プロローグ 魔女の悪夢/7月20日
見えている風景は夜中の森の中。雨が激しく降っている。
俺はその中で水溜を背にして倒れている。
身体は動かすことが出来ない。
目の前のこいつによって押さえつけられているのだ。
この目の前にいる青い装飾が施された巨大な魔法使いのような帽子の、白く長い髪をした魔女によって。
動けない理由は正確に言えばこの魔女が押さえつけてるだけではなく、俺の身体に傷を与えたからだろう。
貫き穴が開くほどの攻撃だったのか水溜りには血が混じり始めていた。
魔女の顔は頭を大きく覆う帽子によってその表情、顔は見えない。
その髪は髪は白く綺麗で。しかし俺を押さえつけたときについたのだろう泥によって髪先から半分ほどが汚れていた。
「なんで……」
魔女はそう言った。魔女がそう言った。雨でほとんど打ち消されて消えかけの声だった。
次の瞬間───水溜りが爆ぜた。瞬間的に熱を帯びて沸騰したのだ。
ゴボゴボと音を立てて煮えたぎる。
降っている雨は熱湯の雨に変わり身体を焼いてくる。
俺の口から血が溢れた。うめき声は出たが血に塞がれそれ以上に声を出すことは出来ない。
魔女の手が動く。その手で俺の首を締め上げた。
沸騰した水溜りも熱湯の雨もそれに変えた魔女自身には効いていないようだった。
あるいは……煮えた水に身体が触れようとも気に留めてないだけか。
首を締めて締めて締めて締めて
より強く締めて……鈍い音がして。俺の首は折れた。
やがて魔女の手が緩んだ。
俺は死んでいなかった。まだ死ぬまでに少しだけ猶予があった。
しかし今の俺には魔法はおろか身体を動かすことすら叶うことは無かった。
魔女が立ち上がった。死にゆく俺を見下ろしていた。
青い装飾の魔法帽子、そこから流れる白い髪。
……そしてダイヤの模様の浮かんだ綺麗な青い色の魔法の瞳。
「………」
魔女は何も言わなかった。そのダイヤの模様の魔法の瞳で死にゆく俺を見ているだけだった。
……やがて俺の身体の感触は消え意識は消えて、命も尽きた。
────
──
「………最近そんな夢を見続けているんだ」
「さっき教室で居眠りしてた時のカズ君の寝汗凄かったもんね。あはは!」
移動教室に必要な教科書と筆箱の道具を持ちながら
黒羽 一葉はクラスの女子と会話していた。
「でも君が教室で居眠りしてたのと夢の内容は全然関係ないよね
だめだよー?ちゃんと授業は起きて受けなくちゃね」
「それはそうだけど……はい」
クラスの女子こと蒼波 星愛はそう言い負かされた黒羽を見て、どこかいたずらっぽく笑った。
───
─────
「カズ君の見てる夢ってさ!もしかしたらなにかのメッセージじゃない?」
学校が終わり帰り道の途中彼女は黒羽に駆け寄り横に並んだあとそんなことを言い出した。
「なんだよ怪しい宗教にでもハマったのか?」
「ちが…!違うよカズ君!」
首を振って否定したあと彼女は続けた。
「夢というのは無意識の整理!つまりカズ君が同じ夢を続けて見るというのは何か大切なことがその夢に隠されている…!」
「ただの夢だろ?ファンタジーな感じだったし。喋ってた俺が言うのもなんだけど夢にメッセージとか意味とか絶対無いよ」
視界に少しだけ先にある赤色の信号がうつった。
(歩いてるうちに青に変わればいいな)
などと思いながら一葉は蒼波に質問した
「そういえば帰り道こっちだっけ?いつも別方向行ってる気がしたんだけど」
「んっ……今日はこっちの気分かなー」
「……ふーん」
蒼波が帰り道付いてきた理由こそいまいちわからなかったが
一葉的に正直な所悪い気はしてなかった。
何だか気恥ずかしくて、一葉は顔を逸らした。
一葉には女子の気持ちがわからぬ。しかし女子とのの距離感には人一倍敏感であった。
歩くスピードを遅らせ横並びだった蒼波を一歩分ほど少しだけ先に歩かせ距離を取った。
気持ち一歩分の距離がなければなんだか恥ずかしくて話せなくなってしまいそうだった。
さっきまで赤だった信号機に差し掛かる頃ちょうど信号が青に変わった。
「……夢は記憶の整理って言うでしょ?例えば前世の記憶とか」
黒羽の動揺に対して蒼波はどうしても黒羽が見た夢にしか興味無いようだったが。
「……なまじあったとして蒼波の好きな小説とかゲームとかみたいなことにはならないと思う。」
「えーそうかなぁ」
──その時
蒼波のポケットから何か落ちた
カチャリと音を立て落ちたそれはすぐにスマホだと気付いた
「ちょっ…」
呼び止めようとする声を出すより先に身体が動き一葉は急いでスマホを拾い上げた
蒼波本人は気付かなかったのかそのまま信号機を渡り始める
何故か強烈に嫌な予感がした
何か歪むような
何かがおかしいような
何か知らないものが世界として視えているような
「えーそうかなぁ」
「カズ君は夢が無いよね」
「夢はきっと異世界が──」
グシャリと鈍い音が聞こえた。
夢の中の魔女が首が折った音と同じ音。
蒼波の身体は車に潰されていた。
青の信号がチカチカひかり赤に変わった
何が起きたのかわからなかった
何が……何が……
────
──
「えーそうかなぁ」
蒼波がそう言うと蒼波のスマホがポケットから落ちた
「……は?」
信号は変わり既に青になっていた。
いやそれは絶対におかしかった。
変わったばかりの信号がもう青になっていることも
たった今車に轢かれた蒼波が普通に歩いていることも。
今、車に潰されていたはずで……
「─────!!」
落ちたスマホに目もくれず一葉は蒼波に向かって走り出した。
「カズ君は…きゃっ」
渡り途中だった蒼波の手を掴んですぐに歩道側へ引き戻す
ふらつき二人いっしょに歩道側へ転がり込む
「いたい……何なに急に……」
その瞬間猛スピードで車が横切って行きすぐに姿が見えなくなった。
明らかなスピード違反、信号無視の車だった。
「………何?今の車……」
一葉の上に乗った状態になっている蒼波がそうつぶやくと一葉の全身の力がようやく抜けた
「良かった……」
そう言って一葉は手を大にして倒れた。
良かった
……さっきのが何だったのかを考えるより先にただその感情だけが溢れていた
その次の瞬間蒼波が一葉に倒れかかってきた
そういえば思いっきり転んだからどこか怪我をしているのかもしれないと一葉は慌てた
「大丈夫か蒼波!?怪我とか……」
「ううん大丈夫よ……」
蒼波はさらに抱きついてきた。
「……ありがとう助けてくれて」
「いや良いんだけどさ……どいてくれると助かるんだけど」
「ご、ごめんなさい!」
顔を見つめて言ってくる蒼波になんだか照れくさくて顔を逸らすと蒼波はあわてて立ち上がった。
少しだけいい雰囲気ぶち壊したかなと一葉は思ったがすぐに先程のことを思い出す
(今のはなんだったんだ……?蒼波が轢かれたのに轢かれて無かった…?)
────
───
その後警察を呼びしばらく楽しく話をした
轢いてきた車のナンバープレートや車種などとかは蒼波がはっきりと覚えていたらしくそれを言っていったんの解散となった
黒羽と蒼波は
「思ったんだけどさ。ある程度歩いた今更言うのもどうかと思うんだけどさ。」
「うん」
「さっき警察に救急車呼んでもらっても良かったんじゃないかなって今更思うんだけど」
「それはもう過ぎたことだよ」
「おんぶキツイ……全然逆方向かよ蒼波の家……」
警察と話している時は「別に怪我とか全然大丈夫ですー」と言ってた蒼波だったが
警察が帰るととたんに足が痛いと言い出した。
持ってたスマホで家族か救急車に連絡すればと言ったが充電切れらしく足を挫いた蒼波に頼まれて背負ったまま家まで送ることになった。
しかし家が向かってた方向と逆方向で戻らなきゃいけなかった上で一人背負ったまま歩き続けるのは思ったよりはるかに重労働だった。
「一人運びながら歩くとか放課後柔道部がよくやってるやつだよ………」
「ごめんね……ありがとう運んでくれて」
普段は明るい系女子の蒼波 星愛も今日の出来事が堪えたのかどこか大人しくなっている気がした。
「どこ曲がるんだっけ?」
「あと交差点3個先」
「…うっ」
普段なら苦じゃない交差点の数に絶望感を覚えた。
「それにしてもよく咄嗟に私のこと助けられたよね。凄くない?」
「えっ?あぁ……そうだな……」
蒼波のその質問になんと答えたらいいか少しだけ悩んだ。
先ほどの現象は不可解だったし何より信じて貰えない気もしたが
いっそ喋った方が気が楽になると思い話すことにした。
「さっき助けられたのは未来が見えたから……って言ったら信じる?」
「えっ?みらい?」
「さっき蒼波が車に轢かれて死ぬ未来が見えた気がするんだ。でも気付いたら轢かれてなくて轢かれる寸前でさ
だから咄嗟に動けたというか」
蒼波は何も言わなかった。流石に信じて貰えなかったか。
「……まあそんな気がしたってだけだ。まあ信じなくても別に…」
「信じるよ」
蒼波はそう言った。
「だって未来見て助けてもらったんだからね」
背負ってて表情は見えないが雰囲気で蒼波が微笑んでいる気がした。
────
──────
「到着!」
蒼波 星愛は家の前につくと黒羽の背を跳び箱を飛び越えるように越えて着地した。
黒羽はそれを見て…
「蒼波……お前……」
「足……大丈夫なのかよ!!!?」
「うん全然。微塵も痛くない。」
蒼波は悪びれる素振りも無くケロリと笑顔になるとそう言った
「でも楽しかったでしょ?」
「楽しくないよ!一時間かけておんぶは!」
黒羽はキレた。
「じゃあカズ君私の家で休憩してく?」
蒼波は笑顔でそう言い放つと黒羽は動揺した。
「えっと……良いの?」
「全然良いよ?家に家族も居ないしさ。それにしても密着してたからなんか熱くなって来ちゃった。」
そう言うと制服の第一ボタンを外し出した。
黒羽は女子の家に誘われたのは初めてでどう答えればいいか言い淀んでいると
蒼波は顔を近づけニヤニヤと笑いながら口を開いて言った。
「なに動揺してんのよスケベ」
「………!」
からかわれてることを理解してより一層動揺し黒羽は何も言い返せなくなってしまった。
「なんてね」
蒼波はクスクスと笑っている。
「……怪我が無いなら良かったよ!俺は帰る」
「え?休憩は普通にしていけばいいのに」
「帰る!」
この少女は本当に男心が分からないらしい。
さっきまでニヤニヤとからかってたのにさらっと今度は今は普通に友達のように誘ってくる。
これ以上からかわれてもたまらなかったので黒羽はもう何を言われても帰ると決めていた。
「じゃあ最後にカズ君一個だけ」
「なんだよ……。……?」
そこにさっきまでのからかう顔の蒼波は無く真面目で真剣な顔になっていた。
「今日は本当に助けてくれて嬉しかった。カズ君が命をかけて助けてくれたから今の私があるんだと思ってるよ。」
蒼波は笑顔になるとさらに続けた。
「未来を見て私を助けてくれてありがとう」
「……またからかってるだろ」
「1ミリリットルもからかってないよ!」
蒼波がそう言うとなんかどこかおかしさが込み上げてきて
気付いたら二人で笑いあっていた。
蒼波が未来を見たのを信じるか信じてないのかいまいちよく分からなかったが。
お礼の言葉の気持ちは素直に受け取ることにした。
「じゃあな、蒼波」
「じゃあね、カズ君」
蒼波が言った
「また明日会おうね」
────
──
「……雨だ」
クラスメイトの女子を家に届けて別れた黒羽一葉は雨が降り始めていることに気付いた
今日の天気予報は晴れだったので外れたことにむっとした気持ちを抱きつつ
小走りで帰るかどこかで雨宿りするかの選択肢を頭に浮かべながら辺りを見回した。
その時、自分の少し後ろに人が立っていることに黒羽は気付いた。
その人の姿に黒羽の息は止まった。止まりかけた。
──魔女だ
夢の中で何度も何度も見た魔女とそっくりそのままの姿のそれがそこに居た。
青い装飾の魔法帽子、そこから流れる白い髪。
……そしてダイヤの模様の浮ぶ瞳
次の瞬間雨が強くなった。全身を叩き付けるような大雨で黒羽は顔を歪めた。
「未来視を持つ人間はいつだって『未来は変えられる』と言う。
それは決して間違っては居ない。未来視を持つ人も持たざる人もいつだって誰でも未来は変えることが出来る。
しかし未来が分かった時一番心配しなくてはいけないのは『過去を変えてしまわないか』ということだと私は思うの」
口を開き喋りだした魔女に衝撃を受ける。身体を叩き流れる雨が今は夢じゃないことを教えてくれるようだった。
「……なにそれポエム?他人に分からないポエムは好きじゃないな」
魔女に対し黒羽は強気に喋った。雨が全身から溢れる冷や汗を流してくれる。
「そうね、ポエムよ。自己満足のね」
魔女はそう答えた。──次の瞬間
ガシャン!!と凄まじい音を立てて横に何かが落ちてきた。
車のようだった。玉のようにぐしゃぐしゃに凹んだ車に何か透明な槍のような物体が何本も突き刺さっていた。車が叩きつけられた衝撃で地面のコンクリートも抉れたらしい。
その車の車種とナンバープレートは見覚えがあった。正確に言えばナンバープレートの方は自分が見た訳じゃなかったので聞き覚えと言った方が近かったが。
「さっき蒼波を轢いた車……」
「正確に言えば轢きかけた車ね。いや轢いた車でも正しいのかしら……」
魔女は何か言葉を悩んでいたがその真意はいまいちよく分からなかった。
会話は通じるのか。そんなことを思い質問を続けようと思った。
雨がより一層強くなっている
「何でこの車をそんな風に……」
「『この車?』なんのことかしら?そこに車は無いけれど」
「……!?」
見ると先ほどけたたましい音を立てて落ちてきた車は消えていた。正確に言えば車だけだ。コンクリートの地面は抉れたままだった。ということは今そこにあったはずではあるのだが……。
というかそもそもどうやって横に落としたのか、そもそも今何故消えたのか、何も分からなかった。
何も分からないと言えば目の前の魔女もそうだった。夢の中で何度も殺しにきた魔女が何故、今目の前に居るのだろうか。
「やっぱり何も知らないのね、貴方は。今消したのは魔法だと言うのに驚いた顔をしているし。」
「魔法……だと?」
訝しそうに聞く黒羽に魔女は答えた
「貴方もさっき使ってたじゃない。ジャンルは違うけどさっきの未来視も立派な魔法の一種よ」
「未来視……?」
未来視……?さっきの事故の瞬間が見れたことの話か?
この魔女は何なんだ?そもそも何故未来視出来たことを知っているんだ?
疑問が黒羽の頭をぐるぐる回った
「……楽しいお話の時間だったけど。準備は終わったからそろそろサヨナラの時間ね。『レイン・キュライト』」
──次の瞬間それまで降っていた雨が黒羽の全身に纏わり付いてきた。
「ぐっ!?」
「気付いてるかしら?今降ってる雨は全部私の魔法なの。ほらちょっと遠くを見ると雨降ってないのが見えるでしょ?」
雨が紐のようになり縄のように編み込まれ黒羽の身体を縛り纏わりついて全く動けなくなっていた。
「とても悪いとは思っているけど……貴方は明日学校には行けないわ」
(また明日会おうね)
今確信した。この魔女は蒼波を事故から家に送り届けるまでずっと付けていたのだろう。
そのやり取りなども全て把握しているようだった。
「……色々言いたいことや聞きたいことは山ほどある。でも一つ聞くなら……魔女、お前は何がしたいんだ?」
「魔女、ね…。まあ私の名前を知らないんだから仕方ないかしら……。
私の目的はとっくに終わってるのよ。でも強いて言うなら……」
「私は貴方に会いたかったの」
───次の瞬間
雨が落ちてきた。
そう表現するしかないほど辺り一面が一瞬で水に飲み込まれた。
下に落ちてる石ころも、まるで川の中で転がる石のように影響を受けたような動きをしていた。
しかしその状況でとりわけある一つの異常に黒羽は気がついた
(息が出来る……!?)
唐突に辺り一面水になったことで思わず水を飲み込んでしまったのにも関わらず
継続的に息することが出来た。それもまた異常だった。
「何だこれ……」
黒羽は呟いた。そして一面水のなかになったにも関わらず声も普通に出せたことに黒羽は後からまた自分で驚いた。
「一葉」
魔女に名前を呼ばれ黒羽は驚いてそちらを見た。
「さようなら一葉。また会えたら会いましょう」
「ま、待てっ……!お前は……!」
まるで激流に流されてきたような衝撃で意識が遠のいた
黒羽 一葉はそのまま水の勢い流される感覚だけが分かった
上下左右何処かも分からくなって何処までも流されていく感覚が強くなっていく
そうして流され続けやがて……気が付いた時は
黒羽一葉は何処か知らない花畑の中に居た