兇手-毒2
毒が盛られていた際の配膳係は既に特定できていた。調べてみれば予想通り、今日の夕食を運んでくるのが件の配膳係である。カナンとエウラリカの推測が当たっていれば、これから運ばれてくる一食には、確実に毒が盛られている。
ネティヤを伴って、カナンはエウラリカの部屋の前まで赴いた。ネティヤの面前で、腕輪に仕込んだ隠し鍵を使うのは憚られる。常ならばしないようなノックひとつ、程なくして扉が向こうから開かれた。
ひょこ、と顔を覗かせたエウラリカが、ぱっと表情を輝かせてネティヤを見上げる。
「ようこそ、ネティヤ! わたし、あなたとお話がしてみたかったの」
いきなりの言葉に、ネティヤはやや面食らったように一歩下がった。その表情から視線を外さないまま、エウラリカはゆっくりと目を細める。
「どうぞ、入って? そうだわ、もうすぐ食事が運ばれてくる頃なの。――一緒に食べましょう!」
その言葉がエウラリカの口から発せられた直後、エウラリカとカナンの視線は同時にネティヤの表情や指先に集中した。ネティヤは驚いたような表情で、「そんな、ご相伴に与るなど」と小さく首を横に振っている。
(……食事という単語に特に反応を示す様子はない)
カナンは横目でネティヤの顔色を窺いながら腕を組んだ。エウラリカもカナンに何か目配せをすることもなく、軽い咳払いでカナンを促す。それを受けて、カナンは扉を大きく押し開き、「どうぞ」とネティヤに目配せした。
カナンとエウラリカに前後を挟まれてしまえば、ネティヤはもう強固に拒むことを諦めたようだった。おずおずと部屋に入り、ぐるりと周囲を見回して息を飲む。
「……不思議な、部屋ですね」
ネティヤはしばらく首を巡らせたあと、それだけ呟いた。確かにこの部屋はエウラリカが普段装っている雰囲気とは大きく異なる。物が少なく、床は広く、天井は高い。白石で作られた壁や床のせいで、やけに清潔で、寒々しさのある部屋だった。どこか得体の知れなさを感じさせる。カナンに言わせてみれば、非常にエウラリカに似合いの部屋である。
ネティヤはエウラリカに言われて、その向かいの長椅子に腰掛けた。そこは本来カナンの定位置である。居場所を失ったカナンは所在なく立ち尽くす。ネティヤの視線は緊張気味にエウラリカを見据えたままで、エウラリカの方も、いつもの癖で足を組みかけて慌ててやめるなど、多少の動揺を示していた。仕方なしにカナンはエウラリカの斜め後ろに控える。
「ネティヤを初めて見たときから、わたし、あなたに聞いてみたいことがあったのよ」
エウラリカは一度息を吸ってから、そう切り出す。「どうぞ、何なりと」と応じつつ、ネティヤは僅かに眉をひそめた。
「――しかし、エウラリカ様が私のような者のことをご存知とは思いませんでした」
(……突っ込まれた、)
カナンは目の端で二人の様子を窺う。
やはり、カナンの言葉はいまいち信じ切れていなかったらしい。ネティヤの視線には油断がなく、エウラリカの言葉や表情をじっと検分しているようだった。
「…………。」
エウラリカはしばらく口を閉じたまま沈黙し、ややあって「わたし、異国の人が好きなのよ」と笑顔を浮かべた。
「一目で分かったわ、あなたは他の国から来た人でしょう? それで前から気になっていたから、呼んできてもらったんだけど……迷惑だったかしら?」
ふと気弱そうな表情をその顔に作り、エウラリカは僅かに眉根を寄せる。ネティヤは数秒躊躇してから、「滅相もありません」と首を振った。
「確かに、私は帝都とそれに準ずる文化圏の外から参りました。しかし、私の出身地であるウディル州は、三十年以上もの昔から帝国の一部として力を尽くしております。異国の民などと言われてしまっては、少し寂しくもありますね」
「あら、そうだったの? 帝国の人だったのね……」
エウラリカは頬に手を当て、僅かに唇を尖らせた。
「じゃあ、州? っていうのは、帝国の一部なのよね?」
白々しく知らないふりをしたエウラリカが首を傾げる。ネティヤは頷き、人差し指を立てた。
「帝国には、後から統合された地域が多くあります。もちろん中央は帝都を中心とした帝都圏。こちらは、大小様々な領地を各領主たちが治めているのはご存知ですね?」
「うーんと」
エウラリカは目を逸らしてばつの悪そうな表情で頬を掻く。まさかエウラリカがこの程度のことを『ご存知で』ないはずはないが、この場では無知を装うのが最善である。
ネティヤが語る。
「古くから帝国に仕える名家が、直々に皇帝陛下から任された土地を管理しているのが、一般に『領』と呼ばれる地域です。領主の自治が認められ、権限も大きいのが特徴ですね。これらはいずれも帝都の周囲を取り巻く帝都圏に集中しておりますが、特例なのがハルジェール領。こちらは帝都圏と呼ばれる地域にはあたらず、隣接はしておりますが元々別の国でした」
「ふーん……。別の国なのに、その……『領』になったの?」
「ええ、はい。領地であるということは、すなわち皇帝陛下からの信頼の厚い土地であるということ。ハルジェール領の忠誠に応えて、ということでしょうか」
ネティヤは続いて中指を立てる。
「次に、『州』と呼ばれる地域があります。定義としては『帝国が管理する土地』程度ですが、その程度は様々。私の出身地であるウディルも、ここに含まれます。帝都からいらした総督が治めている土地で、東部文化圏に対する緩衝地帯として軍事的にも重要な州ですね」
「あとは、東ユレミア州など、何らかの理由で帝都が締め付けを強めている土地だとか」
カナンは手持ち無沙汰に腕を組んで口を挟んだ。ネティヤは顔を上げ、「その通り」と頷いた。
「反乱の危険性など、要注意の地域は、帝都直轄地として州に含まれます」
「反乱? そんな可能性があるの?」
「エウラリカ様がご心配なさる必要はございませんよ。帝都により厳しく監視、管理され、反乱に至る前に不穏分子を排除しております。だからこその直轄地ですから」
微笑んだネティヤの言葉に、エウラリカは一瞬だけ目を眇めた。
「どうして兵力を割いてまで、そんな手間のかかる土地まで戦線を拡げるのかしら……馬鹿馬鹿しい」
冷ややかに低く吐き捨てたエウラリカに、聞き取れなかったらしいネティヤが前のめりになって瞬きをする。
「も……申し訳ございません、何か仰いましたか?」
表情を固くしたネティヤに視線を向け、エウラリカはすぐに「何でもないわ」と笑顔を浮かべた。
エウラリカは笑みを深め、「詳しく教えてくれてありがとう」と小首を傾げる。
「もう一つは聞いたことがあるわ。『属国』でしょう?」
面倒になったのか、彼女はあっさりとそう告げる。カナンはその背後で頷き、「皇帝に忠誠を誓い、配下に下る代わりに自治権が与えられる土地です。主には敗戦国か、自ら傘下に入ることを選択した小国など」と簡単に補足することでこの話題を済ませた。
「ご存知でしたか」とネティヤは控えめに応じ、長椅子に座り直す。
「それにしても、エウラリカ様が異国にご興味がおありとは……存じ上げませんでした」
「……ええ、そうね」
エウラリカは少しだけ目を伏せた。その表情に眉を上げたのはカナンとネティヤである。一体何を言い出すのか、と黒髪の二人は少女を見守る。
「――だって、言っても仕方のないことだもの」
そう呟いて、エウラリカは胸の前で両手の指先を突き合わせた。ネティヤがゆっくりと息を飲む。
「何か、思い悩んでおられることがあるのですか?」
エウラリカを穴が空くほどに見据え、ネティヤは慎重に言葉を選ぶ。その眼差しの鋭いことと言ったらなかった。餌を見つけた飢えた野良猫のごとき視線である。揃えた膝の上で両手が握られる。ネティヤの表情にはぎらぎらとしたものがあった。
ネティヤは身を乗り出してエウラリカに説いた。
「初対面の官僚風情に打ち明けるのは躊躇われるかもしれませんが、ここで会ったのも何かの縁です。もしかしたら何か力になることもできるかもしれません。どうぞ打ち明けてください。私に言いづらいのであれば、そこにいるカナン……君に告げるのでも構いません。お一人で抱え込むのはお辛いでしょう」
(なるほど。エウラリカに近づきたいのもあるが、その考えも探りたいわけだ)
カナンは冷ややかにネティヤを見下ろす。
ネティヤは第二王子派の女であった。エウラリカの降嫁を目論見、その様々な手配を執り行っていた、ルージェンの下っ端でもある。対外的にエウラリカの婚約者が二人連続で死亡した後は、流石に結婚に向けて行動を起こすことはしていないらしい。……が、ネティヤ――もといルージェンにしてみれば、エウラリカを何としてでも皇位争いの俎上から引きずり下ろしたいはずである。
そのためには、エウラリカの手綱、あるいは弱みを握ることが肝要である。
その程度のことは、カナンが言うまでもなく、エウラリカも理解しているはずだ。
(……エウラリカは何を考えているんだ?)
カナンは内心でひやひやするような思いを抱えながら、エウラリカの横顔を見下ろす。と、不意に彼女の視線がくるりとカナンを見上げる。
「あら、どうして立っているの? 座れば良いのに」
そう言うエウラリカの目は明らかに笑っていた。カナンはぴくりと頬を引きつらせる。『座る場所がないからに決まってるじゃないですか』と普段の癖で憎まれ口を叩きかけて、カナンはすんでの所で「場所が……」と堪えた。
「あら」
カナンの言葉に、くすり、とエウラリカの唇が弧を描く。
「場所なら空いているじゃない」
その手が持ち上がる。しゃらりと腕輪が音を立てた。エウラリカの指先が、自身の横を指し示す。「ええ!?」とカナンは思わず仰け反った。まさかエウラリカが、何の目的もなく同席を許すはずがない。一体何が魂胆だ、とカナンは顔を強ばらせて一歩後じさる。また妙な嫌がらせだろうか。
「そんな、遠慮しなくて良いのよ」
追うように告げたエウラリカの視線が、『さっさとしろ』と語っている。更にこほん、と咳払い一つ。カナンは数秒の逡巡ののち、恐る恐る長椅子を回り込んでエウラリカに近づき、細心の注意を払って腰を下ろした。
「……良い子ね」
エウラリカが小さな声で呟いた。その声と言葉に、カナンは首の後ろの毛がひやりとするような感覚を覚える。首輪が喉に触れていた。
「そう、ええと……異国の話だったかしら?」
カナンが長椅子に腰を落ち着けてしばらくしてから、エウラリカは静かに切り出した。
「知っているかもしれないけれど、……私は、帝都の外に出たことがないわ」
緩く指を組み合わせて、彼女はそう囁いた。
「ずっと、広い世界に、憧れているの。――今までに見たことのない景色を見たい。知らない空気を吸いたい。もっと自由に駆け回りたい」
芝居がかった口調で語るエウラリカに、カナンは横目でしらっとした目を向ける。
(……今でも十分自由に駆け回っているのでは? 井戸に潜り込んだり仮装したりして……)
カナンのもの言いたげな視線を頬に受けつつ、エウラリカは素知らぬ顔である。が、その足が不意に動く。
「あ痛!」
瞬間、エウラリカの踵がカナンの爪先を踏みつけた。カナンは思わず声を漏らしたが、唇を噛んで何とか堪える。ネティヤの怪訝そうな視線が突き刺さる。エウラリカは知らないふりを貫いている。
(この女……)
隣を見れば、つーん、と音がつきそうなほどの澄まし顔である。カナンは恨みがましくエウラリカをじろりと睨みつけた。
「だ……だから、せめて話だけでも聞いてみたいのよ。遠くの地方から来たあなたは、きっと私の知らない面白い話を聞かせてくれると思って」
軽い咳払いをして誤魔化すと、エウラリカはそう締めくくった。ネティヤは「なるほど……」と顎に手を当てて深く頷き、同情を示すかのような仕草をする。
「しかし、それなら、私に聞かずとも、そこにいるカナン君に聞けばよろしいのでは?」
刹那、ネティヤの視線が驚くほど冷徹な光を湛えてカナンに差し向けられた。
「そういえば聞いていなかったな。――カナン、君はどこの出身なのだっけ?」
「……お答えしなければいけませんか?」
「質問を質問で返すとは無作法だね」
ネティヤの口角が持ち上がり、目が細くなる。そういう表情をすると、まるで狐のような印象を与える女であった。
「ぜひ聞いてみたいな。どうして東部の特徴を持つ君が、エウラリカ様の従僕となっているのか。だってエウラリカ様は帝都の外に出たことはないんだろう? 一体どうやって出会ったのだろうか」
カナンは唇を緩く引き結んだまま、ネティヤと相対する。
(カナンという名前は、東部諸国では決して珍しい名ではない)
しかし、……ジェスタから来たと正直に言ったとして、それを、かつてこの帝都に連行されたジェスタの王族、その末王子の名と結びつけられたらどうする。
逡巡を見せるカナンに、ネティヤは「もしかして何か言えない事情でも?」と白々しく首を傾げた。カナンが奥歯を噛みしめた直後、隣で軽い咳払いがする。
エウラリカの膝の上に、彼女の片手が広げて置かれていた。その手のひらに、エウラリカが素早く何かを書き綴る。それを見て取って、カナンは目線を上げた。
「……ダイランから来ました」
「へえ。本当に帝国の外から来ていたのか」
「そうですよ、顔立ちが違うでしょう。帝国語を覚えるのには苦労しましたね」
カナンは中身のない会話で時間を稼ぐ。エウラリカの顔は正面を向いたまま、その指先ばかりが流れるような動きで手のひらに見えない文字を記してゆく。――《絨毯》《売る》。綴られた単語を視界の端で確認しながら、カナンは淀みなく告げた。
「ダイランから絨毯を帝都に卸す際に、エウラリカ様に拾い上げて頂いたんです」
「そのとき、おとうさまに買ってもらったのがこの絨毯なのよ」
エウラリカは自身の足下を指し示して微笑んだ。全員の視線が下に向く。足の短いセンターテーブルと一対の長椅子、その一角には、エウラリカの言う通り、絨毯が敷かれている。
ネティヤはまじまじと絨毯を眺めながら呟いた。
「確かに、これはダイラン絨毯の模様……」
「すごい、見ただけで分かるのね!」
エウラリカは胸の前で両手を合わせ、ころころと笑い声を上げる。カナンは内心舌を巻いた。よくもまあ咄嗟に絨毯を証拠に使おうと思いつくものである。
ネティヤはやや不満げでありながら、納得を示したようだった。
「なるほど、事情は分かりました」
「……あまり人には言いたくないんです。エウラリカ様の従僕が、地方の絨毯職人の家の出であるということは」
「確かに……出自をとやかく言う人間もいるかもしれないからな」
ネティヤは小さく頷く。
この女は、ここで見聞きしたことを全て、主であるルージェンに話すだろう。あまり迂闊なことを喋ってはのちに齟齬が出る。エウラリカとカナンはそれ以上の作り話を取りやめた。
「しかし、エウラリカ様が帝都の外にご興味がおありとは……」
反芻するように呟いたネティヤを見ながら、カナンはふと考える。……エウラリカは何故、ネティヤに対してそのような話を聞かせた?
(自分が帝都の外に関心があることを、ルージェンに知らせて、どうするつもりだ)
カナンが黙考に沈みかけた矢先、廊下から扉が叩かれた。
彼は素早く腰を浮かせ、扉に歩み寄る。扉の向こうからは「エウラリカ様、」と若い女の声がした。それを皆まで聞かず、カナンはひと思いに扉を開け放つ。
「お食事をお持ちしま――」
「はい」
言葉を遮るようにして顔を出せば、配膳係の娘は大きく目を見開いた。普段はこのように食い気味に出てくることはしない。虚を突かれてたじろぐ彼女を、カナンはじっと見下ろした。
(やはり、今まで毒を盛られていたときの配膳係と同じだ)
確信を抱きながら、カナンは配膳係を静かに見つめる。カナンの問うような視線に、何かを悟ったらしい。彼女の顔色は真っ青であった。盆を持つその指先が小刻みに震えているのを見て取って、カナンは内心で冷ややかな感情を抱く。まさかこの女が黒幕ということはあるまいが、――これが、エウラリカを害そうという実行犯か。
「……いつも、ありがとうございます」
努めて穏やかな声で告げる。配膳係の肩がひくりと跳ねた。「受け取りますよ」とカナンは盆を彼女の手から取り上げる。部屋の方に向き直りながら、カナンは肩をすぼめて立ち尽くす少女を肩越しに一瞥した。
「それにしても、エウラリカ様は好き嫌いが多くて困ります」
その口元に嘲笑を浮かべながら、カナンは行儀悪く片足で扉を閉めた。配膳係の姿は見えなくなる。
――カナンの両手には、毒が盛られていると思しき食事が乗っている。
***
二人分の食事しか用意されていないのを見て、ネティヤは怪訝そうな顔をした。それはもちろん、当然ならエウラリカとカナンの分として用意されている食事だからである。カナンはすかさず「僕は別のところで食べるので」と補足し、エウラリカも「どうぞ」と笑顔でネティヤの前に皿を置く。
「それでは、……ありがたく頂きます」
ネティヤは困惑を示しつつ、おずおずと食器を手に取った。そこに緊張は見られるものの、必要以上の動揺は見られない。二人は何でもない風を装いつつ、彼女の手元と表情を油断なく観察した。
匙の先端が、浅い皿に湛えられたスープの水面を割った。液体が匙に掬い上げられる。口元に寄せられたそれが湯気を立てた。細い息によって湯気がたなびく。
黒髪の女は頬に落ちた一房を耳にかけ、唇を薄く開いて、匙にそっと口を付けた。
(……飲んだ!)
カナンは密かに息を止めた。エウラリカも一瞬だけ目を見開き、ネティヤの顔をじっと見つめている。
少なくとも、ネティヤはこのスープに毒が入っているとは思っていない。そのことは確かだった。――それでは、実際にスープに毒は入っているのか。
あまり黙って見つめているのも変な話である。エウラリカも食器を手に取り、食事を進めるような仕草をし始めた。しかし実際に食べ物を口に入れるわけにもいかず、「これ嫌いなのよね」と皿をつつき回す動作で場を濁している。
それからネティヤは、向けられる視線に不思議そうな顔をしつつ、手際よく皿の上の食材を口に運んでゆく。その様子に異変は見られず、実に平然とした様子である。
結局、半分以上を食べ終えたあとになっても、ネティヤに何か変化が起こる様子はなかった。こうなれば、食事に毒は入っていなかったと言って良いだろう。二人分の食事に区別はなく、どちらをエウラリカが食べるのかは配膳係には知り得ない情報だった。
減る様子のないエウラリカの皿に、ネティヤが眉をひそめる。「召し上がられないのですか?」と問われて、エウラリカは「あまりお腹が空いていないの」と不満げな顔をした。
「……ふむ?」
ネティヤの視線に探るような色が浮かんだのを見たカナンは、聞こえよがしにため息をつく。
「エウラリカ様は好き嫌いが多くて困りますね」
「好き嫌いじゃないわ、本当にお腹が空いてないのよ」
「それなら食後のお菓子は駄目ですよ」
「うっ……べ、別にそれで良いわよ」
そんな茶番を挟んで、カナンはネティヤを横目で窺った。……ネティヤを呼んだのは早計だったかもしれない。
ネティヤが立ち去ったのち、エウラリカは一度大きなため息をついた。
「毒はなし。ネティヤは毒など入っていないと知っていて食べたのか、それとも本当に毒のことなど何も知らないで食べたのかは分からず」
「そしてネティヤに疑念を抱かれた。これはルージェンのところまで確実に報告が行くわね」
部屋に備蓄してある焼き菓子をかじりながら、エウラリカが横柄な仕草で足を組んだ。傍らで腕を組むカナンを一瞥する。
「いつまで隣にいるのよ」
「……今移動しようとしていたところですよ」
言外にどけと言われて、カナンは舌打ちしながらエウラリカの向かいの長椅子に腰掛けた。さっきまでネティヤが座っていた位置である。
エウラリカは厳しい表情で嘆息する。
「……毒が入っていないとは思わなかったわね。配膳係は同じだったのでしょう?」
「はい。それに、酷く緊張している様子でした。だからてっきり、毒を入れたことに対して動揺しているのかと」
「配膳係の様子が変だったのは気になるわね。でも毒が入っていなかったとなると……」
そこで一旦言葉を切ったエウラリカが、低い声で呟く。
「急遽、毒を盛らないように指示が入った、とか?」
カナンは唇を引き結ぶ。それはつまり、ネティヤ以外の人間が自分たちの動きを監視し、予定を変更するように采配したということである。
こちらが毒に気づいていることなど、向こうは予想の内だろう。しかし、ネティヤを使ったのは下手を打ったかもしれない。
二人は顔を見合わせたまま、難しい表情で黙り込んだ。
「私たちがルージェンに疑いを向けていることを、悟られたかしら」
エウラリカは唇に指先を這わせながら、低い声で吐き捨てた。




