29、ポピーの趣味
どんなに悲しくても、落ちこんでいても、朝はやってくるんだなあ。
私は陽の昇り始めた空をぼーっと見上げる。
あれからひっそりと泣き続けて朝を迎えた私は、腫れた目を冷やすために外の井戸水で顔を洗った。
こんな顔見られたら泣いていたことがポピーに知られてしまう。
ポピーが起きる前に戻らなくちゃ。
しっかりと目を冷やしてから部屋へ戻った。
そーっと部屋へ戻ってしばらく経つと、身支度をしているところへ後ろから眠そうな声が響く。
「おはよう、アリシア。早いね〜。ふわぁ〜」
ポピーは大きなあくびをしながら伸びをしている。
「ふふ、おはよう」
手早く準備をして食堂で朝食を摂ってから仕事へ向かった。
ポピーのおかげで私は初日とは思えないほどお屋敷に馴染み仕事をそつなくこなしていた。
公爵家であんなことがあったばかりだからと、肩肘を張っていた自分が嘘のようだ。
ポピーは気さくで気取らない性格で、小柄ながらもとても力持ちで私を驚かせる。
初日に私を案内してくれたテオからも仕事を教わりながらその人となりを知った。
彼はこの男爵家とご縁のある小さな商家の末っ子で、旦那様に気に入られて数年前から働き始めたのだという。
笑顔を絶やさずにてきぱきと動く彼は、機転の利く有能な働き者だった。
旦那様が気に入るというのもよく頷ける。
私は2度目の人生で自分の側でよく働いてくれていた侍従を思い出して懐かしい気持ちになっていた。
あのとき弟のように可愛がっていた侍従がテオによく似ている。
そんな懐かしい気持ちで彼を見つめているとふと視線が合った。
「な、なに?」
テオはびっくりしたように焦った様子でそう言う。
「ううん、何でもないよ。仕事教えてくれてありがとう。助かったよ」
「お、おう! いつでも聞けよ!」
そう言って、胸をどんと叩いてみせたテオの顔が心なしか赤くなっている。
あれ?熱でもあるのかな?
「うんうん、アリシア。テオはいつも暇そうにしてるんだからコキ使ってやって。昨日も仕事サボってたし」
ポピーが揶揄うように横から口を挟む。
「お、お前はダメだぞ。それだけ力持ちなら一人でできるだろっ」
サボっていたことが図星だったのかテオはさらに顔を赤くして焦っている。
そうして仲良く3人で仕事をしていると、あっという間に午後の休憩時間になった。
「あ、そろそろ休憩だな。俺、頼まれてる仕事あるから二人は休憩行ってこいよ」
そう言ってテオは次の持ち場に向かって行った。
「じゃあ、私たちも休憩行こうか」
ポピーにそう声を掛けると、彼女はびくっと体を揺らして止まった。
?
「あ、あの、私もちょっと頼まれてる仕事あって……。アリシア先に休憩して」
硬い表情でそう言うポピーにそれ以上尋ねることは憚られて、私は一人で休憩室に向かうことにした。
休憩室でお茶を淹れてテーブルに座ると、他のメイド達もちらほらと集まり始める。
キッチンから余り物のお菓子を持ってくるメイドもいて談笑が始まった
和やかに過ごしているけれど、私はどうにもポピーの態度が引っ掛かっていた。
少しは仲良くなれたと思ったんだけど、そう思ってるのは私だけなのかな……。
そんなことを考えていたら、思わず手が滑りカップを取り損ねた。
「わああ!」
慌てて掴もうとするも、つるんと滑ったカップの中身を一身に浴びてしまい、服がびしょ濡れになってしまった。
「やだ、アリシア大丈夫?!」
慌てて周りのメイドたちがタオルを持ってきたり、床を拭いたり、甲斐甲斐しく世話をしてくれる。
「ご、ごめんなさい……!」
「いいよ、いいよ。初日だしきっと疲れてるんだよ」
そんな様子を見ていた先輩メイドらしき人が苦笑いをしながら近寄ってきて優しく私に言う。
「ありゃー派手にやったわね。それじゃ風邪ひいちゃうから早く着替えておいで、お菓子とっておくから」
みんなの優しい対応に甘えて休憩室を後にした。
ああ、私ったら本当にドジなんだから。
みんなの温かい対応に嬉しさと申し訳なさを感じながら急いで部屋へ戻った。
扉の前に着きドアノブを掴んだ瞬間、中から聞こえてくる物音に気づく。
誰かいる……?!
え?でも誰が?!
一瞬パニックになりそうな頭を振りかぶって気持ちを落ち着かせ、そっと扉を少し開けて様子を窺ってみる。
目に飛び込んできたのは、立っているポピーの後ろ姿だった。
なんだ、ポピーだったのね。
ホッとしてドアを大きく開けようとした瞬間――――
「たあー!! はっ!」
そんな威勢の良い掛け声とともに、ポピーが木刀を持って振り回している。
その様子は凛々しく、素人目からしても見事だった。
私が見惚れていると、気配に気づいたポピーがこちらを振り向きギョッとした顔をする。
「っ!!!!! アリシア!!!! き、休憩はどうしたの?! まだ行ったばかりじゃない!」
「あ、うん。お茶をこぼしちゃって着替えにきたの」
「…………」
青ざめた顔をしてポピーは項垂れた。
ポピーは剣が好きなんだ。
彼女の握っている年季の入った木刀を見て、それがとても大切なものであるということが伝わってきた。
そして、きっと時間を見つけては毎日欠かさずに鍛錬しているのだろう努力の跡がうかがえる。
びっくりしたよね、ポピー。
知られたくなかったであろう。
この国では男であるべきこと、女であるべきことが明確に分かれている。
つまり、剣を持つ女性などこの国ではほぼあり得ない。
よほど身分が高く有能な人材なら話は別だが、その例もほんの僅かだ。
ましてや平民のメイドがそんなことに興味をもつことすら、知られていいことなどひとつもない。
ポピーは私に知られてしまったことにショックを受けているよね……。
そっと部屋に入りドアを閉めてから、ポピーの傍に寄った。
怯えるような様子のポピーに私は声を掛ける。
「ポピーは剣が扱えるんだね」
「っ…………」
「すごい格好いいね!」
私がそう言うと、ポピーはバッと顔を上げた。
「えっ……?!」
「だって力持ちだし、剣も得意なんてすごいじゃない!」
「……得意とまでは言えないけど……。その、剣が好き、なんだ――――」
恐る恐るそう言ったポピーに私は力強く頷いた。
“好き”って気持ちは尊いものだ。
私だってこうしてメイドの仕事をするのは、元はと言えば恋するときめきを願ったからなんだもの。
「うん、わかるよ。好きって気持ちは誰に遠慮することなく、誇っていいものだよ」
「……!」
「ポピーはポピーの“好き”を大切にして、思うように生きたらいいんだよ! だってあなたの人生だもの」
「アリシア……!」
私の言葉を聞いて、ポピーは瞳をうるっとさせながら続ける。
「でも、実際に剣を振るなんて軽蔑するでしょ……?」
「そんなことないよ。女性騎士を見たことあるもの」
「え……!! 本当?! どこで?!?!」
ポピーは瞳をキラキラと輝かせて聞いてくる。
あ……2度目の公爵家時代に女性騎士がいたんだけど、説明がしにくいな。
「あ、うーんと、公爵領の方で――」
「そうなんだ! やっぱりラバドゥーン公爵領ってすごいのね。差別がないなんて革新的!」
ポピーはとびっきりの笑顔で力強く言った。
とっても嬉しそう。
彼女の笑顔にほっこりした気持ちになりつつ、私たちは仕事へ戻った。
その後は、女性騎士についてひたすら質問攻めとなった。
話をせがむポピーが可愛くてついつい長話になってしまい、私たちは夜遅くまで語り明かしたのだった。




