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傾国の乙女  作者: 冬至 春化
墜ちゆく帝国と陥穽の糸【深層編】

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糸の先1



 数日後、ネティヤの指示によってエウラリカとイリージオの顔合わせが仕立て上げられた。言うまでもなくエウラリカは全て承知の上である。

 そして当然のごとくついていこうとしたカナンに向かって、エウラリカは平然と告げたのだ。


「別にお前は来なくても良いわよ」

「えっ」


 鏡の前で身支度をしながら、振り返りもしないでエウラリカは肩を竦める。「だってお前が来ても何もすることはないじゃない」

 あんまりな言い草に、カナンは「そりゃ、そうですけど」と不本意を隠しきれずに唇を尖らせた。外套まで羽織ったところでそんなことを言われても困る。それに、ついこの間疑いが浮上したような輩を、自分の目の届かないところでエウラリカに近づけるのは何となく嫌だった。


「でもそんな」とぶつくさ文句を垂れるカナンに、エウラリカは半目になった。腕を組み、鏡越しに目を合わせて、彼女は聞こえよがしにため息をつく。

「お前が無能って言っている訳じゃないわ。ただ、今回の対面ではお前に出来ることはないってだけ」

 雑にあしらおうとしているのが見え見えの表情だった。カナンはむすりと拗ねかけ、そこでふと動きを止める。


「……分かりました」

「あら、素直じゃない」

 エウラリカは眉を上げて驚いた素振りを見せた。カナンは肩を竦める。

「今日は確実にイリージオが外出しているんですよね。それなら、部屋に侵入できるかもしれませんから、試しに屋敷まで行ってみようかと」

「確かにそうね」

 軽く頷いて、エウラリカは外套を肩に羽織る。「それなら、お前の為に出来るだけ時間を稼いでやった方が良いかしら?」

 くるりとその場で体を反転させながら、彼女は楽しげに笑った。結い上げていない長い金髪が、扇のようにぱっと閃く。しゃら、と微かに鳴ったのは足下の装飾品だろうか。


 太陽の位置はまだ高く、窓から降り注いだ光はエウラリカを浮かび上がらせるようだった。がらんと面積ばかり広い部屋の中で、彼女は愉快そうにくつくつと笑っている。全くもって底意地の悪そうな笑顔だったが、それすら何故か絵になった。



 触れがたい印象が拭えない女であった。カナンは知らず知らずのうちに、睨みつけるような視線を彼女に向けていた。言うまでもなくエウラリカはそれに気づいて、「何よ」と眉をつり上げる。

「いえ」

 カナンは咄嗟に声を漏らした。それから、逃げるように顔を背ける。エウラリカの目に追われているのを感じながら、彼は大股で部屋を横切り、扉に手をかけた。


 速やかに部屋を出ようとしたカナンの背中に、短い咳払いが届く。呼ばれては止まらぬ訳にはいかない。渋々振り返ったカナンの目線の先で、エウラリカはすらりと白い人差し指を立てた。

「危ないことはしちゃ駄目よ」


 そんな、カナンを侮るような発言の一呼吸後、彼女は艶然と微笑む。

「お前はよくやってくれているわ。とっても」

 カナンは無言で目を見開いた。耳の奥で血の巡る音がはっきりと聞き取れた。幻聴かと思ったが、エウラリカの声音の残響は未だに耳朶のすぐ側を満たしていた。エウラリカはその美しい容貌に、優しげな笑みを浮かべている。


 そうして、彼女は胸の前で緩く十指を組み合わせ、小さく首を傾けた。穏やかにその双眸が細まる。

「――頑張ってね」

 甘ったるい声で、エウラリカはそう告げた。



 ばん、と大広間の扉は激しい音を立てた。乱暴に扉を後ろ手に閉めたカナンは、抜け道として使用人の間で密かに名高い大広間を早足で横切る。誰もいない広間は冷え冷えとしており、カナンの足音ばかりが律儀に響いていた。

「くそ、」

 何に苛立っているのかは判然としなかった。強いて言えば、あんなに見え透いた媚び売りに動揺した自分に、腹が立って仕方がない。前髪を片手で握りしめ、舌打ちを堪えてため息をつく。

(……さっさと終わらせてやる)

 内心で吐き捨て、カナンはそのまま宮殿を出て街へと降りた。



 ***


 イリージオがいないのなら、その部屋は無人のはずである。それなら、今まで入ることの出来なかったイリージオの自室を覗き見ることが出来まいか、そう思ってカナンは彼の屋敷へと赴いた。

 結論から言えば、どうやらそれは無理そうであった。イリージオの部屋の扉は開け放たれており、中では家令と見知らぬ女が会話をしている。無論、のこのこと入ることが出来るはずもなく、カナンはやむなく撤退した。



 そうして一旦屋敷を出ようかと踵を返したカナンは、階段の上で足を止める。

(……揉めている?)

 数歩後退して、カナンは玄関ホールの様子を影から窺いながら目を丸くした。玄関とは、客人を出迎えるための、屋敷の顔となる場所である。当然、玄関ホールは常に整えられ、粛々とした空気が漂っているものだが、……その空間が、今はすっかり様変わりしてしまっていた。


 玄関ホールの中央で、壮年の男は身を乗り出して叫んでいた。

「どういうことですかっ! 捜査は打ち切り!?」

「駄目です、先生!」

 激高する男を抑えるように、少女が男の腰に抱きついて踏ん張っている。それを引き剥がそうと男は身をよじるが、少女も決して腕を緩めない。


 対する怒鳴られた側は平然とした態度で、腕組みまでして二人を見下ろしていた。

「ですから、オルディウス殿は病の発作でお亡くなりになりました。お悔やみ申し上げます」

 傲岸な口調で、年若の男は肩を竦める。先生、と呼ばれていた壮年の男は、その言葉に鋭く反駁した。


「そんなはずはない! オルディウス様の容態はここ最近ずっと安定していたし、第一、あの病気はあんな風にいきなり倒れるようなものでは……っ!」

「先生、やめて! 逆らっちゃ駄目です、先生……お願いです」

 少女が悲鳴のように乞う。その腕に引き留められ、男はぐっと言葉を噛みしめた。


「賢明なお弟子さんをお持ちのようだ。何ならうちの医局に入って頂きたいほどですね」

「結構です。わたしは先生の助手なので」

 少女はぴしゃりと応じ、不遜な態度を崩さない男を険しい表情で睨みつける。



 その場には一触即発の張り詰めた空気が満ちていた。物陰から様子を窺うカナンも思わず息を詰める。

(……ここを通らないと使用人出入り口に行けないんだけどな)

 胸の内でぼやきながら、カナンは腕を組んで思案した。壮年の男の口ぶりからして、彼はオルディウスを昔から診てきた様子である。主治医だろうか。

 対する、年若の方。医局に所属している人間らしい。これも医師だろう。

(一人は病死と言い、もう一人は違うと言う)

 どちらを信じるべきなのかを断言するべきではないが、きな臭さは明らかだった。一般に医局と呼ばれるのは、個人ではなく組織で医療を行っている施設である。即ち、必ず誰かしら出資者がいる。権威がある一方で、特定の人物の意思を非常に反映しやすい。


(ふーん……)

 主治医の意見を撥ねのけて、医局の男は『病死である』と断言していた。それが指し示すことは単純明快である。――オルディウスの死因を病死ということにしたい人間がいるのだ。むしろそれこそが、本当の死因が病ではないことの証左のようなものだった。

(もちろん決めつけるには早計だが)

 しかし、可能性は高いだろう。カナンは鼻から長い息を吐いた。



「……せめて、どのような根拠で病死であると判断したのか教えて頂いても?」

「申し訳ありません、守秘義務があって」

「何ですって?」

 カナンが思考を飛ばしている間にも、両者の会話は剣呑なまま進んでいたらしい。主治医の背後で少女はあたふたと右往左往している。

「まるで、何か後ろ暗いことでもあるみたいじゃないですか」

「失礼な言い草ですね」


 そうして二人が正面切って睨み合ったそのとき、様子を窺うカナンのすぐ横を、涼やかな風が通り抜けた。見れば、一人の女が背筋を伸ばし、堂々と階段を降りて玄関ホールへと歩を進めている。その足音はいっそ小気味よいほどに高らかだ。カナンは目を丸くした。


 まさかこの空気で、こんなにずかずかと玄関へ足を踏み入れる人間がいるとは。カナンは呆気に取られて口をぽかんと開けた。

「――真実は、」

 片方の肩に鞄の紐をかけた女は、良く通る声で口火を切った。

「いずれ明らかになります。それがどのようなものであっても。たとえ誰が隠し貫こうとしたって、たとえどんなに複雑に絡み合った糸だとしたって、真実は真実であるというだけで何よりも力を持ち、誠実にして雄弁なのですから」


 きっちりと結い上げられた髪は、彼女の印象を生真面目そうなものにしていた。後ろ姿しか見えなくなった女の背中を、カナンは呆然と見送る。女はそのまま歩調を緩めることなく、玄関ホールで言い争っていた男たちに割って入った。

「全てが明るみに出たそのときに、何も嘘はついていないと、そう胸を張ることが出来るのなら、私はお二人の言葉のどちらをも疑いはしません。ですが覚えておいてください。――真実は必ず、いずれは明らかになるのです」

 決して声を荒げるでもなく、女は柔らかい語尾を崩すことなく語っていた。


「ケティネさん、」

「お久しぶりです、先生」

 主治医の呼びかけに、ケティネと呼ばれた女は会釈を返す。ケティネの横顔がちらと見えたとき、その目元が真っ赤であることにカナンは驚いた。泣きはらしたような目をしつつも、彼女は毅然と背を伸ばして医局の男を見据える。


「私は永遠にだって待ちます。真実はいずれ絶対に明かされるのですから。……そのときに恥じねばならないのは、一体誰でしょうか」

 穏やかながら、その言葉には言いようのない凄みがあった。カナンは思わず唾を飲む。


 たじろいだのは医局の男も同様だった。「何なんですか、部外者は黙ってください」と苦し紛れに、彼は一歩下がる。

 ケティネは「部外者、ですか……」と小さく呟き、不意に暗い表情で俯いた。その隙に、医局の男は荷物をまとめて玄関から逃げるように出て行ってしまう。主治医は「あっ」と声を漏らして追おうとしたが、思い直して留まることにしたらしい。



 玄関の空気は緩み、数人の使用人たちがおずおずと行き交い始める。カナンはさりげなく階段を降りると、玄関に残った三人の会話がはっきりと聞こえる位置まで移動した。部屋を探している素振りで近辺をうろつきながら、彼は耳を澄ませる。


「先生、この方は?」

 主治医の助手はケティネを見上げて首を傾げた。ケティネは微笑み、「初めまして」と先程より表情を和らげて応じる。主治医は自身の助手を振り返り、ケティネを指し示した。

「彼女はケティネさん。オルディウス様の弟君であるイリージオ様の婚約者だ」

「ああ、いいえ」

 その言葉を遮ったのはケティネ自身だった。肩越しに振り返って窺えば、彼女は陰のある笑顔を浮かべている。カナンは眉をひそめた。


「違います。婚約者じゃありません」

「あれ? もうご結婚されましたっけ」

「いえ、そういう訳ではなくって」

 そこで一旦言葉を切って、彼女はぎこちない笑顔で、不自然に明るい声で告げた。


「イリージオにフラれたんですよ、私」

 カナンはゆっくりと息を吸った。不可解な死について言い争っていた空間には不釣り合いな、それは俗っぽい響きであった。




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