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傾国の乙女  作者: 冬至 春化
墜ちゆく帝国と陥穽の糸【深層編】

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糸の先3


 先に城内に戻ったのはカナンのようだった。部屋に入り暖炉の火を熾していると、背後で扉の鍵が開く音がする。肩越しに振り返ると、腕輪を付け直しながらエウラリカが入ってくるところだった。外套の下は、外で見たような少年の服ではなく、いつもと同じ形の巻衣である。

「どこで着替えてきたんですか」

「まあね」

 もはや会話として成り立っていない返答に、カナンは無言で肩を竦めた。


 エウラリカは外套を脱ぎ捨てると、手袋をその辺に放り、いそいそと暖炉に近寄ってきた。赤くなった指先を火にかざし、唇をすぼめて長い息をつく。暖炉の前に一定の距離をとって並んだ二人は、どちらともなく話を始めた。


「イリージオとの逢瀬はどうでしたか」

「凡庸。傷心。うじうじ。私のことなんてちっとも興味ないわよ、あの男」

「恋人と別れたばかりだそうですよ」

「ああ……なるほどね。今回のために恋人を振ったのかしら。可哀想に」

「彼女の方も随分と悲壮感が漂っていました」

「会ったの?」

「少し話を聞いてきました」

「あら、やるじゃない」


 エウラリカはカナンの方を振り返って、ちらと笑顔を見せた。真っ向からそれを受け止めてしまったカナンは、思わず顔を逸らして暖炉の火を見つめる。火かき棒で手持ち無沙汰に薪をつつき回していると、エウラリカがからかうように息を漏らした。



「そ……それで、僕の方も面白いことが分かったんですよ」

 無理矢理に話題を変えると、エウラリカは「へえ」と目を丸くする。

「でも、私の方がきっと面白いわ」

「いや、多分僕の方が面白いと思いますよ」

 折りたたんだ膝の上に前腕を乗せ、カナンは横目でエウラリカを見た。彼女は抱えた膝に頬を当てて見上げてくる。楽しげな表情が、揺れる炎の光に照らされて浮かび上がった。


「じゃあ勝負しましょうか」

「受けて立ちますよ」

「負けたらどうする? 犬の真似でもする?」

「何でそういうことさせようとするかなぁ。面白くないでしょうに」

「あら、面白いわよ」

 エウラリカはくすくすと笑うと、足を抱えていた片手をひらりと掲げてカナンに向ける。

「じゃあ、お先にどうぞ?」

「はいはい」


 先を譲られて、カナンは火かき棒を床に置きながら、ゆっくりと口火を切った。

「オルディウスに関する捜査が打ち切られ、主治医と医局の男が言い争っていました。やはり、オルディウスの死が発作である可能性は低いようです」

「ああ、そのことで……いや、続けて頂戴」

 エウラリカはふと顔を上げて口を挟みかけたが、思い直したように頭を振る。促される通りに、カナンは話を続ける。


「イリージオの婚約者……元婚約者が言うには、オルディウスの死後、ルージェンが頻繁にイリージオに会いに来ていた、と」

「そっちにもルージェンが?」


 エウラリカは床に手をついて身を乗り出した。その目は大きく見開かれており、戸惑ったように瞬きを繰り返す。戸惑うのはカナンも同じである。――『そっちにも』?


「……落ち込んで食事も喉を通らないイリージオを何度も訪ねて、立ち直らせたみたいです。つい最近までの話みたいですよ」

「へえ……」

 反対の手で顎に触れながら、エウラリカは真剣な表情で「最近まで?」と繰り返した。その親指が自身の頬を軽く押し潰し、柔らかい輪郭がやや愉快にへこんだ。


「もしかして、ルージェンは……」

 エウラリカは重々しい口調で呟く。カナンは思わず身を固くし、ごくりと唾を飲んだ。エウラリカは真剣そのものの眼差しで告げた。

「……とっても、優しいのかもしれないわね」

「…………本気で仰ってますか?」

「冗談だってば」

 顔の下半分に触れていた手をあっさりと落としながら、エウラリカは眉を上げる。ふざけるなら、もっとそれらしい顔をして貰いたいものである。



「ともかく、ルージェンが今回の件に関して、少なくとも一枚噛んでいるのは確実よ」

「さっき『そっちにも』って言ってましたもんね」

「ええ」

 緩慢な動きで立ち上がり、エウラリカはだだっ広い部屋の中を歩きながら語り出した。


「まずは、捜査が打ち切られたことに関して。この話は少し前から出ていて、違和感を訴える兵も結構いたみたい。――と、いうことで、話を聞いてきたわ」

「はい!?」

 カナンは泡を食って振り返った。

「話を聞いてきた!? 誰が!?」

 目を剥いたカナンに、エウラリカは「そりゃ私よ」と当然のように片手を挙げる。


「だ、誰に……どこで……どうやって……」

 予想を超える行動力に、カナンは怖れをなして絶句した。エウラリカはその様子に失笑し、「落ち着きなさいよ」と小馬鹿にしたような調子で窘めてくる。


「あの子、お前の友達なんでしょう?」

「……?」

 エウラリカの言葉に、カナンは首を傾げた。いまいち要領を得ない。ピンとくる顔が、あるようなないような……。怪訝に眉をひそめるカナンに対して、エウラリカは腕を組みながらさらりと告げた。

「バーシェル、だっけ? とっても良い子ね、与しやすそうで」

「バーシェルに会ったんですか!? 紹介したことありましたっけ」

 カナンが目を剥いて身を乗り出すと、エウラリカは「ないわよ」とあっさり否定する。今度こそカナンは完全に困惑した。


「お前が前に友達が出来たって自慢してきたじゃない? そのときにバーシェルって名前を出していたのを思い出して」

 腕組みから片手を抜いて、エウラリカは人差し指を立てる。その言葉に、ついに耐えきれなくなってカナンは腰を浮かせた。

「いや別に自慢はしてないっていうか、……大体その話、一年以上も前じゃないですか! 何でそんな細かいことまで覚えてるんですか? 気持ち悪い……」

 立ち上がってエウラリカを真正面から指さすと、彼女はひょいと肩を竦める。その口角が嫌味っぽくつり上がった。


「あら、自慢みたいなものだったじゃない。私はほら、立場もあって今は友達がいないのよ」

「立場が問題なくても、その性格じゃ友達なんて出来るとは思えませんけどね」

「失礼ね。親の顔が見てみたいからもう一度ジェスタを潰してきましょうか」

「出来るものならやればいいんじゃないですか? ちょうど、王都にいて自由に動ける将軍ならウォルテールがいますよ」


 この手の問答に、脅迫だけでなく軽口の意味が乗り始めたのはいつ頃からだったろうか。カナンはエウラリカがそうそう感情的に物事を動かさないということを分かってきていた。

 ――とはいえ、エウラリカの怒りに触れないぎりぎりのところを攻めて遊ぶのは、あまり褒められたことではない。


「確かにそうね。もう一人のレダスもそのうちユレミアに出るっていうから、ウォルテールは適任だわ。……何だか現実味を帯びてきたじゃないの」

「ちょっ……」

 唐突にやり取りの路線を変えてきたエウラリカに、カナンはそれまでの態度を慌てて引っ込める。「何でいきなりそんなこと言うんですか!」と悲鳴のような声を上げたカナンに、彼女はため息交じりに「話を戻すわよ」と追い払うような仕草をした。



「城内で兵が上官に詰め寄っているのを見たのよ。で、それを引き留めている仲間たちがバーシェルって呼んでいたから、もしかしたらお前の友達かしらと思って」

「話しかけたんですか?」

「そう」

 エウラリカは頷いた。カナンは今しがたの言葉を反芻しながら腕を組む。長椅子の背に尻を軽くもたせかけながら、バーシェルの顔や声を思い浮かべた。……カナンは、つい最近、彼を見た。


「確か、あいつ、城外警備に配属されたんですよね。それで、オルディウスに関する捜査を行っていた……」

「まさにそれよ。捜査が打ち切られたことに対して抗議していた」

「相変わらず無鉄砲な……」

 バーシェルとは腹芸の全く出来ない質の男である。隙があるといってしまえばそれまでだが、どうにもお人好しで、妙な愚直さがあった。


「放っておいたらまずそうだったから止めておいたわよ。感謝して頂戴」

「それは……ありがとうございます」

 エウラリカは鼻を鳴らすことで謝辞に応じると、カナンが立ち去った後の暖炉に再び寄ってくる。薪が立てるぱちぱちという音を聞きながら、彼女は腰に片手を当て、楽しげに人差し指を掲げた。


「それで、ついでに話を聞いてきたの。誰が捜査を中断させたと思う?」


 この話の流れで、誰だろうとしらばっくれるほど馬鹿ではない。カナンはごくりと唾を飲み、エウラリカを見据えた。

「……ルージェン・ウォルテール、ですか」

「正解」

 エウラリカは立てた人差し指を倒してカナンを指す。その表情が満足げに緩んだ。



「と、言う訳で。ルージェンが関与しているのは捜査の中断とイリージオ――私の新しい配偶者ね。でもここで矛盾が生じていない?」

「矛盾?」

 首を捻ったカナンに、エウラリカは薄ら笑いとともに「ええ」と首肯する。


「まずは城内の勢力を、エウラリカ派とユイン派に大別しましょう。ルージェンはどちらについているかしら? 捜査を中断したってことは、」

「オルディウスを殺害した犯人を知られたくない。つまり、オルディウスを殺したい――結婚を阻止したい人間の側にいるってことですか? だから王女派、と」

 エウラリカは軽く頷いた。「もちろん、全部予想の域を出ないのだけれど」と釘を刺しつつ、細い顎に手を添える。


「じゃあ、イリージオを私の婚約者に仕立て上げたのは誰かしら?」

「ええ? 知りませんよ。ネティヤの知り合いの誰かじゃないですか?」

「馬鹿。愚図。間抜け。お前の頭の中では時空が歪んでいるの? お前が言ったんじゃない、『つい最近まで、ルージェンはイリージオを何度も訪ねていた』って」

「…………言いましたけど」

 突然の罵倒に、カナンは憮然とした顔を隠すことなく応じた。唇をひん曲げて目を逸らす。『つい最近まで』と胸の内でその言葉を繰り返す。最近、イリージオ関係で何かあっただろうか?


 ……イリージオは恋人を捨てて、エウラリカの配偶者となることを選択した。絶対に誰かが彼にこの話を持ちかけたのである。


「イリージオが立ち直ってから、その『誰か』が声をかけたのでは、時期が合わない?」

「婚約者云々の話が水面下で進んでいた時期と、ルージェンが何度もイリージオを訪ねていた時期が明らかに一致するのよね」

 カナンは顔を険しくした。エウラリカは指先で唇の下をなぞりながら、自身の足下を睨みつける。


「もちろん、イリージオが酷く落ち込んでいる頃、一人でこの話を引き受けた可能性だってあるわ」

「でも、肉親が殺された直後に、そんな芸当が出来るものでしょうか? だって、結婚を考えていた恋人を捨ててまでですよ。……よほどの理由がない限りそんなこと、」

「うーん……。家族が死んだら悲しいものらしいし、そんな決断をするのは難しいのかも知れないわね」

 さらりと言いながら、エウラリカは顔から手を離した。


「例えば、何か弱みを握られていたとか、」

 そう呟いて、彼女は一度目を閉じた。その言葉を受けて、カナンも視線を厳しくする。

「……ルージェンが、イリージオを新たな婚約者に仕立て上げた可能性が、ある」

 吐き捨てると、エウラリカは無言で頷いた。


「私に配偶者をあてがい、降嫁させることで継承権を失わせようとするのは、明らかにユインを推そうとする人間の仕草だわ。もしもルージェンがこのことにも関わっていたとしたら……。意図が分からないのよ」

 一人目の婚約者であるオルディウスに関しては、その殺害を幇助する側に回っておきながら、イリージオを二人目に据える。明らかにその行為は矛盾している。


「――ルージェン・ウォルテールは、オルディウスが私の婚約者だと不都合な理由があった。あるいは……ただ単に、オルディウスが生きていると困ることでもあったのかしら?」



 虚空を見据えたエウラリカの瞳には、深慮の光が満たされていた。見えている僅かな点を必死に繋ぎ合わせようとする思索には、飛躍とも思える滑稽さすらあった。……だが、

 エウラリカが鋭く咳払いをした。カナンははっと顔を上げる。

「……切り開くわよ。着実に見えてきているわ」

 少女は強い口調で告げた。




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