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傾国の乙女  作者: 冬至 春化
墜ちゆく帝国と陥穽の糸【表層編】

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外遊9



 式典は滞りなく進んだ。領主が演台で演説をしている間、エウラリカは退屈そうな顔で欠伸を噛み殺していたが、特に話の腰を折るでもなく大人しくしている。二列目の座席ではカナンが領主の方を向いて、じっと話を聞いているようだった。


 二百年もの間、帝国に忠誠を誓って力を注いできた領地である。ハルジェル出身の人間は帝都にも多く、中枢において数々の名前を残している。

 今日で節目となる年を迎えることになるが、それはただ数字が新しくなるだけのことではない。ウォルテールが長い歴史に思いを馳せていたところで、領主の話は挨拶で締められた。割れんばかりの拍手が響く。ウォルテールも手を叩きながら、小さく息を吐いた。


 南に下ったからか、空気が湿っているからか。この地域は帝都よりも気温が高く、じっとりとしている気がした。薄らと首回りに滲む汗を冷やすように、ウォルテールはさりげなく襟元を持ち上げる。周囲は穏やかな庭園に囲まれ、会場内には緩い風が通っていた。

 エウラリカが小さく伸びをするように背を反らすのが見えた。明らかに俯いて欠伸をしている。そのうち船でも漕ぎ出すのではないかとウォルテールがはらはらしながら見守っていた矢先、会場の左手の方から十数人の人影が会場の中央へと進み出た。



「これより、ハルジェル領に古くから伝わる演舞を披露させて頂きます」

 軽そうな布地を身に纏った女が、ひとり進み出て特徴的な礼をした。その他の人員はそれぞれ配置につき、楽器を構える者や床に膝をついて体勢を整える者など様々だ。

 女は来賓席に向き直り、よく通る声で続ける。

「これはハルジェルの一部地域にのみ栄えていた土着宗教の儀式を元にした舞踊で、徐々に文化が広がるにつれ、宗教儀式は廃れたものの、舞踊のみが長い年月をかけて洗練されて完成された演舞でございます」

 会場はいつしかしんと静まりかえり、女の言葉だけが端々までに響き渡っていた。不思議な魅力を持つ声だった。


「かつて民は、神は死人をも蘇らせると信じておりました。これはその復活の儀を執り行う様子を描いたものです。剣を持った司祭役や、供物として捧げられる娘役、熱狂する信徒役など、演者それぞれが儀式における役割を与えられ、演舞の中でそれらを再現しております。どうぞ各人の動きにご注目なさってください。また、楽器も古来と同じ形のものを使用し、当時の音楽の響きを現代に引き継ぎつつも、新たな奏法、作曲法を駆使して演奏されます」

 淀みなく語る女の言葉に応じて、演者や演奏者が順に軽く一礼をする。それらを穏やかな表情で振り返り、そして女は誇らしげな声音で告げた。


「ハルジェルの歴史を内包し、そして未来へと続いてゆく様を演舞にて表現いたします。――どうぞご覧下さい!」


 そう言って女が深々と礼をした、直後。……低い音で太鼓が打ち鳴らされた。息混じりの笛の音が空間を割り裂くように伸び始める。

 ウォルテールははっと息を飲んで姿勢を正す。明らかにその場の空気が変わったのを感じた。



 力強く拍が刻まれる。更に細分化された拍子を弦がはじき、それは軽やかな笛の音によって彩られた。床を踏む踊り手の足は絶えず滑るように動き、四肢は驚くほど優美に空を切る。装飾を施された短剣を持った複数人が、その刃を打ち合わせながら交錯した。

 演舞は次第に激しさを増し、背後で流れる音楽もそれを掻き立てるように、荒々しく、強く律動してゆく。剣が高らかに金属音を響かせる。不規則に思えていたそれがやがて一定の拍感に乗り、音楽と演舞が互いに鳴き交わした。


 暗い色をした長衣を身に纏った司祭役の男が、その刃を逆手に持ち替え、高々と振り上げた。供物である少女役はその喉元を天へ突き上げるように背を反らし、胸元で十指を絡ませる。床へ両膝をつき、顎をもたげた彼女が、眦を下げるのが見えた。その双眸が、ゆっくりと、祈るように、どこか恍惚としたような気配さえもを漂わせて、静かに閉じてゆく。

 音楽が一層その響きを昂ぶらせ、そうして司祭は反対の手をそっと柄に添えた。両手でしっかと短剣を握り、両足を地面に突き立ててその場に踏ん張った司祭は、頭よりも高いその位置で剣を構える。彼の目の前では、ひとりの少女が己が命を差し出すように唇を噛みしめて『そのとき』を待っていた。

 突如として音楽が止んだ。痛いほどの静寂が空間に襲いかかった。


 ――司祭が切っ先を少女の喉元へ突き立てるまでの、一瞬。深閑。緊張。恐怖。



 不意にエウラリカが動いた。

 次の瞬間、ぴんと張り詰めた糸のように緩みのない空間に、ひびが入ったようだった。固唾を飲んで演舞を見守っていた誰しもの耳に、甲高い破砕音が突き刺さる。

「危ないっ!」

 カナンが鋭く叫んだ。しかし、その声が響いたときには、ことは全て済んでいた。


 首の半ばから砕かれた細身の花瓶を手に、エウラリカは椅子から立ち上がって肩で息をしていた。彼女に相対するのは踊り手の一人で、彼は演舞用の短剣をぽろりとその手から取り落とし、その場にへたり込む。

「あ……」

 尻餅をついた男を、エウラリカは何も言わずに見下ろしていた。

 エウラリカの表情は顔を覆い隠す布に阻まれて窺い知れない。しかしそこには常のような楽しげな立ち居振る舞いはなく、さりとて癇癪を起こしたときのような狂気の色もなかった。その胸が大きく上下している様子だけが、彼女の動揺を示している。


「エウラリカ様、」

 カナンが自身の椅子を蹴倒して立ち上がり、エウラリカに歩み寄る。その手から割れた花瓶を取り上げ、カナンはエウラリカに並んで踊り手を見下ろした。



「い……一体、何が起こったんだ」

 ウォルテールは身を乗り出して呟いた。もはや演舞どころではなかった。音楽隊はその演奏の手を止め、笛から唇を離し、互いに顔を見合わせて何があったのかと当惑している。今にもその胸を一突きされようとしていた少女役の踊り手は、目を開いて周囲を見回した。司祭役は剣を持つ手を下ろした。


「……あの踊り手の短剣が、エウラリカ様に当たりそうになったんです」

 表情を険しくするウォルテールの隣で、セニフが固い表情で呟いた。その双眸は大きく見開かれ、彼にとってもこれが予想外の事態であることを窺わせた。

「危ないところだった。すんでの所でエウラリカ様が近くにあった花瓶で防ぎました」


 エウラリカは自身の肩の辺りから陶器の破片を取り除き、差し出されたカナンの片手に乗せている。カナンの手のひらには砕けた花瓶の欠片が積まれた。エウラリカが自分で防いだから良いものの、花瓶があれだけ打ち砕かれるほどに強く短剣が振るわれたのか。――エウラリカに、危ないほどに接近した状態で?


 ぞわりと背筋を悪寒が駆け上がる。ウォルテールは知らず知らずのうちに立ち上がっていた。あの踊り手に話を聞く必要がある。捕縛しようと背後に控えている自軍の兵に声をかけようとしたところで、来賓席の方からは静かな声がした。

「危ないところでしたね。今後は注意なさってください」

 それはカナンの声だった。眉根を寄せ、エウラリカを庇うように一歩前に出て、カナンは床に座り込んだままの踊り手を見下ろす。

「言っておきますが」とカナンはついと視線を持ち上げ、会場を薙ぐようにその両目を動かした。


 一体誰に向けての言葉だか分からなかった。

「――エウラリカ様のことをあまり舐めない方が良い」



 直後、彼はころりと表情を変え、朗らかな笑顔をその顔に浮かべた。

「あれほどまでに素晴らしい演舞を披露される方であっても、このように失敗することがあるのですね」

 声も出ない様子で二人を見上げる踊り手に歩み寄り、花瓶の破片が乗っていない方の手を差しのべる。男の手を取り、立ち上がらせてやってから、カナンは周囲を見回した。

「どこに欠片がついているか分からないので、着替えに向かいたく存じます。ここでこの場を辞させて頂きますが、どうぞ続けてください」

 そうは言うが、こんな状況で演舞を『どうぞ続け』られる訳もない。近くで控えていた人間が慌てふためいたように駆け寄り、エウラリカとカナンを扉の方へ誘導した。カナンに付き添われながら、エウラリカがゆっくりと歩き出す。


 ……と、その間際、彼女は肩越しに振り返った。立ち尽くす踊り手を真っ直ぐに見据え、エウラリカは囁くように告げる。

「さっきはとても怖かったわ。刃物を持つときは気をつけてね」

 眦を下げて薄らと微笑んで、彼女はすぐに前に向き直る。そうしてエウラリカとカナンの両者は祭儀場を立ち去った。

「失礼」

 ウォルテールも立ち上がり、セニフに声をかけると、そのまま会場を辞した。



 ***


「エウラリカ様っ!」

 息せき切って部屋に駆け込んだウォルテールを見て、エウラリカは「ウォルテール!」と目を丸くした。その様子は既にいつも通りで、「どうしたの?」と首を傾げるのも常と同じだ。

 ここまで案内してくれた使用人に短く礼を言い、ウォルテールは後ろ手に扉を閉めた。エウラリカがいたのは祭儀場からほど近い宿泊棟の一間で、他には数人の侍女しか控えていない。ウォルテールはエウラリカを振り返った。

「カナンはどこへ?」

「ん……花瓶と欠片を捨てにいったみたい」

「こんなときに何をしているんだ、あいつは……!」

 ウォルテールは歯噛みし、エウラリカに歩み寄る。エウラリカの身に危険が迫った直後だというのに、呑気にごみ捨てか。


 椅子に座るエウラリカと視線を合わせるように、ウォルテールは片膝をついて跪いた。

「……ご無事ですか」

「ご無事ですわよ!」

 エウラリカはにこりと微笑み、両手を胸の前でぱっと広げてみせた。そこには傷一つなく、彼女はすぐに手を膝の上に戻して肩を竦める。

「みんな心配性なんだから。わたし、全然平気よ。……ちょっと、びっくりしただけ」

 その声音は不意に気弱な調子を見せた。息を飲んで瞠目する。エウラリカは目を伏せていた。彼女の目には憂いが浮かんでいた。


「わたしのことは気にしないで」とエウラリカは無理に元気を出したような声で微笑んだ。

「そういえばウォルテール、さっき客席で隣にいたのは誰?」

 話を逸らすみたいに、エウラリカは何の前置きもなく問う。ウォルテールは少し面食らいつつ、「セニフどののことですか」と聞き返す。「ええ」とエウラリカは目を細めた。

「誰……と言われましても、南方連合から来た首長のアドゥヴァどのの従者だそうですよ。何でも宦官だとか」

 ウォルテールが斜め上を見やりながら答えると、エウラリカはゆっくりと瞬きをする。

「南方連合……」

 その唇が小さく動き、エウラリカは物思いに耽るように口元に手を添えた。ウォルテールは思わず首を傾げる。

(何だ?)

 へえ、とエウラリカが低い声で呟いたのが聞こえた。



 長い沈黙が落ちる。ややあって、ウォルテールはおずおずと声をかける。

「エウラリカ様……」

「ねえ、ウォルテールは」

 彼の言葉を遮って、エウラリカは静かに、しかし強い声で口火を切った。

「……わたしのこと、どう思う?」

 随分と答えづらい問いだった。ウォルテールは一瞬息を止め、それから慎重に言葉を選ぶ。


「とても……そう、純粋な心を持った、……類い希なる美しい方です」

 その無邪気さと美しさ故に国を傾ける、それはまるで汚れなき幼い少女のようでありながら、周囲を誑かして堕落させてゆく淫婦のようだった。

 ウォルテールの言外の言葉を読み取ったわけでもあるまい。しかしエウラリカは無言のうちにゆっくりと瞬きをし、諦念の滲む表情で僅かな息を吐いた。


「――わたし、美しくなりたいだなんて、一度だって思ったことはないわ」


 ウォルテールは動きを止めた。その言葉の真意を問うよりも早く、背後で扉が開かれる。

「エウラリカ様、」

 扉を押し開けて姿を現したのは、やはりと言うべきか、カナンだった。



 ウォルテールは立ち上がって振り返り、エウラリカから離れると、カナンの腕を掴んで低く囁く。

「カナン。こんなときに一体どこへ行っていたんだ」

「そう慌てないで、落ち着いてください、ウォルテール将軍」

 カナンは片手を挙げて眉をひそめた。その表情が何だか小馬鹿にしたようなそれに見えて、ウォルテールは釈然とせずに顔をしかめる。


「大丈夫。大丈夫ですから」

 彼は薄ら笑いを落として、ウォルテールに向かってゆっくりと語りかけた。

「もう大丈夫です。……俺が近くにいる限り、エウラリカ様には決して危険を近づけさせるものか」

 ウォルテールはカナンの肩を掴んで顔を近づける。目の奥を覗き込むように身を屈める。

「なあ、お前は、一体何を言っているんだ。……何を見ているんだ?」

 しかしカナンがその問いに答えることはなかった。カナンは目を逸らし、無理やり歪めるみたいに口角を上げながら呟いた。


「いずれ分かる日が来ます。きっと……」




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