外遊6
櫛目の通った白髪交じりの髪。身なりはきちっと整えられており、その姿からはいかにも真面目で厳格そうな雰囲気が漂っている。
コルエル大臣は真っ先にウォルテールに目を留めると、深々と頭を下げた。
「突然の訪問、失礼いたします」
「ああいえ」
ウォルテールは首を振り、それから背中に隠れようと試行錯誤しているアニナの首根っこを掴んで引きずり出す。
「……お久しぶりです、お父様」
前に出されてしまえばアニナは大人しいもので、体の前で両手を重ねてしずしずと礼までした。数秒前まで暴れていた侍女と同一人物とは思えないし、ましてや城内で背後から人を追いかけ回すような人間にも思えない。
(ふーん……)
ウォルテールが半目でアニナの後ろ姿を眺めているのをよそに、会話は慎重に切り出された。
「息災だったか、アニナ」
「はい……」
そのやり取りを最後に、玄関ホールには沈黙が落ちてしまった。動揺するのはウォルテールの方である。
(…………これで終わり?)
コルエル大臣は真顔でじっとアニナを見据え、アニナはその視線から逃げるように目をうろつかせている。助けを求めるようにちらちらと目配せをされ、ウォルテールは弱って頭を掻いた。
「た……立ち話も何ですし、どうぞお入りください。えっと……部屋は……」
「僭越ながら、応接室ならそちらの部屋です」
「ああ、ありがとうございます……どうぞ」
客人から部屋の位置を教わるという醜態を晒しつつも、ウォルテールは二人を応接室へと導いた。
部屋の入り口でアニナを小突く。
「おい、俺に尻拭いをさせないでくれよ」
「だだだってお父様こわいんですもん」
小声で言い交わしていると、横顔に強い視線を感じた。はっと振り返れば、顔を突き合わせるウォルテールとアニナを、コルエル大臣が厳しい眼差しで見据えていた。
「はは……失礼しました」
作り笑いと共にアニナから素早く離れると、ウォルテールは大臣に座るよう促す。無言で長椅子に腰掛けた大臣は、姿勢を正してウォルテールとアニナを見比べた。
「アニナ」
「はひ、」
「座りなさい」
「はい!」
コルエル大臣は娘を正面に座らせると、次にウォルテールを見上げて「どうぞ」と促す。ウォルテールはおずおずとアニナの隣に腰掛け、様子を窺うように両者を交互に見た。
「……随分と仲が良いようですね」
「はは……それほどでも……」
いきなりの剛速球に、ウォルテールは自分でもよく分からない笑みで応じる。
(何なんだよこれは!)
別にやましいことなど何もないのに、どうしてこんなに居心地が悪いのか。大体こっちは客人のはずである。なんなんだこれは。落ち着かない気分で身じろぎしたウォルテールから目を移し、コルエル大臣は娘をじっ、と見る。
「アニナ。御者台に乗るのは楽しかったですか」
「そ……れは……」
アニナは傍目で見ても分かるほどに狼狽えた。普段の快活な様子はどこへやら、蛇に睨まれた蛙のごとく身を縮めて答えに窮している。見るも哀れな様相に、ウォルテールは思わず口を挟んだ。
「大臣。あれは」
「申し訳ありませんが、私は今、娘と話をしているのです」
「……左様ですか」
一言で払いのけられたウォルテールはそのまま口を閉じる。
大臣は静かな表情で娘を眺めていた。
「答えなさい。楽しかったのですか?」
「その……ええと、……はい、とても楽しかったです」
素直に頷いてから、アニナはおもむろに深く項垂れた。
「ごめんなさい。私、本当は、お姉様たちみたいに真面目じゃないんです。優秀でもないし、綺麗でもないし、お淑やかな振る舞いもできなくて、……コルエル家として誇れるような娘じゃなくて、」
その顔がどんどん伏せられていくのを、ウォルテールは驚きを込めて見下ろした。こうも自分を卑下するアニナを見ることは滅多になかった。
「顔を上げなさい。まるで私が娘を虐めているみたいでしょう」
「はい、」
アニナは恐る恐るというように顔を上げた。そっと目線をもたげた先で、コルエル大臣は隠しきれないため息を漏らす。
「……私がいつそれらを咎めましたか」
その言葉に、アニナは腰を浮かせて拳を握った。
「だって、お姉様たちは早いうちに嫁いでいったのに、私にはそんな話ちっとも寄越してくださらないし、」
「そんじょそこらの凡庸な男に御せるような大人しい娘じゃないでしょう、貴女は」
「うぐ」
アニナは図星を突かれたような顔をした。ウォルテールは横目で視線を向ける。……何か思い違いか、妙なすれ違いがあるんじゃないのか?
彼女は再度長椅子に体を沈めながら、胸の前で両手を握りしめた。
「それに、私が帝都に行くって言ったときも、反応がとても薄かったし……!」
「私は常にこんな調子ですが」
「言われてみれば確かに……」
深い納得を示したアニナが、くるりとウォルテールを振り返る。
「……お父様、思ったより怖くないかもしれません」
「俺に報告されても困るんだが」
真顔で応じると、アニナは再び正面に顔を戻した。直後、はあ、とコルエル大臣が盛大にため息をつき、額を押さえた。
「貴女が帝都に行きたいと言い出したとき、私はああ見えて心から祝福していたんですよ。昔から姉の背中ばかり見て変に自分を抑圧しているのは分かっていましたから、コルエルの名前から離れるのも悪くないと」
それまでの淡々とした態度を崩し、父は大きな仕草で足を組んだ、
「今日、御者台に乗っかっている貴女を見て確信しました。……帝都にはありのままの貴女を受け入れてくれる人がいるのですね」
そう言って微笑んだ大臣の言葉を受けて、アニナは「えへへ……」とだらしない声とともにウォルテールを見上げた。
「私を……受け入れてくれる人……」
「何でそこで俺を見るんだ!」
ウォルテールは目を剥いて反駁する。普段ならまだしも、本人の父親がいる目の前でそういう言動は駄目だ。良くない。大変良くない。
ぎくしゃくと大臣に目を向けると、彼は生暖かい眼差しで薄らと笑っていた。その表情に嫌な予感が加速する。
大臣は膝に手をつき、深々と頭を下げた。
「…………娘をよろしくお願い致します」
「ちょっ……いや……」
ウォルテールは慌てて手を挙げ、大臣の勘違いを解こうと首を振った。するとアニナがわざとらしい表情で指を指してくる。
「違うんですか? そんな……じゃあ、私とのことは遊びだったんですか!?」
「こら! そういう悪ふざけは」
この場では冗談も冗談に留まらない。ウォルテールは慌てふためき、凄まじい早さでアニナとコルエル大臣を交互に見る。弁解しようと口を開きかけた直後、小さく吹き出すような音が聞こえた。驚いて動きを止めると、大臣は「失礼、」と苦しげに告げて口元を片手で押さえる。
目尻に浮かんだ涙を拭うような仕草をしながら、大臣はついに破顔した。
「随分と仲が良いようですね」
「いや……それほどでも」
「あります! うふふ」
「変な補足をするんじゃない!」
いつもの癖で突っ込んでから、ウォルテールは、ああもうと頭を抱えた。アニナがいるとどうも調子が狂う。
……それが決して嫌でないのが大変問題だった。
***
どうしてはるばる旅をしてきて『知り合いの』侍女の父親に挨拶をしなければならないのか分からないが、まあそんなこともあるのだろう。そうウォルテールは自分を納得させた。
話の弾むアニナとその父を置いて退室したウォルテールは、そのまま談話室に引き返す。エウラリカがまた騒ぎを起こしてはいまいかと心配に思ったのだが、事態はウォルテールの危惧とは逆の方向に動いていた。
「体調不良?」
「めまいがするとかで、お部屋で休まれるとのことでしたので、つい先程案内させて頂いたところです」
そう言って兵が告げたのは、宮殿の敷地内に張り巡らされた通りから最も遠い角部屋である。担当の者があらかじめ言っていた部屋と同じ。この棟の中でも最も良い部屋だろう。
「カナンは?」
「エウラリカ様に付き添われておられます」
「…………そうか」
ウォルテールは数秒黙ってから頷いた。
(まあ別に……問題ないか……)
そもそもエウラリカは普段から側仕えやお付きの侍女の類を身の回りに置かずに生活しているような少女である。側に置いているのはカナンのみ。
(他に世話をする人間を向かわせて癇癪を起こされても困るしな)
連れてきた侍女はアニナしかおらず、ハルジェルに着いてからの世話はこちらの人間が行う手筈だった。しかし何も知らないハルジェルの侍女をエウラリカに合わせるのは忍びない。
帝都から来た王族の世話をするために用意された侍女となれば、アニナと同程度の家格の娘である可能性だってある。それがエウラリカの機嫌を損ねて、彼女が勝手に処罰でもしたら……。
(下手したら内紛に繋がりかねない)
あながち冗談でもなく考えながら、ウォルテールは額を押さえた。エウラリカを連れて外遊だなんて、とてもではないが無事に終わるとは思えない。
晩餐が用意される少し前になって、エウラリカとカナンは揃って談話室に顔を出した。エウラリカの顔色は戻り、その頬には普段と同じように血の気が差していたが、彼女の口数はいささか少なかった。背後に付き従うカナンも、どこか悩ましげに目を伏せている。
そのまま食堂へと赴いて食事をするエウラリカを背後から眺めながら、ウォルテールは小さく嘆息した。
本来の目的である式典は明後日。明日は特に用事は入っておらず、エウラリカが暇を持て余すことは目に見えている。
(何も起こらなければ良いんだが)
……頭痛と胃痛がしてくるような気分だ。




