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傾国の乙女  作者: 冬至 春化
変革せし帝国と手繰る系譜【湖城】

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四日目 3



 現在の状況では、数人だけ食事を分けるという作業の方が危ぶまれる。そういうわけで全員が同じ食卓についている中、末席にいるリェトナの顔色といったら哀れなほどだった。真っ青な顔で匙を口に運ぶ姿からして、ろくに味も分かっていなさそうだ。


 対して斜向かいに座ったカナンとグエンは楽しげな様子である。

「帝都が落とされたって聞いたときはそりゃあもう驚いたんだが、軍を率いている人間の名前が『カナン』って辺りで怪しいなとは思ったんだよな。まさか同一人物とは」

 離宮に到着した直後は緊張気味でカナンにも他人行儀だったが、徐々に調子を取り戻してきたらしい。闊達な口調で語るグエンに、カナンは苦笑を返した。

「なんだっけ……ジェスタの、王子?」

「色々黙っていて悪かったよ」

 肩を竦め、降参するように小さく手を挙げる。カナンが友人と話している姿を見るのは新鮮な気がして、ついついその様子を眺めてしまう。

「……まあ、色々と黙っていたのは俺も同じだからな」

 ばつが悪そうに目を伏せて、グエンが頬を掻いた。カナンが目を丸くするのが分かった。


(自分から言うのね)

 グエンが黙っていたことといえば、二人の別れ際に取り沙汰されたトルトセアのことだろう。明言まではせずとも、自分から話題に出すとは思わなかった。

 意外な思いで眉を上げていると、「グエンさんは」とユインが切り込んだ。


「閣下と知り合いなんですね。どういうご関係だったんですか?」

 声をかけられて、たちまちグエンの顔に緊張が走る。「そう固くならないでください」とユインが笑うが、流石にグエンも恐縮するようだ。

「カナンとは、その、帝都に出稼ぎに行っていた頃に知り合ったんです。俺が、厨房で見習いをしていて、よく作業を手伝ってくれて」

「へえ、閣下も厨房の手伝いをしていたんですか」

 もの言いたげな素振りで、ユインはカナンの方を振り返る。視線を受けて、見るからに嫌がりながら「何か?」とカナンが目を眇める。


「いや、その割には料理が下手だと思って」

 満面の笑みで放たれた言葉に、一拍おいて、グエンが堪えきれなかったように噴き出した。「失礼しました」と取り繕いながら、おずおずとカナンを振り返る。

「え、俺が来る前はカナンが、食事の支度を……?」

「全員で協力して、だ。俺だけでやっていたわけじゃない」

 憮然とした表情でカナンが否定する。「全員ではないですよ」と更にユインが否定した。


「一度くらい、父上とも一緒に食卓を囲んでみたかったですけどね」


 誰もが、腫れ物のように巧妙に避けていた話題である。その瞬間、グエンを覗く全員の顔が強ばるのが分かった。ただ一人、雰囲気が急に冷え込んだ理由の分からないグエンだけが、「え?」と目を丸くしている。

「そういえば、俺は、離宮で生活しておられる先帝陛下に呼ばれた、はずなんですが……」

 陛下は一体どこへ? その言葉に答える者はない。返事はなくとも、不吉な予感はあったのだろう。グエンの顔がさっと青ざめた。


「……亡くなったわ」

 やっとの思いで、エウラリカはそれだけ口に出した。グエンの目が大きく見開かれる。何か言おうとしたようだが、結局余計な発言は留めておくことにしたらしい。一度開かれた口が閉じる。



 そういう訳で、途中までは各人の努力によって和気藹々と保たれていた雰囲気は、すっかり元通りの重苦しいものになってしまった。それに拍車をかけるように、食事を終える頃になって、俯いたリェトナがくすんくすんと鼻を鳴らして泣き始める。

「リェトナ?」

 グエンがようやく妹の異変に気づいて腰を浮かせた。

「どうした」と隣にしゃがみ込んで顔を覗き込んでいる様子を、エウラリカは黙って観察する。リェトナは目元を覆って涙を拭うような仕草をしながら、弱々しく呟いた。


「エウラリカ様は、どうしてあたしのことを目の敵にするんですか……?」

「はい?」

 本気で理解できずに、エウラリカは眉をひそめて聞き返した。正直、苛立ちを隠せなかったことは否定しない。が、びくりと大げさに体を震わせたリェトナの態度はどこか演技じみていた。

「あたしが外に出たいって言ったときも、あんなに怖い顔で怒るなんて……」

「時間稼ぎをしても結果は変わらないわよ。部屋は見させてもらうわ」

 静かな声で告げると、リェトナはいっそう切なげに泣き出す。


 少しの間思案して、エウラリカはため息一つつくと優しい声を出した。

「別に、あなたの個人的な物品を誰にも言い触らしやしないわ。部屋を見られたくない気持ちは重々分かるけれど、この状況でしょう。少し気になることがあるだけなの。可能性は一つずつ潰していきたいし、あなたも疑われたくはないでしょう?」

 どうにも自分は飴と鞭の使い分けが下手になったようだ。ぎこちなさを自覚しながら語りかけると、リェトナは一瞬だけ上目遣いでこちらを見た。


 その目に雫の一つもないのを認めて、エウラリカは息を飲んだ。机に手をつくと素早く立ち上がる。

「今すぐ部屋を確認させてもらいましょう」

「ま、待って!」

 先程までの態度がまるで嘘のように、リェトナは椅子を蹴倒して腰を浮かせた。ぴたりと泣き止んだ妹に、グエンが胡乱な顔になる。やはり、単に見られるのが恥ずかしいという訳ではないらしい。――己の保身に関わるものでも隠されているのか?


 もはや一切話を聞くことなく、エウラリカは大股で食堂を出る。

「その子を押さえておきなさい」と声高に命じると、彼女はそのまま食堂の隣に位置している物置兼リェトナの部屋へ向かった。鍵の形状は他の部屋と同じか、あるいはそのような類のものはないと予想がついていた。取っ手をむんずと掴むと、思い切り引く。ばたばたと倒れてきた箒を半身で避けて、エウラリカは目を眇めた。


 階段下という位置から想像のつく通り、ちょうど階段の裏にあたる凹凸が天井となっていた。部屋の高さは低く、腰を屈めねばならない場所もある。

 入った瞬間の印象こそ狭いものの、奥行きは他の部屋と同じくらいである。部屋はどこかかび臭く、明かり取りの窓の小ささゆえに全体的に薄暗い。木の台の上に薄い布団を敷いただけのような簡素な寝台と、どこかで拾ってきたと思しき木箱は椅子代わりだろう。住み込みで働く気になれない理由がよく分かる。


 そうした部屋の中に、その棚は置かれていた。最も天井の高い壁に沿うように設置されているのは、四脚と数段の板のみが渡された棚である。

「やめて! 見ないでっ!」

 リェトナが絶叫する声が響き渡る。まるで遠くの物音のようにそれを黙殺して、エウラリカは物置に足を踏み入れた。棚に正対するように立つと、まるで何かの展示品のように、物が整然と並べられている。等間隔に置かれているそれらは、何かの小瓶だったり、良い作りの懐剣だったり、宝石のついた指輪だったりした。


 その中に見覚えのある小箱を見つけて、エウラリカは深々と嘆息する。やっぱり盗んでいたらしい。

「手癖の悪い子……」

 この窃盗癖をごまかすために、あんなに一生懸命になっていたのだろう。呆れ果てながら木箱を手に取り、留め金を外して蓋を開ける。中身に異変はなさそうである。


 この分だと、他のものも盗品の可能性が高い。あとで他の人間も呼んで確認した方が良さそうだ。

 腰に手を当てて、ぐるりと部屋を見渡して、――そのときふと、ファリオンの顔が頭に浮かんで息を飲む。

(どうして今、ファリオンのことを?)

 自分でも突発的な思考の動きが理解できず、エウラリカはその場に立ち尽くした。


 食堂の方向からは、ほとんど獣のような絶叫が聞こえていた。いや、やめて、とリェトナの悲鳴は要領を得ない。

「エウラリカ様! リェトナがあれほど嫌がって――」

 血相を変えて駆け込んできたグエンが、扉を潜った瞬間、見えない壁にぶち当たったように立ち止まり、その場でよろめいた。

 零れ落ちそうなほどに目を見張り、「は?」と声が半開きの唇から零れ落ちた。


 あとから追って来たカナンが、同じように物置に入った瞬間に動きを止める。

「このにおい、」

(におい?)

 言われて、エウラリカは改めて嗅覚に意識を向けた。直後、頭を殴られたような衝撃を受けて、思わず壁に手をついていた。


(この臭い、『傾国の乙女』の……!)

 どういうことだ、と視線を走らせる。この部屋には、棚と寝台と木箱ぐらいしか……。


 そうして見下ろした木箱を正視し、エウラリカは息を飲んだ。天面が少し浮いてはいないか?

「これ、蓋が外れるわ」

 言いながら、かがみ込んで木箱に手をかける。嵌め込み式の蓋が外れた瞬間、それまでとは比にならない濃密さで臭いが押し寄せ、エウラリカは思わず片腕で鼻を覆った。箱の中に入れられていたのは、乾燥した刻まれた葉である。中身は半分ほどに減っている。木箱の縁を掴んだまま、エウラリカは手が震えるのを自覚していた。


「どうして」と一歩下がったグエンが呻く。腹の辺りを強く握り締め、彼は鼻に皺を寄せて吠えた。


「――どうして、まだこの離宮にトルトセアがあんだよッ!」


 剥き出しの怒気を目の当たりにして、エウラリカは目を見開いたまま唇を引き結ぶ。そんなことがあるのか、と驚愕が襲った。

 だってグエンの言葉では、まるで、……昔からこの離宮で傾国の乙女が使われていたみたいじゃないか。



 ***


 談話室に場所を移しても、朗らかに話をする空気にはならなかった。

 うああ、と子供じみた泣き声を上げるリェトナのほかに、口を利こうとする元気がある者はいない。


「……つまり、リェトナさんがその、傾国の乙女っていう薬物を、ファリオンさんに対して使っていたって言いたいんですか?」


 未だに信じがたい様子で、ユインが腕を組んだ。エウラリカは答えず、しゃくり上げながら涙を拭うリェトナに向かって身を乗り出した。

「リェトナ。これが、人をおかしくする薬だと分かっていて、部屋に置いていたの? 実際にファリオンにも使ったのでしょう」

 問いかけるが、彼女は息もできないほどに泣きじゃくるばかりで、とてもではないがまともな答えは得られそうにない。ため息をついて、エウラリカは視線を上げた。


「マーキスを連れてきてもらえる? おとうさまから何か聞いているかもしれない」

 すぐさま立ち上がって部屋を出たウォルテールを見送って、エウラリカは顎に手を当てる。


 十年前と今回、ファリオンからトルトセアの香りがした。加えて、グエンの言葉を額面通りに受け取るなら、以前からこの離宮にはトルトセアが存在していたらしい。使用されていたと見ても良いだろう。

(この城は、一体、今まで何に使われていたの……)

 疑いようがないのは、北の離宮と呼ばれるこの湖城が、ずっとクウェール家の管理下にあったということのみである。



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