魔王の仕事は公務です
街は熱気に包まれていた。
長らく待ち続けていた勇者がようやく現れたのだ。
この王国の住人は長年魔物の襲撃に悩まされてきた。
魔物は瘴気の森よりやって来る。
瘴気の森の奥深くには恐ろしい魔王城があり、その城の主『魔王』は魔物に人間達を襲わせていた。
もちろん王国だって必死に抵抗してはいる。精鋭の騎士団は各地を回り魔物たちを退け、人々を脅威から守ってきた。
だが、人間と魔族とでは能力に差がありすぎるのだ。
人々は、いつ城下まで魔物が押し寄せてくるかと怯え暮らしていた。
しかし人々には希望があった。
ある神官が神の神託を受けたのだ。
光り輝く勇者が現れ魔王を討ち果たし、人々に安寧をもたらすだろうと。
そしてようやく、その神託通りに聖女が勇者を見出したのだ。
その青年は卓越した剣技を持ち、人々が気を失うような瘴気の中でも平然としていた。
これぞ神の加護を受けし者の証だと、神官たちは涙を流し喜んだ。
輝くような黄金の髪に静謐な泉のような瞳、すらりとしたその神々しい姿はまさに神に愛されし勇者のものだった。
「勇者……フッ、馬鹿馬鹿しい」
瘴気の森の奥深く、魔王城の玉座で魔王はひとりごちた。
光をも吸い込む漆黒の衣に顔全体を覆う禍々しい仮面。
表情をうかがうことこそ出来ないが、その仮面から覗く血のような赤い瞳はその残虐性を如実に物語っている。
ぬばたまの髪が風にそよぐ様まで怖気を誘う、それが魔族の王として君臨するものの姿だった。
「魔王様、辺境の村に火炎華が咲きました」
火炎華とは瘴気の森に咲く炎のような花だ。麗麗しい姿とは裏腹に、その花粉は吸い込んだ者の肺を焼け爛れさせる猛毒として辺境の住民に恐れられている。
「ご苦労。して、例の薬は?」
「用意できております」
「よかろう。此度は我も出よう」
「はっ」
悠然と歩き出す魔王に、配下の魔族たちは粛々と従った。
辺境の村に撒かれた薬は薄紫の靄を生み、赤赤と咲き乱れる火炎華は火花のような花粉を飛ばす。
見ようによっては美しい光景であったやも知れないが、この村の住人はもはやそれを感じることさえ叶わない。
何の感慨も無く踵を返す魔王に声をかける者があった。
「お待ちなさいっ!このような邪悪な行い、神は決して許しませんよ!」
「これ以上、あなた方の思い通りにはさせません」
純白の法衣を纏ったストロベリーブロンドの少女と濃紺の学士のローブを纏ったアッシュブロンドの少女だった。彼女達はこの国の王女であり、教会によって聖女と賢者の称号を与えられたこの国の希望である。
「……ほう」
振り返る魔王から二人を庇うように美しい青年が前に出た。
「……勇者か」
「ああ、二人とも下がっていてくれ」
「いいえ、私たちも戦います」
魔王に立ち向かう勇者と、彼の者を支えんとする少女達。
それは確かに感動的な光景であった。だが……
「愚かな……」
哀れむ響きさえ滲ませて魔王はくぐもった声を発した。
「くっ」
「かはっ」
二人の少女が胸を押さえて蹲る。
「大丈夫か二人ともっ!」
「身の程をわきまえて立ち去るがよい、脆弱な人間どもよ。さすれば我とて命まではとるまい」
塵芥を見る目つきで言い捨てると、魔王は瘴気の森へと歩き去った。
「待ち、なさいっ」
「アーク様っ私達に、かまわず……」
「くっ、すまない……」
勇者達の悲痛な声だけが人気の無い村に残された。
聖女ミーアと賢者ニーナ、二人の王女が負傷し数日の安静を余儀なくされたという知らせは瞬く間に知れ渡り、王国の民の笑顔を翳らせた。
勇者が現れるまではこの二人の王女が旗印となって魔物の脅威と戦ってきたのだ。
しかし、長らく民の支えとなってきた王女は臥し、しばらく前に瘴気の森へと討伐に出掛けた騎士団の精鋭たちも戻らず、日々激しくなる魔物の襲撃にこの国は疲弊していた。
悄然とした白亜の城で勇者は一人、聖女ミーアと出会ったときのことを思い出していた。
あの日、まだ勇者ではなかったアークが登城したのは、瘴気の森の調査団の団長就任の挨拶の為だった。
幼少の頃より鍛えてきた剣の腕を認められ、この重要な任を与えられたことは誇らしかった。そして、その責任の重さに身の引き締まる思いがした。
調査団に参加する騎士の一人がこの国の第二王子リンドン殿下だったのだ。
リンドン王子は兄君である王太子殿下や妹君たちのような華やかさこそなかったが、その実直な人柄もあり騎士達に好かれていた。自身の容姿に密かにコンプレックスを抱えていたアークは、身分や美醜の区別なく気さくに話しかけてくれる王子に憧れを抱いたのだった。
この身に代えても殿下をお守りせねばと決意したアークの運命が決したのは、謁見の最中だった。
国王の側に控えていた聖女であるミーア王女が騎士の礼をとるアークを指し
「この方こそが神がお選びになった勇者様でございます」
と告げたのだ。
しばしの静寂の後に沸きあがった割れるような歓声の下、アークは勇者となったのだった。
「妹達を頼む」
勇者となったアークの代わりに調査団を率いるリンドン王子は、言葉少なにアークへ別れを告げると瘴気の森へと旅立っていった。
聖女ミーアと賢者ニーナ、リンドン王子に託された二人の王女をアークは守ることは出来なかった。
傷ついた二人は未だ目を覚まさない。
自身を責めるようにきつく拳を握り締め、勇者は立ち上がる。
勇者アークの見据える瘴気の森の奥には、禍々しい魔王の城が聳えていた。
瘴気の森の魔物は例年に比べて明らかに数が増えていた。
この瘴気の森の魔物は一定の周期で増減するのだが、その仕組みは未だ解明されていない。
教会によれば全ては魔王の仕業の一言で片付けられてしまうが、それだけでは対策が出来ない。いつか現れる勇者を待つ間も魔物の被害を受け続けるのだ。
故に王は調査団を瘴気の森へと派遣してきた。魔物の被害を抑えるための糸口を求めて。
しかし、教会はそれが気に入らないらしい。
調査団など必要ない、魔物の障りは勇者が解決するのだからと……。
「馬鹿馬鹿しい」
突進してきたダークボアを切り捨ててリンドン王子は毒づく。
教会が選定した歴代の聖女達の祈り、そして勇者が現れるという神託。それらは人々の心の支えだった。各地を慰問する美しい聖女、年々更新される勇者の伝説。何時しか民の教会への支持は、王へのそれを上回るようになっていた。
まだ十代半ばを過ぎたばかりの妹達は教会の唱える勇者伝説に傾倒しており、聖女、賢者に選ばれた自分達の立場に酔っているところがある。
(せめて、王族として自分の役割を全うできるくらい大人になってから選ばれていれば……、アーク殿にご迷惑をおかけしていないといいのだが)
王子は本来なら共に調査団を率いていたはずの美しい青年に思いを馳せた。
アーク団長は容姿だけでなく内面も美しい青年だった。
素晴らしい剣の使い手でありながら驕ることなく、謙虚で気遣いの出来る人物で騎士達の信頼も厚く、調査団の団長に就任したことは然もありなんだ。
(兄妹に似ず見た目が地味だの目付きが悪いだの言われる私とは雲泥の差だな)
アーク団長が調査団を抜けても騎士達の士気が落ちなかったことは僥倖だろう。
王国からの支援の乏しい現状に文句のひとつもなく瘴気の森で調査を進める騎士達に、リンドン王子は心の底から感謝していた。支援物資の殆どが教会の活動に優先して送られている状況下で、調査団へ志願する騎士が数多くいるという事実は王子にとって心強いものだった。
「そろそろ砦に戻ろう」
瘴気の森は朱に染まりつつあった。
黄昏時、昼なお暗い瘴気の森が血の色を帯びていくなか、魔王城では魔王への讃美で溢れていた。
瘴気の森の魔物は度々辺境の村を襲っており、未だ死者こそ出ていないが村人は村を捨て逃げ出しているとの報告を受けた魔王は鷹揚に頷いた。
「全て計画の範疇だ。良くはないが、悪くもない」
後は良きに計らえと玉座の間を後にする魔王に、魔族たちは深く頭を垂れた。
回廊を歩む魔王が切れ長の目を眇めて立ち止まると、柱の影から黄金の髪の美青年が姿を現す。酷く疲弊した姿ではあったが、それは勇者に間違いなかった。
何処からともなく重々しい鐘の音が響く。
勇者と魔王、対峙する二人の唇が笑みを形作る。
「お疲れ様です、アーク団長」
「お疲れ様です、リンドン王子。報告書をお持ちしました」
「ありがとうございます。今日は愚妹共がご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
「いえ、とんでもないです。こちらこそ配慮が足らずに妹君に辛い思いをさせてしまいまして……」
「いえ、あれは考えなしに前に出て除草剤を吸い込んだあいつ等が悪いんですよ」
「幸い大事には至りませんでしたが、お二人とも王城でしばらく静養なされることになりました」
「そうでしたか。まあ、もともと村に散布するものですからそこまで人体に毒ではありませんし、あまり気に病まないでください」
「そういっていただけると……」
「ところでアーク団長、そろそろ夕食にしませんか?今日はウチのユルケスが腕によりをかけたんです」
「ああ、それは楽しみです」
……仕事帰りのサラリーマンかというつっこみはある意味正しい。定時の鐘が鳴った今、彼等の今日の公務は終了したのだから。
時を遡ること十数年前。
人間の王が派遣した調査団が魔王の城に到達した。
しかし、そこは教会がいうような魔王の城ではなく、ただの砦であった。
砦に詰めていた者たちこそ魔族であったが、魔王はおらず──そもそも魔族の国は議会制で魔王という存在自体が無かった。
しかも魔族たちに人間と敵対する意思は無く、調査団を手厚くもてなした上で両国の友好な国交を提案してきた。
教会が声高に訴えていた魔物の襲撃は魔王によるものという説は事実無根で、瘴気の森の魔物には魔族の国も手を焼いていたのだ。この砦は魔物を駆除する為に造られたものだった。
魔族の国では以前から瘴気の森の向こう側に人間の国があることを知っていたため、魔物の駆除をする際に人間の国へ追いやってしまわないように配慮すらしていたのだ。ただ、それ故駆除が思うように進まず、両国で友好関係を結び協力して瘴気の森の魔物を駆除しないかと提案したのだった。
初めは人間の王も警戒したのだが、魔族の国に他意はなく、また双方の国にとって不利となることがないことからほどなくして友好国として国交を結ぶことが決まったのだ。
しかし、教会がこの事に難色を示した。
教会はそれまでに勇者にまつわる神託によって財を築いてきた。今さら魔王はいませんでしたなどといっては教会の権威が崩壊する。聖女によるアイドル活動は国の経済活動の一端を担っていた。教会の勇者産業にかかわる王国の貴族は多く、勇者伝説が揺らげば混乱は免れないだろう。
故に、国の重臣達は一計を案じた。
瘴気の森の魔物が減少した頃合いを見計らって、勇者役の騎士を砦に向かわせる。そして予め用意しておいた魔王の死体を発見させる。魔物の減少は魔王の死によるもので、魔王なき今我らに恐れるものは無し、と騎士団で残党狩りをする。
茶番で茶番を終わらせる、実に下らない計画であったがここにきて暗礁に乗り上げることになった。他ならぬこの国の王女のために。
まず、魔物が増加している時期に勇者を選んでしまったため、教会のイベントの警備に騎士が借り出され戦力が不足し、魔物の討伐が遅れる。そして、国民の不安を取り除くという名目で行う教会のイベントのために、また騎士が借り出されるという悪循環を生んだ。
次に、アークが予め国が用意していた勇者役の騎士ではなかったことも問題だった。
彼は眉目秀麗で剣技に長け、教会が広めていた勇者像にこの上なく当てはまる人物だ。聖女にしてみれば長年夢に見続けた理想の勇者様が降臨した瞬間だったろう。
残念なことに、推しの三次元化に衝撃を受けた聖女がこれを神託と信じてしまったのだ。
勇者が選ばれたのは恋に恋する乙女心の賜物である。
さらに困ったことに、聖女の選んだ勇者は人間ではなかった。
そう、アークは魔族の国から派遣されてきた騎士団の団長だったのだ。
もはや国際問題である。
実際リンドン王子は謝罪するために魔族の国を訪れた。
瘴気の森での魔物の駆除は魔族の国では人気のない仕事のひとつであった。その人気はないが重要な任務を負った騎士団の団長を茶番に巻き込み、身動きの取れない状態にするなど許されることではない。王子は針の筵に座る心持であった。
しかし、王子は滞在先の魔族の国で思いもよらぬ事態に遭遇することとなる。
リンドン王子が王国側から派遣される騎士団を率いる団長だと知れるや否や、砦に派遣される騎士団への応募が殺到したのだ。
これには馬鹿馬鹿しくも深い訳がある。
王国と魔族の国では美的感覚に隔たりがあった。
リンドン王子の容姿についての王国での評価は、地味な黒髪、目つきの悪い赤眼、中肉中背、他の兄妹と比べてなんか普通となるが、魔族の国では傾国の麗人と持て囃されるほどのものになる。王国で美しいとされる勇者や聖女、賢者のような華やかな容姿は魔族の国ではありふれていて、口の悪い者などモブ顔とすら呼ぶのだ。
自らを平凡な顔と認識している美男美女に賞賛されて戸惑う王子を見た魔族の国の住民達は、なんて謙虚で初々しい方なのだろうとリンドン王子への評価を上げていった。
そうして、瘴気の森の砦へと向かう騎士は増加の一途を辿ることとなる。
「リンドン殿下のようにお美しい方と一緒に仕事が出来るなんて光栄です!」
「私のほうこそ、皆さんのように優秀で容姿端麗な方々にそういっていただけて恐縮です」
このようなやり取りが何度となく繰り返されるうちに、魔族のリンドン王子への人気は不動のものとなっていった。
砦に着任した王子は騎士たちに熱烈に歓迎され、砦の主としていつのまにか魔王へと祭り上げられていた。娯楽の少ない砦で騎士達が悪ふざけで王子を魔王様と呼んだのがきっかけだが、寛容な王子が黙認してしまったために徐々に歯止めが効かなくなっていた。
リンドン王子が悪ふざけに乗って魔王のふりをすると異様に士気が上がる為、止めるに止められなくなったのだ。
今では教会の配布した物語を熟読して、完璧な魔王を再現しようとする騎士たちまで現れる始末だ。
そして、議会は頭を悩ませていた砦の騎士不足を解決してしまった王子に強く出ることが出来ず、アークの勇者問題は宙に浮いてしまっていた。
これはアークが勇者として活動したイベントの売り上げの一部が賠償金として魔族の国へ支払われていたことも大きいだろう。
かくして気の毒なことに、魔族のアーク団長は勇者を王国のリンドン王子は魔王を、それぞれ演じることとなったのである。
本来なら勇者役をするはずだった料理当番のユルケスは、雑談に興じながら楽しげに酒を酌み交わす魔王と勇者を生暖かい目で見守っていた。
アルコールで頬を赤く染めた王子を魔族の騎士たちが熱いまなざしで見つめていることにはもう慣れた。
そんな騎士たちを牽制するかのようにさりげなく王子の世話を焼くアーク団長にも慣れた。
王子を遠巻きにしながらサイリウムやうちわを振っている連中にも、いいかげん慣れた。
慣れはしたがどこか釈然としない気持ちもある。
魔族の騎士たちは美形が多い。金髪碧眼の我が国の王太子殿下のような王子様のような美青年達だ。
対して王国の騎士たちは厳つい者が多い。実力はあっても女性にはもてない、そんなご面相だ。
ところが魔族にはこの強面のおっさん達が麗しく見えるらしい。
正直見たくはなかった。
美青年に口説かれたスキンヘッドの眉無しマッチョが頬を染める様を、苦みばしった髭面のおっさんがもじもじと恥らう様を、恋人つなぎで散歩する幸せそうな同僚を!見たくはないが自然に目に入るくらいにはありふれた日常になってしまっていた。
初めのうちこそ腑抜けて魔物の討伐任務に差し支えるのではないかと思われていたが、むしろ効率が上がった為、砦内恋愛は容認されることとなった。
恋人にいいところを見せようと勇猛果敢に戦う。
愛しい人に怪我をさせないよう、辺りに気を配る。
そうするうちに自然と連携がうまくいくようになり、砦の騎士団は史上最強と謳われるようになった。
いったいどこの国の部隊だそれは!
瘴気の森の魔物が減るならそれでいいじゃないかと、ユルケスはもやもやした気持ちをエールで飲み下す。
すっかり出来上がったリンドン王子はアーク団長に支えられて食堂を出るところだった。
ユルケスは空になったジョッキを置いて嘯いた。
「明日は赤飯にするべきか否か、それが問題だ」