11、溺愛の始まり
先日のホールでの謎の一件があってからというもの、私はまたミハイル様周りのお仕事が増えていた。
今日もチキンと野菜たっぷりの疲労回復サンドイッチを昼食用に執務室へと持ってきたところだ。
「アリシア、君はルリジオン子爵家出身だったな。なぜメイドなんかしている?」
いつものようにお茶を机に置いた私をじっと見上げながら、ミハイル様は美しい顔に気遣うような表情を浮かべて尋ねてくる。
彼は私のことを名前で呼び始めてから、ずっとこんな瞳で見つめてくるのだ。
う、嬉しいけど、正直耐えられない。
こんな美しい顔に四六時中見られてるなんて、心が休まらないのよ……。
「あ、えっと、家門と領地の状態が厳しくて、少しでも支えになれたらと」
私は緊張しながら手短に答える。
「そうだったのか……」
そう言って、ミハイル様はその美しい顔に暗い影を落とした。
うっ、なんだか罪悪感。
本当の一番の目的は、ミハイル様を見てときめきたかったから、なんて言えない……!
いや、でも、半分は本当なんだけどね。
実際のところ、お給金を送り始めてから少しは足しになっているみたいでお父様もお母様もとても喜んでくれている。
公爵家での生活はメイドとはいえかなり待遇がよく、生活に必要なものは贅沢すぎるほどに与えられていて、お金を使うことがほとんどない。
そのため毎月お給金のほとんどを実家に送っている。
このラバドゥーン公爵家は使用人の一人ひとりを大切にしていて、待遇が良くお給金もかなりの額なのだ。
私が頂いたお給金を送ると飛び上がって喜び、その使い道から領民が喜んでくれている様子まで、いつも仔細に報告をくれた。
想像通り、お父様とお母様は自分たちのことは後回しにして、お金は全て領地のために使っているようだ。
風邪は引いていないかとか、ちゃんと食べているのかと私を気遣い、報告の手紙と一緒に手作りの洋服や、私の大好物であるお母様特製焼き菓子やらをいつもたくさん送ってくれる。
そんな両親の様子を思い出したら思わず笑みがこぼれる。
二人とも心配性でお世話焼きの上に、私から見ても子どもっぽいところがあるんだから。ふふ。
そんなことを思い返し、私は込み上げる笑みを抑えながら言った。
「私は両親や従者のトーマスを始めとして、領地の人々にもたくさん愛されお世話になりましたから」
「まったく……。君はいつだって人のことしか考えないのだな……」
ミハイル様は俯きボソボソと何かを呟いている。
??
「え? 何かおっしゃいましたか?」
私が聞き返すとミハイル様は呆れたような困ったような顔で答えた。
「いや、何でもないよ」
「あ、それではこちらはここに置いておきますね」
お昼と一緒に持ってきていた補充用のインクや紙をいつもの位置にセットする。
「ああ、ありがとう」
穏やかな表情でそう言ってから、ふと真顔になり続けた。
「アリシアは何か困ってることはないのか? 欲しいものや必要なことは?」
「えっ、そんな、こちらでの生活はとても良くして頂いているので、これ以上欲しいものなんてないです」
なんで急にそんなことを。
そんな疑問で一杯だったが、ふと思う。
欲しいものか……。
そういえばここへ来てからというもの休暇を取っていなかったなあ。
もちろん自分で望んでそうなったのだけど。
休みを取ったところで退屈しちゃいそうだから、働いて体を動かしてる方が落ち着くし楽しいのよね。お金も稼げるし!
でも――――
「どうした? 何かあるなら言ってくれ」
私の様子を見て取ったのか、ミハイル様は立ち上がって私の肩にそっと手を置いて顔を覗き込み、心配そうな表情で促す。
そんな彼の表情に安心したのか、思わず本音を漏らしてしまった。
「あ……そうですね、たまには両親に会いたいなと」
「そうか」
ミハイル様は笑顔で頷きながら、私の頭を撫でるように優しくぽんぽんと触れる。
その笑顔はあまりにも愛に溢れていて、なぜだか鼓動が早くなってくるのを抑えられなかった。
「あ、で、でもやっぱり働いてるのが一番楽しいです!」
胸の高鳴りを隠すように笑いながら言い、手早く片付けをして執務室を出た。
頭に乗せられた優しい手の感触が残って離れず、胸の鼓動がなかなか収まらなかった。
う〜ん、こんなに穏やかで優しいミハイル様はやっぱりまだ慣れない。
そんな風に思ってしまうのは贅沢だろうか。