三日目 4
寝静まっていたはずの城内は、ものの数分の間に騒がしくなり始めた。
「これは、一体……」
頭上から降ってきた言葉を聞き留めて、エウラリカは顔を上げる。ノイルズの声だった。両手で手すりに掴まり、蒼白な顔で立ち尽くしている。
吹き抜けの底で項垂れているマーキスを、カナンが厳しい目で見下ろす。異変を聞きつけて、全員が部屋から顔を出してこちらを覗き込んでいた。既に良い時間だと思っていたが、熟睡する気になれないのは皆同じだったらしい。
「声を張るのは嫌だから、全員降りてきなさい。どうせ眠れないのでしょう」
最上階まで聞こえるよう顎を上げて呼ばわると、広い空間に声が朗々と木霊する。己の声の残響が消えるまで、エウラリカは身じろぎ一つできなかった。
床に尻をついたまま、マーキスは頭を垂れて何やら低い声で呟いている。
「こんなはずではなかった、私はただ、フェウランツィア様の、……」
改めて観察してみれば、この数日で随分と老け込んだように見える。恐る恐るといった足取りで上階の面々が階段を降りてくるのを視界の端で捉えながら、エウラリカは唇を噛んだ。
……また、フェウランツィアの話ばかり。
「これは」
全員が集まったのを確認し、エウラリカは片手にぶら下げていたじょうろを掲げた。
「私が、舟のところに仕掛けておいたものよ」
軽く振れば、中に入れておいた石がからからと存外にやかましい音を立てる。地下室にあった靴から靴紐を拝借し、これを、ねずみ取りと繋いで吊り下げておいた。何者かが舟に足を踏み入れ、ねずみ取りに引っかかるか、紐に躓くか、あるいはじょうろを蹴飛ばすなりすれば、夜の静寂には耳障りな音が響く手筈だった。
そもそも、舟は放置されていても櫂は別の場所で保管している。どちらにせよ漕ぎ出せまい。
「鳴子のような罠を用意してあったという訳ですか」とユインが眉をひそめる。
「わざわざ全員がいる場で舟のことを言ったのも、それで?」
あまり愉快ではなさそうな物言いだった。犯人を炙り出そうと罠を張ったのは事実である。「大怪我をするような罠じゃないでしょう」と肩を竦めて、エウラリカは鼻を鳴らした。
「それで、その……マーキス殿が、舟を使って外に出ようとしていた、と?」
戸惑いがちにウォルテールがこちらを窺う。まさか、と言いたげな表情は、動揺を素直すぎるほど如実に表していた。
その場の視線が、一斉にマーキスへと集中する。今や蒼白を通り越して土気色になった顔で、マーキスはゆっくりと助けを求めるように辺りを見た。助け船を出す者は誰もいない。
「……お前が、ファリオンの脱走に手を貸したのよね?」
念を押すように、ゆっくりと問う。息を飲む音がした。
「どういうことですか? ファリオンさんは一晩中部屋から出なかったはずでは」とユインの声が強ばっている。多少なりとも自責の念はあるらしく、その表情には怯えにも似た警戒が浮かんでいた。
マーキスは項垂れたまま答えようとしない。黙っていれば乗り切れると思っているのか、口を開く気力さえないのか。
舌打ちしたくなったのを堪えて、エウラリカは少しだけ天を仰ぐと、後ろの方で縮こまっていたリェトナを振り返った。
「朝に、地下室に縄があったはずだけど見つからないと言っていたわね?」
「え、は、はい。でででも、あたしがちゃんと探してないかもしれないので、」
「私も確認したわ。縄は地下室になかった。……舟があるなら、舫い綱が一緒に用意されていても何も不思議ではないもの、あなたの言葉を疑うつもりはないわ」
言いながら、エウラリカはくるりと体を反転させて歩き出す。「逃げないように見張っておきなさい」と一声かけると、人がついてくるのを待たずに階段を上り始めた。
西側二階、奥の角部屋。マーキスの部屋である。扉の前に到着すると、息を詰めてドアノブに手をかけた。あとを追って来たのはユインとカナン、それからリェトナである。固唾を飲んで様子を窺っている。
「……この城の扉は、ほとんどが同じ形をしているわ。外開きで、鍵は中からしかかけられない。外からは鍵の開閉はできず、鍵がかかっているということは、中から誰かが鍵をかけた――つまり何者かが在室しているということ」
ユインがこくりと頷く。それを根拠にファリオンの在室を把握していたのだから当然だ。
「昨晩、私が見ている前で、あなたはファリオンの部屋の扉のドアノブを回したわね」
力を込めても扉は開かない、と見せてくれた手つきを思い浮かべながら、エウラリカは目を閉じた。この城に到着し、初めて部屋に入った際に扉を確認したときのことが蘇る。
「――この城の扉はね、鍵をかけるとドアノブは動かないのよ」
呟いて、そっと、ドアノブを握る。定期的に油でも差しているのだろうか、さしたる手応えもなく取っ手は回された。ユインが言い淀む。
「でも……だってファリオンさんの部屋では、扉は開かなかったんですよ」
「そうね。でも、方法はあるのよ。私の推察が間違っていなければね」
ほとんど駆け抜けるように告げると、彼女は短く息を吸った。眦を決すると、片足を下げ、一気に扉を引き開ける。瞬間、突風が押し寄せて、エウラリカは思わず片腕で顔を庇った。
背後でカナンが角灯を高く掲げる。ほのかな灯りを受けて、激しくはためくカーテンの姿が暗闇に躍り出る。
「やはり」とエウラリカは息を潜めて呟いた。
壁際に据え付けられた棚に結びつけられているのは、頑丈にあざなわれた舫い綱である。僅かな弛みさえなくぴんと張った縄は、一直線に窓へ向かい、窓枠の上辺の角で引き絞られると外へと消えてゆく。
大股で部屋に入り、窓際に駆け寄ると身を乗り出して上を見やる。窓から出た縄は壁を這うように真上へ向かい、同じく開け放たれたままの窓へと吸い込まれていた。
――真上は、扉の閉ざされたファリオンの部屋。
「ファリオンの部屋の扉に縄をくくりつけ、窓から縄を垂らし、真下の窓で縄を受け取ったら室内の物品へ結びつける。用心して縄を張れば、扉は外から引いたくらいじゃびくともしないはずだわ」
そもそも手前へ引く扉は力が入りづらい。男二人がかりで動かすような棚の脚と繋がっていれば、容易く開きはしないだろう。
「ファリオンが縄を扉に結んで垂らし、マーキスがまた棚に結ぶ……この方法で扉を封鎖したとなると、双方の協力が必要になりますね」
窓の外を見てきたカナンが呟く。ファリオンが犯行に及ぶには協力者が必要である。以前に予想した通りだ。
「つまり、マーキスさんがファリオンさんの脱出を手助けして、ファリオンさんが、その、……父上を殺害し、自らも窓から身を投げた、と?」
ユインが眉根を寄せて縄を睨んだ。してやられたな、と呟く。縄を垂らしてから部屋を出るだけなら、ほんの数分目を離しただけでもファリオンの脱出は可能である。
「つまり、マーキスさんは父上の協力者ではなくて、ファリオンさんと結託して父上を殺害しようとしていたということでしょうか」
そう結論づけたユインに、エウラリカは「待って」と声をかけた。先程のマーキスの言葉が引っかかる。
『違う! そんなはずじゃなかった、……陛下は、死ぬはずではなかった!』
悲鳴のように叫んだマーキスの表情は真に迫っていた。あの発言からは、ルイディエトを殺そうとする意思はなかったように感じられる。
(おとうさまは、死ぬはずではなかった。――では誰が死ぬはずだったのかしら)
その答えは知っている気がした。
***
とにもかくにも、本人の証言を聞いてみないことには仕方ない。縄をほどいてファリオンの部屋を検めることも考えたが、朝になってからでも遅くはないだろう。エウラリカたちは部屋を出て階段を降りると、未だに吹き抜けの中央で身を寄せ合っていた面々へと歩み寄った。
「部屋の中は確認させてもらったわ。お前が、ファリオンの在室を装うために扉を固定していた証拠も見つかった」
エウラリカは威圧するように言い放つと、マーキスを睨み下ろした。観念したのか、マーキスは項垂れたまま弁明する様子はない。
「答えなさい。このことは、お前が首謀したの?」
「いいえ、まさか!」
マーキスはがばりと顔を上げ、大きな声で否定した。老いた顔を、怯えと恐縮が彩っている。
「私めがこのような恐ろしい企てをするはずがありません。私は……私はただ、陛下の仰せのままにしただけでございます」
陛下、と口の中で繰り返すと、エウラリカは思わず傍らのユインから距離を取った。「僕じゃないですよ!」とユインは狼狽えつつ勢いよくかぶりを振った。マーキスに向き直り、声を潜めて問う。
「……父上に命じられたんですね? 違いますか」
まるで小さな子どもに念を押すかのような口調であった。マーキスは何度も頷くと、「全てお話します」とエウラリカを見上げてそう言った。
談話室に火を灯すと、マーキスを中心に皆が思い思いの場所に陣取って様子を窺っている。念のため後ろ手で両手を椅子に縛られたまま、老執事はエウラリカをじっと見つめていた。暖炉のほど近くに座ったマーキスの瞳に、炎の色が映り込んではゆらゆらと影が踊っている。
「エウラリカ様。あなたのお母君の、……フェウランツィア様の死因を、ご存知ですか」
「私を産んだあと、里帰りをした際に実家で殺害されたと聞いたわ。刃物で胸を刺されたんだそうね」
こんな話題を直接エウラリカ自身の耳に入れる馬鹿はいない。だから全ては盗み聞きした噂や人づてに伝わってきた話である。端的に応じると、マーキスはゆっくりと頷いた。
「陛下は……ルイディエト陛下は、その下手人を、ファリオン様であると仰っていました」
誰が息を飲んだか分からない。暖炉の熱を半身に受けながら、エウラリカは凍り付いたようにマーキスを凝視していた。
「おとうさまが、そう言っていたの? 本当に?」
「はい」
フェウランツィアが生きていた頃のルイディエトがどのような青年だったのか、エウラリカには知る術がない。全ては自分が生まれる前の話である。けれど、彼がフェウランツィアを深く愛し、その死によって深く傷つけられたことくらいは知っている。変わってしまわれた、と口さがなく囁く声を幾度となく聞いたことがある。
「それで、おとうさまはファリオンをこの湖城に呼び寄せ、暗殺しようとしたというわけ?」
「その通りでございます」
「でもおかしいわ。どうして今になって? お母様の件は二十年以上も前の話よ。これまでにも、おとうさまはファリオンを殺す機会がたくさんあったはずでしょう。今まで殺さずにいたのに、何がきっかけで?」
事実、十年前にファリオンが帝都の宮殿に現れたときは、ルイディエトはファリオンを見逃しているのである。
矢継ぎ早に問うが、マーキスの答えは「陛下のお心は私には分かりません」と要領を得ない。
エウラリカは椅子に深く腰かけたまま、じっと足元を睨みつけて黙り込む。フェウランツィアの死後、ルイディエトはそれこそ必死に犯人を捜させただろう。それでも犯人は見つからなかったと聞いている。
「……おとうさまは、どうしてファリオンが犯人だと分かったの?」
ファリオンの話題が出るたびに、どうしても臆している自分がいた。ここには察しの良い人間が何人もいる。その中の誰か一人でも、ほんの些細な言葉尻から、自分とファリオンの血縁関係を見抜いたらどうなる――破滅である。
「それは、……」
言い淀み、マーキスは目を伏せた。いきなり妙な行動に出ないようにと、その背後でノイルズが目を光らせている。何か思うところでもあるのか、ふとその目が細められた。僅かな表情を見咎めて、エウラリカはノイルズへ水を向ける。
「何か知っているの、ノイルズ」
「いえ、俺は何も」
咄嗟に首を横に振ったノイルズから視線を外さず、エウラリカは更に強い眼差しで彼を注視した。
「前に、ファリオンが暴れたと聞いたとき、あなたは随分と警戒していたようだったわ。……もしかして、ファリオンが私の母を殺害したって知っていたの?」
「そ、そんなこと知るはずがありません!」
目を丸くして、ノイルズが否定する。助けを求めるようにカナンを一瞥する目の動きを眺めると、エウラリカは長い息を吐いた。……こっちも一枚噛んでいるらしい。
振り返らず、背後に向かって呼ぶ。
「カナン」
「俺も、何も知りませんよ」
「嘘おっしゃい。私、嘘は嫌いだって言ったはずだわ」
強い口調で遮ると、カナンが嘆息する気配を感じた。参ったな、と息だけで呟いている。
「本当に察しが良い」
呆れたような口調であった。エウラリカは一歩も退かず、「答えなさい」とだけ続ける。
ちら、とノイルズとカナンが顔を見合わせたようだった。頭上で無言のやり取りが交わされる。
「……エウラリカ。怒らないで聞いてください」
「そういう前置きが必要な話なら、私、たぶん怒るわ」
またため息。ため息をつきたいのはこちらだと思いながら、エウラリカは体ごと振り返ってカナンを仰ぎ見た。
「別に何かがあるわけじゃありませんよ。あなたが到着する前に、マーキスから聞いただけです。ノイルズもそうです」
随分と言い訳がましい。眉を上げて促すと、カナンは一度口を閉じてから、エウラリカを見据えた。
「……ファリオンは、かつて、レウィシス家……生家で乱心し、使用人や住民を含む大勢を殺戮した、と」
「待って。あなた、私たちが来る前にファリオンのことを既に知っていたの?」
「だから、怒らないで欲しいって言いました」
開いた口が塞がらない。どういう経緯でそんな話題になったのか分からないし、大体、ファリオンと初めて顔を合わせたときには何も知らないような顔をしていたではないか。あの白々しさと言ったらない。それに……
「ファリオンが、たくさんの人を、殺した?」
初耳であった。思わず耳を疑って繰り返すと、ノイルズは肯定も否定も拒むように視線を落とす。
「フェウランツィア様が亡くなられた直後、ファリオン様は突如として錯乱なされ、剣を持って暴れ回った挙げ句に何十人もの死傷者を出しました」
不意に口を利いたマーキスの声音には、怒りが滲んでいた。憎悪と言っても良かった。
「親しい人間の顔も分からず、手当たり次第に周囲を襲ってあのような惨状を起こしたのです。フェウランツィア様を殺害した下手人だとしても、何も不思議ではございません」
二十年前の話のはずである。それなのに、そのときの光景が目に浮かぶ気がして、エウラリカは怖気を抑えられないでいた。
ほんの二日前のことである。どのような制止も効かず、目の前の相手のことすら分からない、常軌を逸したファリオンの姿を思い出す。
(傾国の乙女、)
胸元で強く拳を握りしめ、エウラリカは震える体を必死に縮めていた。この惨状は、本当に傾国の乙女の効果なのか? それとも、フェウランツィアに対するファリオンの妄執が引き起こした事件なのだろうか。
恋をした人間がとびきり馬鹿になることは知っている。愛した人間のためならどんな手段だって取ってしまえる人間がいることも。
「当時は、レウィシス家の血筋が、そのような異常を起こしているのではないかと口さがなく囁く者もおりました。もちろん、そのようなことはないと私自身は思っております。既に亡くなられた当主様やその奥方様も、とても理知的で立派な方でした。しかし、フェウランツィア様のご息女であるエウラリカ様に、このような話を積極的にお聞かせするのも憚られ……」
言い淀みながら、マーキスはエウラリカの不興を警戒するようにこちらを目線だけで見やった。反応を窺われても、エウラリカはただの一言さえ返すことができなかった。
レウィシス家の血は異常を来しやすいと言われて、どんな言葉を返せば良いか分からない。他の人間が思うより完璧に、その言葉はエウラリカに突き刺さる。
凄惨な事件を起こす人だから、ルイディエトはファリオンを犯人だと断定したのだろうか? それだけの理由で?
(おとうさまは、他にも何か知っていたのかもしれない)
あの人は、フェウランツィアとファリオンの関係を知っていたのだろうか? 幾度となく考えたことのある疑問が、ふと浮上する。
知っているはずがない。知らないままでいて欲しい。何よりも一番強く願ってきたことが、今となっては些事に思えた。
(もしも本当にファリオンがお母様を殺したのだとしたら、おとうさまはどれだけ悔やんだことか)
フェウランツィアを実家に帰さなければ、彼女が殺されることもなかった。
「それで、おとうさまは、あなたに何を命じたの?」
ルイディエトは死ぬはずではなかった、とはマーキス自身の言である。話を戻すと、彼は窓の外を一瞬だけ窺ったようだった。ファリオンの死体が浮かんでいた位置である。
「……ファリオン様を、部屋に呼ぶようにと。それと、扉の細工を。ファリオン様には、食事を差し入れる際に説明をしました。話があると陛下が仰っているから、あとで機を見計らって陛下の部屋に行くようにと、縄を渡しました」
昨晩はユインがたまたま席を外したが、たとえそうでなくてもマーキスが何かしら理由をつけて見張りを外すつもりだったのだろうか? ユインが眉を寄せて腕を組む、
「それから後は、私は部屋で待機し、縄が降りてきたので手筈通りに固定し、朝まで部屋から出ませんでした。陛下は、あとのことは自分でやると仰っていましたから、実際にお二人の間に何があったのかは分かりません」
なるほど、とエウラリカは口の中で呟いた。
「でも、薄々察していたのではないの? おとうさまが、ファリオンを平和的なおはなしのために呼んだ訳じゃないって」
掠れた声で問うと、マーキスは肯定も否定もせずに項垂れた。
「部屋の扉を壊されて、おとうさまは案外困っていたんじゃないかしら」
四階角部屋。ファリオンによって扉を壊された、ルイディエトの私室である。彼が殺害され、遺体が発見された場でもある。
「どうして、おとうさまが扉のない部屋にいたのか疑問に思っていたの。……おとうさまがファリオンを殺害しようとしていたなら納得はいくわ」
マーキスを使ってファリオンの在室を偽装し、部屋に呼び出したファリオンを何とかして窓から突き落とす。
そうすれば、一晩中部屋にいたはずのファリオンが、朝になったら部屋の真下の湖に浮いているのである。
誰が見たって自室の窓から飛び降りた形跡だ。誰もがファリオンの自殺を真実として処理するだろう。何せ、その日の昼間にあれだけ常軌を逸した言動をしていたのだ。夜中に錯乱してもおかしくはない。
ルイディエトの策が完全に遂行されていれば、自分は果たして目の前の真実を疑っただろうか?
末恐ろしさに背筋が冷たくなる。膝に置いた手を、強く握り締めた。
エウラリカが口を噤めば、室内に沈黙が落ちる。誰も口を開こうとしない、気詰まりな空間である。
「父上は、ファリオンさんを殺そうとして、自分自身が襲われてしまったんでしょうか。それでも何とか、ファリオンさんも道連れにした、とか」
ユインが、重い口調で呟く。相槌を打つ者はいない。エウラリカも黙って頬杖をついたまま、窓の外の暗闇を見据えていた。
誰も何も言わないまま、どれだけ経ったか分からない。時計を見やればじきに夜明けの頃である。頭の芯が痺れたように鈍感になっていた。他にもたくさん疑問に思っていたことはあったはずなのに、そうした点へと思考が繋がっていかない。
長い沈黙の中で、空の色が漆黒から藍色へ、藍色から茜色へと少しずつ移り変わってゆく。肘掛けに頬杖をついたまま、エウラリカは窓の外をじっと見つめ続けていた。水面に光が当たり、深くも透明感のある青色が揺れている。覗き込むと、湖底で藻や水草の姿が見えるのだ。見ただけでもぞっとする、冷ややかでおぞましい有様だ。
そうした光景を思い浮かべているうちに、一昼夜張り詰めていた糸が緩むように瞼が重くなってきた。急激に体から力が抜け、掌に顔の重さを預けながら、夢うつつに呟く。
ふわりと膝の上に毛布が被せられる。頬杖からがくりと頭が落ち、肘掛けを掴んで何とか体を支える。「エウラリカ」とカナンの声がして、前のめりになっていた体がそっと背もたれへと戻された。後ろへ体を預けてしまえば、眠気は一層増す。
必死に目を開きながら、エウラリカは唇の上で呻いた。
「――じゃあ、ファリオンは、一体どんな理由でおとうさまを殺したの?」
睡魔に襲われて瞼を下ろす寸前、マーキスの肩越しにノイルズと目が合った気がした。彼は唇を引き結んだまま、昏い眼差しでこちらを見下ろしている。




