お前、帰り道にある廃墟の噂って知ってる?
お前、あの話知ってる?
そうそう、帰り道にあるちっちゃい廃墟の話。
もう誰も住んでないボロボロの家なのに、夜中にうめき声が聞こえたり、窓に人影が見えたりしてさ。お化けがいるんじゃないかって言われてるんだよな。
そんでさ、この前やっちゃんと帰ったときに、その廃墟に行って探検してみようぜって話になってさ。あいつそういうの好きじゃん? でも俺はあんな家に入って怒られたら嫌だからさ。
何だっけ、フホーシンニュー?だっけ? いや廃墟だから別にいいのかもしれないけど。
でも何か嫌じゃん。いやお化けが怖いってわけじゃなくてさ、汚そうだし、床が抜けて怪我するかもしれないし。だからやっちゃん一人で行けよって言ったんだけどさ。そしたら「お前怖いのかよ」なんて馬鹿にしてくるもんだから、俺もムキになっちゃって。別に怖くねーよ!って言って、一緒に行くことになっちゃったんだよね。
……そんであの廃墟に行ってみたら、当たり前だけど草ボーボーでさ。腰あたりまで草生えてるんだよ。なんか変な虫も飛んでるし、うぇー嫌だなーって思いながら、でもやっちゃんがそんなの気にせずズンズンと進むもんだから、一緒に玄関のドアの前まで行った。
もちろん玄関のドアノブとか金具なんかも全部錆びてて、茶色っていうか……なんて言うんだろ、赤と黒が混ざったみたいな、変な色になっちゃっててさ。正直言うと、血がべったりこびりついてるみたいな色で、すげーヤな感じだった。でもここまで来といて、怖いからやめようなんて言ったら、やっちゃんに絶対馬鹿にされるじゃん。だから「錆びててドア開かないんじゃね?」なんて笑いながら言って、内心では頼むから開くなーって思ってたんだけど、やっちゃんがドアノブに手をかけたらあっさり開いちゃってさ。
うわーマジかよって。多分あの時の俺、顔が引きつってたと思う。でも、やっちゃんが構わずに廃墟に入っていったから、俺も仕方なく一緒に入った。
中はすげーホコリっぽくて、カビくさかった。玄関には何も入ってない古びた花瓶が置いてあったけど、それ以外は特に変なものは無かったかな。家の中は汚れてるから俺たちは靴を履いたまま入ったんだけどさ、なんか他人の家に土足で上がるのってぞわぞわする感じだったよ。
でもアメリカとかだと家の中でも靴のままなんだっけ?
まぁどうでもいいか。
玄関に入って、すぐ目の前に細い階段があって、2階に続いてた。そんで階段の右側にふすまと、その更に奥に茶色い小さなドアがあった。
……ふすまもドアも、どっちも中途半端に開いてたよ。
俺、それ見たら嫌な想像しちゃって。開いてる隙間から、しわくちゃの老婆が顔だけ出してこっちをじっと見てくる、そんな想像。自分でも何でそんなこと考えたのか分かんないけど、とにかく怖くなって、咄嗟に目をそらした。
そしたらさ、隣にいたはずのやっちゃんがいないんだよ。
えっ?って思って周囲を見渡したら、やっちゃんは他の部屋に見向きもせずに一人で階段をさっさと登ってた。それで俺、置いてかれる!って焦って、「やっちゃん待って!」って言いながら急いで後を追いかけたんだけど、ふと変なことに気付いたんだ。
やっちゃん、この廃墟の敷地に入ってから、一言も喋ってない。
やっちゃんから探検しようって言い出したのに、何で1階の部屋を全く見ようとしないんだろう。
何でまっすぐ2階に行くんだろう。
何で錆びついた玄関の金具を見ても、当然のように手をかけてドアを開けたんだろう。
まるで自分の家みたいに、自然な動きで……。
そこまで考えて、不意に強い線香の匂いが鼻をついた。もうあと一歩で階段を上がり切って二階に着くってところでやっちゃんは止まってて、階段の横にある空間をじっと睨みつけてるみたいだった。何見てるんだろうと思って俺も階段の横にある柵の隙間から二階を覗き見たけど、一階とほぼ同じ作りだった。階段のすぐ横にふすまがあって、そしてちょっと奥まったところに茶色い小さなドア。……そして一階と同じで、どっちも微妙に開いてた。多分、この線香の匂いはどっちかから流れ出てるんだろう。
そこまで考えて、俺は猛烈に嫌な気配を感じてさ。やっちゃんに、もう帰ろうって言おうとした。臆病者って笑われてもいいから、とにかくこの家から出たかった。それでやっちゃんの顔を見たら、やっちゃん、今まで見たことも無いくらいに怒った顔してたんだ。
……いや、あれ怒った顔って言っていいのかな。むしろなんか……こう、憎しみとか、恨みとか、そういう嫌な感情が全部乗っかったみたいな、すごく怖い顔だった。目はつり上がって、顔も真っ赤で、歯をむき出しにして。それで俺、ビビって何も言えなくなっちゃって。階段でやっちゃんから目を離せず立ちすくんでた。
でもやっちゃんはそんな俺に見向きもせず、むき出しの歯をガバっと開けて、
「何でまだいるんだよぉぉおおぉぉぉおおおぉぉぉ!!!!!!!!!!!」
って、この狭い廃墟全体に響き渡るくらいの大声で叫んだ。そして階段のすぐそばにあるふすまをすごい勢いで開けて、ドカドカと足音を鳴らしながら中に入っていったんだ。俺は……恥ずかしいけど、もう怖くておしっこ漏らしちゃいそうで、相変わらずそこから動けなかったんだけど、でもやっちゃんが思い切りふすまを開けたから、階段からでも部屋の中を見れた。
ふすまの奥には広い和室があって、そこには長い黒髪の女がこちらを背に正座してた。正確に言うと顔は見えなかったから女かどうかは分からないんだけど、何でだろう、自分でもよく分からないんだけどそいつは女だってすぐに分かったんだよな。分かったっていうか、知ってたみたいな感じ。説明が難しいんだけどさ。
その女の前には大きな仏壇があって、線香の匂いはそこからしてるみたいだった。
廃墟なのになんで人がいるんだよとか、いや仮に変なやつが廃墟に入り込んだとしてもなんで仏壇で線香あげてるんだよとか、そもそもやっちゃんはなんであんなに怒ってるんだよとか。もうわけわかんなくなっちゃって俺は段々とムカムカしてきてて、無意識に階段の柵を強く握ってた。でもやっちゃんはそんな俺に構わず、仏壇の前に居る女に近付いて行って、そしてその女の髪を思いっ切りひっつかんで畳の上に倒した。
ドォンッッッ!!!!!!!
人の身体を思い切り床に打ち付けると、畳みたいな柔らかい素材でもあんなに大きな音が出るんだな、なんて。俺は現実逃避で、そんなのんきなことを考えていた。
「何でまだいるんだよぉぉおおぉぉぉおおおぉぉぉ!!!!!!!!!!!」
そしてやっちゃんはさっきと同じことを大声で叫びながら、今度は女の頭を思い切り蹴りつけていた。何度も蹴りながらやっちゃんはずっと「あぁぁぁああぁぁ!!!!」みたいに叫び続けている。そして頭を蹴るときのゴン、とか、ドン、みたいな鈍い音に紛れながら、女の長髪が畳に擦れる『ザリザリ』みたいな音がやけに俺の耳に響いていたのを覚えてるよ。女は特に抵抗もせず蹴られるがままだったけど、時々「あー」「うー」みたいな唸るような声を出してた。
それを見たら、俺の中にあるさっきまでのムカムカした感情が嘘みたいにスッと引いて、やけに冷静になった。
目の前の意味不明で狂った光景を頭で処理しきれなくて、逆に脳みそがストップしちゃったのかもな。で、とにかく「ここから逃げよう」って思った。冷静な思考回路とは裏腹に、頭が最終アラートを鳴らしてるみたいにガンガンしたし、足もガクガク震えてた。それを何とか抑えながら、途中で階段を転げ落ちそうになったけど何とか一階まで降りた。その間もずっとやっちゃんの叫び声と、鈍い音と、ザリザリ音は続いてたよ。
そして、ようやっと玄関までたどり着いて、あの血がべっとり付いたみたいな色のドアノブに手をかけたら、
「もう帰るのぉ? また来てねぇ」
って、ありえないくらいのんびりとした、でも全く抑揚の無い声が聞こえた。それは女の声だった。誰の声かは分からない。上でやっちゃんに頭を蹴られてた女のうめき声に似てたかもしれないけど、でもそんなはず無いんだよ。だって俺のすぐ後ろから聞こえたんだから。
ふと気付くと、さっきまで廃墟中に響いてた狂ったような音はもう何も聞こえなくなってた。しんとした廃墟の中で俺の荒い息遣いだけが響いてて、そこでようやっとやっちゃんを上に置き去りにしちゃってることに気付いたんだけど、でも俺はさっきの声の主が俺のすぐ後ろにいるような気がして、とにかく怖くて後ろを振り向かずに玄関を開けて外に出た。
やっちゃんごめん、って心の中で謝ったけど、正直言うとそんなのもうどうだって良かった。だってやっちゃんは途中から絶対に狂ってた。もう俺にはどうにもできない、だから俺は逃げるしかできなかった。
そんなことを思いながら必死に廃墟の周辺に生えてる草をかきわけて大きな道路に出ると、誰かにぶつかって盛大にしりもち付いちゃってさ。ぶつかった相手は俺の家の近所に住んでる優しいおじちゃんで、多分仕事帰りだったのかな、スーツ姿で、俺の事をびっくりした顔で見つめてたよ。俺は心から安心して、そのおじちゃんに縋り付いた。
「おじちゃん、助けて!!」
「どうしたの? 今、どこから出てきたの?」
「あの廃墟でやっちゃんがおかしくなっちゃった! 変なお化けがいたんだよ! お願い助けて!!」
「廃墟って、何の話? 落ち着いて。ねぇ、どこに行ったんだい?」
「どこって…!」
こいつ何言ってんだと心の中で毒づきつつ、俺はバッと後ろを振り向いて、あの廃墟を指さそうとした。
でも、俺の後ろにあるのは、コンクリートの壁だった。
「……え?」
おかしい。そんなはずはない。だって俺は草ボーボーに生えてる廃墟の敷地からやっとの思いでこの道路に飛び出してきたんだ。何で俺の後ろに壁があるんだ?
でも、この壁は確かに見覚えのあるものだった。俺の帰り道にある、ちょっとだけくすんだ色の白いコンクリートの壁。
そこまで考えて、俺は、あんな廃墟が帰り道にあるはず無いって気付いた。
ここら一帯は、一戸建てやマンションがひしめきあってる住宅街だ。草が生い茂った敷地と誰も住んでないボロボロの家なんてここらへんにあるわけない。そんなのあったらすぐに取り壊されてる。
じゃあ俺は一体、今までどこにいたんだろう?
やっちゃんは、どこに行っちゃったんだろう?
……いや、そもそも。
やっちゃんって、誰だっけ?
そんな子、俺の友達にいたっけ?
……。
…………。
「ちょっと、どうしたの? ねぇ、廃墟って何? やっちゃんって子がどうしたって? 大丈夫?」
困惑したようなおじちゃんに、俺は「ごめんなさい、何でもないです」って返すのがやっとだった。
もう何が何だか分かんなくなってた。
混乱した頭でふらふらと家に帰ったら、いつもみたいにお母さんが「あら、おかえりなさい。今日は早かったのねぇ。寄り道せずに帰ってきたの?」なんて声をかけてきた。時計を見たら、帰り道にあの廃墟に行ったとは思えないような時間だった。
あれは何だったんだろう。
頭のおかしくなった俺が見た夢か幻覚なのか。それとも、一瞬だけ変な世界に足を踏み入れちゃったのか。
あれからしばらく似たような廃墟を探したけど、当然のようにそんなもん無かったし、やっちゃんのことを家族とか同級生とかに聞いても「誰それ?」って反応だった。
……とにかく、最初からあの廃墟は無かったし、やっちゃんもこの世界にいなかった。
それで終わり。
……。
…………。
……それで終わりのはずなんだけどな。
なぁ、何でお前、一番最初に俺が「あの話知ってる?」って聞いたときに、すぐに「あぁ、帰り道にある廃墟の話?」って答えたんだ?
廃墟なんて無いんだよ。
やっちゃんもいないんだよ。
なのに、何でお前は知ってるんだ?
なぁ。
お前、誰だっけ?