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傾国の乙女  作者: 冬至 春化
墜ちゆく帝国と陥穽の糸【深層編】

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婚約騒動-前4



 エウラリカを庭園の所定の位置まで連れて行き、そこでカナンは適当な言い訳をしてその場を離れた。別に、言い訳の内容なんて何だって良いのである。どんなに突拍子もないことを言ったって、エウラリカは信じた素振りを見せるだろうから。


 距離を取りつつ、様子を窺うことの出来る位置に陣取る。カナンが生け垣の裏に身を屈めると、ネティヤが寄ってきた。

「……エウラリカ様は、いつもああいう人なのか?」

 十中八九、エウラリカが彼女に投げかけた、祝福とも揶揄ともつかない言葉のことを言っているのだろう。

「ああいう、とは?」

 カナンがしらばっくれると、ネティヤは僅かに苛立った顔をした。「分かるだろう」と低い声で囁く。


「あんな……あんな目で、あんなことを、言うのか? 普段の姿とは全然、」

 動揺も露わに言葉を選ぶネティヤに、カナンは少し口を閉じて考えこんだ。エウラリカが何を思ってネティヤにあんなことを言ったのかは分からないが、この官僚が明らかに揺らいでいるのは明らかだった。

「だって、いつも、何も考えてない子どもみたいな顔をしているのに、……一体どういうことなんだ」

 頭を抱えるネティヤを横目で見ながら、カナンは「そういう人なんですよ」と小さく呟いた。


「何も考えてないから、ああいうことをつるりと言ってしまえるんです。何も考えずに発された言葉を真に受けて右往左往する人間の何と多いことか」

 その最たる人間が皇帝その人である。とはいえ、真実と異なる点はひとつある。

(何も考えてない、ということはないんだろうが)

 いや、もしかしたら本当に何も考えていないのか? それも有り得ない訳ではない。結局のところ、エウラリカの言うことはあまり真に受けない方が良いというのが結論である。

「そうか。……なるほど、恐ろしいひとだな」

 ネティヤがしみじみと呟いたところで、エウラリカのいる方から声が聞こえた。



「こんばんは。ここの城の人かな?」

「こんばんは! ここの城の人よ!」

 落ち着いた男の声と、弾んだエウラリカの声。そっと身を起こして様子を窺うと、エウラリカと向かい合うようにして長身の男が微笑んでいる。

「恥ずかしいことだけど、どうやら迷ってしまったみたいなんだ。素敵な庭だと思って見ているうちに、奥まで来てしまったらしい」

「そうなの? それじゃあ、わたしが出口まで送ってってあげる!」

 事情を承知しているせいで、やたらに話の早いエウラリカである。カナンは笑いを噛み殺すのに苦労した。


 エウラリカを見下ろす細身の男こそが、ネティヤの用意した婚約者という男だろう。カナンは茂みの裏で片膝を立てて座ったまま、膝に腕を置いて身を乗り出した。品定めするように男を眺める。温和そうな、穏やかな目をした男である。見覚えはない。


 男は身を屈め、エウラリカと目を合わせながら胸に手を当てて名乗る。

「僕はオルディウス・アルヴェールというんだ。君は?」

「…………!」

 相手の男が名乗った直後、エウラリカは一瞬、時が止まったかのように停止した。その目が大きく見開かれ、それからじわりとその頬が緩む。

「――わたしは、エウラリカっていうの」

 エウラリカは破顔して、そう告げた。



 予想とは異なるエウラリカの様子に、カナンは首を捻った。あの間は一体何だったのだろう? エウラリカの笑みも妙である。

 カナンは口元に手をやってネティヤに囁く。

「……あの二人って、知り合いなんですか?」

 するとネティヤは不可解そうな顔をして、「そんなことはないはずだが」と囁き返した。少なくとも、オルディウスの側はエウラリカとは面識がないとのことだった。


 それにしても、

(……随分と楽しそうだな)

 ある程度は面白がるような様子を見せていたエウラリカだったが、見ている限りでは予想を上回る高揚っぷりである。そこまで乗り気だっただろうか? カナンは意外な気持ちでその姿を眺めた。


 二人は庭を歩きながら、順調に会話を続けている。カナンとネティヤはその声が聞こえるか聞こえないかという距離で後を追った。

「普段はどんなことをしているの?」

「そうだね……研究者のようなことをしている。エウラリカ様はご存知かな、――昔この帝国があった場所には、別の国があったと言われているんだ」

「…………別の国、」

「そう。かつてこの辺りを治めていたのは――」

 距離が開いたのか、言葉が聞き取りづらくなる。カナンは周囲の様子を窺いながら、会話に耳を澄ませて身を乗り出した。


 その瞬間、腕が生け垣に触れ、がさりと音がした。げっ、とカナンはその場で凍り付いたように動きを止め、隣ではネティヤが小声で「馬鹿!」と顔を引きつらせる。

 ぴたりと会話が止まった。が、オルディウスは一瞬の空白ののち、「エウラリカ様はこうした話はお好きかな?」と話を続ける。エウラリカもわざわざ疑うような素振りを見せることなく、「嫌いじゃないわ」と応じた。


 胸を撫で下ろしたネティヤに、カナンは小声で「ごめんなさい」と首を竦めた。ネティヤは呆れたような目で「まったく」と呟く。カナンがぺろりと舌を出すと、彼女は腕を組んでため息をついた。



 緊張感の抜けたやり取りが茂みの裏で交わされているとはつゆ知らず、オルディウスとエウラリカは静かな庭の中で会話を続けている。

「エウラリカ様は、本を読むのは好きかな」

「……ときどき読むわ」

「好きな本は? もしかしたら僕も読んでいるかもしれない」

「好きな、本……」

 エウラリカの口ぶりは、普段人に見せる媚びたようなものではなく、もちろんカナンに見せる居丈高な態度でもない。それはまるで、年相応の少女のような。


 ややあって、彼女はぽつりと呟いた。

「……ずっと昔に読んだ絵本が、好きだわ。でも、もうどこにいったのか分からないの」

「絵本?」

「そう。……おとうさまのお膝の上でね、先生と一緒に読んだの。ずっと昔のこと……」

 その眼差しが、どこか遠くに投げられた。「お兄さまも一緒に読んでくれたわ。確か、氷でできた女の子と竜の話だった」


 囁くように言葉を紡ぐエウラリカの息の音を、カナンは黙って聞いていた。何か、不思議なものを目の当たりにしているような心地だった。

 オルディウスは「氷と竜……」と呟き、何やら考えこむように腕を組んで空を仰ぐ。しばらくそうした後に、「多分、あれじゃないかなという話があるよ」と微笑んだ。


「帰ったら調べてみるよ。見つかったら持ってくるから、また会いに来ても良いかな?」

「もちろんよ!」

 エウラリカの声が元気よく応じた。ネティヤが満足げに頷く。首尾良く次の約束を取り付けられたとご満悦らしかった。


 傍で聞く限り、エウラリカとオルディウスの初めての顔合わせは、予想以上に上手くいったらしい。少なくとも、カナンの予想以上に。



 ***


「まさか、オルディウス・アルヴェールが来るだなんて思わなかったわ。びっくりしちゃった……。『エウラリカ』には勿体ない人選だわ」

 エウラリカはしみじみと呟いた。その表情に浮かんだ充足感に、カナンは困惑を隠しきれずに瞬きを繰り返す。

「……お知り合いで?」

「まあ、広義で言えば……。会うのは初めてだったわ」


 既に夜の帳の落ちた時間帯、エウラリカは膝掛け越しに脛を抱えながら、膝に顎を乗せた。

「この城の図書館に、オルディウスが翻訳した本がいくつかあるのよ。それで名前を知っていただけ。確か市街地にある図書館にもあったはずだから、読んだことがないならお前も読んでおきなさい」

「どんな本なんですか」

「この国ができる以前のことを記した叙事詩の現代語訳」

「うへぇ」

 カナンは思わず顔をしかめた。現代語訳とは言え、どうして母語でもない言葉でそんな面倒な代物を読まねばならないのか。カナンの反応に、エウラリカは僅かに不服そうな顔をした。


「まあ、お前にはそうしたものの良さは解せないでしょうし。お前には分不相応なものを勧めてしまったわね、忘れて頂戴」

「何ですかその言い方、腹立つなぁ」

 エウラリカのあからさまな当てこすりに、カナンは腰に手を当てて唇をひん曲げた。対するエウラリカもカナンの文句には慣れたもので、「私の言葉に何か間違いがあったかしら」と余裕綽々で鼻を鳴らしている。



「それにしても、誰がオルディウスを選んだのかしら。やや年上だけれど適齢だし、家柄も古くて申し分ない。でも宮殿内の勢力関係からは一線を引いている……。驚くくらい理想的な人選よ。一体誰が選んだのかしら……」

 エウラリカは長椅子から足を下ろし、膝掛けを直した。カナンは暖炉の側に立ったまま、後ろ手に手を組んだ。こっそりと手を温めながら、彼は一度口を閉じてから、あくまでも穏やかに口火を切る。


「――ルージェン・ウォルテール、とか」

「疑わしいわよね」

 エウラリカはさらりと応じた。カナンは庭に出る直前のことを思い返す。エウラリカの咳払いが耳に蘇る。応じて振り返ったときに重なった視線、明らかにこちらの様子を窺っていた眼差しを思い出した。


 エウラリカが肩を竦める。

「まあ、今は泳がせておきましょう。現状では特に何をされた訳でもないわ。むしろ、前から名前は聞いていたオルディウスと会えて御の字よ」

 ご機嫌で告げるエウラリカに、カナンは目を眇めた。苛立ちが襲ったのは、恐らくこの腑抜けた態度が気に入らないからだ。


「……そんなにお気に召したのなら、本当に結婚なさっては?」

「まさか。オルディウスのことは昔から尊敬しているけれど、共に死ぬなんて考えられないわ」

 エウラリカが一刀両断した。ばさりと切り捨てたその一言に、カナンは無表情で頷く。が、エウラリカはその顔に何かを感じ取ったらしかった。


「何よ、嬉しそうな顔をして、気味が悪い」

「……はい? 気のせいでは?」

 白々しく首を傾けると、エウラリカは呆れ果てたようにカナンを一瞥する。





 ――オルディウスの訃報が届いたのは、それから半月ほどが過ぎた頃だった。



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