記憶障害や喪失が残るだろうとのことだ。


ロイは多忙やアルナド任せであった己のあまりの愚かさのせいで、ラヴィに何が起こり何故このような行動を選んだのか微塵も気付けなかった事実に愕然とした。薬の副作用を知っていた筈なのに、ラヴィはそれでも何故大量に使用したのか。


それはアルディスとの抗争後、数日経ったあとに明らかとなった。


未だに熱は僅かしか下がらず意識も戻ってはいないラヴィだが、何とか最悪な峠は越えた状態になった頃、スーリから話があるからアルナド始め屋敷の全員を招集しろと言ってきた。その日の晩、ラヴィを医師に看てもらいながら、任務中の工作員以外の全員を広間に集めた。


「主。一体これは何の集まりなどでしょうか」


アルディスとの抗争の後始末に忙殺されていたアルナドが少し不満気な表情で問う。ロイは広間に備えられている奥のソファに浅く座りながらアルナドと目を合わせる。


「スーリから話があるそうだ」

「スーリから…?」


ロイやアルナドを始め、他の工作員とも殆ど会話すらしなかったスーリだ。間違いなくラヴィの件なのだろう。 まだ傷だらけのスーリだが表情はいつも通りで、集まった者達を一瞥した。



「俺はここに来てから今日この時まで、この屋敷でラヴィの身に起きていたことをずっと黙っていた。それが彼女の望みだったからだ」



話し出したスーリの抑揚のない声音に怒りが滲み出している。ロイは目を細め、アルナドは目を見開いた。



「ラヴィの?ここでの生活のことか」

「あんた本当に何も知らなかったのか。案外無能なんだな。元から興味がなかったか、周りが周到に隠していたか」

「スーリ!口の聞き方に―――…!」

「構わん。続きを話せ」



アルナドの声を遮りロイは促す。



「ナリエ」

「ナリエ?」

「元凶」



ここで出たナリエの名前に、誰もが呆然とする。ロイからしても寝耳に水の人物で、ラヴィとどんな関わりがあるのかすら想像もつかない。



「スーリ!戯言も大概にしろ!」

「いやー、真実だよ。そして真っ黒だ」



アルナドが怒鳴ったすぐ後に、広間の扉あたり方面から場違いなほど穏やかな声が聞こえてきた。皆がそちらを見ると、この屋敷に存在することすら有り得ない人物が扉に寄りかかりながら立っていた。



「貴様…アルディスの懐刀のラウロか!どうやってここに…」

「俺が呼んだ」



アルナドが問い質すのをスーリがさらっと暴露したことで彼の表情が更に憤怒する。



「スーリ…この裏切り者が!!!」

「裏切り者はあんただよ、アルナド」



間髪入れずに返すスーリにアルナドは驚愕し、ロイは更に眉を寄せた。



「正確には貴方の義妹の阿婆擦れだけどね」



そこに更にラウロが火種を撒く。ロイも彼が何故ここに居るのかの理由が分からない。



「スーリ。順を追って話せ」

「ならそこの裏切り者を黙らせておいて」

「私は主を裏切ってなどいない!!」

「だから、間接的に裏切ったんだってば」

「部外者は黙っていろ!!!」

「アルナド」



スーリとラウロの続けざまのとんでもない情報に普段の冷静沈着が欠けたアルナドをロイは黙らせる。



「侵入が大変なんて久々だったなぁ。流石パジェスだね。僕の話はその子が話してからね」



そう言ってふわりと微笑むラウロに広間からピリッと殺気を帯びるのを、ロイが一喝する。



「スーリ」



スーリが一つ頷く。



「ラヴィの何が気に入らなかったのか、あの女は会った当初から敵対視して、あることないことをアルナド始め他の工作員達につらつらと話して孤立させていた。ラヴィはずっとここの奴等全員に疎まれていた。…あの女に何一つ、何もしていないのに、だ」



アルナドが何かを言い返そうとするが、スーリはアルナドを一瞥する。



「アルナド。お前はラヴィの状況を知りながら何故報告しなかった?敬愛する主様が気にすることでもないと?屋敷内で起こってることだったのに?それともお前自身がラヴィを邪魔だと思っていたからか?消えてしまえば良いのにと」



そう言われて、アルナドの体が僅かに動く。



「あの女はラヴィがさも自分を害しているかのように思わせる為に、お前らを巧みに言葉とお涙で誘導していた。それを理解したラヴィは自分と比べて皆があの女の味方をすることがわかっていたから関わらず、近づくことも一切しなかった。いつもあの女から絡んでいた」



工作員達はある程度は己の能力を自負している者ばかりだ。不服な表情が多い彼らにスーリは有無言わせず進めていく。



「じゃあ聞くけど。この中で一度でもラヴィが直接あの女を害している場面に遭遇した奴は?手挙げて答えてよ、場所と内容をさ」



その言葉に辺りはしんと静まった。誰一人手を挙げる者は居ない。



「この屋敷に部外者が何で居るか意味不明だし、どれだけ好かれていたのか知れないけど、その女の言葉がどれだけの信憑性があるの?裏は取った?工作員が聞いて呆れる」



スーリの言葉は止まらない。



「俺は何度もラヴィに訴えた。でも彼女は言わなくても良いと言った。あんたに余計な迷惑がかかるから嫌だと」



スーリの視線がロイに向く。自分の知らない所で起きていたラヴィの何年にもわたる不遇の扱い。それを何一つ知らずのうのうと頭を撫でて満足していた己の愚かさにロイは組んでいた手を握りしめる。スーリが手に持っていた紙を差し出した。 かなりの枚数で紙束になっている。



「これは?」

「ここ最近は俺も任務が多かったから少ないけど。当初から時間がある時にあの女を張って記録していた。虚言の数々。工作員をも騙す見事なお手並み」



痛烈な皮肉に周りは顔を顰める者もいれば俯く者もいる中、ロイは渡された紙に目を通す。



約四年前から日付と時間が記されており、ナリエがアルナドや工作員達に対し、ラヴィから言われたことやされたことを涙ながらに事細かに言いながらも、最後には決まってそうさせた自分が悪いのだから、彼女を悪く思わないで、知られてやり返されたら恐ろしいからと言っていたことが書かれていた。


中にはナリエがラヴィに声をかけ、会話、というかナリエが一方的に喋り、その中に棘を含ませた言葉がいくつも潜んでいた。ロイですらナリエの今までの行動や言動を考えると信じられなかったが、ふと彼女から初めてラヴィと会った話を思い出す。



『…でもとても表情が暗い…ううん、あれはきっと過酷な環境で育ってきたから、なんですよね。私のような令嬢に対して冷たいというか…仲良くできたらと思っていたのですが、少し怖くて…残念です…』



あの時はなんとなしに聞き流したが、聞きように寄ってはナリエが寄り添うのをラヴィが拒否したように捉えられる。彼女が実際にそう感じたとしても、周りに伝えていき潜在的にそう刷り込ませることを目的としていたなら、それを信じてしまった人間のラヴィへの対応がどうなっていくか。


アルナドの義妹で長らくここに滞在して誰にでも朗らかに気さくに話すナリエと、スラム街出身で無表情、話す言葉も話題も少ないラヴィ。皆がどちらを信じるかは考えるまでもない。


ロイはたった一人の気にかけていた人間に起こっていたことを今日まで知らなかったとんだ阿呆者だったわけだ。何が一組織を統べる頭領だ。更にスーリが追い打ちをかける。



「それとこれも。自分が休みの日に調べた。あの女が社交界でどう噂されているのか」



そこにはナリエが社交界で自分より目立ったり人気のある令嬢を次々と陥れ、しかも脅される材料がある為、相手は皆泣き寝入り状態であるということ。屋敷での可憐な姿からは考えられない胸糞悪くなるものばかりの内容だった。



「そんなものなどお前がどうにでも工作できるだろう…!」



暫く口を閉じていたアルナドだが、義妹のあまりに醜い本性を信じられないのか叫ぶ。



「だったらラヴィが何をしたのか直接見たり聞いたりした奴が居るのって言ってる。アルナド、お前の知っている真実を言ってみろ」



案の定アルナドは答えられず口唇を噛んでいる。



「あの女の表向きの顔だけを見ていたお前らが皆信じるからそれが真実だというのか?ラヴィがお前らに何をした?どんな迷惑をかけた?因みにあの女は当初俺にすり寄ってきた」



スーリの表情に嫌悪が浮かぶ。



「『弟のような扱いをされて可哀想。あなたはとても素敵なのに。きっと離れたいはず。あなたはもっとここで上にいける人よ。私がロイ兄様にお願いしてあげましょうか?』…………ねえ、誰があいつにそんな権限与えたの?何様なの。どれだけお前達に甘やかされたらこうなるの」



スーリは止まらない。約束を破ってでも、これらの仕打ちをどうしても許せず、今回のラヴィの行動の一因になってしまった自責もあるのだろう。



「俺もこの紙以外に証明するものはない。社交界の方も疑うなら調べれば良い。こいつらじゃ信用ならないから、あんたが直接調べろよ」



そう言ってロイを見つめる。スーリを疑うわけではないが、皆を納得させるにはそうするのが一番なのだろう。



「俺が動く」



ナリエとアルナドの生家に関わりのない者に任せても良いし、何なら自ら動けば良い。




「そろそろ、周りの視線が痛くて堪らないから僕が来た理由を言うね」



そう言って一歩前に進むラウロ。即座に工作員達から殺気が轟くのを歯牙にもかけず、彼は話し始めた。



「まずはラヴィのオッドアイの情報がどこから漏れたのか。パジェスは上手く隠していたようだけど、口が軽くて何でも囀る小鳥がいてね」



ラウロはゆっくりとアルナドに視線を合わせる。



「ナリエ侯爵令嬢だよ」

「嘘だ!戯言をほざくな!」



アルナドは即座に怒鳴るが、ラウロは穏やかな表情を崩さない。



「僕の部下が貴族に成りすまして近づいた。その理由は、彼女が駒として利用している令息に異色の瞳の気色悪い女がいると舞踏会で話していたから」



組織では当然情報漏洩はご法度だ。しかも工作員でない部外者のナリエ発信ということに周りはざわめく。アルナドは拳を震わしながら否定し続ける。



「ナリエがそんなことをするわけないだろう!!」

「社交界に関しては調べればわかるでしょ。話の腰を折らないで黙ってて」



飄々とした口調でラウロは続ける。



「部下が近づくと彼女はすぐににこやかな笑顔で応対してきた。とても顔が整っているのを用意したもので」



これから話される恐ろしいだろう事実に周りが固唾を呑む。



「何度か偶然に会う機会を作っていく間に、彼女がとても人気のある令嬢を上手く情報操作をして追い落としたことを朗らかに歌うように話してくれたらしいよ。相手が自分を害しているように周りを言葉と態度で操作したと。何の罪の意識もなくそれはそれは愉しそうに話していたそうだよ」



スーリが言っていたラヴィの話と似かよった内容に周りはどよめく。



「その時にね。絶対に婚姻したい相手の近くに、最近彷徨いている女が本当に煩わしいと言っていたそうで。でもその家の全員を上手く使って孤立させて、その姿を見て嗤ってるんだって」



次から次に出るナリエの本性に周りは信じられない思いになる。ロイは放任したことが招いた事態だと目をぐっと瞑る。



「それと随分と僕の腹心の部下をお気に召したようで。簡単に股を開いていたよ」

「ふざけるな!!!」



アルナドが飛びかかろうとしたが、それを工作員が止める。



「ああ、流石にご存じない?あの阿婆擦れはその辺のお気に入りの子息にも自分の駒にするために体を使っていますよー。お疑いなら純潔の検査でもなされば良い」



ラウロは侮蔑を含ませた敬語で話す。



「寝台の中で、更に囀ってくれたそうですよ。その邪魔な存在は気色悪い色違いの瞳を持っていると。そこらへんの変人好色家にでも売れれば良いのにって」



ナリエを屋敷に滞在させる許可を出したことがとんでもない事態となって返ってきた。



「それを彼が僕に、僕が前の雇い主に報告して、異色の娘を狙うことになったんだよね。部下がそれを教えたら、『それを伝えたら間違いなくアルディスに向かうわね。そして失敗して更に嫌われるのよ』ってとても嬉しそうに喜んでいたよ。君の義妹は凄いね。義兄の仕事を知っていながら結果的に対勢力に色々囀っちゃうんだから。無邪気に。悪気なく。自分の欲の為だけに。無能な貴族の象徴だ」



ゆっくりと、優しい口調で言い聞かせるようなラウロに対し、アルナドは義妹のあまりに仕出かした数々を信じられず、表情も歪んでいる。



「貴様はそれが言いたいが為にここに来たのか」

「それもあるけど。ちょっと失礼」



そう言いながらラウロは自分の片目に直接触れる。すると丸い膜のようなものが外れ、その瞳を見たロイは目を見開いた。



「…オッドアイか」



翡翠色と水色の瞳。こんな身近に二人のオッドアイを持つ人物。



「そ。前の雇い主はこれのこと知らないけど。前にね、お互いを知らない状態でラヴィと公園で会ったことがあって。その時は瞳の色はわからなかったけど、一瞬風で髪色が見えたんだ。紺色…あれは群青色かな。この国ではあまり見ない髪色だからね。部下からの情報と彼女の黒い…パジェスで良く使われているローブ。それで何となく予想はついたんだ」



ラウロはラヴィと異なるオッドアイを細めながら微笑む。



「もしかして遡ったら血の繋がりでもあるんじゃないかなと思って、気になってさ。アルディスが拉致した時にでも逃がしてあげようかなと思っていたんだ。ほら、屋敷では皆を虜にする阿婆擦れによって彼女は孤立していたらしいし?人との関わりも上手くない、たった一人の女の子をよってたかってさ。まあそれを守ろうとする彼も居たけど、あまり役には立たなかったみたいだね」



工作員達はまともな反論さえできない。スーリはラヴィの言う願いだけは忠実に守ってはいたが、今となってはそれが正しかったかどうか分からない。



「僕事だけど、元よりアルディスに忠誠心はなくてね。単独の暗殺者だったんだけど金払いが良い相手がアルディスだったってだけ。それにパジェスが宿敵と言うんだから、精鋭揃いの相手をできるなんで愉しいことこの上ない。とはいえあそこは潮時だったんだけどね。後々裏切り者だとかで追いかけられるのも面倒だから、顔の良い部下一人残して壊滅させておいたよ」



とんでもないことを何でもないことのようにラウロは話す。



「とはいえ、元敵の僕が言うことを信じろなんて言わないよ。余計なものに阻まれて真実を見失うって愚かの極みだけど。それにしても…」



そう言いながらラウロは一人の人物に目を留める。



「パジェスの頭領ほどの人物が微塵も気づかないなんておかしいよね。信用していた側近すら周りを何も把握していなくて報告もできなかった?」



優しげな口調と穏やかな表情のラウロだが、目の奥は笑ってはいない。



「それとも…義妹の思惑を知っていて、敢えて放置していたのかな?」



アルナドの体が明らかに強張り、これでは知っていたと言っているようなものだった。そして彼がそうしていたのだとしても、ロイが諸々を疎かにしていたことには変わらない。



「どんな理由であれ、それらを把握していなかった俺の責任でもある。…アルナド」



ロイの静謐な声にアルナドは俯く。握った拳は震え、少しの沈黙の後に口を開いた。



「…私は、ラヴィが来た当初からずっと疎んじていました。主の…主の行動が、いつもらしからぬものだったことと…昔からナリエはずっと主と一緒になりたいという、我が敬愛する主の……あわよくば妻になっていただければと」



屋敷の者達から見れば、ナリエのそれは一目瞭然の態度だった。だが実際にはナリエがロイと会話することはそんなに多くなかったことを彼らは知らない。そもそもロイ自身、アルナドの義妹としてでしかなく、特に何を思うことも、言い方を変えれば興味の欠片もなかった。



「だからラヴィに工作員以外にも仕事があることを言わなかったんだ」



スーリからのとんでもない言葉の内容に、ロイは瞠目した。



「知らないだと?ラヴィはどうしても工作員になりたいのだと俺は聞いたぞ」

「それは……!」



アルナドが焦って反論しようとするが、スーリは侮蔑するような視線を彼に向ける。



「あんたに初めて会った時に工作員を薦めたのかって聞いただろ?確かにラヴィは動きも勘も良いから、それで勧誘したんだと思っていた。元々手先も器用で大抵のことは何でもできちゃうんだよ、ラヴィは」



スーリの言うことが事実なら、工作員でない他の仕事でもできた可能性は高かったのだろう。



「でも、あの女に会った後のアルナドのラヴィに対する扱いを見て、もしかしたらってラヴィに聞いたんだ。工作員で返すことくらいしか自分にできることはないからってさ。案の定彼からは一度も他の仕事の話は聞いていないって」



他の仕事を打診したところで、ラヴィ自身が工作員しかできないという気持ちだった可能性もなくはない。だが故意に伝えなかったことで、工作員にならなければここに居られないと思った可能性もあるかもしれないわけだ。



「あーなるほどね。工作員として働かせれば、運が良ければ大怪我や死亡してくれる可能性もあるからねぇ。そりゃもっと親密になるだろう仕事は任せられないよね。義妹の為…というのは表面で、最も己の欲の為だよね」



ラウロからの辛辣な言葉に口を何度となく開くアルナドだが、反論する言葉が出てこない。



「これ。ラヴィがアルディスに行く前に俺の部屋のドアから差し込んだ手紙」



白いシンプルな便箋を渡されたロイはそれに目を移す。



そこに書かれていた内容は、ナリエからロイと近々婚姻するにあたり、ラヴィが彼女の側仕えはまずないということ。オッドアイが狙われているという噂、そしてラヴィが居るからロイとパジェスに迷惑がかかっていること。それを少しでも挽回できるかは不明だが、スーリから関わらないという約束で教えてもらったアルディス邸の場所に行ってしまうことの謝罪。


そしてロイの執務室で、ラヴィは離れる、という言葉を盗み聞いてしまったこと。



ナリエの件は何一つロイには身に覚えのないことだ。何故ナリエと婚姻することになっている?それを彼女はラヴィの側仕えに勝手に繋げたのか。そしてパジェスの内情をそこまで把握していたのは何故だ。


そしてアルナドとの会話に関しては記憶がある。あれを聞いていたのか。ナリエから言われた後に話を聞いて離れるという意味を履き違えたのか。



「俺はナリエとは親密に話したことなどただの一度もない。アルナドの義妹という以外に興味も何もない」



ロイの言葉に工作員達はどよめき、それぞれ目を合わせている。まるでまさかといったような雰囲気だ。

そしてその中から一人がゆっくりと手を挙げた。数少ない女性工作員のリリィだ。



「リリィ、話せ」

「はい。私は、ナリエ様からこれまで何度となく主との逢瀬の話を…聞いていました。真夜中に時たま、主の部屋に会いに行っていると。絶対皆には秘密にしておいてと言われましたが」

「一度もないが」



全くもって有り得ないことだった。そしてあちこちで手が挙がる。



「ジャイル」

「主の好物を今夜は出してくれと。きっと疲れているから好物がでたら少しでも癒やされるのではと…内緒にしたいからナリエ嬢の名は出さない約束を。可愛らしい気遣いをなさる方だと思っていましたが…」

「好物の話なんぞしたことはない。キスラ」

「度々ナリエ嬢から、主との僅かな会話できる時間をラヴィが業務報告を理由に頭を撫でてもらいに来て追い出されるような感じに邪魔をされてしまうと…」

「そもそも俺の前でラヴィとナリエが共にいたことはない」



そこから更に数人がロイにとっては全く寝耳に水の話で溢れかえる。聞く度にロイの表情が険しくなる様を見て、工作員達もナリエから聞いた話が偽りであることをまざまざと思い知らされたことになった。


ラヴィの頭を撫でることも、側仕えの件も工作員達は誰にも知らせていなかった。


知っている人物は一人だけ。



「アルナド。全て話せ」



アルナドは即座に跪いて頭を垂れる。そして歯が軋む音が聞こえ、話しだした。



「私がナリエに好物である食べ物のことを話しました。ナリエが虚偽の内容を周りに吹聴していたことも…黙認していました。……ラヴィが頭を撫でられていたことや、側仕えの話も漏らしました。ですが、まさかここまでするとは思わず……私は…ナリエが少しでも我が主との仲を――――…、いえ、これは言い訳です。己の過ぎた願望と欲望の為、でした。責任も制裁も全て受け入れます」



ロイを神格化しているアルナドからの懺悔の数々はナリエの無邪気な介入によって悪化を辿った。しかしロイも工作員の者たちと個々に話すことをせず、世間話すらもなく、酒を飲む場も設けず、任務以外の話をしたことなどなかった。


それらは全て己の無関心と無頓着さが招いた結果でもあった。


それを敏感に感じ取っていたナリエがアルナドの力を借りて上手く立ち回りながら周りを巻き込み、まるで虚偽を真実のように演じていたということだ。だとしてもナリエが今回仕出かしたことは、暗部組織のアルナドの血縁でありながら、故意でなかったとしても立派な裏切り行為となる。


それすらもロイが滞在を許可したことから始まったことだと思うと、悔やんでも悔やみきれない。



「主」



特攻工作員筆頭のレビンが挙手をする。



「レビン」

「アルディス潜入の際、私が負傷して腕が使い物にならなくなった時…ラヴィが私の周囲にいた何人もの敵を葬ってくれました。あそこで彼女の助けがなければ私はこの場にいなかったでしょう。それなのに私は今までナリエ嬢の言うことを鵜呑みにして彼女を嫌悪し、わざと関わりを断っていました。私にも相応の罰を望みます」

「主、俺も同じく。大人数に攻められていた時に後方から何人も仕留めてくれました。ラヴィは工作員の訓練も一度も泣き言をいわずに取り組んでいたのに、長らくいたナリエ嬢の言葉を疑わずに信じた。工作員失格です」



キスラも話したことを皮切りに何人も手を挙げてくるので、ロイは片手を挙げて制した。



「お前たちの行動は確かに褒められたものではない。だが、周りに関心を向けず知ろうとしなかった俺にも当然咎がある。それがパジェスを揺るがし、ラヴィをあそこまで追い込ませた」

「主!全ては私が―――――」

「アルナド」



アルナドが言い返すのをロイは遮る。誰か一人だけの責任ではないし、パジェスを率いるロイの監督不行届であるのは否めない。



「ラウロ。ナリエからの情報はラヴィのオッドアイの件だけか?」



ラウロは片眉を僅かに上げて首を横に振る。



「社交界関連は耳が腐る程聞いたし、そのおかげで国の重鎮を裏で数名重傷を負わせられたね。口が羽のように軽いらしい。それにアルディスに有効な情報も幾つかあって。若いけど有能な人材が入ったことも、少しずつこちらを削ってきていることも、近々攻め込んでくるということも。人数多かったでしょ?あの日前後は皆屋敷に籠もりっぱなし」



ナリエのあまりの所業の数々にアルナド始め工作員達、ロイですら開いた口が塞がらない。組織の内情を漏らすということはパジェス、即ち国に害を為すということに他ならない。それは社交界にも通ずる。国王から闇討ちされた話は聞いてはいたが、その発端がナリエの軽口であり、国の重要人物に害が及んだ。アルナドは跪いたまま頭を抱えてしまった。



「言ったでしょ?彼女に悪気はない、それが逆に恐ろしい。どうやったらああいう令嬢が出来上がるのかな?己の虚栄心を満たすためだけに社交界の情報を流し、お気に入りの貴族…まあこれは私の部下なんですけど、手中に収めるために幾らでも囀ってくれる。更に国の裏を仕切る頭領との婚姻までも望んでいるんだから強かなものですよ」



続々と出てくるナリエの逸脱した行動に最早誰もが何も言えなくなった。



「あなたも侯爵も彼女の何を見ていたのでしょうね。貴族の…もう人間の、というべきなのでしょうか。最低限の善悪の境界線というものを教えなかったのでしょうか」

「確かに父は…天真爛漫なナリエには甘かった。でも貴族としての常識は学ばせていたと思っていたのに…」



アルナドは髪を掻き毟る。普段見る義妹の貴族の見本というべき態度と、誰にでも優しく接する行動から到底信じられない内容ばかりだった。ナリエが見せたラヴィへの態度でその片鱗に気づいたアルナドだが欲を優先させてしまった結果がこれだ。



「今後どうすんの?ラヴィが目を覚ましたとしても記憶に障害、喪失の可能性が極めて高い。そうしたらあんたも必要ないだろ?工作員としては使えない。それなら俺はここを辞めてラヴィを連れて行く。今更懺悔し始めた奴等を信用なんてできない。本心を言うなら全員殺したいくらいだ」



スーリから殺気が溢れる。それに反応した工作員の数人が構えたところをロイは片手で止める。



「もしそうするなら、僕もスーリ君について行こうかな、二人の護衛として。ラヴィは初めて会った時から言葉に上手くできないけど、居心地が良かったんだよね。僕にとっては稀有な存在」

「させん」



スーリに続きラウロまでもが言い始めたのをロイは遮る。



「何?ラヴィがこんなになった責任でもとるつもり?」

「責任、という言葉は適切ではない。俺が側に居てほしいだけだ。どこにもやらん」



ロイがスーリを見据える。ラヴィに対する思いがどういうものなのかロイにすら、まだ形になっていないのだ。そして今まで生きてきた中でこんなにも、切ない、苦しい、そして喜びのような思いが沸き起こることも無かった。何を言われようともロイはラヴィと離れるつもりは毛頭ない。



「あんたのことなんか忘れているかもしれないよ?ここでの暮らしも…それに関しては全て忘れてくれた方がラヴィには幸せだけど」



スーリがアルナド始め工作員達を一瞥する。



「それでもだ。絶対に渡さん」



ロイとスーリが対峙し、睨み合う。暫くしてスーリが溜息を吐いた。



「なら今後俺をラヴィ専属の護衛にして。それが条件。そしてラヴィがあんたを怖がったり、恐怖を感じることがあれば問答無用で出ていく」

「構わん。その時は好きにしろ」



勿論ロイとしてはどんな状態であれ、ラヴィの側に居たい気持ちは変わらない。でも本人が嫌がるのならば、それは独り善がりであり、彼女を大切にしたいと願うことに対して本末転倒なことになるからだ。



「なるほど…部外者の僕が言うのもなんだけど、側近始め他も皆罰をくれとか。まさかのパジェス解体?」



本来全く関係ない…とは言い切れないが、ラウロが仕切りだすのを数名の工作員が苦い顔をして見る。



「ナリエのしたことは、どんな理由であれ反逆行為にあたる。下手したらパジェスに大打撃を与えかねなかった。国王に判断を仰ぐが、侯爵家が取り潰しになる可能性は高い」



その言葉にアルナドが目元を覆い、頭を下げる。



「主…本当に、……本当に申し訳ありませんでした」

「お前がしたことは側近としては失格だ。だが諌めもせず、ましてやお前任せにして何も気づかず知ろうとしなかった俺にも責任はある」

「主!そんなことは!!……信用を裏切ったのは私であって主は何も―――」

「俺も負うべき一人だ」

「主!」

「我が主!」



アルナド始め、工作員達が驚愕や絶望の表情になり辞めるとか死ぬだとか、あたりは阿鼻叫喚状態に陥る。


それを抑揚のない声が一刀両断した。



「逃げるんだ」



その一言に騒いでいた声がしんと静まる。



「どいつもこいつもやることやって申し訳ありません、責任取って辞める、死ぬって一番楽な方に逃げるんだ。あんたも逃げるの?」



スーリが切れ長の三白眼に蔑みを含ませながら見つめてくる。



「逃げるとは?」

「頭領退く気?」



その言葉にロイは片眉を上げる。



「それこそ負け犬だろうが。ラヴィを守るのに逃げてどうする」



すぐに言い返したことに、スーリは一つ頷く。



「でも、他は辞めて逃げようとしているよね。少数精鋭で憎らしいほどの能力と団結を見せるパジェスの一員とはとても思えないね」



ラウロが失笑しながら言う。



「そう言ってくれるな。辞めるか死ぬかしか道はないと思っているだけだ」

「どれだけの独裁国家なの、まるでアルディスじゃない。まあアルディスには辞めるなんて選択肢はなかったけど」

「それもこれも俺がまともに関わろうとしなかったことが原因でもある」



アルナド任せだったり、ナリエを放任していたことも。

ロイも根本から考えを改めなければならない。



「今回の件に関しては誰一人辞めることも死ぬことも許さん。今後の活躍で全てを取り戻せ」



それを聞き、工作員全員が即座に跪き承諾の姿勢をとった。



「アルナド。お前もだ」

「………」

「貴族籍を抜けたお前が侯爵に寝返ることは許さん。俺の側近で居続けろ。ラヴィから避けることも不可だ。お前のしたことを常に胸に留めて悔め。そしてお前の忠誠を改めて俺に捧げろ。二度と裏切るな」

「…っ…御意。…っ忠誠も、命も捧げることを…誓います」

「命は要らん」



アルナドは嗚咽しながら答え蹲る。




「それなら良い案があるよ」



朗らかな声色でラウロが微笑む。




「パジェスの頭領さん。僕を雇ってくれません?」







ロイSideと後日談を不定期で投稿します


誤字報告ありがとうございます。

助かります。

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