惰弱と罵られて王族の護衛(ロイヤルガード)を首にされた新米少女騎士、冒険者デビューで大暴れする!
もし楽しんでいただけたなら、ブクマや評価や感想、ご意見などをいただけると幸いです。
今後の糧や参考にしたいと思っております。
ええ、はい。控えめに言って順風満帆でしたよ。途中までは。
だってですよ? 田舎の村で、毎日のように一人で木の棒を振って剣術の真似事をしていた田舎娘のわたしが、イゼリア王国の王族様を護衛する近衛騎士、滅竜騎士団に抜擢されたのですから。
しかもあの、美しき才女であらせられます第二王女レンドリィ様のお付きとくればもう。ああ、ここだけの話、国王陛下や王子様たちのお付きに配属されてしまったら、女性騎士はお手つきにされてしまうらしいのです。
嫌ですよねえ、男の人って。
あ、いまのは噂ですよ、ただの噂。他言無用にしてくださいね。とにかく、そういう意味でも、わたしはラッキーだったと思います。
……ああ! クッキーいただけるんですか!? ありがとうございます! わーい、いっただっきまぁ~す!
はい! 甘くておいしいです! この紅茶も渋みが効いていて! えっへっへ、お腹が空いてたんで涙出ますよ! あなたが女神ですか?
あ、はい。続きですね。いや~、三日ぶりの食べ物に興奮してちょっと我を忘れてしまいました。
えっと、どこまで話しましたっけ? 食べながらでいいですか? どもども。
そう、とにかく色々あって滅竜騎士団に入団できたのでした。わたしが配属されたのは第二王女の護衛、つまり第四部隊である獅子乙女隊です。他の部隊が男女混成、もしくは男性のみに対して、獅子乙女隊は女性しか入れない部隊です。
滅竜騎士団は七十名からなる近衛騎士団ですが、護衛対象の数だけ部隊が存在しているのです。だから一部隊あたり十名で、七つの部隊があります。
あ、これ、もしかして喋っちゃまずかった機密情報だったかも。部隊数は護衛対象の人数ですもんね。
え~っと、えっへっへ、いまのは記録外でお願いしますね。うへへ。
それでですね、七つも部隊があるわけですから、どの部隊が優れているかを決めるために年に一度だけ親善試合が行われるのですよ。
それがわたしの運の尽きでした。
わたしが所属した獅子乙女隊はですね、決して強い部隊ではありませんでした。
まあ女性ばかりですからあたりまえですよね。下の中か、あるいは下の下くらい。要するに獅子乙女隊は、滅竜騎士団の広告塔といったところの役割です。
騎士団って聞くと、男所帯で出会いもなく、訓練が厳しいイメージしかないじゃないですか。そういうのを払拭して、有能な人材には自ら試験を受けにきていただけるようにするために、民の前に立つ客寄せですね。
身も蓋もないですか。そうですか。
わたしも実際に入隊して知ったのですが、護衛対象のレンドリィ王女でさえも、獅子乙女隊をあまりあてにはしていない雰囲気がビンビンに伝わってきてました。
そんなもんだから獅子乙女隊の先輩たちも普段から剣なんて握りません。
キャッキャウフフしながらお菓子作りにお茶会にと、貴族のお嬢様方の真似事を楽しむ場所って感じだったのです。
ンなぁ~にが獅子乙女ですか。
勇敢な獅子どころか、彼女たちは金持ちに飼われているだけの長毛種の猫です。お風呂上がりにワイン転がしながら背中撫でられてるアレです。野生だったら三日と生きられませんよ。
わたしは剣しかできません。お料理とかさっぱりです。お砂糖と青酸カリを間違えるタイプです。
なので、相手もないまま獅子のごとく一人で毎日ぶんぶん剣を振り回してたのですが、どうも長毛種のお猫様方はそれが気にくわなかったらしくって、だんだん部隊内で孤立するようになってきました。
全員分の鎧を磨いとけ。
買い出し行ってこい。
みんなの部屋を掃除しとけ。
王子や執事に色目使ってんじゃねーよ。
おまえのプリン食べといたから。
おい、ぺたんこ。
だっせ、クマちゃんパンツかよ。
クマの何がダメなんですか、前に顔があって後ろにお尻があるんですよ。かわいいじゃないですか。ねえ?
ま~色々と言われましたね。
ある日なんて、わたしの足甲いっぱいに泥を詰められていた上に、可愛らしいお花がそこに植えられていたこともありました。
ひどいですよね。ほんと、お花がかわいそう。いつもムレムレのムッワァ~なのに。
でもまあ引っこ抜くのもかわいそうなので足甲はあきらめて、いっそ植木鉢代わりにしてお花を育てちゃいました。ちょうど添え木に細剣も使えましたしね。
あ、お花の種いります? 結構収穫出来まして。ハムスターが喜びますよ。
いりませんか、そうですか。綺麗なのになー、この雑草。
そんな折にあったのが例の親善試合です。
わたしはここぞとばかりにがんばるつもりでしたが、試合形式は騎士道を重んじた一対一のチーム総当たり戦。
おそらくわたしの活躍を奪うための企みだったのでしょう。最も若輩だったわたしを先輩たちが大将にすえた結果、六試合中で一度も出番がまわってくることなく、獅子乙女隊は最下位になってしまいました。
なのにですよ? なぜかわたしが責められるんです。
大将のおまえが不甲斐ないせいだって。そんなバカな~って感じですよね。あげく、先輩たちはわたしが剣の練習の邪魔をしたせいで負けたなどと根も葉もないことを団長に言いつけて、団長がわたしを叱るように仕向けたのです。
夜にわたしの部屋を訪れた団長は、植木鉢になっていた足甲と、添え木になってる細剣を見て、ものっすごく怒っちゃって。
おまえの命を守ってくれる鎧や、騎士の矜持である剣を、このように粗末に扱うとは何事か~~~~~~~って。
雷轟のような怒鳴り声でした。ヒィィってなりました。
騎士道を軽んじる者を滅竜騎士団に置いておくわけにはいかんとかいう話で、わたしはその日のうちにクビにされました。
騎士になって一度も戦わないまま、無職にされちゃったんですよ! これってわたしが悪いんですかっ!? 思い出したらまた腹が減ってきました!
※
わたしはテーブルに置かれたお皿から、クッキーの山をひとつかみして口に放り込みました。噛み砕いて嚥下します。喉に詰まりかけた分は冷めた紅茶で流し込んで。
カウンターの向こう側に座っていた受付嬢さんは言いました。
「……ん~……気の毒には思うけど、半分くらいは自業自得かな~……?」
冒険者ギルドです。
クエストボードには魔物退治や護衛などの張り紙がいっぱいあって、好きなお仕事がいただける場所です。
わたしはカウンターテーブルで、受付嬢さんを相手にくだを巻いていました。
「どこがですかっ!? わたしもう両親祖父母に滅竜騎士団に入れたよってお手紙送っちゃったんですよ! お父さんなんてご近所さんに自慢しまくって、わたしの肖像画を配り歩いてたくらいですし!」
受付嬢さんが、ちょっと引いたような苦笑いを浮かべます。
「あらぁ……、それは痛々しい……」
「だから二ヶ月足らずでクビにされたとかいまさら言えないじゃないですかっ! 故郷に錦を飾りたいんですよ! これからはずっと仕送りするよーって書いちゃいましたし、親族一同期待して待っているんですよ!」
王族の近くで公務に従事するエリート集団の滅竜騎士団は、高給取りで有名なのです。
「それは気の毒には思うけど、そもそも自分一人さえ食い詰めてるのに」
「そーなんですよ! だから助けてください! もっとクッキーと紅茶をください! じゃなかった、お仕事ください! 冒険者ギルドでしょ、ここ! 冒険します! お金ください! お腹減った!」
カウンターテーブルに身を乗り出したわたしの肩を押して戻し、受付嬢さんが紙を一枚、置きました。
「ま、いいけど」
「いいんですか!? 実戦経験は一度もないですけど!」
「でしょうねえ。滅竜騎士団って言っても客寄せの獅子乙女隊じゃあね。あんたって見るからに小さくって華奢だし、腕なんてほんと細いし。どうせ剣の腕ってよりは、容姿で選ばれたクチでしょ」
ほっほっほ、そう言われるのは悪い気はしませんねっ。
「うえっへっへ。絶世の美女だなんておだてても、何も出やしませんよぉ」
「美女とは一言も言ってない。まあ、子供らしい可愛らしさはあるわね」
「誰がぺたんこですかッ!」
「だから言ってないってば」
わたしは受付嬢さんの差し出した紙に視線を落とします。
誓約書です。そこには、“ギルドの提供した仕事なら身の丈に合わないヤッベェのとかも別に引き請けていいけど、死んだら全部自己責任ねー”という部分だけが強調されて書かれていました。
「替えはいくらでもいるから、実力なくて死んじゃっても責任取らないってことです?」
「ええ。ギルドのスタンスはね。ただ、それでも」
一度言葉を切ってから、受付嬢さんが真剣な眼差しをわたしへと向けます。
「あなたみたいな年若い娘を死地に送り出すのは誰だって嫌なものよ。だからそこらへんのことも考慮に入れて、いまのあなた自身の実力に見合った依頼書を選んでねってこと。若い子って向こう見ずなところがあるから」
「なるほど、わたしが受付さんくらいの年齢だったら、このような口頭での注意もされなかったということですね」
受付嬢さんの瞳からすべての光が消滅し、首がグギギと傾きます。流れた長い横髪を艶やかな唇で挟み込んで。
「……殺すぞおまえ」
「ひぇ!? 言ってません! 年増とか一言も!」
死地はここでしたか……。
「…………ト……シマ……? ……フ、フフ……知ラナイ単語ダワ……?」
首がさらに傾きました。もうほとんど直角です。
それ以上の傾斜は人間の頸部の可動領域を超えちゃいます。やめて、怖い。
「み、妙齢! 妙齢ですハイ! 花盛り! 受付さんに憧れている男性冒険者たちも、さぞかしいっぱいいらっしゃるのでしょうね!」
気をよくしたのか、受付嬢さんの首が正常な角度に戻りました。
少し赤らんだ頬を指先で掻く仕草がちょっとかわいく見えます。
「ま、まあね。週に二回くらいは告白されちゃうし。でもやっぱりぃ、冒険者とかぁ、安定したお仕事じゃないしぃ~……じゃなくて! とにかく、それを理解した上で身の丈に合う依頼書を選びなさいってことよ」
「わ、わかりました」
そっかぁ。死んだら何のメリットもないんですね。騎士のように階級が上がるわけではないですし、遺族に保証金が渡されるわけでもない。
考えてみれば、なんてひどい商売なのでしょう。経営側は安地にいるというのに。ある意味ではこれぞお役所仕事というべきでしょうか。公務でもなんでもないけれど。まあ、こちらとしてもそれだけに実入りはよいのですが……ちょっと不安になってきました。
とりあえず誓約書にサインをして、受付嬢さんにお渡しします。引き換えに受付嬢さんがクエストボードを指さしました。
「じゃ、やりたい仕事を選んで、依頼書をあたしに持ってきて」
「わーいっ。どっんな仕っ事があっるのかなっ」
「あなたくらいの駆け出しには、稀少金属の採掘なんておすすめよ。鉱山なら食料になるものが少ないから強い魔物も出てこないし、比較的安全よ」
ちなみにクエストボードはオープンなので誰でも見ることはできますが、冒険者登録をしていない方がクエストボードにある依頼を達成したところで、ギルドは一銭も払わないそうです。じゃなきゃギルドは丸損しますからね。
ギルドの儲けはあくまでも、依頼者から冒険者に支払われるお金の中抜きなのです。斡旋料とか手数料とか呼ばれているアレです。一件一件は少額でも、束ねれば莫大なお金になりますからね。
当然、悪い冒険者がギルドの中抜きを嫌って直接依頼を達成してしまうこともあるそうですが、クエストボードの依頼書には依頼者情報が一切書かれていないので、そもそも報酬を受け取ることができません。
その場合はなんと、十割、ギルドが儲かることになります。
くぅ~! つくづくあこぎな商売ですよ、ほんと! 近衛騎士団よりこっちに就職すればよかった!
とはいえ、それだけでは冒険者にとってはギルドを通すメリットが少なすぎます。
ギルドの本領は出し渋る依頼者に対する取り立てです。冒険者が剣で脅すと騎士団にしょっ引かれてしまうところですが、ギルドなら法的にセーフらしいです。
他にも不要な戦利品の買い取りなどもしてくれますけどね。そこは冒険者の任意ですが、面倒くさがり屋だと助かります。自分で買い取り先を探さずに済みますから。
わたしはギルド奥に置かれた三つのクエストボードに目を通します。なるべくお値段の高いものを、指をさしながら数えて。
「これにし~ようっと」
クエストボードから、すっかり日焼けした古びた依頼書を剥がして、わたしは受付嬢さんのところへ戻りました。
「はい!」
「……」
無言で依頼書を受け取った受付嬢さんが、額に手を当ててじっとりとした目線を上げてきます。
「……さっきの話、聞いてた?」
「聞いてましたよ。ヤダなあ、ちゃんと会話してたじゃないですか」
クソデカため息が聞こえました。
「桁間違えて持ってきた?」
「合ってます合ってますぅ。だってそれくらいじゃないと、一年分の仕送りを一括で故郷に送れないじゃないですか。チマチマ送るのはめんどいなんですよ」
「わかった。さてはあなた、頭がちょっとアレな子ね。これ、討伐依頼だけど相手が何かわかってる?」
「竜ですよね」
またクソデカため息をつかれました。
「何でこの依頼書だけ日焼けしてるかわかる?」
「長期間、誰も受けなかったからですよね」
「何で受けないかわかる?」
「竜が強いからですよね。……ああ! さてはわたしの心配をしてくれてるんですね!? 大丈夫! なんたってわたしは滅竜騎士団にいたのですから、やったことないけど竜退治はお手の物ですよ! 滅竜ですからね、滅竜! これぞ身の丈!」
わたしはわたしの考えるカッコイイポーズを取って見せます。
ビシィ!
受付嬢さんの額に血管が浮かびました。
「だめだってば! 心配もそうだけれど、それ以上に竜の報復を恐れてるの!」
「ほーふく……」
わたしは首を傾げます。
「竜ってのは長く生きている分、魔族よりも人間族よりも知能が高いの。中途半端に手を出せば、その報復にこのイゼリア王国の王都どころか周辺国家まで襲われかねない」
「へえ、そうなんですね」
「滅竜騎士団含めて多くの騎士団が退治に腰を上げなかった理由は、失敗したときに負うリスクが高いからよ。その上で、竜という生物は一度眠りにつけば数十年は目覚めない。手を出さない方がいい時期ってのがあるの。で、件の竜はいま休眠期のまっただ中なの」
「へえ~」
寝込みを襲うチャンスだとしか思えません。
騎士道とか知ったこっちゃないです。何せクビにされましたし。
「依頼書の日焼けは、それもあって誰も請けずに七年間放置されていたからよ。だから、わかるでしょ?」
「はあ……。えっと……? あ! わたしのデビュー戦に相応しい!?」
「違うッ!!」
う~ん?
「わかりました! じゃあ、わたしがサクっとやっつけてきますっ!!」
「いや聞いてッ!? 微塵もわかってないから! この竜はあと百年も生きれば古竜と呼ばれる存在になるほどの大物なの! ワイバーンの比じゃない大きさの体躯よ! 名前もついてる! 牙竜ラースグリム! 聞いたことない!? あるでしょ!?」
わたしは首を傾げます。
「あるよーな、ないよーな?」
「ほんの五十年前にグストール王国を滅ぼしたばかりでしょうが!」
「あ~、ありましたね、そんなお話が。そう言えば学校で習った気がします」
休眠期から目覚めたラースグリムが空腹を満たすためにグストール王国を急襲し、多くの人々が犠牲となってしまいました。
その際に王城の倒壊に巻き込まれて王族は全滅、そして国家は解体、国民は散り散りになってグストール王国はこの大陸の地図から消滅しました。
で、腹を満たした件の竜は、再び眠りについたそうです。
ちなみに当時のグストール王国は、現在のこの国、イゼリア王国の倍くらいの国力だったのですが、対竜装備なしではまるで太刀打ちできなかったのだとか。
その悲惨な経験を教訓としたイゼリア王国では、眠り竜が覚醒したときのための対策として、王都を守る外壁に対竜大型弩砲を複数設置したのでした。
依頼書を常時張り出しているのは、来たるべき覚醒の日に備えて少しでも戦力を募るためでしょう。有識者の計算では、対竜兵器を使用しても旅団単位、つまり一五〇〇名からなる騎士が必要なのだとか。
あるいは、数百年に一度だけ現れるという、突然変異。魔法や剣の力さえも超越した超常の力を持つ“勇者”なる者が出現するか。
――そう、たとえばこのわたしのような、ねっ!
「固体名つきの魔物ってほんとに危険なの! それも人肉の味を識っている竜よ! とにかく凶暴!」
「なるほど、わかりました」
わたしは無言で受付嬢さんの手の中の依頼書を指先でつかみます。けれども、受付嬢さんは頑として依頼書を放してくれません。
「渡せない。あたしの権限で止めさせてもらうわ」
「ちょっともう一度よく見たいんで貸してください。見るだけ」
「……」
うわぁ、持ち逃げされるかもと疑われてますね。あきらかに。あれはわたしを信用していない人がする目つきです。滅竜騎士団の団長さんとか獅子乙女隊の隊長さんとか、よくあんな目でわたしを見ていましたもん。心外だなあ。
「一瞬! 一瞬だけ! 借りるだけですから、ねっ?」
「ダメだってば! ちょ、やめ、破れるから放しなさい! 依頼書や手配書の破損行為は立派な犯罪だからね! 通報するよ!?」
ここで引いたら女が廃る。生活に困る。恥を掻く。
「いや、行きますって!」
「行っちゃだめって言ってるでしょ! 本音が漏れてんのよ!」
依頼書からいまにも裂けような音がしています。
「だってそれくらいの報酬額がないと困るんですっ! 故郷に錦を飾るんですっ! 肖像画を村中に配られてしまった哀れな少女の気持ちがわかりますかっ! あともうお腹空いて限界なんですよぉ!」
「知らんし! そもそもこの手の依頼書は暗黙の了解で、ギルドが認めた実力者にしか渡さない決まりになってるのよ!」
「大丈夫! もとは滅竜騎士団ですから! 竜くらい滅せますよ! それに、わたしと家族と親戚とペットの生活がかかってるんですってばぁぁ」
「一族そろって無職なの!? ああぁぁぁ、だめだめだめ!」
「そぉぉ~~~~い!」
もぎ取ってやりました。破れるのを恐れたのか、彼女が先に放したので。
ふふ、覚悟の差ってやつが出ましたね。
受付嬢さんが頭をかきむしります。
「あ~~~~も~~~~! この子、話が通じないッ!」
「ふふん、どうやらあきらめたようですね。それがわたしとあなたの差です。わたしは犯罪者になるリスクに果敢にも踏み込み、最後まであきらめなかった」
「それ褒められた行為じゃないからねっ!?」
「それではわたしは竜退治に征ってきます。竜首、楽しみに待っていてくださいね。アデュー!」
恐ろしい形相でこちらを睨む受付嬢さんを、わたしはギルドの出口付近まで後退してからカッコイイポーズで煽ってやりました――が、突然背後から襟首をつかまれてつり上げられます。
「わっ、わっ」
ジタバタ足を動かしたところで、地面には届きません。そーっと振り返ると、おっそろしいほどに筋骨隆々とした筋肉の塊のような浅黒い半裸の男性が立っていました。
視線が合うなり、真っ白な歯を剥いてニカッと笑います。
笑みがもう暑苦しい。筋トレしすぎてハゲてますし。
「……えっと……?」
彼は無言でわたしの手の中から竜討伐の依頼書をふんだくると、受付カウンターまで歩き、依頼書を受付嬢さんに返してしまいました。
受付嬢さんが親しげに彼を見上げて微笑みます。天使の微笑みです。わたしにも向けろよ、その微笑みを。
「いつもありがとう、ザレスさん。助かっちゃいましたっ」
おい、なんだその態度の違いは。まさか受付嬢さんは、こういった趣味をお持ちの特殊性癖な方だったのでしょうか。
「いやいや、悪いとは思ったのだが、話は立ち聞きさせてもらった。どうやらこのお嬢さんはどうしても討伐依頼に参加したいらしい」
ああ、みちみちに詰まった筋肉がうるさい。
わたしを左手で吊したまま、右の拳で筋肉紳士が自らの大胸筋を叩きます。ドゴン、と凄まじい音が鳴り響きます。
痛くないの、それ?
「ならばこの筋肉紳士が預かるというのはいかがかな。ちょうど深淵の森の魔物退治に向かうつもりであったところでな」
「え? いいんですか? その子、たぶん足手まといになってしまいますが……」
受付嬢さんはどうやらわたしの実力を見誤っているようですね。わたしは元滅竜騎士なんですってば。
それはともかくとして、わたしは筋肉紳士の人に尋ねます。
「深淵の森? 何ですか、それ?」
「ああ。お嬢ちゃんは知らんか。ラースグリム討伐は、すでに国家プロジェクトとして水面下で進められている。深淵の森の魔物退治はその一環なのだ。ラースグリムのねぐらは深淵の森の中心地にある」
「ほうほう」
「そこまでの血路を切り拓き、そして一五〇〇名からなる旅団単位の騎士たちが対竜大型弩砲を押して進軍できるだけの道を造ることが我らの仕事だ。この計画にはすでに数百名の労働従事者と、その護衛に数十名の冒険者や傭兵たちが五年計画で動いている。十年が過ぎれば、ラースグリムが目覚めてしまう可能性があるのでな」
お茶目にも筋肉紳士が、バチコンと音が出そうなウィンクをしてくれました。
やめて、怖い。
「利権ズブズブの国家プロジェクトであるがゆえ、報酬も決して悪くはないぞ。長期間だから、完成まで従事すればそれなりの大金になるだろう。それに何より、超一流の冒険者である私の筋肉パーティに入れば安全だ。筋肉淑女もいるから、安心したまえ。そして五年後には竜の討伐だ」
「おお、それはいいですねえ! わたしも楽ができそうです!」
「ならば決まりだな。よろしく、お嬢。筋肉の加護があらんことを」
「ええ、よろしくお願いします。筋肉紳士さん」
うむり、とうなずいて、筋肉紳士がようやくわたしを下ろしてくれました。
だからわたしは、すかさずカウンターテーブルに跳び乗ってラースグリム討伐の依頼書を受付嬢さんから奪取し、冒険者ギルドから飛び出してやりました。
ひゃっはー!
「じゃあちょっとラースグリム倒してきますねっ!」
唖然呆然とする受付嬢さんと筋肉紳士を置き去りにして。
五年も待ってられませんもん。
さ~て、いざ征かん、竜退治!
※
ギルドの受付嬢を始めてから早五年。毎日毎日獣臭い男どもを相手に笑顔を保ち続けてきたというのに、今日現れたとんでもなくアホな少女のせいで、初めてあたしの笑顔の仮面が剥がされてしまった。
「やられた……。まだあきらめてなかったなんて……」
「むぅ、話の流れを完全無視とは、なんと恐ろしいお嬢だ」
少女を追ってギルドを飛び出したあたしとザレスさんの視界に、すでに彼女の姿はない。
参った。まさかあの流れで依頼書を奪われてしまうとは。完っっっ全に、ザレスさんのパーティに入るものと思って油断をしてしまっていた。
「あ~~~~~も~~~~~~~!」
「仕方があるまい。我が筋肉パーティが彼女を追おう。なぁに、さすがにラースグリムのねぐらにまでは辿り着けんさ。深淵の森の魔物を相手に立ち往生しているだろう。無事でいさえしてくれれば、我々が助けられる。この正義の筋肉でな」
あたしは首を左右に振った。
「だめ。いくらAランクのパーティでも、それじゃザレスさんたちが危険過ぎます。救出隊を編制するので、少しだけ猶予をください」
「わかった。急いでくれ」
一体の竜を狩るときは最低限、対竜兵器と一五〇〇名からなる旅団単位の騎士か、あるいは腕利きの傭兵団や猟兵団の力が必要だ。竜狩りを専門にしているとんでもない力を持った勇者が稀に現れるけれど、そんなものは例外中の例外。
間違ってもあんなアンポンタンの小娘一匹にどうこうできる相手ではない。
ましてやそれ以前。たった一人で深淵の森を抜けられるわけがない。森の魔物を駆逐する計画は、まだ始まったばかりなのだから。
「とりあえず救出隊の編制を急がないと」
はぁ~、もうすぐ定時だったのに……。
※
ほうほう、これが竜ですか。
まず、でかい。お城とまでは言いませんが、冒険者ギルドの建物くらいの大きさの肉体に、広げたらその倍はあろうかという翼、とんでもなく長い首の先には、トゲトゲだらけの頭部があります。
体表にびっしりとある鱗の一枚だって、わたしなんかより大きいです。全体的な対比を言えば、人間と虫けらといったところでしょうか。
おいおい。これ、人間にどうこうできる生物なのでしょうか。やっべえです。山VS石ころの図ですよ。
――と、普通の人ならそう考えるでしょう。
しかしわたしは滅竜騎士団の一員。元ですが。
滅竜騎士団というくらいですから、あの騎士団に入れた時点でわたしには竜を滅せるだけの力があったと言って過言ではないでしょう。
深淵の森中央に位置する山の噴火口をねぐらにして、ぐーすか眠ってます。蟻のような存在のわたしが近づいたところで起きる気配もありません。
ちなみに噂の深淵の森とやらですが、魔物なんてどこにもいませんでした。
こちとらビクビクしながら恐る恐る踏み込んだというのに、なんとも拍子抜けってやつですよ。人の噂ってのはあてになりませんね。あんまりにも何もいなかったんで、普通に走って抜けることができました。
ま~とにかく竜は寝てます。危険な竜退治にやってきた人の気も知らず、のんきなもんですよ。そういうとこだぞ、竜。
顔の前に立つと、寝息がクソ熱いです。どうやら火を吹くというのは伝承ではないようですね。ギザ歯の隙間からチラチラと寝息に混じって火が漏れてます。
――フガッ、ゴフゥゥゥーーーーーーーーーーーーーーーーー……。
「ひゃあ!」
わたしはスカートを押さえて背中から転がります。ただの寝息に吹っ飛ばされてしまいました。もう、エッチな熱風ですね。冬場にお願いしますよ。
ちなみにわたしの装備は支給品だった細剣一振りのみです。鎧は正規騎士と間違えられないよう、追放の際に取り上げられてしまいました。
だから植木鉢ごと黙って持ち逃げしてやったこの細剣は、退職金代わりってやつです。
ざまぁ!
いずれにせよ寝ているなら都合がいいですね。そろそろ始めましょうか。
“竜退治”ってやつをねっ!!
わたしは腰の細剣を抜いて、竜の頸部に近づきます。抜き足差し足で。
ひょ~、でっけえ。
竜首の太さは細剣の全長の五倍ほどです。とてもではないですが、一刀で首を落とすことはできないでしょう。
ならば目でも狙いましょうか。いいえ、それは危険です。素人の考えです。目は二つありますからね。片方だけ潰したって意味がないんです。
やはり首。首は落とせずとも、頸動脈を切断すればそれで済む話なのですから。
わかりますか。細剣の長さで十分なんですよ。わたしくらいの竜狩りになるとね。実戦経験ないけど。
両手で柄を、両足で大地をつかみ、上段の構え。心臓バクンバクンですよ。
細剣は、敵の鎧の継ぎ目を通すために力のない女性騎士らに配布される軽量刺突武器です。が、それとて、わたしくらいの使い手になると斬撃だって有効になるのです。実戦経験ないけど。
「クックック、眠っているところを申し訳ありませんが、――いま死ねすぐ死ねもう死ねぇぇぇぇぇッ!!」
わたしは細剣を力任せに振り下ろします。
「とぉぉぉーーーーーーーーーーっ!」
刃は炎色の鱗を断ち斬り、肉に分け入ってその奥に存在する巨大な血管を破る――ことなく、カァン、と間の抜けた音を立てて、振り切った腕の中であっさりと直角に折れ曲がってしまいました。
「おお?」
あれれ~? おかしいぞ~?
滅竜騎士団の支給品だったはずなのになぜ? 滅竜用の剣じゃないの?
細剣の刃は欠けて、刀身なんてぐんにゃりと折れ曲がっています。これではもはや剣として用を為しません。
まいったな。こんなはずじゃなかったのですが。
やはりわたしくらいの竜狩りになると、武器も支給品ではなくドラゴンスレイヤーとかドラゴンキラー的なすごいやつじゃないとダメだったようですね。わたしの肉体性能に、騎士団支給品の武器が追いついていないのです。実戦経験ないけど。
「は~、使えない……」
そうつぶやいたわたしの全身が、巨大な影に呑まれました。
わたしは見上げます。
牙竜ラースグリムが、つぶらな瞳でわたしを見下ろしてます。ううん、見下ろしているのではなく、見下しています。
――……。
「……」
わたしは手に持っていた剣を後ろに隠しました。
フレンドリー。うん。フレンドリー。天使の笑顔で。
「あ~、おはようございます。ラースグリム氏。よいお天気ですし、お昼寝するには少々もったいないかと」
――……。
ギリィ、とギザ歯が軋みました。
その後、ガキンガキンと打ち鳴らされます。その隙間から覗く轟炎たるや。
威嚇、威嚇されてますよ! 休眠期だから機嫌悪いのかな?
「ど、どど、どうかなさいましたか? ラースグリム閣下?」
位を上げてみました。
――我が眠りを妨げた愚者は貴様か、地を這う蟲よ。
不機嫌でありながらも怒鳴り声ではなかったというのに、全身が粟立つほどの声量でした。耳がキンキン、お目々がチカチカします。
「そ、そそそうだと言ったら……? や、もちろん仮にですよ? あくまでも仮の話ですからね?」
――不運にも貴様と同種に生を受けた者は、我が撃滅の炎にてその身を灰燼に帰すであろう。
わーお、超短気ッ!! 獅子乙女隊の意地悪な先輩だって、もう少し寝起きよかったですよ!
あ、でも……。
「えーっと、それって、わたしは見逃してもらえるってことです?」
わたしの故郷は遠いところにありますし、滅竜騎士団がどうなろうと知ったことではありませんし、王都がどうなったって別にいいですし。
――愚か者めがァァァァッ!!
「わっ、ひゃ!」
声の音波に弾かれて、わたしは派手に背中からゴロゴロと転がりました。折れた細剣が手から離れて地面に落ちます。
「い、痛タタタタ……」
耳がキンキン、目がチカチカ、頭クラクラ。
かろうじて立ち上がります。膝が笑ってました。
頭を振って視線を上げたとき、ラースグリムもまた翼を広げて後脚で立ち上がり、わたしに牙を見せつけるように大口を開けていました。
噴火口のねぐらでさえ狭く感じられる巨体と、周囲の山岳地帯から一斉に動物たちが逃げ出すほどの怒気、そして全身が竦むくらいの威圧。
ああ、大きすぎてお空が見えません。こっわ。涙出ますよ。
そうして牙竜ラースグリムはわたしへと向かって、鋭く巨大な前足の爪を振り下ろしたのでした。
――ガアアアアァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!
「ひぇぇぇぇぇっ!?」
※
救出隊の編成に手間取った。
夜の森に入ることをよしとする冒険者がほとんど見つからなかったことが原因だ。然もありなん。夜の深淵の森の危険度は、昼の比ではない――はずなのだけれど。
「バカな、深淵の森の魔物たちが完全にいなくなっている……」
救出隊の先頭をいくザレスさんが、走る馬上でそうつぶやいた。
倒されたというわけではない。魔物の死骸がないから。だとするならば、魔物らは自らの意志で森を去ったということだ。
「牙竜の目覚めが近いとでもいうのか……?」
「そんなはずはないです。だって牙竜が眠りについたのはおよそ五十年前、竜専門の碩学の計算では、少なくとも十年近くの猶予は確実にあったはず」
歴史上を鑑みて、竜の休眠期間は六十年から百年と言われている。目を覚ますには早すぎる。
あたしは粟立つ肌を自らの掌で擦った。
魔法の灯りが森を照らす。本来であれば嬉々として襲いかかってくるはずの魔物は、やはりどういうわけか見当たらない。
実のところ、あたしが剣を手にしたのは三年ぶりのことだ。
もうギルドの受付業務にだけ専念するつもりで生きてきたけれど、アンポンタン少女救出隊の編成の際に、人があまりにも集まらなかったおかげで、あたしもまた冒険者だった頃の自分に逆戻りしたというわけだ。
身体、鈍ってないといいけれど。
「真偽はわからんが、いずれにせよ都合がいい。魔物と戦いながらの徒歩移動だと大幅に時間を食われるが、これならば馬で牙竜のねぐらにまで行ける。少女に追いつける可能性が高い」
「ええ!」
救出隊はわずか二十名。予定人数のわずか1/5だ。うち八名がザレスさんの筋肉パーティだから、あたしが集められたのは自分自身を除く十一名だけ。けれどどういうわけか魔物がいないいまだと、身軽な少人数の方が都合がいい。
なのに――!
見えてこない。あの子の姿が。いつまで経っても。
「いったいどこまで進んだというのだ。徒歩ではなかったのか」
「あの子も馬を使ったのかも」
そうとしか考えられない。
「行き違いという可能性はないのか?」
「……わからない。とにかく行けるとこまで行きましょう」
「うむ」
程なくして、あたしたちは牙竜ラースグリムのねぐらである火山に辿り着いてしまった。斜面を馬で駆け上がり、火口縁近くにまで辿り着く。
この先に、眠り竜がいる……。
――ゴゥン!
強烈な地響き。馬が一斉にいななきを上げて、馬上のあたしたちを振り下とした。
「うおっ!?」
「~~っ」
そのままパニックに陥った状態で手綱を振り切り、馬たちは逃げ出してしまった。最初は地震のせいだと思った。曲がりなりにもここは火山地帯なのだから。
けれども、その直後。
――ガアアアアァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!
絶対王者の咆哮。
夜を揺るがすほどの咆哮が上がった。空間をびりびり震わせながら走り抜け、樹木から無数の葉を音波で空へと舞い上げるほどの。
全身が粟立ち、本能的な恐怖が肉体を竦ませる。
――ゴゥン!
大地を突き上げるかのような震動が再び襲い来る。
あたしたちはたたらを踏んだ。
「くっ!? ま、まさかっ! 本当にラースグリムが目覚めたというのか!?」
「冗談でしょう……? 早すぎる……!」
――ゴアアアアァァァァァーーーーーーーーーーーーッ!!
再び轟く咆哮。襲い来る音波。
耳を押さえてうずくまる。鼓膜が痛い。
「……ッ」
もはや疑うべくもない。そもそも、あんな威圧の咆哮を上げられる生物など竜しかいないのだから。
火口縁から炎が噴き上がった。溶岩ではない。岩石の飛来はない。炎だ。ただし、夜の空を真っ赤に染めるほどの。
誰も声すら上げられなかった。
救出隊など組むべきではなかった。
あの少女を行かせるべきではなかった。
殺してでも止めなければならなかった。
気づけばザレスさんも、あたしも、その場で膝をついていた。
再び大地が揺れた。巨大な、あまりにも巨大過ぎる蝙蝠のような翼が、火口縁の向こう側にチラついている。山頂から吹き下ろす、息すらできないほどの大風を巻き起こして。
筋肉パーティ以外の十二名が、風に押されて斜面を転がり落ちていく。あたしも足が浮いてしまったけれど、ザレスさんの逞しい腕によって地面へと引き戻された。
「あ、ありがとうございます! ステキ……」
「むう! こ、これはいかん……。一刻も早く王都の騎士団に報せねば……」
もはや事ここに至っては、少女一人の安否を気遣っていられる余裕などない。これはイゼリア王国の存亡を決める瞬間なのだから。
撤退を開始しようとした直後、これまでよりも一層強い地響きが起こった。ううん、地響きなんかじゃない。それはもはや炸裂音。大量の火薬に着火したような。
あたしはもちろんのこと、凄腕のザレスさんですら立っていられないほどの衝撃。火口縁が破裂したのだ。無数の冷えて固まった溶岩があたしたちに降り注ぐ。
「きゃあ!」
「ぬ!」
頭を抱えてしゃがみ込んだあたしの上から、ザレスさんが覆い被さる。衝撃が止んでから目を開けると、ザレスさんが視線を上げたまま片膝をついていた。
「ぐうぅ……!」
「ザ、ザレスさん、あたしを庇って――」
けれど、彼の視線はあたしにはない。頂上、すなわち崩壊した火口縁に向けられている。
あたしはその視線を追って、絶句した。
濛々と立ちこめる砂煙の中――。
崩れた火口縁から、牙竜ラースグリムがこちらを睥睨していた。真っ赤に染まった警戒色の瞳で、鋭い牙を見せつけながら。
大きい。巨体のザレスさんでさえ、ラースグリムの牙一本分といったところだ。こんなもの、対竜兵器もなしでどうしろというのか。
いま炎を吐かれたら?
あの牙で肉体を貫かれたら?
あるいは爪で引き裂かれたら?
逃げ切れない。翼ある生物からは。ましてや逃走のためとはいえ、あれに背中を見せる勇気はない。
生をあきらめた――……。
その場の誰もが心の中で、死を迎え入れる準備をしていたのだと思う。
「あれれ? 受付嬢さん、何でこんなとこにいるんです?」
その声が聞こえるまでは。
……は?
少女の声が聞こえた気がした。
いや、うん。はあ。ええ。うーん。
「うわっ、すっごい筋肉の人たちがいっぱい……こっわ! や、やっぱり受付嬢さんってそういう趣味だったんですね!? 筋肉ハーレムを持っていただなんて!」
いるわ。竜首から伸びた長い髭の先に。幻聴じゃなかったわ。何か知らないけれど、髭を片手でつかんで立ってるわ。めっちゃ元気に手ぇ振ってるわ。
……何なん、あれ?
濛々と立ちこめた砂埃が晴れてくると、ラースグリムが血まみれの傷だらけであることがわかった。斬り傷ではなく、力任せに、重く硬いものをぶつけられたかのような損傷だ。
鱗がバキバキに割れているし、よく見れば――ないわー、首が途中でブツ切られてて、胴体に繋がっていない。胴体がないのだ。
「あ……あ……」
言葉が出ない。
少女が舌を出してテヘッと笑う。
「竜って案外脆いんですねえ。最初吠えられたときは怖って思ったんですけど、何かぶん殴ったら首がまわってねじ切れちゃいました」
「え? え?」
「まあ全身引きずって持って帰るにはちょっと重そうでしたし、頭だけでちょうどいいか~って思ったんですが、もしかしてダメでしたか? 胴体も取ってきます?」
彼女の質問に応える者は誰もいない。この場にいる筋肉パーティのうち、五名は呆然自失、二名気絶、一名は失禁している。
あたしは震えながら少女を指さしていた。
「あ……ぇ、あ……?」
「あ、竜首? 重そうに見えるんですが案外軽いんですよ。ほら」
少女は竜の髭を引っ張る。
バウンと跳ねた竜首が宙に浮いて火口縁から飛び出し、凄まじい勢いであたしとザレスさんの目前に叩きつけられた。
ドゴォッ!!
大地が悲鳴を上げて陥没し、筋肉パーティの人たちが一瞬だけ浮いた。
「頭部だけですと、ますます軽いですねえ。ほんと見かけ倒しでしたよ。せっかくの初陣でしたのに」
どうやらこれが先ほどまでの地震の原因だったらしい。つまり少女は竜の髭を引っ張ってその巨体を振り回し、叩きつけていたということだ。
「あらら。山が崩れちゃいましたね。まあいいや、わたしの家じゃないし、ラースグリムん家ですし。てなわけで、報奨金とクッキーと紅茶をください。お腹空いたんで」
あたしはグビっと喉を鳴らして少女に告げる。
「……ほ、報奨金……は、あの……後ほど……」
「わーいっ! わっかりましたっ!」
嬉しそうだ。
こちとら、乾いた唇が張り付いてうまく言葉が出せないというのに。
あたしの隣でザレスさんがつぶやく。
「そ、そういえば今朝方ある話を見回り騎士から聞いたのだが……。陛下がとある村に狩りにいった際に出逢った少女の与太話だ……」
※
雪山での狐狩りの際、不運にも雪崩れに遭遇した陛下の前に、身の丈を遙かに超す巨岩が降ってきて、その流れをせき止めたのだとか。ぶん投げたのはわずか十五の少女。
そのあまりのバケモノっぷりに不安をおぼえた陛下は、彼女に剣を持たせることで怪力を使わせないようにした。
本来であれば、怪力に剣などを持たせては火に油を注ぐようなものだと思われるだろう。
しかし考えてもみてくれ。私のような筋骨隆々の男性にならば、全力の拳でぶん殴られるのと、紙を丸めて作った棒きれで叩かれるのであれば、どちらがマシだろうか。
むろん、考えるまでもなく後者である。
少女の場合、それが少々常軌を逸したレベルであった。つまり少女にとって騎士の剣など、ただの枷に過ぎなかったということだ。剣や鎧などない方がいいのだ。彼女には鋼鉄をも砕く拳と、それを大いに生かす筋肉があるのだから。
英雄や勇者、あるいは魔王となる器の持ち主――……。
ゆえに陛下は彼女が他国に見出される前にイゼリア王国で囲うべく、剣と騎士の称号を与えた上で、自身の一族を警護する滅竜騎士団へと招き入れた。
だがそれらの事情を知らなかった滅竜騎士団の団長や獅子乙女隊の隊長は、剣や鎧を粗末に扱った少女を退団させてしまった。
陛下が肩を落とされたのは言うまでもない。最愛の娘につけた最強の護衛を、勝手にクビにされてしまったのだから。
罪状なき滅竜騎士団長は謹慎で済んだものの、スカウト入隊に嫉妬して嫌がらせを指示していた獅子乙女隊の隊長は即日隊を脱隊させられ、地方の守備に回されたのだとか。
察するに、深淵の森の魔物たちが本能的な危機感をおぼえて逃げ出さざるを得なかった理由は、牙竜ラースグリムにあったのではなく、この少女の方にあったのだろう。
※
あたしの目の前で、少女は両手をパンと合わせる。
「そうだ。お腹空いたんで、みんなでラースグリムの胴体を食べてみませんか。竜首さえあれば討伐証明になりますよね? ね? 胴体なら食べちゃってもいいですよね? ね?」
あたしはそれを指さして。
「……あれがそうだと?」
「……おそらく……」
ザレスさんが自信なさそうにつぶやいた。
少女がニヤけながら、ラースグリムの頭部を撫でる。
「それとも胴体の方を運んで、頭を兜煮にしてみるのもありかも。頬肉とか引き締まってておいしそうですし。ああ~っ、どっちも捨てがたいっ!」
何だかどっと疲れたあたしは、無気力にこたえる。
「……鍋、ないでしょ……」
「あそっか。だったらやっぱり胴体を食べますか! おごりますよ! 食べ切れそうにないですし!」
これこそが、邪竜蔓延る後の世に、“竜喰み”と呼ばれるようになる、一風変わった竜狩りが誕生した瞬間だった。
筋肉は量より質であることの証明!
最後までのお付き合い、ありがとうございました。
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