14、絶対にときめきません
ある種の警告めいた考えが脳裏をよぎった私は、これまでの前世を思い出す。
恋に落ちた瞬間のあの“エンド”の数々。
だから私はそこで誓った。
絶対にミハイル様に“ときめかない”と。
そんな決意をした翌日、執事のポサメさんから綺麗な小箱を渡された。
「これは何ですか?」
「ベレーラ商団の薬です。公子様がアリシアさんにお渡しするようにと」
えぇ?!
あそこが扱う薬って、最高級品ばかりなのよ!!!
商団の扱う品々については2度目の人生のおかげでよーく知っている。
公爵家当主時代の取引先だったんだもの。
そして、まだ商団の新人だった彼と恋に落ちた思い出があるわけで。
懐かしいな。
でも、あの時は家門と領地を支えることに必死で恋愛はもちろん、結婚なんて考える暇もなかった。
自分のことに構っている余裕など一ミリもなかったのだ。
そんな中で、高級品をいくつも扱うベレーラ商団だったけれど、一度見かけた幻のダイヤだけは憧れだったなあ。
この国で魔力が残る唯一の最南端にある島で取れる最高級鉱石だ。
採掘時は無色透明だが、祈りの儀式をして三日三晩枕元に置いておくと、その者の持つ瞳の色に変化する。
これを持ってプロポーズするのが高貴な人々の間で憧れとされていた。
王国3代目の国王が、王妃に捧げたことが始まりとなっているらしい。
商団の彼からその話を聞いた時は、ロマンチックなストーリーに思わず目が輝いた。
採掘できる数も限られているため、べらぼうな金額がついているという。
この国の全ての女性の憧れだ。
って、そんなことより!
だからこそ、この薬の価値もよく知っている。
きっと手の火傷を見たから気を使ってくれたのね。
こんなに貴重な薬をメイドの私なんかが貰ってしまっていいのかしら……。
最近、ミハイル様の様子が変だ。
なんで急にこんな態度が豹変しちゃったんだろう。
私は数々の前世の記憶を思い出して、背筋にヒンヤリした何かが押し当てられるような気持ちになる。
もしかして、これまでの人生と同じように、ときめきの瞬間がすぐそこまで近づいてしまっているのではないかと。
ひょっとして、何度生まれ変わったとしても、私の恋は成就することなく終わってしまう呪いでもかかってるんじゃないの……?!
だから、どんなに不可能に思える状況でもときめくように強制的に軌道修正されていくんじゃ……。
そうだ、きっとそうよ!
それなら、ミハイル様の態度が豹変したもの説明がつく。
そう考えて、絶望に似た気持ちが襲いかかってくる。
えーん!そんなのやだよ!
ミハイル様とどうにかなりたいなんて分不相応なこと望まないから、せめて恋するときめきを味わうくらいの楽しみを奪わないで欲しい……!
混乱しながらも、私は冷静に心を落ち着けようと呼吸を整えて、ポサメさんにお礼を言った。
そうだ、こうなったら今後は必要以上に、ミハイル様に近づくのはやめよう!
仕事もなるべくミハイル様から離れた業務に立候補して……。
幸い、態度が和らいでいた最近のミハイル様は、以前ほどメイドたちとの距離を感じさせるような言動がなくなっていた。
さすがあれだけの美貌を持ったお方だけあって、これまでは遠巻きに見ていたメイド達も態度が柔和になったミハイル様に近づく機会を狙っている者も多く、いくらでも私の代役を買って出てくれる人はいそうだった。
そうすれば、これ以上近づくことも、万が一ときめきの瞬間を迎える心配もない。
ミハイル様が私にときめくなんてありえないとは思うけど、前世から続くなんらかの強制力による可能性はゼロではないかもしれない。
改めてそう思い、決心をしたその瞬間。
「ああ、それからアリシアさん。公子様がお茶を持ってくるようにとのことです」
立ち去ろうとした私に、ポサメさんが言った。
う……なるべく会わないようにしようと決心したばかりなのに。
ポサメさんから言われたんじゃ、誰かに頼むこともできないよ。とほほ。
観念して厨房へ行き、急いでお茶の準備をしてミハイル様の執務室へと向かった。
これからどうしたものかと考えながら歩いていると、曲がり角に差し掛かった時、ふと影が現れた。
顔を上げるとそこにはマリーが立っている。
彼女の強張った顔を見て思わず足が止まる。
いや、よく見るとこわい。物凄く怖い顔してるよ!
そういえばミハイル様と色々あって忘れてたけど、昨日のマリーは確かにおかしかった。
「あの、マリー、」
そう言いかけるとマリーはふふっと笑って言った。
「アリシア、公子様がお待ちなんだから早く行かないと」
笑顔で話しかけるその様子はこれまで見てきた彼女の姿と変わりない。
あれ?さっきの表情は気のせいだったのかな?
色々と混乱するが確かにミハイル様を待たせるわけにはいかない。
「あ、うん。そうだね」
そう気を取り直して歩き出し、マリーとすれ違う。
その瞬間、目の端に何かが動いたのを理解すると同時に、何かに躓き派手に転んでしまった。
あ、足を引っ掛けた?!?!
私を見下ろす彼女の怖い顔を見て理解する。
やっぱり気のせいなんかじゃない。
マリーは私に怒っている。いや、恨み?憎しみ?
そういったネガティブな感情全てを含んだような表情だ。
それにしても嘘でしょ?こんな幼稚なことする……?!
「時間に厳しい公子様が怒らないはずはないわ……」
マリーは不敵な笑みを浮かべて、私を挑発するようにそう言い放った。
ほ、ほんとよ!なんてことしてくれるのよ~!
最近優しいとはいえ、ミハイル様は仕事と時間には厳しい人なんだから!
えーん、怒られる~!
熱々のお湯を被ってしまった手はヒリヒリするし、私は泣き出したい気持ちを抑えて厨房に戻り、お茶の準備をし直してから執務室に向かった。
執務室に到着すると気分を害したようなミハイル様の顔があった。
うう、30分も時間をロスしてしまった。
「遅いじゃないか」
ミハイル様は少しムッとしたような表情で言う。
「す、すみません!!」
慌ててお茶を準備して、ミハイル様の机に置いた。
その瞬間、ミハイル様は顔色を変えて私の手をバッと掴んだ。
「これは、どうした?!」
ミハイル様は、掴んだ私の手を驚いたような顔つきで見つめている。
あっ、時間が無くて後で冷やそうと思ったんだった。
先ほど転んだ時にお湯が手にかかってしまったからか、真っ赤に腫れている。
「あ、ちょっとお湯が跳ねてしまって……」
私はそう言って、手を引っ込めようとしたがミハイル様の力は思いの外強かった。
「そうだったのか……」
ミハイル様はその綺麗な金色の瞳で私を見つめながらそう言って、私の手に優しくキスをした。
な!!ななななな何?!?!?
「いつも火傷を作って……アリシアは少しドジなんだな」
くすっと笑いながらそう言って、甘やかな瞳でこちらを見つめるミハイル様を見てどきんと胸が高鳴った。
キスされた手の部分がやけに熱く感じられる。
「だが、心配になるから、どうか怪我はしないでくれ」
な、なんでそんな目で見るの?
手が熱いのは火傷のせいだけではなさそうだ。
め、目が合ってときめいたら私は終わりよ。
絶対にそれだけは避けなくては……!!
必死に感情を抑えている私を知ってか知らずか、ミハイル様はふと思い出したように息をついた。
「そういえばアリシアにお願いがあるんだ」
「お願いですか?」
「ああ、今度父上の誕生日に夜会が開かれるんだがその日私のパートナーとして一緒に参加してくれるか?」
「はい、かしこまり、」
え?!?!?
いつものように途中まで返事をして私は固まった。
衝撃的な内容すぎて一瞬理解ができなかったのだ。
夜会のパートナーってどういうこと?!
そんな混乱する私を、今頃ミハイル様に怒られてるはずだと嘲笑いに覗きに来たマリーが『許せない……あの方のキスを受けるなんて、それに夜会のパートナーですって?!……絶対に許せない!!』と呟きながら、扉の影から険しい形相で見ていることなど知る由もなかった。