婚約破棄から始まる百合な関係
私――アリシャ・スィーリアは、いつも親の言いなりに生きてきた。
貴族の娘として生まれ、その生き方自体は実際間違っていないと思うし、これからもそうなのだと思っていた。
だから、婚約者も決められた相手で別に良かった。少なくとも、私の『願い』が叶うことは、ないのだから。
「アリシャ、君との婚約を破棄させてもらいたい」
今日――許婚の相手である、リィン・アルフレインから婚約破棄を言い渡されるまでは。
何度目かの顔合わせで、今は二人きりで、アルフレイン家の庭園を散歩している時のことであった。
たわいない話をしていたところに、不意に切り出され、ただ困惑するしかない。
「……え?」
私は思わず、呆然とした表情で聞き返してしまう。ひょっとしたら聞き間違いだったのではないだろうか、と確認する意味も込めて、だ。
「君との婚約を破棄させてもらいたい、と言ったんだ」
神妙な面持ちで、リィンは同じ言葉を繰り返した。
――やはり、聞き間違いではなく、確かに彼は婚約破棄を言い渡してきたのだ。
リィンはアルフレイン家の長男であり、将来は彼が当主となるという話を聞いていた。
アルフレイン家は代々、騎士の家系であり、彼も例に漏れることなく騎士として活躍している――スィーリア家はそう言う意味で、あまり大きな家柄ではないけれど、だからこそ、今回の婚約には大きな意味があった。
私の役割は、騎士公爵家であるアルフレインとの繋がりを持つということにある。
確かに、私とリィンは決して愛し合っている仲にあるわけではない。
こうして顔を合わせたのはほんの数回程度だし、これから仲を深めることができるかどうかも、正直なところ分からない。
けれど、一方的に婚約破棄を言い渡されて、「はい、そうですか」と納得するわけにはいかなかった。
「理由をお聞かせ願えますか?」
「……それは、すまない。こちらからの申し出だから。後は僕の方で何とかするよ」
「そういうことではなく、どうして婚約破棄を今になって持ち出したのですか? やはり、何度かお会いして、私に対して不満が……?」
「! そ、そんなことはない! アリシャはとても素敵な女性だ! それこそ、僕よりもっと素敵な相手が見つけられるだろうし」
リィンよりも素敵な相手、というのは中々に想像ができない。
騎士公爵家の生まれで、現役の騎士として活躍しているのだから、婚約相手としては誰よりもいいとさえ言える。
私に不満がないと言うのなら、どうして婚約破棄などと口にするのだろう。
このまま屋敷に戻って、リィンから『婚約破棄を言い渡された』などと言えば、果たして両親はどんな顔するだろう。
ひょっとしたら、『役立たず』として家を追い出されるかもしれない。――それならそれで、別に構わないとは思っている。
今までできなかった、私らしい人生を歩むことができるかもしれない。
けれど、別にリィンに対して悪感情を抱いているわけではない。
だから、婚約破棄をするというのなら、その理由を聞かせてほしかった。
「私に不満がないのなら、どうしてです? ここで婚約破棄をされるのなら、私は実家を追い出されることになるかもしれません。だからこそ、理由は聞いておきたいのです」
「なっ、決してそんなことはさせない! 僕が責任を持って、何とかするよ!」
「……私に理由は話せませんか? 一応は婚約者だったというのに」
少し怒ったような口調で、私はリィンに向かって言う。
実際、怒っていないと言えば嘘になるだろう。
私の言葉を受けて、リィンは視線を泳がせた。やがて、小さくため息を吐くと、ようやく彼は話し始めてくれた。
「……僕に、弟ができたのは知っているだろう?」
「もちろんです。ごく最近のことですから」
「元々、アルフレイン家はあまり子に恵まれなくてね。僕が生まれてから随分と時間がかかってしまった――と言うより新しい妻を迎えて、ようやく弟が生まれた、というべきかな」
リィンは今の当主の妻の息子ではない――これもまた、多くの者が知る事実だ。再婚をしたのは二年ほど前だったか。
「それが、どうして今回の婚約破棄の話に繋がるのです?」
「簡単な話だよ。僕はもう当主になることはない。アルフレイン家は、弟が継ぐことになるからだ」
「! それは、生まれたばかりの弟の継承権が移った、と?」
「ああ、そうだ」
そんなことがあるのだろうか、と私は驚いてしまう。
リィンは騎士としても活躍しているし、当主としての資格は十分にあるはずだ。現当主か、あるいは妻か――リィンが当主になることを望んでいない、ということだろうか。
いずれにせよ、まだ納得のできる理由とは言えない。
「ですが、今更生まれた弟が当主になるなんて。それだけが婚約破棄の理由なのですか?」
「……まあ、遅かれ早かれ分かることだろうし、別に話してしまってもいいかな。実は僕――女なんだよ」
「……は?」
これ以上、驚く事実はないかと思っていたけれど、私はその言葉にただ愕然とした。
今、彼は自分のことを『女』と言ったのか。
「えっと、それって、え? リィン様は、女性なのですか?」
「うん、まあ、そうだね」
「え、えええ……?」
かなりの衝撃だが、言われてみると確かに女性のように見えてきた。
元々、リィンは中性的な顔立ちをしている。男装をしていて誤魔化せるレベルで、近くにいる私でも気付かないのだから、すごいものだ。
「本質的な理由は、こっちの方になるのかな。僕の性別は女で、弟が成長して当主になった時――それは公表されることになる。君を騙して結婚して、それで実は女だったなんて……そんなの、最低だろう? だから、僕は正直言って、弟が当主に選ばれてよかったと思っているよ。ずっと、嘘を吐き続けるのは、僕の本意ではないからね」
堰を切ったように、リィンは話してくれた。
彼――いや、彼女はずっと思い悩んでいたのだろう。世間的にも『男』として育てられていたという事実。それはきっと、アルフレイン家の当主になる者の定めだったのだ。
あるいは結婚した後に、この事実を話してスィーリア家に恩を売るつもりだったのか……そこまでは分からない。
ただ、『そんな理由』ならば、むしろ婚約破棄をする必要はないと、私は思ってしまった。
「リィン様の言いたいことは分かりました。女の子だった、という事実には驚きです。その上で私はむしろ、婚約破棄の必要はないと思います」
「なっ、僕は君を騙していたんだよ? それに、いずれは公表されるのに、女同士で結婚をするなんて――っ!」
驚くリィンに対して、私は人差し指で彼女の口を塞いた。彼女が話してくれたのだから、私も話してみよう。ずっと、隠していたことを。
「私、女の子が好きなのです」
「! それって……」
「おかしい、と思いますか? でも、事実なのです。私は親に言われるままに、今回の婚約話を受けて、別に好きでもない男と一緒になろうとしました。もちろん、女の子であれば誰だっていいってわけでもありません。ただ、リィン様のことはもちろん、嫌いではないので。リィン様としても、このまま結婚する方が色々と都合がよいのでは?」
「それはそうだけれど……本当にいいのか?」
「言ったではないですか。私はむしろ、それを望んでいるのですよ。むしろ、リィン様の方こそ、よろしいのですか?」
――女の子同士なら、私はあなたが本気で好きになってくださるように、尽力しますよ?
耳打ちするように、私はリィンの耳元で言う。困惑しながらも、彼女は私の言葉に頷いた。
両親の言いなりに生きてきたけれど、初めてそれでよかったと思えることが起こった気がする。
リィンはきっと、私のことが好きでもなんでもないだろう。
私も別に、リィンのことが特別好きなわけじゃない。
だからこそ、こうして得られた機会なのだから――お互いが、『好き』になれるまで一緒にいようと、そう考えたのだ。