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傾国の乙女  作者: 冬至 春化
墜ちゆく帝国と陥穽の糸【深層編】

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第一王子-凱旋1



 第一王子――エウラリカの兄が、隣国を攻め落とした。その報を受けて沸き立つ城内で、カナンだけが変に凪いだ気持ちを抱えていた。それを見透かしたように、エウラリカはこの件に関して触れようとしなかった。


「いやぁ、やっぱりラダーム様は流石だなぁ」

 豆のサヤ取りをしながら、料理人見習いであるグエンが頬を紅潮させる。彼は心底陶酔するようにため息をついた。

「ラダーム?」

 カナンが聞き返すと、彼は「ああ」と頷く。

「戦の才に恵まれて、十四の頃から戦線に出てたって聞いたぞ。向かうところ敵なし、まさに鬼神のごとき強さなんだってよ」

 ほう、と息を吐いて、グエンは豆の殻を放り捨てた。籠の中の山が崩れた。

「へえ……」

 カナンは膝に顎を乗せ、脛を抱えて声を漏らす。

(あの人はあれで、実は大したことないのだろうか)

 あの人、とは、言わずもがなウォルテールのことである。瞬く間にジェスタの王都に躍り出て城を制圧してしまった将軍だ。帝国には、それよりも更に優れた将がいるというのか。しかもそれが、次期皇帝との呼び声高い第一王子だという。

(……とんでもないな)

 帝国で暮らし始めてもう一年近く経とうとしている。この国がいかに巨大で強大であるかを散々目の当たりにしてきたはずなのに、カナンは背筋が冷たくなるのを堪えきれずにいた。帝国民の口から語られる帝国には、本で読んだのでは分からない底知れなさが渦巻いていた。


 厨房の勝手口のすぐ外で、カナンとグエンは顔を突き合わせてしゃがみ込んでいた。無言が続く。

(この国を、傾ける? 一体どうやって……)

 カナンはグエンの流れるような手つきを眺めながら、内心で呟いた。サヤから豆が押し出され、殻は籠の中へ投げ捨てられる。

(大臣を一人失脚させたくらいで崩れるような国ではあるまい)

 アジェンゼの密約を思い返しながら、カナンは腕をきつく結んで脚を引き寄せた。

(皇帝になる、と言っていた。そうして僕があの人を殺すのだと)

 周囲に対して殊更に幼稚な様を見せつけるエウラリカの姿を思い浮かべる。あれでどうやって、皇帝になろうと言うのだろう。分からない。

(僕は、あの女の言う通りにするしかないのか)

 殺したいほど憎んでいる女を殺すために、その言いなりになる。何だかもう訳が分からない状態だが、カナンに否やを唱える権利はない。小さくため息をつくと、カナンは地面に手をついて立ち上がった。


「じゃあ」

「何だ、もう行くのか」

「うん」

 ひらりと片手を挙げると、カナンはその場を立ち去った。



 エウラリカの居室へ向かう道すがら、カナンはふと足を止める。

(あれは……)

 見覚えのある男が、物陰で何やら話しているようだった。その相手の姿は陰になって見えないが、人目を忍ぶように身を屈めているのがやけに印象的だった。

(確か――デルギナ・ユネール)

 アジェンゼの屋敷で行われた夜会および密会。その参加者の一人だった。特にこれといった特徴のない男で、城内の予算を管理する部署の官僚だったはずだ。記憶していた名前を告げたところ、エウラリカが何気なくそう言ったのをカナンは覚えている。

 カナンは足音をさせないよう、慎重に一歩踏み出した。大きく回り込んで庭まで出、茂みに身を隠す。


「内通者?」

 先程は隠れて見えなかった話し相手の姿が見えていた。細身で背の高い男である。神経質そうな細面に怪訝そうな表情を乗せ、腕を組んでいる。

(……誰かに似ている?)

 カナンは眉をひそめた。が、彼がそのことについて考えるよりも先に、デルギナは身振りを交えて語り出す。

「ああ。灯りが消されて――それで、中から窓が割られていた」

「それだけのことで内通者がいると決めつけるのは早計だろう」

 男は肩を竦めた。「それでは、取り決めは破談になった訳か」

 仕様がない、と言わんばかりに嘆息し、男は腕組みを片方だけ解いて顎を撫でた。デルギナはその様子を窺いながら、男の言葉を待っている。それだけでこの二人の力関係のほどは知れた。……この男が、デルギナの主人のようなものなのだろうか?


「――アジェンゼは切るか」

 男は静かに呟いた。デルギナが大きく目を見開く。カナンも思わず口を手で押さえた。内容は理解できないが、目の前でとんでもない会話が交わされていることは分かる。……これは、エウラリカに伝えるべきだろうか?

「他の手を借りようとしたのが間違いだったのか? しかし、王女派の高官で資金源となるような人間は他にいないだろう」

 王女、という単語に、カナンは耳ざとく反応した。目を見開き、ぴんと意識を尖らせて話を咀嚼する。男は静かに告げた。

「流れる血は出来るだけ少ない方が良い。傀儡は愚鈍であれば愚鈍であるほど良い」

 かいらい、とカナンは口の中で言葉を転がした。知らない単語だったが、あまり良い意味には思えない。

「どうしたものかな」と男は視線を滑らせる。その顔がこちらを向きそうになったので、カナンは慌てて身を縮めた。


 男が口を開いた。

「もうじきラダーム様が帰って来られる。成立しなかったにせよ、あの密約については決して知られないようにしろ」

「ああ、もちろんだ」

 頷いたデルギナを一瞥すると、男は鋭い視線を遠くに据えて低く囁いた。

「あの第一王子を皇帝の座につけることは何としてでも阻止せねばな」

「そうだ」とデルギナが頷く。男は片頬をつり上げて吐き捨てた。


「――この国のために」



 ***


 転げるようにエウラリカの部屋へ入った。肩を上下させていると、部屋の隅にある扉から出てきたエウラリカが眉を上げる。

「どうしたの、お前」

 その問いに、カナンは何から話したものかと狼狽えた。エウラリカは腕組みをしてカナンの言葉を待っている。

「……デルギナ・ユネールに指示を出しているのは、誰ですか」

「デルギナ? ……主人がいるの?」

 エウラリカの目がすぅっと細められた。「恐らくは」とカナンが頷くと、エウラリカは数秒間黙り込み、片腕を腰に巻き付けたまま、反対の指先を頬に這わせた。


「――へぇ、なるほど。デルギナだったのね」


 その唇が、弧を描く。視線が鋭く尖った。カナンは唇を湿らせてから口を開く。

「先の密談でのあらましに関しての報告と……あとは、他にもいくつかの話をしていました」

「詳しく。覚えている限りで構わないわ」

 促すように片手を差し出し、エウラリカは首を傾げた。カナンは斜め上に視線を投げる。


「――『アジェンゼを切る』と。あと……王女派が何とかって」

「あら……うふふ」

 エウラリカは咳でもするみたいに緩い握りこぶしを口に当て、楽しげにくすくすと笑い声を零した。

「流れる血は出来るだけ少ない方が良いのだと。あと、『かいらい』は愚鈍である方が良いと。……『かいらい』とは何ですか?」

「あはは」

 ついにエウラリカが声を上げて笑った。随分とご満悦である。カナンは困惑してその場に立ち尽くす。怪訝な顔のカナンを「それくらいのことは自分で調べなさい、私を辞書代わりにするんじゃないわよ」と突き放しつつ、その頬は紅潮していた。カナンは言葉を続けようと視線を上にやる。あの男は他に何を言っていたっけ?


「あとは、そう……第一王子を皇帝にするのは駄目なのだと言っていました。――この国のために」

「よく言うわ、売国奴が」

 頬を上気させてエウラリカが笑顔で吐き捨てる。自分に向けられた言葉かと思って、カナンは一瞬体を強ばらせた。が、ぎらぎらとしたエウラリカの視線はカナンには据えられておらず、どうやら言葉の矛先はデルギナの協力者らしい。


 エウラリカはまだ笑いの残滓を残した声でカナンに問う。

「それで? その主人とやらは一体どこのどいつなの」

「それは……ええと」

 デルギナが相手に対して呼びかけることはなかった。本人がまさか会話の最中に名乗りを上げるはずもなく、名前も所在も知れない。カナンが口ごもると、エウラリカは「まあ良いわ」と嘆息した。

「例の密会にはいなかったのでしょう? 男?」

「はい。……暗かったので断言は出来ませんが、あの場にはいなかったはずです」

「それだけ分かれば十分よ。なるほどね、内通者はデルギナ……。でもデルギナも末端なのね」

 口ぶりからしてどうやら、アジェンゼの周囲に内通者がいると以前から踏んでいたらしい。エウラリカは満足げに頬を緩め、踊るような足取りで長椅子に腰掛けた。



「デルギナの協力者ってのはどんな男なの? そこに描いてご覧なさい」と紙を差し出され、カナンは思わず勢いよく首を振った。

「僕は、絵の類は全然……」

「誰がここにご立派な肖像画を描けだなんて言ったのよ。特徴を示せる程度で良いから、忘れないうちに書き留めておきなさい」

 とんとん、と紙を指先でつついて、エウラリカがカナンを急かす。その目が愉悦に緩んでいるのを見て取って、カナンは渋顔を堪えきれずに沈黙した。――またいつもの嫌がらせだ。僕が描いた絵を見て馬鹿にする算段に違いない。


 だったらご期待に応えて差し上げようじゃないか、とカナンは勢いよく腰掛け、わざわざエウラリカが席を立ってまで自室から取ってきて下さった(・・・・)羽ペンを手に取った。

「……髪はくすんだ金……黄土色と言っても良いような色で、少し長めの髪を撫でつけていました。前髪は上げてた……」

「そうしたことは脇の方に文字で書いておいてね」

 崩れた口調でエウラリカが指示する。明らかにその声が震えていた。カナンはむすっと黙り込んだまま手を動かす。

「細身で背は高くて、……ああそうだ、口元にほくろがあった」

 ほとんどやけっぱちである。カナンはぶつぶつと呟きながら紙に線を描いていった。


 ややあって、エウラリカが諦めたように天を仰いだ。

「お前に絵を描かせようとしたのが間違いだったわ」

 紙の端に書いた箇条書きだけを千切って回収すると、エウラリカはそれを眺める。

「こんな男、いたかしら……」

 絵は全く参考にするつもりはないらしい。カナンは黙ったまま絵の部分を裏返しに伏せた。描かせといてこっちは放置か。そうだろうな。



 その夜、カナンは寝る前に辞書を開いていた。

(かい、らい……)

 並ぶ文字を指先で辿り、その言葉を探す。程なくしてそれは見つかった。

「……操り人形、」

 カナンは静かに呟く。肩にかけていた毛布がずりおち、首筋がひやりと冷えた。早春の空気はまだ冷たい。カナンは無言のまま、辞書を閉じた。ぱたりと乾いた音が部屋に落ちる。

(ああ、なるほど)


 甘えるように笑うエウラリカの姿が思い浮かぶ。殊更に愚かであると印象づけるような振る舞いが瞼の裏に蘇った。公の場に姿を現さず、街や城内では不相応な羨望を抱かれているエウラリカの存在は、どのように見えるだろう。

(――何ともまあ、おあつらえ向きな)

 すべて計算尽くだというのか? 初めから、何者かの傀儡として皇位に立つ寸法だったというのか。……一体いつから。どれほど幼い頃から、エウラリカはあの小芝居を始めているのだろう。


 冷ややかで硬質な空気を纏わせる横顔を思い出す。……このまま行けば、エウラリカがそのような雰囲気をもって玉座につくことは断じてない。

(あの女は本当に、それで良いのか)

 ――そんなのカナンの知ったことではない。エウラリカの言う通りに彼女を皇帝に押し上げ、そののちに殺害するところまでがカナンの役割である。それを終えたら祖国にでも帰って、そちらで穏やかな生涯を送れば良い。その為に余計なことをしている暇はない。さっさと全部済ませて帰りたい。そうだろう。


 カナンは黙ったまま目をつぶった。

 ――エウラリカの亡骸は一体どれほど美しいだろう。








(昨日はああ言ったんですけど時間が取れたので更新しました)

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