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傾国の乙女  作者: 冬至 春化
墜ちゆく帝国と陥穽の糸【深層編】

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暗殺のあと3



 宵の口をやや過ぎた頃、ウォルテールが兵を引き連れて城を出たという噂を耳にした。

(アジェンゼのところへ行ったか)

 カナンは未だ本調子でない体を引きずりながら、ウォルテールが出て行ったという門へと歩く。

(……僕には見届ける責任がある)

 アジェンゼ邸の使用人のお仕着せに袖を通すのは、これで三度目だ。これを手に入れたときは、まさかこんなに何度も着ることになるとは思わなかった。これが最後だ、と決意にも似た確信を抱いて、カナンは帝都へと歩み出した。



 アジェンゼ邸の前には何頭もの軍馬が並び、静かな住宅街はものものしい雰囲気に包まれていた。門の前に野次馬たちが集まってきているのを横目に、カナンは慣れた足取りで裏口へ回る。途中、何があったのかと周辺の住民に声をかけられたが、カナンは「さあ」と曖昧に首を傾げることで躱した。

 屋敷の中に入ると、中は嫌なざわめきに満ちている。軍人がいきなり訪問してきただけではない、何かがあったらしい。カナンは長い廊下を歩きながらざっと周囲を見回す。この屋敷には今、ウォルテールがいる。決して顔を見咎められる訳にはいかなかった。


「あれー! 久しぶりだね」

「うわっ!」

 ぽん、と肩を叩かれて、カナンは飛び上がった。快活な少女の声に、目を見開いて振り返る。そこには、年末の夜会に潜入したときに、少し言葉を交わした使用人の少女がいた。癖のある赤毛を揺らして、少女が笑う。

「夜会のときしか見なかったから、どうしたんだろうと思ってたんだよ」

 カナンはどう誤魔化したものかと狼狽えた。少し視線をうろつかせてから「うん」と頷く。

「少し体調を崩していて……」

「そうなの? 確かにちょっと顔色が悪いね、お大事に」

 数ヶ月ぶりに現れておいて『体調が悪くて』なんて馬鹿な理由が通用するものかと思ったけれど、どうやら何か重病とでも思われたらしい。少女は気遣わしげにカナンの顔を覗き込んで、体に良いものの話をしている。


「ところでね、私この間昇進してね、下働きの使用人から侍女になったの!」

 後ろ暗さに歯切れの悪いカナンをどう思ったのか、少女は話題を変えた。えっへんと胸を張って、得意満面に笑う。

「なんだけど、さっそく失敗というか、上手くいかなくて……」

 ふと思い出したように少女が項垂れる。「失敗?」とカナンが首を傾げると、少女は「うん」と頷く。


 廊下を歩きながら、少女は長いため息をついた。ざわめきが近づく。カナンは少女の話に相槌を打ちながら、行く手の気配に耳を澄ませた。

「今、軍人さんが来てるじゃない? それでさっきご主人様を呼びに行ったんだけど、ご主人様に無視されちゃって……」

「無視?」

「絶対お部屋の中にいるはずなのに、全然返事をしてくれなくって……これって絶対、何か私しでかしちゃってるよね!?」

「そうとは限らないんじゃ……」

 カナンは控えめに告げたが、少女は「うわーん!」と頭を抱える。


「クビになっちゃったら、弟たちと路頭をさまよわなきゃ……!」

 カナンは首を傾げる。何の気なしに彼は口を開いた。

「親は?」

「ん? お母さんは私が六つのときに流行病でー……お父さんはこの間の、えーと何だっけ、ジェスタ? って国への侵攻のときに戦死しちゃった」

 少女はあっけらかんと答えた。これといった感傷もなく、ただ事実を述べるだけの口調だった。カナンは思わず言葉を失う。


 自分の無神経さにいたたまれず、声もなく項垂れたカナンに少女は微笑んだ。

「君はまだ、お父さんとお母さんは生きているの?」

「……うん。ここ最近会っていないけど」

 躊躇いがちに頷いたカナンに、少女は開けっぴろげな笑顔で背中をばしんと叩いてきた。

「会いに行ってあげなよ、親だっていつまでも生きている訳じゃないんだからさあ」

 ――会いに行けたらどれほど良いだろう。カナンはぎこちなく笑った。そうだ、今すぐにだってこんな帝都から抜け出して、祖国まで走ってゆきたいのに。……この首輪がそれを許さないのだ。自分はどう足掻いてもエウラリカの手先だった。


「家族は大切にしなきゃね」

 酷く真っ直ぐな、曇りも疑念もない言葉に、カナンはぎゅっと奥歯を噛みしめた。



 廊下を抜けると、ざわめきの正体が分かった。階段の上、半開きになっているアジェンゼの部屋の扉を取り囲むように、人だかりが出来ている。上背のある軍人の頭だけがひょっこりと飛び出して見え、ウォルテールの後頭部も見つけられた。カナンは目が合わないよう、さりげなく首を竦める。

「あれ? 軍人さんが直接お部屋まで行かれたんだ」

 少女は驚いたような顔をして、階段の手すりに手をかけた。階段を並んで上りながら、カナンは周囲の様子に目を走らせる。随分と沢山の野次馬である。無理もない、将軍が軍を引き連れて、大臣とは言え個人の家を訪ねるなど、滅多にあることではない。


 上階に足を踏み入れて、少女は唇を尖らせて背伸びをする。

「一体何があったんだろう?」

 これ以上は足の踏み場がなく、カナンは階段を一段降りたところで止まった。ウォルテールに背を向けるように、階段の手すりに背をもたせかける。磨き抜かれた手すりに肘を乗せ、カナンはゆっくりと息を吸った。


「そういえば、こんな噂を聞いたんだ――」

 カナンは、さも無邪気な野次馬のような顔をして、慎重に口を開く。


「――昨夜、第一王子であるラダーム様が暗殺された。まだ犯人は見つかっていないんだって」

 そう、低く囁くと、少女の両目は、ゆっくりと大きく見開かれた。



「ええっ、ラダーム様が何者かに暗殺されたの? それほんと?」

 少女の声はやたらと響いた。その言葉を聞きつけて、ざわりと人混みが揺れる。そんなことも頓着せず、少女は口元に手をやって身を乗り出した。

「……じゃあ、このタイミングで軍が来るって、」

「ご主人様が……?」

「そんなはずっ」

「でも将軍が」

 少女の言葉が最後まで続けられるより早く、廊下は悲鳴のような囁き声に満ちる。カナンはあくまでも野次馬たちには背を向けたまま、ウォルテールの目を決して見ないように俯いたまま、鋭い目線を肩越しに投げかけた。


 ウォルテールとアジェンゼのやり取りは何も聞こえない。カナンは限界まで意識を尖らせて、成り行きを見守る。ざわめきが波のように盛り上がり、また鎮まりを数度繰り返した頃、事態は大きく動いた。



 ばたん、と激しく扉が開け閉めされる音が響く。鋭い音にカナンはぴくりと肩を震わせ、顎をもたげて何が起こったのかを探ろうとする。

「どけ!」

 荒々しい声と、数々の悲鳴。廊下にひしめき合っていた使用人たちの塊が大きくうねった。

「逃がすな!」

 ウォルテールが大音声で怒鳴る。その声が、カナンの知る温厚なウォルテールの姿と咄嗟に結びつかず、一瞬ぎゅっと体が竦んだ。その直後、赤毛の少女が「きゃ、」と小さな悲鳴を上げてつんのめる。階段を踏み外しそうになった彼女を片手で受け止めて、カナンは体ごと振り返って階段の上を見据えた。


 人混みが割れた。その中から、見覚えのある小男の姿が飛び出す。抱えている袋からは乾いた血の匂いがした。あるいはそれはカナンの錯覚かもしれなかったが。

「どけ! 道を空けろ!」

 そんな怒声と共に走り出してきたアジェンゼが、顔を歪める。何を見たのかと素早く視線を追えば、階下に兵が待ち構えていた。アジェンゼは慌てて方向転換しようと足を止め、踵を返そうとする。


 カナンの頭の中で、小さな火花が散ったようだった。しゃらりと喉元の鈴が鳴った。まるでそれは自分を呼ぶ声のように聞こえた。常にあった首輪には、いつの間にか随分と慣れてしまっていた。鈴が笑う。エウラリカの陰のある微笑みが脳裏をよぎる。鈴が囁いた。――『今よ』。



 カナンは考えるより早く右脚を出し、階段の入り口でたたらを踏んでいたアジェンゼの足首を掬い上げていた。


 アジェンゼの体がふわりと浮く。その目が驚愕に大きく見開かれた。手を出して受け身を取ることも出来たのに、アジェンゼはそれをしなかった。両腕を胸の前で固く固く抱き締め、袋を離すまいと決して体を開かない。

 アジェンゼの体が階段の半ばに打ち付けられる。それからその体は横向きに段を転げ落ちていった。それを見送って、カナンは妙に凪いでいる自分の心を持て余していた。


 支えていた赤毛の侍女から手を離し、カナンは首輪に触れた。ウォルテールとその部下たちが目の前を通り過ぎていくのを見送って、カナンは無言で人混みを掻き分け、その場を離れた。

「待って!」

 角を曲がったところで、ぱし、と手を取られ、カナンは立ち止まる。少女は見張った目に混乱の色を浮かべて、カナンを真っ直ぐに見上げた。

「ねえ、今……ご主人様の、足、」

 どうやら見られていたらしい。あの場は混乱していたから、他に気づいた者はいなかっただろう。現に、カナンに向けられている視線はこの少女のもの以外に見当たらない。

 カナンは無言で目を伏せた。乱暴すぎない動きで、しかし容赦なく少女の手を振り払う。


「……早めに転職先を探した方が良い」

 カナンはそれだけ告げて、これ以上の会話を拒むように、にべもなく背中を向けた。少女は蒼白な顔で、声もなく立ち尽くしている。

 アジェンゼが捕らえられ、処刑されれば、財産や領地なども没収されることになるだろう。そのときこの少女が雇われ続けるかは甚だ怪しかった。『クビになったら路頭に迷わなきゃ』と言っていた少女の身の上を思うと胸が痛んだが、仕方ない。カナンに出来るのは早めに行動を起こせという助言だけである。


「――ごめん」

 低い声で呟くと、カナンは素早く駆け出した。呼び止めるような声が背中に届いたが、カナンは振り返らなかった。



 ***


 冷たい初春の夜にまろび出て、カナンは膝に手をついて肩で息をした。最悪な気分だった。

(結局、僕は、正しいことをしたのか?)

 ふらつく頭に手を当てると、額は熱を持っているように感じられた。カナンは力の入らない足で夜の帝都を歩く。月の隠れた夜には、灯りなど何一つとしてない。いつ水路に足を突っ込むか分からなかった。


(あの子の父親は、ジェスタ侵攻で死んだ。ジェスタの兵があの子の父親を殺した。それならジェスタ兵は人殺しの悪人なのか? ……違う)

 カナンはとりとめもないことを考えながら、宮殿への道を辿る。

(だって兵はただ上官の指示に従っただけで……それなら、人殺しはウォルテールということになるのだろうか?)

 それも違うだろう、という気がしていた。ウォルテールがジェスタに来たのは、エウラリカが皇帝にジェスタ征服を願ったからだ。だからウォルテールは悪くない……きっと。


(ラダームは恐らく自分の意志で、数多くの国を征服してきた。それは?)

 戦争のことなど、個人の肩に乗せて善悪を語るものではない。そんなことは分かっていて、それでもなおカナンは転がり続ける思考を止められないでいた。

 カナンは今日の昼間に見た予算書を思い出す。ラダームが進軍してきた国の数々の名を地図の上に浮かべて、その足取りを辿った。


 ラダームは帝都の西から小国を取り込み始め、それから帝都の北を通り、北東の方へとその手を伸ばしつつあった。北東にあるのはジェスタを中心とする東部の文化圏である。


(――ジェスタ?)

 カナンは、そこではたと足を止めた。どくどくと耳の奥で血が流れる。……何故今まで気づかなかった?



『禍根を残し、火種を燻らせるなど、怠慢以外の何ものでもない』

『そのために、王族を一族郎党……』

『ああ、その通りだ』

 総会の前、ウォルテールと対峙していたラダームの姿が、鮮明に蘇る。ラダームは侵略した先々で王族をすべて抹殺していたという。しかしジェスタを征服したのは『お優しい』ウォルテールだ。そのおかげで、カナンやその家族は今もこうして健在である。


 カナンは浅い息で胸を上下させながら、誰も通るもののいない交差点の中央で立ち尽くした。

(考えろ……ラダームは、どこを目指していた?)

 ラダームの遺体が頭にちらつく。血の匂いが押し寄せたような気がして、吐き気がこみ上げた。口を押え、カナンは背を丸めて足下を睨みつける。

 ラダームの部屋の壁に貼られていたのは地図だった。その地図にはまるで何かの印のようにピンが打たれていて、それは帝国の西から北を帯のように囲み、そして東へと伸びようとしていた。


 そのとき、カナンは心底慄然としていた。寒気が押し寄せ、体を強ばらせたまま、小路が連続する大通りを見透かすみたいに、顎をもたげて目を眇める。直線上に伸びた道の先には、暗闇の中に佇む巨大な宮殿があった。

 その最奥。宮殿の深淵に、エウラリカがいる。


(ラダームは、ジェスタを狙っていた)

 第一王子はジェスタを目掛けて侵攻していた。『何もなければ』、ラダームは次にジェスタを植民地として攻め滅ぼしていたはずだった。

 ……『何もなければ』ジェスタに来ていたはずのラダームは、何故ジェスタへ進軍せずに帝都へ戻ってきた?



 カナンは顔を歪めた。……これまでの気分なんて、まだ最悪じゃなかった。


(――――っエウラリカ!)




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