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傾国の乙女  作者: 冬至 春化
墜ちゆく帝国と陥穽の糸【表層編】

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婚約騒動3



 今しがた目撃した光景や入手した情報などを反芻しながら、ウォルテールは軍部の施設が立ち並ぶ方向へと足を向ける。訓練所の側にいるであろうデルトを回収しに、武器庫の脇を通りかかったとき、ふと背後に気配を感じた。

 ウォルテールの周囲に出現する、姿は見えないが気配がすると言えば、もう犯人はほぼ特定できるようなものである。


 ウォルテールは立ち止まり、頭を掻いて嘆息する。

「……アニナ。わざわざ隠れるという段階を踏まなくて良いから、用事があるなら前から来なさい」

 振り向きもせずに声をかけると、「そんな、前からだなんてはしたない……!」と訳の分からない価値観と共に、両手でシーツを広げたアニナが姿を現した。どうやらこれで姿を隠していたらしい。ウォルテールは半目になってアニナを眺める。


「珍奇な方法で物陰に忍ぶ方が、普通に話しかけるより余程恥ずかしいだろう」

 呆れ果て、歩きながら額を押さえると、並んで歩くアニナはシーツを畳みながら「そうでしょうか?」と首を傾げた。

「うふふ、閣下は少し変わってらしてるんですね」

「どの口が言ってるんだ!?」

 とてもではないが常人の発言とは思えない。愕然として顔を引きつらせるウォルテールに対して、アニナはくすくすと笑い声を漏らした。

「デルト様が待ちくたびれて文句を言っていましたよ」と口元に手を当てて笑いを噛み殺している。ふと思い出したようにアニナが「あ、あと」と人差し指を立てた。


「西方に置かれた当局の方と軍部の方がいらっしゃって、用事があると仰っていました。今はデルト様が応対をしております。それと、帝都の警邏隊から急ぎの連絡の書簡があるということでしたので、私が代わりに受け取らせて頂きました。よろしかったでしょうか?」

 するすると流れるような口調で告げられた連絡事項に、ウォルテールは一瞬、混乱して瞬きを繰り返した。黙り込んだウォルテールを、アニナが不思議そうな表情で見つめる。

「……過ぎたことでしたでしょうか?」

 少し不安げな顔になって、アニナは胸の前で畳んだシーツを抱き締めた。ウォルテールは慌てて「いや」と首を振る。


「わ……分かった。今すぐ向かおう」

「はい。こちらです」

 ウォルテールが応じると、アニナはにこりと微笑んで頷いた。癖のある栗毛が顔の横で揺れる。一歩前に出てウォルテールを先導しようとするように、アニナが大股で歩き出す。何かを話し出そうと片手を上げ、アニナは口を開きかけた。


「あのですね、閣下、」

「アニナ」

 言いかけたアニナの言葉を遮って、ウォルテールはアニナを見た。アニナは肩越しに振り返った姿勢のまま、驚いたように目を丸くしている。ウォルテールは言葉を選ぶように頭を掻き、目を逸らした。前々から言おうと思っていたことである。

「申し訳ないが、俺は、そのように呼ばれるのは、少し……」

「えーっ、ご、ごめんなさい!」

 ぎくしゃくと告げると、アニナは慌てふためいたように身を乗り出した。その手が白いシーツを握りしめ、放射状の皺を作っている。張り詰めた表情で、アニナは恐る恐るウォルテールの顔色を窺ってくる。


 ウォルテールは急いで「違う」と首を振った。これは別に文句ではないのだ。

「その、俺はそんな仰々しい敬称を付けられるような、立派な人間ではないだろう?」

 視線を遠くの地面に投げながら、ウォルテールは首に片手を当てた。所詮この地位だってエウラリカによる気まぐれで根拠のない『ご寵愛』の賜物である。他の将軍のように隊を率いて国外へ遠征する話も回ってこないし、大した功績を挙げたこともない。軍人に求められる勇ましさも、将にあるべき知略もカリスマもない。

 目の前で幼馴染みが死んでも何も出来ず、弟分がいつの間にか妙な話に巻き込まれていることにも気づけなかった。


 自嘲するように息を漏らして笑うと、アニナはぎゅっと顔を歪め、大きく首を横に振った。

「そんなことありません! かっ……ウォ……あー、えっと」

「……ウォルテールで良い」

「ウォルテール、様は! 立派な方です!」

 アニナは必死の形相でウォルテールを見上げる。その両手がおもむろにウォルテールの手に伸び、強い力で右手を握り込まれた。


「だって、だって、かっ……ウォルテール様はこんな私も追い払わないでいてくださるし、」

(追い払っても去らないの間違いでは?)

「格好いいし優しいし素敵だし、」

(主観だな……)

「それに、多分、戦うのがお嫌いで……。というよりは、自分のせいで誰かが傷つけられるのを怖がってらっしゃるんだわ。……今までの遠征で亡くなったり退役した部下のことを、今でも覚えているし、」

 いきなり風向きが変わって、ウォルテールは思わずたじろいだ。アニナは驚くほど真っ直ぐな眼差しで、ウォルテールの目の奥を見据えていた。


「ウォルテール様の目に映っているのは、土地と資源と駒じゃないんでしょう? 人を見ていらっしゃる。私はあなたのそういうところが、他の何よりも希有で尊い性質だと思います。だから私、ウォルテール様は立派な方だって断言します。あなたが何と言ったって撤回なんてしません!」


 ウォルテールの右手を両手でしっかりと握り、アニナは真剣な表情でそう言い切った。言い切ってから、我に返ったようにぱっと手を離す。ウォルテールは呆気に取られたまま、目をぱちくりとさせた。

「……アニナ、」

「ちょっと、ちょっとお待ち下さい! 今のは、その……」

 両手を前に出し、アニナは顔を真っ赤にして俯く。その様子を、ウォルテールは呆然として眺めていた。


 アニナは耳の先までを染め上げながら、激しく首を振る。

「ちっ、違うんです!」

「全部嘘なのか?」

「それも違くてっ!」

 あたふたと言葉を取り繕うアニナに、ウォルテールは思わず少しだけ笑みを零した。誰もいない武器庫の裏に、アニナの言い訳の声ばかりが響いている。


 口角に笑みを引っかけたままアニナを眺めていると、ややあって彼女はしおしおと項垂れた。

「……その、最近、ウォルテール様が落ち込んでらしてるみたいだったから、」

 胸の前でシーツを抱き寄せ、アニナは唇を噛む。肩をすぼめて俯く姿がやけにこじんまりとして見えて、ウォルテールは思わず体を固くした。


「ウォルテール様は卑下する必要なんてちっともないくらい素敵な人で、もっとそれを知って頂きたくて、それで、その……」

 見ているうちにどんどん頭が下がってゆく。項垂れるあまり頭が転がり落ちそうである。アニナは消え入りそうな声で呟いた。


「――あなたは一人じゃないってことも、知ってもらいたかったんです」

 そう、栗毛の頭頂部が告げる。ウォルテールは思わず手を伸ばして肩を叩く。

「アニナ、顔を上げてくれ」

「はい……」

 声をかけると、アニナは恐る恐る頭をもたげた。「アニナ、その、」とウォルテールは衝動的に何かしらを言おうと口を開きかけて、直前で言葉をすり替えた。

「……今は、デルトが待っているから…………」


 呟くと、アニナは見るも哀れなほどに顔を真っ赤にした。「ご、ごめんなさい、こんないきなり、お急ぎのところだったのに、私ったら」と、聞き取るのも困難な早口である。ウォルテールもつられて「いやそんなことは」と早口で否定した。



 気まずい空気と共にそそくさと歩き出して少ししたところで、ウォルテールは遙か遠くの虚空を睨みつけながら口を開いた。

「……ありがとう」

 隣をゆくアニナの方は一瞥も出来ず、ウォルテールは低い声でぼそぼそと呟く。

「貴女は正直言って本気で手に負えないし訳が分からないしちょっと怖いし気持ち悪いが、その……とても真っ直ぐな人だと思う」

「これ、私は喜んでも良いんですか……?」

 アニナは複雑そうな反応である。ウォルテールは渋面をする。ずっと向こうで庭師が生け垣の剪定をしていた。その様子をやたらに熱心に見つめながら、彼は再度口火を切った。


「――それが貴女の美徳だろう」

 庭師の手際をつぶさに観察しつつ、ウォルテールはふて腐れたように告げる。すると数秒の間を置いて、隣から「ふふ」と照れくさそうな笑い声が聞こえた。




「あーっ、やっと来た!」

 ウォルテールが事務室という名の休憩所に足を踏み入れると、デルトが勢いよく立ち上がった。『ほら』と言いたげにアニナがちらと目配せをしてくる。『誰のせいだと』と呆れた視線を返すと、アニナは知らないふりで目を逸らした。


 その一連のやり取りを見て、デルトがびしりと指さしてくる。

「えっ何ですか何ですかその空気感? えっ? 何? 何かあったんですか? まさか……ついにプロポーズでもしたとか?」

「してない! 大体『ついに』とは何だ。あと上官に指を指すんじゃない」

 デルトの人差し指をぐいと押しやって、ウォルテールは聞こえよがしにため息をついた。まったく、とアニナを見やれば、彼女は両手を頬に当ててあからさまに照れている。ウォルテールはぎょっとして目を剥く。嫌な予感がした。


「えへへ……。そのぉ……ウォルテール様が、というよりは、私が……みたいな?」

「ええええーっ!」

「そこ、記憶を捏造するんじゃない!」

 ウォルテールは思わず天を仰いで額を押さえた。今にも頭痛がしてきそうである。



「……それで? 西方からの用件というのは?」

 気を取り直してデルトに問う。室内に他に人影はいないので、どうやら使者はもう帰ったらしい。デルトは襟元を正しながら「はい」と応じた。

「東ユレミア州における運動が激化したため、帝都から一個大隊を派遣して欲しいと。そのための人員の選定をするようにとのことです」

「遠征か……」

「そんな嫌そうな顔をしないでくださいよ。隊を率いて西に向かうのは他の将軍のようですし」


 デルトが苦笑している隙に、アニナは机の引き出しの中から封筒を取り出す。当然のように手渡されそれを受け取ってしまったが、そこでふと違和感を覚える。そういえば、アニナの所属はこの隣の医務室のはずである。油を売るどころの話ではない。

「…………。」

 封筒をひっくり返し、まだ開けられた形跡のない封蝋を確認する。まあ良いか、とウォルテールは一旦、色々と見ないふりをした。

 封を切り、中に入っていた書面を取り出して目を通す。デルトが寄ってきて「何て書いてありましたか?」と手元を覗き込んできた。


「――帝都で、子どもたちが、相次いで行方不明になっている?」


 デルトが掻い摘まんで読み上げた、その言葉にアニナが息を飲んだ。ウォルテールは厳しい表情で文書を睨みつけた。これは帝都の警邏隊から来た連絡である。通常の警邏隊とは別に、軍を動かして欲しいということらしい。

「軍の出動依頼が一度に二つ来てしまいましたね……こんなこと滅多にないのに」

 デルトは腕を組んで眉をひそめた。ウォルテールは難しい顔をして頷く。


「今、帝都にいる将軍位の人間は誰だ? 俺と、レダス殿と、あとは……マズエール殿はもうじき北の視察に行くんだったか。となると東ユレミアに行くのはレダス殿だな」

 ウォルテールは自分の他の将軍の顔を思い浮かべ、それからため息をついた。ラダーム亡き今、軍を率いて身軽に動ける人員は限られているのだ。

「……とりあえず、レダス殿に詳細を聞いてくるか」

「俺も行きますよ」

 慌てて手を挙げたデルトを断って、ウォルテールは弱り果てて頭を掻いた。……考えるべきことが山積している。自分の抱える隊の人員の采配が最優先だが、次いでイリージオのことも気になるし、あとはオルディウスの急死に関することすらまだ片付いていないのだ。


(とりあえず、今は、自分に出来ることを一つずつ何とかするしかないな)

 肩の力を抜き、そしてウォルテールは歩き出した。



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― 新着の感想 ―
[一言] 『所詮この地位だってエウラリカによる気まぐれで根拠のない『ご寵愛』の賜物である。』 どこかに既に書かれているのかもしれませんが、 ウォルテールとエウラリカの出会いのお話を読んでみたいです。 …
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