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傾国の乙女  作者: 冬至 春化
墜ちゆく帝国と陥穽の糸【表層編】

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外遊8



 その日は朝から大勢が出入りしていた。ハルジェルの侍女たちや衣装係がひっきりなしに廊下を行き来し、あまりのせわしなさにウォルテールは目が回るようだった。


「この髪飾りじゃ駄目よ、地味すぎるわ」

「でもこっちだと派手じゃない」

「あまり色の種類が多くない方が良いかしら」

「この紫水晶とか」

「でも瞳の色は碧でしょう? それだと……」

「うーん」

 何やら大きな箱を手に廊下を早足で歩き去った複数人を見送って、ウォルテールは瞬きを繰り返す。「すごいもんですねぇ」とデルトも目を丸くして呟いた。


 全員がエウラリカのために派遣された侍女たちである。まさかこんな騒動に発展するとは思わず、ウォルテールは何が何だか分からないまま立ち尽くすばかりだ。

「女性の支度とは大変なものなんだな」

「俺の姉貴も、彼氏と出かけるとなると家中ひっくり返しての大騒ぎでしたよ」

 デルトは遠い目をして呟いた。ある一箇所から男性の立ち入りが禁じられてしまい、二人は廊下に並んで立ち尽くしている。


 廊下の先の扉の向こうから、ちらほらとアニナの声が漏れ聞こえていた。エウラリカの声は特にない。取りあえずエウラリカの金切り声が聞こえてこないだけで十分である。


 デルトは細密な装飾の施された振り子時計をちらと見上げた。

「式典まであとどれくらいでしたっけ」

「会場に入る前の控え室に到着する時間までは、あと一刻はある」

「まあそれなら大丈夫ですかね」

 そんな二人の予想を裏切って、エウラリカの準備が整ったのは指定の時刻間際だった。



 そろそろ移動し始めないとまずい、と警護の兵たちが歯噛みしながら待機している玄関先に、アニナが「準備終わりました!」と駆け込んでくる。ウォルテールはすぐさま顔を上げ、移動の用意をするように指示を出した。そうして自身は道筋を確かめるように胸の内で地図を思い浮かべて視線を上げる。


 足音が聞こえ、ウォルテールは道順を確認するのを打ち止めて振り返った。

「エウラリカ様、時間が迫っておりま――」

 途中まで言いかけて、ウォルテールは口を噤む。


 折しもその日は快晴で、よく日の当たる玄関は明るい昼間の光に照らされていた。その足音はどこまでも静かで、一瞬のうちに誰もが息を飲み、言葉が宙に浮く。ウォルテールは中途半端に腰を捻った姿勢のまま、呆然と立ち尽くした。

 長い裳裾を数人の侍女たちが捧げ持つ。幾重にも重ねられた布地は僅かな身じろぎの度に囁きのような衣擦れの音をさせていた。その場にいる誰も、言葉を発しようとはしなかった。――一歩ずつ進んでくるその姿が、ついに、陽の光の下に歩み出る。


「遅くなってごめんなさい」

 そう言って、エウラリカは目を細め、その頬を和らげて微笑んだ。


 結い上げられた髪がまるで本物の金糸のように煌めいていた。後頭部を飾るのは大粒の宝石が一つだけ嵌まった髪飾りで、繊細な銀細工は今にも息づきそうな葉の数々を象っている。

「あ……」とウォルテールは一度だけ間抜けな声を漏らしたが、咳払いをして何とか気を取り直すと、エウラリカに正対した。

「短い距離ですが馬車での移動になります。時間が迫っておりますので、お早めにどうぞ」

「分かったわ」

 エウラリカは短く頷いて応じると、侍女に促されてゆっくりと歩き出す。その様子を見送りながら、ウォルテールは思わず頭を掻いた。


(驚いたな)

 端的に言えば、――見違えた。

 ウォルテールは未だ夢見心地のようにぼうっとしている連中に鋭く声をかけ、警備の体制を整えるように告げる。エウラリカから目を離さないまま、のろのろと移動する彼らにため息をつきつつも、ウォルテール自身も目を疑うように瞬きを繰り返していた。


 ……驚くべきことに、どうやらエウラリカは今まで、あれでも『まだ』本当に傾国ではなかったらしい。


 露わになった細い首と肩口がやけに白い。一歩の度に足下でしゃらりと鳴るのは装身具だろうか。紅の引かれた唇が弧を描いた。指先では目が冴えるような赤色が爪の上に乗せられている。

 普段の幼稚な振る舞いは、よほど言い聞かせられでもしたのか、なりを潜めて見当たらない。思い返せば、エウラリカはもう十九にもなる娘なのだった。その事実に改めて内心で驚きながら、ウォルテールはそっと息を吐いた。



 馬車の前で、エウラリカの姿を認めたカナンは僅かに目を見開いたようだった。エウラリカが表情を変えることはなかった。カナンもほんの少しの瞠目を見せただけでそれ以上の反応を示すことはなく、馬車の扉を開けてすぐに目を伏せる。

「どうぞ」

 カナンの言葉に頷いて応じ、エウラリカが馬車に乗り込んだ。裾を回収したカナンがエウラリカを追って馬車の中へと姿を消し、扉が閉じる。


「出発するぞ」

 それらの様子を確認して、ウォルテールは合図を出した。この宮殿は驚くほどに広大な庭園の中に建物が点々としている。向かう先は敷地の真反対に位置する祭儀場だ。



 ***


 今日が、ハルジェル王国が帝都に組み入れられてから二百年目を迎える、まさにその日であった。

 催される式典は大規模で、もちろん帝都からは王族であるエウラリカが。帝国の属国となった周辺の諸国からもそうそうたる顔ぶれが招かれ、帝国圏の外である南方連合からも首長が姿を現しているらしかった。


(くれぐれも変なことはしてくれるなよ……)

 ウォルテールは祈るような心地で会場を見渡していた。ウォルテールたち警護の兵は来賓席とは別に一般の座席の一部をあてがわれ、エウラリカの側に控えていることは出来ない。まだ空の来賓席を伺い、唾を飲む。

 エウラリカの背後で控えるのはカナンのみだが、しかしここは決して、進み出てエウラリカを諫めることが出来るような場ではない。ウォルテールは落ち着かない気持ちで腕を組み、ため息をついた。式典が始まるまであともう少しだ。



「こんにちは。ウォルテルさんですか?」

 不意に隣から話しかけられ、ウォルテールは目を瞬いて振り返った。

「初めまして、私は南から来たセニフといいます」

 言葉の端々に片言な発音が見られたが、意味を汲むのに何ら支障はなかった。ウォルテールは「どうも」と軽く会釈をしながら、声をかけてきた人物を眺める。セニフと名乗ったその人は、黒々と波打つ髪に褐色の肌をしていた。ウォルテールにとっては初めてお目にかかる人種であった。


「初めまして。ロウダン・ウォルテールです」

 応じながらウォルテールは片手を差し出す。握手をしながら、彼は素性を探るように相手の様子を窺った。

「南……ということは、南方連合からのお越しで?」

「はい。首長であるアドゥヴァに随行して参りました。今日の未明に到着したもので、ご挨拶に伺えずに申し訳ありません」

「ああいえ、お気になさらず」


 それにしても、南方からの客人とは珍しい。なるほど、とウォルテールは頷いて、不躾すぎない程度に相手を観察する。その褐色肌は、ただ日焼けをしただけのウォルテールの四肢とは異なる艶と滑らかさがあった。二十代半ばか後半ほどの男に見えたが、妙な色気のある眼差しをしていた。もしや女かも知れなかった。決して小柄ではないが、男性にしてはいやに華奢だ。しかし女にしては随分と落ち着いた声音をしている。


 セニフが得体の知れない人物であることは確かだったが、別段何か異変があるでもない。友好的に声をかけてきた相手に警戒を露わにする訳もなく、ウォルテールは微笑んで、「長旅でしたね」と応じた。

「ええはい、本当に。とはいえ、年単位の旅には慣れていますから……」

 セニフは苦笑するように肩を竦める。ウォルテールが首を傾げると、セニフは人差し指を立てた。

「南方連合は帝国とは違って、多くの氏族が緩い繋がりで関係を持っている地域です。便宜上、首長が取りまとめてはいますが、それだけでは各氏族間にある複雑な利権関係をまとめきることは出来ませんし、首長への忠誠も緩みます。だから首長は数年に一度、各氏族を順に回るので」

「それが年単位の長旅だ、と?」

「はい。……行くだけでも大変なのに、敬意を示すためにも滞在期間などを調整する必要があって、どうしても長引いてしまいます。本当に大変ですよ」

 くすくす、と口元に手を当ててセニフが笑う。ウォルテールも、貴人の絡む長距離移動がどれだけ大変であるか、身をもって体験している最中である。心からの同意を示して深く頷いた彼に、セニフは手を下ろしながら目を細めて微笑んだ。


「その旅にはご家族も連れて行かれるんですか?」

「ああ、いえ……。私には別に連れて行くような家族はいませんから。そうですね、確かに幼い子どもがいる者などは、家族を旅に同行させることもないわけではありませんが」

 その言葉に、ウォルテールは自身の失言を悟って目を落とす。弁解しようと彼が口を開くよりも早く、セニフは「お気になさらないでください」と笑顔で首を振った。


「宦官となったときから、自らの子どもを持つことを考えたことはありません」


 その言葉に、ウォルテールは目を見開いた。それでようやく、セニフに対する違和感の正体を掴む。この人は……、

「ええと、その」

「まあ、子どもは妹頼みですよ。こうしてアドゥヴァ様にも取り立てて頂いて、何も問題はありません」

 呆気に取られて口をぽかんと開いたままのウォルテールに、セニフはごくごく平然とした調子で告げた。


 そのとき不意に鐘が打ち鳴らされ、会話はそこで一旦遮られた。響いた音に意識が向く。

「どうやら始まるみたいですね」

 セニフはあっけらかんとした様子で前に向き直ってしまう。ウォルテールは何か言おうとした言葉を見失ったまま、のろのろと正面に顔を向けた。



 祭儀場は柱によって支えられた丸天井の下にあり、奥には華やかに飾り付けられた長机と演台、反対のウォルテールがいる側には円弧状に椅子が並べられている。中央は大きく開いた空間があり、演舞が披露されるという風に聞いていた。客席は既にほとんど埋まっており、恐らくはハルジェル領内の関係者であろうと思われた。

 別の棟から続く大扉が開かれた。礼服を身に纏った領主が先陣を切る、その後ろにエウラリカの姿が見える。床を引きずる長さの裾を持ち上げるのはカナンだ。目を伏せたその姿に存在感はなく、本人を知らなければ気にも留めないだろう。


 エウラリカが顔を上げる。しかしエウラリカは顔を覆い隠すような厚手のヴェールを被っており、その顔を窺い知ることはできなかった。エウラリカはついと顔を動かし、会場の端々までを見渡すような仕草をする。ほんのそれだけの動きなのに、妙に人の目を引き付けて離さない引力があった。客席から感嘆のため息が漏れる。

 エウラリカは客席の方にも顔を向け、ふとウォルテールのいる方に目を留めた。見慣れた帝都の兵たちがいることに気づいたのだろう。数人の馬鹿が手を振っている気配を背中で感じながら、ウォルテールは渋面になる。エウラリカはすぐに興味なさげにふいと顔を背けた。


「あれがエウラリカ様ですか? お顔を見てみたかったですね、残念です」

 隣ではセニフが顎を撫でて呟く。目を細めて身を乗り出す、その横顔を視界の端で見ながら、ウォルテールは少し肩を竦めた。

「一見の価値はあるかもしれませんが、あの方の特徴は顔にある訳ではありませんから……」

 低い声でぼやくと、セニフは不思議そうな表情で首を傾げた。



 会場に入ってくる賓客の最後に現れたのは、一人の大柄な男だった。セニフと同じような褐色肌をしている。恐らくは模造剣であろう、華美な装飾が施された長剣を佩いていた。他に似たような肌の色をした者は他におらず、あれがセニフの主であると断定して間違いはなさそうだ。

「あれが?」と言葉少なに問えば、セニフはにこりと微笑んで頷いた。


(……南方連合の長、か)

 面積だけで言えば帝国の次に並ぶような、広大な範囲に及ぶ勢力圏である。帝国とはあくまで儀礼的な関わりしかなく、素性はおよそ知れない。


 決して瀟洒や美麗という訳でもない、しかしそれははっきりと美しい男だった。双眸は鋭く、指の先までが自信に満ちた態度である。その歩き姿は、しなやかな山猫か猛禽を思わせた。

(――アドゥヴァ、といっただろうか)

 男は昂然と頭を上げ、肩で風を切って歩いている。咄嗟には数えきれぬほどの豪奢な装飾品を身に纏い、一歩の度にそれらが触れ合ってじゃらじゃらと音を立てた。その立ち居振る舞いはハルジェルの領主よりもよほど王者らしく見えるようだった。


 つまるところ、会場の雰囲気はエウラリカとアドゥヴァの二人に完全に食われてしまっているのだった。




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