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一章

「あ、あの!」

 はい、

 笑顔で返す男。その優しい笑顔に、雷加(らいか)は心打たれた瞬間を感じた。思い切って……

「私!結婚式は和装とドレスで悩んでで……!」

 可愛らしい子だ。

 男は優しい笑みを見せたまま。相手はまだ十六歳、うちの祖父がひと目でこの子を気に入り、ほぼ無理矢理お願いして、今自分とお見合いをしてくれている状況に至っている。そう、まだお見合い。

「どっちも悩みますね、和装もドレスも似合いそうで良さがある」

 でも、和装、かな、

 男は口元に軽く手を当てるように微笑んだ。ぱあっとした笑顔が雷加に広がった。祖父の無理矢理なお見合いのせいで、この子には申し訳ない気持ちでいっぱいだったのが、今、少し晴れた気がした。

 男の名は、小出(こいで)(いさむ)。十八歳。百八十六センチの細身の高身長にスタイルのいい体格。脚には少し筋肉がついて鍛えられている。顔は二枚目。雷加がひと目で勇を気に入るくらいには、優しい顔の持ち主。

 では、今日はこの辺で、

 勇の祖父が切り上げた。勇は黙って頷く。雷加は少し表情を曇らせた。

 もう終わりか。

 とても早く感じた。雷加の表情が変わるのを見ていた勇は、雷加さん、と呼び止める。

「この後、お時間ありますか?」

 もしかして。

 雷加の表情が少し晴れた。

「良ければ、二人で、いかがですか?」

 ぱあっと雷加の表情が笑顔になった。微笑ましそうに笑う勇、そして納得そうに頷く祖父。

 ある大きな一家、庭でひゅんっと矢が飛ぶ。しかし的には当たらず、その横に刺さった。

 ちっ、

 舌打ち。兄の勇がいないとつまらない、とか思いながら。横を見ると、弟三人も、自分より大幅に的から外している。

「誰が一番最初に的に当たるか、勝負しようぜ!」

 と笑う。

 次男の小出(あらし)。少しだが筋肉質、十五歳の背は百六十八センチ。

 四男の十三歳の(はじめ)が、おーっと両腕を上げた。

 よっしゃ、

 再び狙い定める。できれば的の真ん中を狙って。勇のように、簡単に的の真ん中を射止めれば。そう思いながら放つも、やはり的には当たらない。

 はー、

 ため息。

「おい、当たったか?」

 隣にいた三男の、一と双子の(きわむ)に問う。

 いえ、

 首を横に振る。

「嵐兄ちゃん、これ終わらないんじゃない?」

 一。

 そうだな、

 と頭に手を当てる。

「俺が終わらせてやる」

 物静かな強気な声。三人が右端の方に向くと、五男、十歳末っ子の(さとし)が、ちょうど狙いを定めていた。

「おー、言ってくれるじゃねぇか聡。お前も的に当たったことねぇだろ?」

 今日は当たる、

「んじゃ早めに終わらせてくれよ、この勝負」

 嵐の言葉に、聡は、

 任せてよ、

 そう一言。ひゅんっと放った矢は、やはり的には当たらず左に刺さった。

 あー、

「当たると思ったのに……」

 大幅に外れたな。

 聡の真後ろで見守っていた嵐。それについて極と一も集まっていた。

 多分、

「終わらねぇな、この勝負」

 嵐がそう言葉を放った、その時。

 ひゅんっ。

 隣の的、ほぼ真ん中に矢が刺さった。あっ、と四人が横を見ると、まだスーツ姿のままの勇が、弓を持ち放った様子で立っている。

「はい、俺の勝ち」

 そう微笑む勇。

 あー!

 と聡。

「俺が勝つはずだったのに……」

 ごめんな、

 謝りながらも笑顔の勇。

「俺らの勝負だったんだぜ、勇(にい)

 と嵐。

 そんな弟の唇に指を当て、

「誰も、この四人の中で、なんて言ってなかっただろ?」

 と、微笑む。

 廊下を歩きながら、嵐は勇に問うた。

「で、どうだったんだ今日。相手はどんな人?」

「俺は好きだよ、とても可愛らしい子だ」

 決めるのか?

「そうだね。最初は申し訳ない気持ちでいっぱいだったから、断ろうかと思ったけど、会ってみるもんだな。お相手さんも、よっぽどのことがない限りは、多分……」

 何か言われたのか?

「結婚式、和装かドレスで悩んでるって……」

 ふふっと笑う勇。

「もう結婚する気満々じゃねぇか」

 驚きというより動揺が隠せない。

「……でも、不安がいくつかある」

 分かってる、

「ひとつは、俺らの活動だ」

 嵐の言葉に、勇は黙って頷いた。

「俺らの活動は、決して許されないことなのは分かってる、でも……」

 ああ、

「父さんと母さんのためだ」

 切なく悲しい表情。勇は腕を軽くさすって俯いた。

 (わり)ぃ、

「そんなつもりは……」

 大丈夫だ、嵐。

「辛いのは俺だけじゃない、お前も、極も、一も、聡だって……」

 聡は、

「俺たちの、親の顔を覚えていない。聡が生まれてすぐに、お父さんとお母さんは、どこかへ……」

 ああ、

 頷く嵐。

「嵐、今日部活は呼ばれてないの?」

 微笑み聞く勇。今月二月、来月の三月で中学卒業を迎える嵐だが、後輩の生徒たちに、高校も決まっているのなら卒業までもう少し来てほしいと頼まれ、土日の休みも学校へ出ていたが、この日は家で、弟たちと弓道をしていた。嵐は、

「珍しく休みだ。はあ、俺も……」

 高校、行くの辞めようかな、

 一瞬真顔で驚く勇。すぐに小首をこてんっと傾げて、問うた。

「どうしてさ、嫌になった?」

「そういうわけじゃねぇけど、でも勇兄、あんたが……」

 勇が、学校を辞めさせられてまで、跡継ぎとして近々働こうとしている。それは、父と母が行方不明になって跡継ぎとして働いてくれる人がいなくなってしまったが故、祖父が焦りすぐにでも勇に働かせようとしているから。しかも遺伝子残すために結婚もしようとしている状況、そう考えると、長男の勇にばかり負担させているとしか思えなくて、学校を辞めたところでだが、それでも日々、何か自分にもできないかと考えている。

 嵐、

 勇は嵐の背中から抱きしめた。

「俺の……?俺の、ために、なのか……?」

 そう、勇のために。しかし、言葉が出ない。嵐は黙って、回している勇の腕にそっと手を置いた。

「ごめんな、結果、お前にも辛い思いを……」

 謝るなよ、

「勇兄、あんたは何も悪くない。勇兄が、一番辛いはずだろ?どうして俺たちが自由に学校通えて、自由に進路まで決めれるんだ。どうしてあんたは、行く先も夢も勝手に決められてて、何も自由に決められないんだよ」

 嵐……

 嵐には夢というものがあった。それは祖父も賛成、凄く喜んだ。そして、かつて自分にも夢があった。しかしそれは、家の跡継ぎのため反対された。おじいちゃんのために、そう思って夢は諦めた。嵐はその会話を聞いてしまったが故、ちゃんと知っていた。

 勇兄さん、

 末っ子、聡の呼ぶ声。

 はーい、

 勇はそっと嵐から離れ、聡の所へ向かった。階段登った奥、聡の部屋、襖を開けて微笑み呼びかける。

「聡、どうしたんだ?」

 ちょっと、

「小声で話そうよ……」

 珍しくカーテンを開けた光が差し込む逆光、窓際に立つ聡の、何か意を決したような表情。すぐに勇は悟った、我ら五人の、誰にも知られてはいけない秘密のことだと……――――――

 とある美術館、警備員の足音、暗い廊下にぽつんと照らされたひとつの懐中電灯では、周りを確認するのに少し物足りない。ある部屋を照らすと、影が伸びた。

「おい、もう閉館時間過ぎてるぞ、誰だ?」

 警備員の問いに、影は、

 FIVE THIEFS……

 そうぼそっと一言。

 は……?

 はっきり言って知らない、分からない。手を伸ばし影に掴もうとしたその時、それはさっと横に避け、脚を思い切りあげると、首に一発。

 うっ!

 首を抑え蹲った警備員は、懐中電灯を影に照らした。背は低い、百四十センチくらいだろうか?体格はまだ子どもだ。八歳?九歳?十歳?影は蹲った警備員の横を駆け抜ける。警備員の止める怒鳴り声が、美術館中に響いただろう。影は堂々と手に宝石を持ち、表の入口から走って出た。月明かりに照らされ見える姿、だぼっとした、少し両肩があいたへそ出しの黒のシャツに黒のストレッチ性のあるジーンズに、黒のエンジニアブーツ。そして白のベルトに、顔を覆う白の仮面。美術館から少し離れたところで、白の仮面は外された。

 赤い左目、聡だ。

 胸を抑え息苦しそうに呼吸を必死で整えるが、やがて膝から崩れ落ちそうになる……と、それを支えた人物がいた。同じ黒、右肩はタンクトップ、左肩は大胆にあいてる。その人物もまた白い仮面で顔を覆っていた。

「ご、ごめん。ありがとう、嵐兄さん……」

 正しくその人物の本名。道端で大胆に本名を呼ぶその聡の声に向かって、

 ダメだよ、

 そう歩み寄る人物。同じく黒の、タートルネックのタンクトップ。我が長男だ。

「ダメだよ、Garnet(ガーネット)。外でこの姿では、なんて呼ぶんだっけ?」 

 Garnet……聡のコードネームみたいなものだ。

 あっ、

「ありがとう、Knight(ナイト)……」

 嵐……Knightが頷く。

「それからね、Garnet、仮面は安全な場所までは外しちゃダメ。こんな近くで、顔見られちゃう」

 しまった……

 とりあえずここを離れよう、とKnightはGarnetを抱え隣りの木に飛び移る。そして屋根へ、ここ辺りは家が多い。身軽に屋根から屋根へ次々飛び移って行く。やがてGarnetは、がくっとKnightの腕の中で意識を失ってしまった。

 歌が聞こえる。小さかった音がだんだん大きく、これは聡が小さい頃、勇と手をつないでよく歌っていた、靴が鳴るという童謡。聡はこの歌が大好きだ。そして、よく手をつないでくれる、よく保育園まで送り迎えしてくれる、よく絵本を読み聞かせてくれてよく遊んでくれる、よく優しく微笑みかけてくれる、この我が長男も大好きだ。

 勇お兄ちゃん、

 ん、と優しい表情でこちらを向く勇。

「俺、夢が出来たんだよ!」

 と笑う聡。

「そっか!聡に夢か……俺、すごく嬉しいよ聡、じゃあこれはその夢への第一歩なんだな!」

 と、勇は聡が保育園で貰ってきた、可愛いイラストで囲まれた表彰状を見る。それに聡は嬉しそうに頷いた。

 勇兄さん……

 聡は力を振り絞って声を出した。なかなか声が出せない、何度も名を呼ぼうと口を動かすが、それがまるで空気の中で消えてしまうように。もう一度名を呼ぼうと口を開いたその時、汗で濡れた前髪をかき分けられるのが分かった。

 聡、

 落ち着く優しい声、聡はそっと目を開けた。自分の部屋の天井、そして横を見ると、ベッドの傍でしゃがみこちらに微笑みかける勇。

「具合はどうだ?まだ体調すぐれない?お前の呼ぶ声が聞こえたから、さっき嵐に買ってきてもらった飲み物を持ってきた」

 ああ、

 そういえば体がとてもだるい気がする。自分の額に手を当てると、濡れタオルが置かれていた。

「聡、それからこれ、体拭こう」

 と見せてきたのは、湯気が立つ蒸しタオル。聡は黙って頷いた。

 夢見てた。

「そっか、どんな夢?」

 小さい頃の夢、

 聡の表情は、小さい頃の夢とは違って、笑ってない暗い顔している。ある出来事から、聡はまったく笑わなくなってしまった。面白い、楽しい、とは感じても笑顔を作ることが難しい。

 そっか、

「じゃあ、懐かしい夢を見たんだな」

 微笑んでる、しかし表情が少し曇ってる。聡は慌てて口角を上げようとするが、まるで石みたいに固まってるかのように動かなかった。

 ごめん勇兄さん。

 心の中で謝罪。

 決して勇兄さんが嫌いなわけじゃない。

 自分でもどうしてこうなってしまったのか、分からない。こんなことにさえならなければ。恨むなら神にだろうか、この運命なのだろうか。

「さあ聡、終わったぞ。高熱なんだ、ゆっくり寝てな」

 うん、

 服を着させ、ゆっくりベッドに寝るのを勇は手伝う。布団もかけてやって、おやすみ、と声をかけると、部屋を真っ暗にして後にした。一が前から歩いてくる。そして、おやすみー、とお互い声をかけながら。一はポケットが少し重くなるのを感じた。勇がすれ違いざまのほんの一瞬、一のポケットに、聡が盗ってきた宝石を入れたのだ。凄い、と驚く顔が出そうなのを抑えて、一は自分の部屋に入って行った。

 みんな、巻き込んでごめんな。

 勇の心の謝罪。

「俺はどうなってもいい、その覚悟でやっている、でも弟は、弟たちは……」

 希望も未来もあるのだろうか……

 できれば一人で抱えたかったこの活動、しかし弟四人は、自らやると乗り出してきた。罪悪感で溢れそうだ。

 勇兄、

 勇が一階の居間、窓際で考え込んでいる所に嵐が寄ってくる。

「聡の様子は大丈夫そうだったか?」

 ああ、

「少し体調優れなさそうだったけどね……」

 そうだ、

「嵐、飲み物ありがとうな」

「ああ、別にいいぜ」

 嵐は時計を見る、夜中の三時。自分たち子どもが普通起きている時間ではない。しかし、それはもう慣れてしまった。あまり寝なくてもいい身体になってしまっているのだろうか。

 嵐、

 不意に勇に背中から抱きしめられる。

「お前はお母さんに似たな」

 え、

 嵐も少しなら、父と母のことを覚えてる。当時五歳だった、しかしはっきり覚えているわけではない。勇がよく覚えているだろう、嵐にとっては、勇が一番母に似ている気がするが。

「さあ嵐、もう寝な。学校あるんだろ?それなのに、こんな時間まで起きててくれて、ごめんな……」

 謝る勇、すぐ振り返る嵐。

「ほら、すぐそう謝る。大丈夫だぜ勇兄、こういうのはもう慣れた。それに、高熱の弟を放っとくわけにいかねぇしな!」

 おやすみ、

 そう手を上げながら行ってしまう嵐。

「そういうところだよ、嵐……」

 どこか切ない微笑。勇はぎゅっと服を掴み、胸を抑えた。

 苦しい。

 胸の奥、何かが無理矢理、心というものを手で力強く掴んでるかのように。

 ねぇ神様、

「俺たちはどうなってしまうんだろう……?」


 同刻、とある暗闇の中の教会にて。

「ねぇ葉月(はづき)、葉月はお兄ちゃん欲しい?」

 戸惑う葉月。

「ほ、欲しい」

 うかつにノーとは言えない。下手すれば、この人にまた手をあげられることになる。葉月の体は既にアザだらけだ。タンクトップの膝丈の白いワンピースでは、傷もアザも目立ってしまう。

 葉月が恐れるその人は十歳くらい、男子。

「よ、葉句(ようく)さん、何故急にそのようなことを……?」

 十歳の葉句に対して葉月は八歳、下手にタメ口というものを使えばすぐ手か足が飛んでくる。

 んー?

 葉句は楽しそうに、ある写真を見つめている。

「俺もお兄ちゃん欲しいから」

 また一人の犠牲者が出るのか…?

 葉月は恐怖で、心臓が張り裂けそうなくらい音を鳴らしていた。

 次は、

「あんたが行くんだよ、葉月」

 ……え、

「だからさ、ちょっと痛いけど……」

 と出してきたのは、そこら辺から拾ってきたのであろうバット。葉月は叫びにならない悲鳴を上げた。いや、正しくは葉月が声を出す前に、バットは勢いよく振り下ろされた。

「待っててね、嵐お兄ちゃん……」

 怪しく笑う葉句のその表情は、月明かりだけでは見えず、ただ置かれた写真のみうっすら照らされている。カメラに気付いている様子はない、嵐の姿がそこに写しだされていた……――――――

「急げよ極、一、お先ー」

 今日も部活に呼ばれていた嵐は、朝六時半になる十五分前に家を出ることになる。極と一も部活がないわけではない、嵐と同じ中学に通う二人は、行く先一緒だ。先に行ってしまった、と言いたげな表情で極は靴を履き始める。

「極〜、嵐兄ちゃん行っちゃったよ〜」

 一。

 分かってる、

「正直できなさそうに見えて嵐お兄様は、僕らの通う中学では成績優秀スポーツ万能それに加え生徒会長もしてる、嵐お兄様の顔に泥を塗るわけにはいかないんだ。だからこそ、僕だってしっかり……」

 と、極が玄関ドアに手をかけようとしたその時、扉が嵐の足で勢いよく蹴り開けられた。

「女の子!一名様入ります!」

 いらっしゃいませー!

 驚き声を上げる極と反対に、一は両腕を上げてノリよく声を上げる。

 嵐のとてつもなく大きな声で、勇の耳にとても響いただろう、耳を塞ぎながら台所から何事かと駆けつける。勇の目に真っ先に飛び込んできたのは、腕はアザと傷だらけの、頭から少しだが血を流す、聡より少し幼そうな少女。嵐の腕に横抱きに抱えられている。すぐにただ事ではないと察した勇は、口を開いた。

「息は?」

 してる、

「極、救急車呼んで。一、タオルと救急箱持ってきて。嵐、その子こっちに運んで」

 玄関により近く、そして窓際に。救急車が来た時に、できるだけ担架が運びやすい位置を選んで、ソファに寝かせた。痛そうに少女は呻き声を上げる。

「聞こえる?俺の声聞こえるかな?」

 目を開ける少女。

「よし、意識はあるみたい。この指何本に見える?」

 一本?

「うん、腕は動かせる?この指握れるかな?」

 ゆっくり少女の腕は動いたが、握る力がない。

「今、救急車呼んでるからね。大丈夫だよ」

 お兄ちゃん……

 かすかに少女の口が開いた。この子には兄がいる?連絡したいところではあるが、少女は明らかに何も持っていない。すると極が、受話器を持ったまま走ってくる。

「十分かかるそうです、女の子の様子は?」

「意識はかすかにある、物が二重や三重に見えていることもない、腕は何とか動かせるみたいだけど、握る力がほとんどない」

 それを聞き極は、受話器を再び耳に当てる。先程言った様子を伝えているのだろう。一がすぐ持ってきたタオルで、少女の額のすぐ上の傷口を探し、そこに当てる。

「嵐、この子はどこに倒れてたんだ?」

「それが不思議なことに、家の前だぜ」

 家の前?

 嵐は頷く。

「君、大丈夫?今日は何日か言える?」

 何日……?

「名前は?」

 名前は……

「名前……?」

 何かがおかしい。

「どうしたの?」

 勇が問う。女の子はすぐに、

 分からない……

 と声を震わせ返した。

「おい勇兄、これまずいんじゃねぇか?」

 うん、

「嵐、このタオル抑えてこの子見てて、ちょっと外へ様子見てくるから」

 分かった、

 嵐が頷くと、勇は立ち上がる。すると、慌てたように女の子が腕を伸ばしてきた。勇の服を掴もうとしたのだろう、しかし力が入らず、こつんっと当たった。

「……どうしたの?」

 優しく問いかける勇。女の子は目をうるわせて言う。

「お願い、行かないで……パパ……」

 勇はほんの一瞬目を見開くが、すぐに微笑み、返す。

「分かった、ここにいよう」

「あ、えっと、じゃあ俺が見てくる」

 すぐに玄関に向かう嵐。勇は嵐の背中に、ごめん、と一言。女の子はじーっと勇を見つめている。それに気付き勇は、微笑み返した。

 時刻は一時間経った七時半、小出家の固定電話が鳴り響く。なんせこの家は広い、寝ている聡が電話に気づいたのは数秒経ってから。慌てて駆け下りて、受話器を取った。

「はい、もしもし?」

 聡?

 勇だ。

「悪いな、でもお前学校だろ?熱は下がってたから、行けるよな?俺今、この通り家にいないからさ。悪いんだけど、朝ごはんは作ってあるから、それ食べて自分で行ってくれる?家出る時、台所の火を確認して、鍵閉めて出ろよ?」

 いいけど、

「勇兄さん、今どこにいるの?」

 病院、

「えっ、勇兄さん、どこか悪いの?」

「そういうわけじゃないんだけど、ちょっと話すと長くなるから、帰って話すよ」

 分かった、

「じゃあ、気をつけて行ってらっしゃい」

 勇は自身の携帯をポケットにしまう。そして病院内へ入っていった。CTは異常なし、診察結果は脳震盪、切り傷は浅いのでしばらくすれば記憶も戻ると言われ、今日は帰ってもいいと言われた。

 でも、問題は……

「おまたせ、戻ったよ」

 パパ!

 嬉しそうに笑う女の子。頭には包帯がぐるぐるに巻かれている。

 そう、この子は何故我が家の前で倒れていたのか、何か説明しようのない胸騒ぎがするが、それよりこの子を家に置いておくとして、どう呼んでいいのか……

 勇がベッドのそばに寄る、女の子は抱きついた。勇は微笑みそっと包んでやる。

「お医者さん、帰って大丈夫だって。一緒に帰ろうか」

 うん!

 受付で会計を済ませる。保険証は、忘れてきたと適当に誤魔化して。手を繋いで病院から出ると、入口近くに停まってあったタクシーに乗り込み、行き先を家の近くの場所にして伝えた。

 小学校で授業が始まっていた聡は、朝、勇が病院にいるという電話の件から、気持ちはそれどころではない。今すぐ帰って状況を聞きたいくらいだ。勇がどこか悪いわけではないってことは、嵐か、極か、一か?考えれば考えるほど、徐々に胸は苦しくなって……

 ぅうっ……

「聡、大丈夫か?」

 男性教員が問う。

 大丈夫か?

 またかよ聡、

 など、周りのクラスメイトから次々声が飛んでくる。

「無理、保健室……」

 聡の苦しそうな声で、結果、保健室に運ばれることになった。また祖父が迎えに来るのだろうか?このまま良くなるまで寝て、できれば教室に戻りたいのだが。ベッドで考えていると、カーテンが開かれ、保健室の女性教員が顔を覗かせた。

「あなた朝まで熱出てたんですってね、今日は帰りなさい、()()()()が来てくれるから」

 ……なんて?

 頼むから聞き間違いであってくれ、()()()()が来たら、絶対……しかし数分経って聡を迎えに来たのは、しっかり我が長男。

 聡、

 そう心配そうに顔を覗き込む勇。

「ごめん、無理させるべきじゃなかったな……」

「いいよ、熱出てだるいとかじゃなかったから……」

 ほら、すごく心配してくる……ここまで心配されるのはなんだか申し訳なくなる。勇に手を差し伸べられ、帰ろう、と微笑み一言。これは、嬉しいかも、しれない。しかし、やはり聡の口角は上がることはなかった。

「あのさ、驚かないで欲しいんだけどさ……」

 家入る前に言われた言葉、聡はまた不安が増す。なんだ、誰か事故したか?

 ただいま、

 玄関ドアを開けると、勇に、おかえり、と元気よく飛びついてきた一人の女の子。

「ただいま!そんなに走ると、頭に響くぞ」

 そう笑う勇。

 ……誰だ、

「聡、この子知ってるか?聡より二つ三つ年下だと思うんだけど……」

 そう聞かれるが、首を横に振ることしかできない。

 そっか、

 残念そうに俯く勇。さらには勇を、パパ早く、と家の中へ腕を引っ張る女の子、聡が驚かないわけがなく、それを聞き最初に出た言葉は、

「勇兄さん、いつ産んだ?」

 だった。

「違う違う、ちゃんと説明するから!」

 朝、嵐が家の前で倒れてるこの子を助けたこと、そして救急車を呼んでる間に名前を聞いたら、自分の名前が言えなかったこと、そして何故か勇を父として呼んでいること、病院で検査を受けたが、今のところ異常なかったこと、聡は説明を受けた。朝かなり大騒ぎしていたのか、と驚く。自分の眠りがかなり深いんだと思うと、恐ろしく感じた。

 女の子は勇の膝でうとうとしている。

 さて、

「この子をなんて呼べばいいか……」

 とか考えていると嵐が、女の子が心配で帰ってきた、って帰宅するし、それに付いて極と一も、兄に付いて来た、と帰宅。やれやれ、と勇はふっと笑った。嵐は女の子の前に屈む。女の子は少しびくっとした、が、嵐が、

「よう娘、調子はどうだ?」

 と前髪を分けてやると、安心したように女の子は、またふーっと寝てしまう。

「大丈夫みたいだな」

 嵐。

 ああ、

「脳震盪だって、薬も貰ってきた。また様子がおかしかったり頭が痛むようだったら来てくれって」

 なるほど、

 嵐は立ち上がる。ソファに聡の隣に座ると、問うた。

「聡はやっぱり熱下がらなかったのか?」

 あ、いや……

「今朝は下がってたから行かせたんだけど、やっぱり具合悪いみたいで、迎えに来て欲しいって電話が……」

 口ごもる聡の代わりに勇が説明する。嵐は、ふーん、と適当に返した。

「それよりさ、この子、なんて呼べばいいのかな?」

 勇の問いに、嵐がさっと前のめりになる。

「勝手に呼べばいいんじゃね?」

 と目の前の机から、適当に紙とペンを取ると、手で抑えながらさらさらと書き出す。そしてペンを戻すと、勇に、ほれと見せた。

『零那』

 えっと、

「れいな?って読むのか?」

 勇の問いに、嵐は違う違う、と、

「れなだよ、れな……」

 と返す。

 零那……

 勇が呟く。それに対し嵐は、

「那は、美しいって意味があるんだぜ。美しさが零にならないように、無くならないように……」

 恐らく零那のアザのことを見て言っているのだろう。嵐は立ち上がり、再び女の子の前に屈む。女の子は目を開けるが、先程のようにびくっと怯える様子はない。嵐はそっと女の子に触れながら、

「この子から、もう何も無くならないように、零にはならないように……」

 そう呟く。

 ああ、

 勇は納得そうに頷いた。

「どうだ、零那だって」

 勇の問いにじーっと紙を見つめる零那。やがて、嬉しそうにうんと頷いた。

「気に入ったみたい」

 勇も嬉しそうだ。

 同刻、とある警察署では、あるグループの件で忙しく動いていた。

 FIVE THIEFS

 今この地域を騒がせているグループだ。密かに女性からも人気があるようで、そのグループに盗み出された宝石店や美術館などに、たくさん集まるようになったらしい。奴らは本当にただの盗賊だ、予告状を出すようなシャレた連中ではない、つまり、逮捕するには、次どこに現れるかを予想して行かなければならないのだ。

「次、ねぇ……」

 頭を悩ませる、持田(もちだ)誠一(せいいち)警部。そこへ一人の部下が通った。持田の手にある資料を見たのだろう、資料へ顔を覗かせるように持田の背後に立つ。

「宝石ばかりなんですか?奴らの狙ってるものは」

 そうみたいだな、

 資料に目を向けたままそう持田。

「そう言えば、知ってます?この地域にある、あの有名な会社のお宅。かなりのお金持ちらしいですね、なんでも、近々十八歳の子を働かせる予定だとか」

 ああ、

「今は捜査打ち切りになってしまったが、社長とその妻が行方不明になったあの会社か?」

 そうです、

 続ける部下。

「あのお宅、何か宝石とかありそうじゃないですか?どんな奴らか知らないですけど、狙いに行くのでは」

 ふむ、

 この部下の言うことは大抵当てにならない。が、今回は信じて行ってみよう、と車走らせその一家へ向かう。毎度、奴らの現れる予想を外してしまう。初めて奴らを見た警備員や警官は、口を揃えてこう言う、

 到底かなう相手ではない。

 と……。特に、そのうちの一人は、かなり人間離れしているという話だ。まだ奴らの姿を見たことがない持田は、今回は姿を拝めるように……。

 インターホン鳴らす。しばらくして出てきたのは、背の高いスタイルのいい男、勇だ。

「はい、(うち)に何か?」

 ……驚いた。優しそうな顔の持ち主、あの社長の息子とは思えない。勇の顔は二枚目だが女顔に近い、妻の、母親に似たのか。

「すみません、こういう者ですが」

 と、警察手帳を見せる持田。きょとんとしながら勇は指を唇に当て首を傾げ、

 もちだ、せいいち、さん?

 と名前を読み上げる。

「小出さん、ですね。突然で申し訳ございませんが、何か宝石を持ってませんか?」

 宝石?

 またもや首を傾げる勇。

 やがて廊下を歩きながら、二人は会話を進めた。

「うちにはご覧の通り、宝石も骨董品も何もないんですよ。まあ、あるとしたら……」

 廊下を歩いた先、ひとつの部屋の引き戸を開ける。奥に進み、隅にあったひとつの箱を持ってくると、そっと箱を開けた。ひとつの壺、勇が両手で抱えるほどの大きさだ。

「宝石ではないですけど……」

 なるほど、

 宝石ではないことに肩を落とす持田。勇は、顔を上げて問うた。

「その、なんだっけ?ファイブ、なんとかが狙ってるのは、宝石だけなんですか?」

「そうみたいなんです。ここじゃないとすると……」

 次は一体どこだ、

 また頭を悩ませることになるのか。印を付けた地図を開き頭を搔く。

 あれ、

 不意に覗き込んだ勇が、首を傾げた。

「へぇ、オシャレな人なんですね、その、ファイブなんとかって人」

 どういう意味で?

 問う持田。

 だって、

 勇は地図のある場所へ指を指す。

「一件目が隣町のここでしょ?で、二件目はその隣のこの町、三件目はそのまた隣のこの町……」

 勇の指を辿る。印を付けてあるのに気づかなかった、というのも、あまりにも印が離れすぎてて。その印は、まるで、この町を避けるように、周りを円で囲むように……。

「俺の予想が正しければ、次は、この町だよ。持田警部」

 自信ありげに笑う勇。持田はじっと勇を見つめた。

 この子は一体……

 夜、勇が指した町の、至る宝石店に警官を配置する。彼らの狙う宝石は、あまり価値の無いものや高価なものまで様々だ。今回、持田は、あまり価値のない宝石が置かれている店に付いた。にしてはやけに広い店だ。周りを見渡す、そのついでのように、真後ろの宝石にも見渡し……宝石が、ない。

「何故だ、いつの間に……」

 そう呟いた次の瞬間。

「珍しくお巡りさんがいたから、慎重になっちゃった」

 女の透き通ったような、とても可愛らしい声。はっと声のするほうを探す。

「見かけない顔だね、特に、そこの刑事さんは」

 上を向く。ほぼ真上、大人一人が入れそうな隙間の格子の上に、5人の影。急いで懐中電灯を持って照らす。真ん中に背の高い人物が右手に宝石を持ち、格子に座って見下ろしていた。あとの左右にいた、背丈ばらばらの四人は立っている。

「俺は持田、警部だ。お前らがFIVE THIEFSだな」

 そうだよ、

「よろしくね、持田警部。僕は……」

 名前、まだ無いんだった、

「持田警部、またね。今度また会えるといいね」

 それを合図にしたかのように、四人は立ち去ってしまう。ついて、可愛らしい声の持ち主も、立ち去ろうとしたその時、待て、と呼び止めた。

 Dolce(ドルチェ)

 ふっと止まるDolceと呼ばれたその人物。振り返り、問うた。

「それは、僕のこと?」

 そうだ、

「お前の名は、Dolceだ」

 Dolce……

 そう格子の上を歩き出すDolce。

「イタリア語で、柔らかいなど意味を持つ音楽用語……」

 さっと身軽に床へ降り立つと、Dolceは持田の両手を取り握った。

「それは、誰が付けてくれたのかな?」

 俺だが……

 持田の戸惑いを隠せないような声。それに対しDolceは、声のトーンを上げて喜ぶ。

「嬉しいよ、持田警部、ありがとう!Dolce……すごく気に入ったよ!」

 また会えるといいね、

 そう素早く去ってしまうDolce。

 不思議なやつだ……

 取り逃してしまった。あんなに近くに来たのに。今でも思い出す、Dolceの、仮面の下で本当に嬉しそうな目をしたのを。あの声といい、仕草といい、Dolceは女のようだ。いや、女か?特にDolceは謎に包まれている、顔が隠れていれば首も隠れているのだ。背は高いが声は明らかに可愛らしい女の声、他の警官や警備員がうっとりするくらいに。

 一人遅れてDolceは建物から出た。珍しく、堂々と表の出入口から。歩きながら宝石を月に照らす。腕を下ろすと、口元に手を当てて、うふふ、と笑った。

 Dolce、か……

 とても嬉しい。なんせ、あの真冬(まふゆ)さんでさえ、お前は難しいとその場で名付けてくれなかったのだから。Dolceという名前は自分に合ってるのではないか、と思う。この、盗賊、THIEFS活動をしている時の自分にぴったりだ。と、Dolceの目の前に警官何人か立ち塞がる。後ろも、横も、警官。囲まれたのだ。

 ねぇ聞いて!

「僕、Dolceっていうの!持田警部が名付けてくれたんだよ!」

 あっけらかん。囲まれているのにこのセリフ、まるで右も左も分からない子どものようだ。

「よく知ってるさ、お前の名前は嫌というほど聞いた」

 一人の警官が吐き捨てた。

 そう?

 えへへ、と両手で頬を包むDolce。宝石は……持ってない?

「上だよ」

 誰もが上を見る。宝石が高く宙に舞っていた。と、視線の先にDolceも現れる。高く飛び上がっていた。人間がその場から飛び上がれる高さではない。恐ろしい、人間ではない、こいつは……

 かなうわけがない、

 一人の警官が呟いた。そう、脚力も、体力も、何もかもが人間離れしている。とくにDolceは。さっとある警官の後ろに降り立った。離れた所である警官が銃を持ち構えている。それは、やがて発砲された。

 ダメだよ、

 そう真後ろの警官に、背中から抱きつき右に少し避ける。弾が髪の毛を掠った。まさにギリギリ。自分に弾が当たっていた、と思うと、がくがくと震える。

「ダメだよ、やたら無闇に放っちゃ」

 すまない……

 思わず、銃を持った警官がそう一言。

「動いてるものを狙うのは確かに難しいよ、でも、どれもいずれタイミングが来るはずだ」

 じゃあね、

 Dolceの言葉。その場にいた全員が、驚いたように、追いかけもせず、去るのを見送った。

 銃弾を、かわした……――――――


 鼻歌が聞こえる。童謡の靴が鳴る、だ。まるで旅館にある温泉のような、広い浴場で、広い湯船に浸かり、腕に軽く手で掛け湯して。と、突然はっと、入口の方を見る。

 全身黒の布で覆われた服を着ている、三人の人物、大きな音を立てながら、がらっと浴場のドアを開けた。奥に進み、ナイフを湯につけ掻き回す。いない。と、上から裸のままの勇が降り立つ。さっと足を上げて首元に一発、蹲っているのをよそに他の黒い男には、飛び上がって両太ももで頭を挟むと、そのまま倒れ込むように、床に手を付き、回る勢いで持ち上げ、他の男を巻き込んで冷たい床に叩きつける。ふう、と一息つくと、さっと後ろを向いてむすっと表情を歪めた。

「少しは休ませてください、真冬さん」

 真冬は、拍手するようにゆっくりなリズムで手を叩きながら、浴場の扉の向こうから現れる。直後、三人の男はさっと立ち去った。

「見事。やっぱりお前はエリートだ、勇」

 ありがとうございます、

 真顔の勇。

「でも、今日のお前は浮かれすぎたんじゃないか?あんな警官に何人も囲まれるなんて」

「す、すみません……」

 確かに浮かれていた。素敵な名前を付けてもらった、と、そればかり考えて。

「名前、素敵なのを付けてもらったのがあまりにも嬉しくて……」

 気をつけます、

 そう真剣な表情をする勇に、真冬は、

「あーはいはい、悪かったよ。俺が、お前のことはよく分からないから今度だってコードネームつけるのを後回しにしたから」

 今日は何か?

「定期テストにしては、早すぎるでしょ?」

 問う勇に、真冬は、流石だな、と一言。そして、

「嵐のことでな」

 と口を開いた。

 嵐……?

 不安が隠せない。その表情を見て、真冬は続けた。

「あんたの次男の出来がどうこうとか説教じゃねぇから安心しな……いや、安心出来ねぇかもな」

 どういうことですか?

「気をつけろ、嵐を狙ってるやつがいる。相手を見て油断するな、聡だけにはよく聞かせとけ」

 狙ってる人物?

「そうだ。んで、お前を父として呼んでる……」

 真冬さん。

 突然止める勇。俯き悲しげに瞳を揺らすその表情に、真冬は全てを察して、両手を上げた。

「まあお前だからな、今回は好きにしろ」

 ありがとうございます。

 ぎゅっと目を瞑る。真冬は、じゃあ、と去ろうと後ろを向くと、がっと体が止まった。勇が後ろから抱きついたのだ。

「濡れる、バカ」

 もう乾いてるよ、

 対しそう勇。はあ、とため息吐く(つく)と、真冬は振り向かずそのまま口を開く。

「まだ何かあるのかよ」

 ねぇ、

「俺たち、どうなっちゃうの?」

 それを聞き、悲しげに顔を歪ませる真冬。この子はまだ十八歳だ、この先人生を考えて不安になるのは当然だろう。

「俺は……俺は、お父さんとお母さんを助け出したら、罪を償うつもりだ。でも嵐は、あの子は……」

 夢があるんだよ……

 掠れそうな悲しい声。真冬の罪悪感。目を瞑り、過去のことを思い出す。

 それはちょうど二ヶ月前、十二月のクリスマス。小出家の固定電話が鳴り響く。この家で固定電話が鳴ることは珍しくない。電話の要件は様々だ。携帯をあまり持ち歩かない祖父宛にかかってくることもあれば、イタズラ電話だって。よくイタズラ電話に当たる弟たちは、普段嫌がって出ようとしない。勇は、何のためらいもなく、ひょいっと電話に出た。

「はい、もしもし」

 メリークリスマス。

 機会で変えたような、耳障りな声。

「どちら様ですか?」

 勇に緊張が走る。表情を読み取って、弟たち四人にも緊張が走った。

「勇くん、クリスマスプレゼントだ。お父さんとお母さんの声を聞かせてやろう」

 ……え、

 その時、電話の向こうから悲痛な声が聞こえる。二人だけではない、何人もの声。その声に混じって、勇、と悲鳴混じりに、正しく母の声が聞こえてきた。

「……お母さん?」

 青ざめた表情。次に、勇か、と、父の声も聞こえてきた。目に浮かぶ涙、生きてた、お父さんとお母さんは生きてたんだ、と。

 喜んでくれたかな?

「うるさい!」

 今まで聞いたことの無い、長男の怒鳴り声。電話が聞こえない四人は、何事かと勇に近寄る。嵐は、勇にくっつくように、電話の受話器に耳を近づけた。

「そう怒らないでくれ、勇くん。お父さんとお母さんを助けたいだろ?……十億だ」

 何?

「十億だ。だが、君らの家庭は十億なんて大したものじゃないだろう?だから……十億分の宝石を用意するんだ。ただ用意するんじゃない、君たちの周りは宝石があるところが多いじゃないか。……盗んでこい、期限は五年後のクリスマスまで待ってやる。どうだ、面白いだろう?」

 ふざけるなぁっ!

 またもや勇の怒りを顕にした怒鳴り声。極は、勇を見つめていた視線を、嵐の手にやった。握りこぶしを作って、その力で震えている。

「言うこと聞けないか?今、お父さんとお母さんがどうなっているか見えないだろう?後日ビデオレターに変えて送るよ。では、また」

 つーつー、と、虚しく電話の切れた音が耳に鳴り響いた。怯えているような勇の目を、嵐だけではなく、極も、一も、聡も見ていた。そっと受話器を置く勇。ぺたっと床に座り込んでしまった。何もできない、何も声かけてやれない。その場の全員が俯いていた。その時。

「俺に賭けてみないか?」

 男の声。声のする方は、勇が気づいたろう。しかし振り返った先は、ナイフを手で高々と上に上げている、黒い服に白い仮面の男。そのナイフはさっと下ろされる、が、勇は身軽に避けた。次に男は右へ向かうように、ナイフを振りかざす。そこには、嵐がいる。勇はがっと足でさすまたを蹴り手に持つと、勢いよくその男を押し退けた。

 勇兄ちゃん!

 一の慌てたような声。振り返ると、もう一人、男がそこに襲いかかろうとしている。極の後ろに一と聡。聡は怯えて、過呼吸になっていた。

 弟に!

「手を出すな!」

 さすまたを左上へ、そして斜めへ叩き落とす。次、気配を察知。すぐに横を向き、回すようにさすまたを上げてまた落とす。

 驚いたぜ。

 また男の声。はっと反対の襖を見やる。いつ間にか襖に寄りかかって立っている男が一人。背は勇より高い、百九十六センチといったところか。

「あんたは?」

 怒りを顕にした表情で、でも落ち着いた声で問う勇。

「俺は氷室(ひむろ)真冬、別名、コードネームSnow(スノー)だ」

 睨みつける勇。それを気にもせず、真冬は続けた。

「俺の部下を一撃するなんて、あんたかなり適切なやつと見た」

 どういう意味?

「そのままの意味だ。まあ」

 そう、さっと上に飛び上がる。はっと勇が上を向いた時にはそこにはおらず、真後ろに立たれた。さっと振り返る勇、がっと押し倒す真冬。両手を抑えられ、その力はかなり強く、抵抗しても動かなかった。

「俺にはまだかなわねぇみたいだがな」

 そう放つ真冬に、不安げな表情で見つめる勇。

「電話、来てただろ。相手はなんつった?」

 問う真冬に、勇ははっと目を見開いた。

「お父さんと……お母さんを……助けたければ、十億円分の宝石を盗んでこいって……」

 目を見開き驚いているのは極と一、そして聡。

「それは、他の奴らにも今日似た電話がきていると、俺の仲間から連絡が入った。その人数は五人、つまり五グループだ」

 そう真冬。

「今日午前零時クリスマス、まず最初に連絡が入ったのは、俺らのリーダーが八年前から預かっている、とある家の十歳一人息子の家。内容はお前らとほぼ一緒だ。連れ去られているのは一人だけじゃないことを、電話口で気づいたリーダーが俺たちのボスに報告、ボスはお前らを助けてやりたいと言った。だから、八年前親が行方不明になってる家を急いで調べてここに来た。そしてリーダーの判断はこうだ、下手に警察に連絡すれば、確実にあんたらの親は殺される、拷問されてる手をできるだけ弱めるために犯人の指示に従いながらあんたたちの親を探す。もちろん、五年後のクリスマスまでに、それぞれ十億分の宝石を用意する目標で……判断はお前らに任せる。お前はどうするんだ、犯人の指示通り動くのか、動かないのか」

 俺は……

 黙り込んでしまう勇。その姿に、真冬は勇の両腕を離して、自身の両手を上げて口を開く。

「まあ、お前はまだ、動画が送られていないんだ。ゆっくり考えろ、連絡先は教えてやるから」

 黙ったままの勇。

 後日、犯人から送られてきた動画を見たらしい勇から携帯に電話がかかってくる。涙声。携帯の向こうから、テレビか何かで再生しているのであろう、犯人からの動画を流す音が聞こえてくる。悲痛な、まるで地獄にいるかのような絶叫。胸が痛い。泣きながら勇は、教えて、とただ一言、真冬に申し出た。

「やるんだな、覚悟はあるか」

「あるよ……!俺は、俺は絶対に、お父さんとお母さんを連れ去った、こんな酷いことをしているあいつを、絶対に許さない……!」

 泣きながらも、まるで恨みの籠ったような、そして怒りに満ちた声。

「分かった……」

 目を瞑る真冬。勇の後ろで動画が流れ続ける。犯人の左手に持たれた棒と、その向こうで許しを乞う父と母。

 絶対に助けてあげるから……!

 勇が見せた涙は、この時が最後。この時以降、勇が泣き顔を見せたことは無い。

 たった二ヶ月前。他の四人は成長が遅い、未だに教えることがたくさんある、が、勇の成長のスピードは、真冬も驚かされる。それは一週間、たったその期間で、あの真冬を完璧だ、と言わせた。

 勇、

 真冬はそう振り返り、勇の両肩に手を置く。

「いいか、この先未来がないとは思うな」

 真冬さん……

「勇、お前の悪い癖だ、考えすぎるな」

 はい……!

 決意に満ちたような勇の返答。その時、パパ、と浴場の外、廊下から顔を覗かせる零那。少し怯えている。

 零那?

「こんな時間にどうしたの?」

 ようお嬢ちゃん、

 と真冬。

「君の未来はこれからだ、この先嫌なことたくさんあるかもしれない、でも、必ず楽しいことが待ってる。それは、嬉しいと思えるような、楽しいことだ」

 その意味を理解出来ず、首を傾げる零那とは反対に、微笑む勇。歩み寄りながらタオルを取り、体に当てて隠して、零那と視線合わせてかがみ問う。

「怖い夢でも見たのかな?」

 うん……

「じゃあ、一緒に寝よっか」

 嬉しそうに頷く零那。それを見て微笑む真冬。

 どうかこの二人に、未来が訪れますように。

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