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傾国の乙女  作者: 冬至 春化
変革せし帝国と手繰る系譜【湖城】

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三日目 3



 談話室に戻ると、まるで葬式のように神妙な顔をした面々が部屋に散っている。この中に犯人がいると断言されてしまえば談笑する気にもなれず、さりとて一人で部屋へ戻るのも恐ろしく思えるようだ。この状況下においては、一人で行動することが疑念の対象にもなる。

「あ、姉上。ファリオンさんの部屋は見られましたか……?」

 沈んだ声で訊いてきたユインに「まだよ」と応じて、エウラリカは室内を見回した。


「ひとつ、朗報があったわ」

 そう切り出すと、それまで心ここにあらずといった風情だった数人もエウラリカを振り返る。

「舟が見つかったの。一人か二人ほどしか乗れないような小さな代物だけれど、これで外部に連絡を取ることは可能になった」

「そ、外に、出られるんですかっ?」

 真っ先に食いついたのはリェトナであった。恐怖と疑心暗鬼が限界に達しているらしく、顔中を涙でぐちゃぐちゃにしながら金切り声を上げる。異常な事態であることは確かなので同情はするが、多少面倒にもなってくるというものである。

 ぴぃぴぃ泣いてばかりいるんじゃないわよ小娘、と飛び出しかけた暴言を飲み込んで、エウラリカは「いいえ」とだけ応じた。


「犯人が見つからない以上、出入りは認めないわ」

 高慢に顎を上げて言い放つと、「そんな」と非難の声がいくつか飛ぶ。ついに耐えかねたのか、リェトナが声を上げて泣き出してしまう。

「あたしは事件には関係ない! 犯人がどうとかにも興味なんてないの! おうちに帰りたいよぉ……!」

 その様子を無感動に眺めて、エウラリカは「知らないわ」と鼻を鳴らした。それを見て、カナンとウォルテールが呆れたように顔を見合わせる。


「とにかく、これで食料などの調達は可能になったのだから、犯人が見つかるまで腰を据えて捜査ができるようになったというわけ」

 しん、と部屋が静まりかえる。何度も繰り返された『犯人が見つかるまで』という言葉が、重くのしかかっていた。


「……あの、エウラリカ様」

 沈黙のなか、おずおずと片手を挙げて発言したのはノイルズであった。

「犯人が見つかった場合、エウラリカ様はどうするおつもりなのでしょう」

「どう、とは?」

 ゆるりと体ごと向き直ると、ノイルズは怯んだように口を噤みかけた。が、憂いのある表情のまま、僅かに声を大きくして続ける。


「我々は裁判官ではありません。……たとえ下手人が明らかになったとて、罪を問うことは」

「犯人が分かったら、私、きっとその人間を己の手で殺すわ」


 殊更に脅すつもりでもない、思わず零れ落ちてしまった一言に、ノイルズが大きく目を見開いて唾を飲む。

 正直、自分でも驚いた。

(私、そんなつもりだったの?)

 自分の口から飛び出したはずの言葉が、どこか他人事のように遠く感じられる。まるで自分自身の憎悪ではないみたいに。


「はは、冗談……ですよね?」

 顔色を窺いつつ、ユインが乾いた笑いを漏らす。咄嗟に、笑顔で肯定することができなかった。やっとの思いで頬を引きつらせたせいで、脅しは尚更に真実味を帯びてしまった。



「あまり過激な冗談を言わないでくださいよ、怖いなぁ」

 笑みを含んだカナンの声で、場の空気はようやく緩んだ。我に返って「真に受ける方が悪いのよ」と腕を組むエウラリカを、ノイルズがじっと見つめていた。



 ***


 そうこうしているうちに、既に日は傾きつつある。冬が近づき、日の入りは目を疑うほどに早くなっていた。薄暗い中でファリオンの部屋を検めるのも得策ではない。今日はこれ以上の捜索をしても意味がなさそうだ。


「なかなか食料も心許なくなってきましたね」と調理場でユインが腕を組んだ。

「やけに多くの保存食が備蓄されているので食いつなぐこと自体は可能ですが、水が不足してきました。流石に湖の水を飲み水に使う気にはなれませんし」

 食料庫から戻ってきたウォルテールが頭を掻く。

「それで、今しがた思い出したんですが……この城が水没した際、先代陛下が『数日後に晩餐会の準備のために人を呼んでいる』と言っていたはずです」

「そういえば、そうね」

 様々なことが立て込んでいたために、すっかり記憶の彼方に隠れてしまっていた。エウラリカは頬杖をついて相槌を打った。


「それが昨日のことでしょう? ひょっとすれば明日にでも人が到着する可能性があるし、食料も積んでくるはずだわ」

 言いながら、まだそれしか経っていないのかと意外な心持ちがした。

「しかし、そうなると橋は通れませんよ。……舟で食材だけでも引き取りますか」と、口元を隠してカナンが囁く。

「もしそうなったら、他の連中に見られないうちに仕掛けを撤去しておく必要があるわね」

 エウラリカも顔を寄せて囁き返すと、ふと視線を感じた。


「あ、いえいえ、ごゆっくり」

 やたらと含みのある笑顔で口元を押さえたユインが、ひらひらと片手を振って合図してくる。……どうにもやりづらい。

 自然と距離を置き、エウラリカとカナンは揃って仏頂面になった。


「とりあえず、今晩の分は何とかなるので調理を開始しちゃいましょう。皆さん、手伝ってくれますよね?」

 我らがユイン食堂の店主殿が笑顔で目配せしてくるので、エウラリカは重い腰を上げて調理台に向かった。



 それにしても、現在城内にいる全員が食堂に集合している。用意する食事の量も増えた。「うちの食堂も繁盛してきましたね」とユインは冗談めかした口調である。

 末席に申し訳なさそうに座っているマーキスとリェトナを一瞥する。昨日までは、別に食事を摂っていたはずの二人である。

「お二人は、昨日までは食事はどのように?」

 薪を炎に追加しながら、ユインが気楽な口調で問うた。

「お恥ずかしながら、先代陛下がご自身の食事と一緒に調理をしてくださっていて」

「え、手伝ったりしなかったんですか?」

 ユインが目を丸くすると、マーキスはますます縮こまってしまった。大鍋を見下ろしながら会話を背中で聞いていたエウラリカは、「調理場に近づかせてももらえなかったんじゃない?」と口を挟む。


「おとうさまは、調理中に人が近づくのを嫌がったでしょう」

「……よく分かりましたね」

 意外そうなマーキスの声を背中で受け止めて、エウラリカは「ただの勘よ」と肩を竦めた。

「この城に、護衛や侍女を連れて入ることができないと聞いたときから、あまり人を入れたくないんだと思っていたわ。料理人を置いていないのも同じ理由じゃないかしら」

 分かるもの、と声には出さずに唇だけで呟く。

「他の誰も信用していないのね。警戒していたんだわ。自分の口に入るものなら尚更……」

 マーキスが息を飲むのが分かった。


 可哀想な人、と唇の上だけで囁いて、エウラリカは棚の上の塩入れに手を伸ばした。

 たとえば、この中身が毒にすり替えられていても、自分はそれに気づけないだろう。

 全てを警戒して生きることは不可能である。他者を害そうとする悪意から、その人を永遠に守り切ることは不可能だ。本気で人を殺そうと思えば、その企てを阻むことなどできない。


 塩入れを取り上げた姿勢のまま、エウラリカは動きを止めた。

「……相手に気取られぬように服させることができるのは、何も食事に仕込む毒だけではないのかもしれない」

 思わず呟いてしまうと、隣でユインが目に見えてぎょっとした顔になる。「鍋を見ながら物騒なこと言うのやめてもらっていいですか」とおののいたように制され、エウラリカは我に返った。思い返してみれば、ほとんど毒殺犯の自白のような発言である。

 慌てて「私が毒を盛ったという意味じゃないわよ」と否定すれば、カナンが「分かってますよ」と苦笑する。


「……どちらかと言えば、私は盛られる側、だもの」

 ルージェンにさんざん毒を仕込まれた頃のことを思い出しながら、両手を広げて肩を竦める。

 冗談なのだと表明するように微笑んで食堂の面々に視線を向ければ、哀れなほどに青ざめて沈黙してしまっている。こんな失言をしてしまうとは、自覚はなくても意外と動揺してしまっているのかもしれない。少々反省して、エウラリカはそっと鍋から離れた。



 ***


「ファリオンに、傾国の乙女を嗅がせた人間がいる、と?」

「その可能性があるかもしれない、というだけなのだけれど」

 傍らの机に肘をついて頬を支えながら、エウラリカは足を組み替えた。どうにも定まらない姿勢は不安の裏返しである。


 机を挟んだ向こうの椅子に腰かけて、カナンが思案するように斜めを見上げる。

「『どうしてあんなことをしたのか、自分でも分からない』、ですか」

「そう」

 彼は突如として様子を豹変させ、錯乱し、暴力的で妄想的な言動をみせた。それでいて、数時間後には波が引くように大人しくなって平常に戻ったのだ。

「全部、誰かが仕組んだとしたら……」



 外は既に日が暮れ、曇天ゆえに微かな光源さえない。森がざわめき、遠くから梟の鳴く声が響くのを聞くともなく聞きながら、エウラリカは小さな声で呟いた。

「ファリオンは、自殺ではなく誰かに殺されたのかもしれない」


 そうなると、気にかかるのは彼が一晩中部屋から出なかったという点である。

「状況を考えるとね、ファリオンは部屋から出ておとうさまを殺しに行くことはできなかったかもしれないけれど、誰かが部屋に入ることは可能だったのよ」

 部屋にいるのは二人きり。カナンはじっとこちらを見据えて耳を傾けている。


「ユインが何度か見張りから離れた。その間に部屋に入り、またユインがいなくなってから部屋を出る……。もしそうした動きがあったとしたら、犯人はファリオンが鍵を開けて中に入れるような相手だったはずだわ」

「でも、ファリオンの部屋は閉まっています。ファリオンを殺害した奴がいたとして、その犯人はどうやって部屋を出たんですか」

「それが不思議なの。犯人が部屋を出て中からファリオンが鍵をかけてから、一人でいきなり窓から飛び降りたとは考えにくいもの……」

 外から誰も入ることのできない部屋の中から、外へと投身した。誰が見たって自死と思うはずだ。



 何か、妙な違和感がずっと脳裏をくすぐっていた。……これまで、ファリオンの部屋はどのように封鎖されていた?

 この城の扉は、外から鍵をかけることはできない形になっている。鍵穴は外にないのである。すなわち、人を閉じ込めるのに適していない。

 ファリオンが始めに部屋へと監禁されたとき、その扉の前には大きな棚が置かれていた。人ひとりが、扉越しに全体重をかけて押してもびくともしないような重量である。


(扉は、外開き……)

 頬を包み込んでいた指先に力が入る。エウラリカは虚空を睨みつけたまま、自ら描いた城の見取り図を思い浮かべた。

 縦に並んだ二つの死体。ファリオンとルイディエトの二人だけの確執に収まらなかった事件である。

(そもそもどうして、おとうさまは扉のない角部屋にいたのだろう)

 ファリオンによって扉が破壊されたのち、ルイディエトは隣室に移ったはずだった。それなのに彼はもとの部屋で死体となって発見された。壁の血飛沫からして、殺害現場は同じ角部屋とみて間違いない。どこかで殺害されて運ばれたわけではない。


 部屋割りを思い浮かべる。上からルイディエト、ファリオン、マーキス、談話室。

(…………。)

 奇しくも同年代の三人であった。無言で目を眇めるエウラリカを、カナンはなおも無言で正視している。


 本当にファリオンは部屋を出なかったのか?

『大丈夫ですよ。ちゃんと大人しくしています』

 そう言って、ユインがドアノブを捻りながら扉が動かないことを確かめる。


 ――エウラリカは目を閉じた。


『縄もあったはずなんですけど、ちょっと見つけられなくて、』

 動転した様子のリェトナが、櫂を持って駆け込んでくる。地下室は、自分の目で検めてきた。縄はどこにもなかった。まさかどこかへ流される訳もない。


「縄」

 呟くと、カナンがゆっくりと目を見開く。


「窓」

 ファリオンが自室から飛び降りたのなら、窓は開け放たれたままになっていることだろう。


「扉……」

 がちゃがちゃとドアノブを回す音。扉は動かない。短い間だけ、監視の離れた扉。ずっと開かないままの扉である。



 額に指先を当て、エウラリカは唇を噛んだ。考えてみれば、ほんの簡単な方法である。他に方法がないとは限らないが、……少なくとも、ファリオンの部屋の扉を、鍵を使うことなく封鎖する術はある。

「――この城の部屋割り、誰が決めたって言った?」

 それは、とカナンが息混じりに囁く。言わんとしたことを察したのか、いっぱいに見開かれた双眸に、動揺が色濃く表れる。


 息を吐いて、エウラリカは瞼を上げた。

「たまには、ウォルテールを褒めてあげた方が良いかもしれないわね」



 そのとき、窓の外で軽い物音がして、二人は同時に腰を浮かせた。

「舟だわ」

「誰かがかかった!」

 顔を見合わせて頷くやいなや、放たれた矢のようにカナンが部屋を飛び出す。エウラリカは反対に窓際へ駆け寄り、はやる指先で留め金を外して窓を押し開けた。身を乗り出して玄関の方向を見れば、気配を察したのか、絶望的な顔をしてこちらを見上げる顔がある。


 玄関脇の暗がりに置かれていた舟のところで、角灯を持ったまま凍り付いている男が一人。まるい光に、照らし出された顔が浮かび上がる。深い影の落ちた表情には苦悶が見え隠れしていた。

 視線が重なったと直感したのはほとんど同時だったらしい。息さえつけない緊張が両者の間にぴんと張り詰めた。


「エウラリカ様、私は……私も、あなたのことが憎いわけではないのです」

 先手を打った言い訳はどうにも要領を得ない。眉をひそめると、彼は失言に気づいたように口を閉じた。



 唇を開閉して、一度深呼吸をして、エウラリカは掠れた声で呟いた。

「……あなたが、おとうさまを殺したの?」

 ほんの小さな声だったのに、彼は「違います!」と掠れた声で反駁した。


「違う、そんなはずじゃなかった、……陛下は、死ぬはずではなかった!」

「でも、ファリオンの脱出を幇助したのはお前でしょう?」

 緩く首を傾けると、耳にかけていた髪が一房胸に落ちる。大きく目を見開いて、食い入るようにこちらを凝視する眼差しに、信仰とも言うべき熱を垣間見た。

(やっぱり、この男……)


「お前、お母様のことを知っているのね?」

 私は、フェウランツィアではない。何度繰り返したか分からない言葉をまた胸の中で唱えて、エウラリカは瞬きをした。


「そうでしょう、マーキス」


 今からそちらに行くから、馬鹿なことは考えずに待っていなさい。そう吐き捨てた直後、カナンが玄関から飛び出してくる。抵抗せずに拘束された執事を見下ろして、エウラリカは目を閉じた。




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