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傾国の乙女  作者: 冬至 春化
変革せし帝国と手繰る系譜【湖城】

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202/230

一日目 2



「芽はちゃんと取ってくださいってさっきも言いませんでしたか!? ノイルズさんはそこまで几帳面に剥かなくても良い――その怪しいキノコはどこから取ってきたんですか!」

 厨房で大騒ぎをしている気配に気づいて、エウラリカは談話室へ向かおうとしていた足を止めた。少し躊躇ってから、そっと身を乗り出して厨房の中を窺う。


「さっき散歩に行ってきたら、木の足下に生えていたから……食えるかと思って……」

 肉厚のきのこの柄を握り締めて、ウォルテールが悄然と項垂れている。

「こんな今にも雨が降りそうな天気で、よく散歩に行く気になりましたね!? で、その怪しいキノコとってきたんですか」

「昔、山の中で行軍している際に地元の人間が『これは食える』と言っていたものと似ている気がしたので……」

「似たようなキノコってのはごまんとあるんですよ、専門家でもないのに手を出したら行軍の最中に腹痛で倒れますって」

 腰に手を当てたユインにつらつらと説教されて、ウォルテールはすっかり萎れていた。その向こうでカナンとノイルズがせっせと芋の皮を剥いている。


 エウラリカは唖然としたまま、口をぽかんと開けて立ち尽くした。妙な夢でも見ているみたいだ。

「……何してるの?」

 恐る恐る声をかけると、厨房にいた四人がぐるんとこちらを振り返る。救いを求めるような目をしたウォルテールと目が合う。それからユインに目を移すと、彼はにっこりと満面の笑みを浮かべていた。


「我らがユイン食堂の、仕込みです!」

「何ですって? ……ああいや、繰り返さないでも結構」

 再度口を開こうとしたユインを片手で制し、エウラリカは呆れ果ててため息をついた。



「要するに、食事を自分で用意しなければいけないから、共同で準備をしているのね?」

「ご明察の通りです」

 冗談交じりなのか本気なのか分からない。エウラリカはしばらく立ち尽くしていたが、念のために聞いておく。


「それって、私も手伝った方が良いの?」

 ユインはしばらく考えこむような仕草をしてから、「はい」と断言した。

「姉上がいればきっと百人力ですよ! それで、一応訊いておくんですけど、姉上……料理の腕前は?」

「からっきし」

 腕を組んで即答すると、ユインは何も言わずに天を仰いだ。



 ***


「南の離宮にいた頃、よくつるんでいた友人が、料理長の息子だったんです。よく下準備なんかの手伝いをしていて、僕も幼い頃からそれにくっついているうちに、料理が趣味になったというか」

 調味料を手に取りながら、ユインが喉の奥でくつくつと笑っている。何か愉快な思い出でもあるらしいが、特に披露するつもりはないらしい。


「離宮では、僕が何をしていても咎める人はいませんでしたから……ああ、でもたまに兄上が顔を出すと、『お前はそんなことしなくて良い』って叱られたこともありましたね」

「兄上?」

 ユインがまさか妙なものを食事に混ぜやしないかと見張っていたエウラリカは、目を丸くして顔を上げた。兄と言われて思い当たる顔は一つしかない。

「はい」とユインが頷いて、目を伏せる。

「初めて離宮にいらしたのがいつなのかは覚えていませんが、物心ついたときから、度々会いに来てくれました。姉上の話も、よく聞かせてくれました」

 そう言ってこちらを振り返ったユインと、視線が重なる。初めてユインの顔を真正面から直視したような気がして、エウラリカはつと言葉を失って狼狽えた。


「まあ、兄上だけでなく、他にもあなたの話を聞かせてくれる人はいましたから……会いたいような、会うのが怖いような、ずっとそんな心持ちでした」

 向けられた視線の柔らかさに、息が詰まる。動揺を律しようとする思考とは裏腹に、たじろぐように足が半歩下がった。

「姉上と一緒に食事の準備ができる日が来るなんて、何だか夢みたいです」

 そう言って微笑むユインの向こうに、昔日の思い出を幻視する。



『エウラリカ! 大きくなったなぁ』

 脇の下に手を差し入れて、大きな両手で体を抱き上げられる。兄は背の高い人だった。ぐいんと視線が上がって、眩しいものでも見るように目を細めて笑う兄の顔が、眼下にあった。手を伸ばす。兄の首に腕を回して、頬ずりをする。


 泣きたくなるほど温かくて、真ん丸な、幸福な家族のかたちを思い描く。

 あの頃に戻りたい。痛切にそんな思いが胸に迫ってきて、思わず息を詰める。願うことすら許されない夢である。何も知らない幼い少女だった頃に戻りたい。父や兄の庇護のもとで、幸せな真綿の中で一生を終えたかった。



「うわ! 焦げついてる」

 慌てたようなカナンの声で、はっと我に返る。見れば、鍋をかき回しながら顔をしかめている。

「ええ、さっきまで沸騰してなかったのに」とウォルテールが愕然とした表情で覗き込む。あたふたしている様子を眺めながら、エウラリカは思わず吹き出した。


「五日前くらいに到着したんですが、ずっとこの調子です。上達が見られなくて」

 男たちが火を囲んで大騒ぎしている有様を堂々と指さして、ユインがこれ見よがしにため息をつく。

「姉上は、思ったよりも手慣れている様子ですね」

 言われて、エウラリカは曖昧に微笑んだ。「南方連合にいた頃は、下働きもしていたから」とだけ答えると、ユインが目を剥く。

「な、何ですかその話……もっと詳しく!」

「嫌よ。ただで教えるわけないじゃない」

 わざと辛辣な口調で鼻を鳴らすと、目に見えてユインが不満げな顔をした。


 そうしたやり取りをしている間に、何だかんだ厨房からは食欲を誘う匂いが漂い始めた。

 料理人のいない離宮で、不慣れな人間ばかりが集まって何とか完成した夕食である。食堂に全ての皿を並べ終えた頃には、全員が薄らと疲弊した様子だった。


「さて、いただきましょうか!」

 全員が席に着いたのを確認して、ユインが笑顔で号令をかける。思いの外慌ただしい離宮生活だったが、どういう訳かさして気分を害していない自分がいた。



 食事を終えた頃になって、ふらりと食堂に姿を現したのはファリオンであった。

「あれ、僕の分は……?」

「え、ないですよ?」

 辺りを見回しながら首を傾げたファリオンに、ユインが悪気のなさそうな声で返す。「え」と声を漏らして、ファリオンは絶句しているようだった。


「自分の食事は自分で作る決まりですから、ごめんなさい」

 その言葉にエウラリカはふと眉をひそめた。

「そういえば、おとうさまの食事はどうしているの」

「ご自分で準備されているみたいですよ。あ、そうだ、父上はまだ夕食を摂られていないようですし、頼んでみたらどうですか?」

 その場にいた全員の視線を受けて、ファリオンはややたじろいだような仕草を見せる。何だかんだ言いつつ食事が出てくる気でいたらしい。文句を言いたげな様子だが、結局何も言わずにファリオンは厨房に消えた。

 気配から察するに、一人で何とかすることにしたようだ。



 ファリオンの姿が見えなくなって、エウラリカは密かにほっと息を吐いた。そうして視線を正面に戻した瞬間、カナンと視線が重なる。彼はわずかな微笑みさえ浮かべずにこちらを注視していた。が、目が合ったと気づくやいなや、にこりと柔らかく頬を綻ばせる。

「どうかしましたか」

「いえ……」

 曖昧に返事をして、窓の外を見やる。しとしとと、霧雨のような細かな雨が降り始めていた。


 長旅の疲れが出たのか、どっと体が重くなったようだった。話をしないかと言ったカナンの言葉を断って、エウラリカは自室へと戻った。


 最低限の身支度をして、寝台へと倒れ込む。布団へ潜り込み枕へ顔を埋めると、波が引くように意識が遠ざかった。窓の向こうで雨音を聞きながら、眠りに落ちる。



 ***


 はっと、水から引き上げられるようにして、エウラリカは目を覚ました。どうして急に覚醒したのかは分からない。部屋は真っ暗で、恐らくは深夜だろうと察しがついた。雨の音はまだ止まない。口の中がからからで、体を起こすと枕元の水差しに手を伸ばす。


 窓の傍に立ったとき、外に何か動くものを見咎めた気がした。咄嗟に体を固くしてから、慎重に、窓に顔を近づける。


(誰かが、橋に出ている?)

 湖畔と城の玄関とを繋ぐ橋の上に、人影があった。誰かが離宮を出ようとしているのだろうか。怪訝に思って目を凝らすが、暗い色の外套を着ているせいでよく分からない。男だ、と直感するが、正体は判然としなかった。


 雨脚は強まるばかりである。



 ***


「ど……どうなってんのよ、これっ!」

 翌朝、屋敷中に響き渡る悲鳴に、エウラリカは一瞬にして覚醒した。部屋を飛び出そうとしかけて、すんでのところで上着を掴んで肩に羽織る。廊下に顔を出すと、他にも数人が悲鳴を聞きつけて顔を覗かせているところだった。

 カナンの部屋はちょうど真下の二階らしい。扉を閉じる音と足音、「どうした?」と訝るような声が足下から聞こえてくる。


(昨夜の、あれは一体……)

 もしや、夢だったのだろうか? 結局、夜中に見た人影の正体は分からず、橋を渡って出て行った者がいたのかも定かではない。

(私と同じ東側に部屋があるカナンなら、同じ光景を目撃している可能性はある)


 胸元で上着を手繰り寄せながら、エウラリカは早足で廊下を抜けると階段を降りた。

「カナン……昨日の夜に、怪しい人影を見なかった?」

 駆け寄って問えば、カナンが「何ですって?」と眉をひそめる。新鮮な驚きがその顔に浮かんでいる。彼が昨晩のことを目撃していないことが察せられた。



 目線をやった玄関では、リェトナが腰を抜かして座り込んでいる。言葉も出ない様子はただ事でなく、エウラリカとカナンは顔を見合わせてから急ぎ足で玄関へ駆け寄った。

 開け放たれた玄関扉からは、朝の白い光が斜めに射し込んでいる。夜中には叩きつけるような激しい雨が降り続いていたが、明け方頃に止んだらしい。昨日までの重苦しい曇天から一転、空は洗われたような快晴であった。


 リェトナが愕然として見つめている方向は外である。怪訝に思いながら玄関扉の向こうを見やって、エウラリカは大きく息を飲んだ。

 ちゃぷん、と水音。足下は波打ち際であった。視線を薙げば、青空を映し出す水鏡が一面に広がっている。首を伸ばすと、橋へ降りる階段の先が徐々に暗い水底へ続いていた。水面から上がってくる湿った冷気は肌にひんやりとする。湖を満たしている水もさぞや冷たいことだろう。

「水位が上がって、橋が沈んでいる。……これでは屋敷の出入りが不可能ですね」

 カナンが冷静な口調で目の上にひさしを作り、呆れたような声で呟いた。エウラリカは呆然として立ち尽くし、あまりのことに口を開閉させる。


 湖岸より低い位置に建てられた湖城で、下部は水に浸かるような作りになっていることから、予想ができても良いはずだった。しかし、まさか橋まで沈んで周囲から隔絶されるとは……。

「橋の上を辿って歩いて出られるかしら」

「いや……恐らく足がつかないか、歩けても胸の辺りまで水が来るはずです。危険すぎる」

 様子を窺おうとして身を乗り出すと、それとなく肘の辺りを取られる。こんな奇怪な事態を前にして、彼はやけに落ち着いてはいないか? 疑念を持って肩越しに振り返ると、カナンは心持ち眉根を寄せてこちらを見つめていた。


 目が合ったと分かった瞬間、ふいと顔ごと逸らされる。「しばらくは、ここから出られそうにありませんね」と呟いて頭を掻くカナンを見上げながら、エウラリカは目を眇めた。

「カナン、あなた随分と冷静ね」

「そうですか?」

「ええ。……まるで、こうなることが分かっていたみたい」

 強く睨みつけて鎌をかける。カナンは「まさか」と驚いたように目を丸くした。

「こんな事態になるなんて、予想できる訳がないじゃないですか」

 その様子をじっと観察してから、エウラリカは小さく嘆息した。……考えすぎかも知れない。どうも過敏になっているようだ。



「それで、先程言っていた人影っていうのは?」

 聞かれて、エウラリカは腕を組んで顎を引いた。

「……昨日の夜中、ふと目が覚めて、外を見たのよ。暗くて分からなかったけれど、間違いなく誰かが外に出ていたの。男だと思うわ」

「つまり、その頃はまだ橋は使えたということですね」

「そうね。その人が戻ってきたかどうかは、ずっと見張っていた訳じゃないから分からないわ。橋が通れなくなっていたかもしれない。もしも、頭数が減っていたら……」

 ふと、荒唐無稽な考えが脳裏をよぎる。……この湖において、人為的に水位を上げることは可能かしら? もしもそんなことができるとしたらどうだ――


「――まるで、誰かが私たちをこの湖城に閉じ込めたがっているみたい」

 顎に手を添えて、呟く。カナンの視線がゆっくりと動いて、こちらを振り返るのが分かった。

「まさか、そんなこと」

 応じた声は強ばっていた。動揺を払拭するように、今度は冗談めかして明るい声で言う。

「逃げ場のない環境で、誰かがいきなり刃物を振り回しでもしたら、俺たちは皆殺しですよ」

「いきなり物騒なことを言わないで頂戴。私、そこまでは想定していなかったわよ」

 出し抜けに血生臭い想定を口に出されて、エウラリカはぎょっとして目を剥いた。最悪の場合でも暗殺程度を考えていたのだ。まさかそんな、猟奇殺人みたいなことは予想していない。


「とはいえ、もしもこの事態が誰かを狙ったものだとしたら……揃いも揃って狙われそうな顔ぶれですね」

 俺も決して聖人君子ではありませんし、と付け加えたカナンの横顔を見やる。

 彼が、主に帝国の貴族たちから強い反発を受けていることは知っていた。彼が何か判断を下せば、必ずどこかで恨みを買う。カナンはわざわざ報告しやしないけれど、自分の知らないところで相当に危ない橋を渡っているはずだ。


 もちろん、自分だって狙われる可能性は十分にある。エウラリカは内心で独りごちた。ユインの地位を盤石にするために、その姉を害するか、あるいは拐かして幽閉するか……。そうした危険は、等しくユインにもあった。 

(私を傀儡として擁立し、実権を握りたい輩……とか)

 咄嗟に思い当たる顔はないが、ユレミアが粉をかけてきていることを鑑みれば、案外そちらの筋の者がユインを邪魔に思っている可能性だってあるのだ。


 あるいは――



 そこまで考えたところで、思考は騒がしい足音に遮られた。

「ね、ちょ、ちょっと……何かこの城、浸かってません!?」

 悲鳴を上げながら、転げ落ちるようにして階段を降りてきたのはユインである。窓から外を見て、泡を食って玄関まで走ってきたらしい。

「浸かってるわ」

「浸かってるな」

 揃って頷くと、「なんでそんなに冷静なんですか!」と再び悲鳴が上がる。

「ま、まさか、お二人のどっちかが妙な奇術でも使って、この事態を引き起こしたんですか」

「いえ、何というか……人がやたらに動転しているのを見ると、逆にこちらが落ち着くものね」

 でしょう、とカナンがしたり顔で頷く。言っている間に、「橋まで沈んでる!」と玄関から外を見回してユインが頭を抱えた。


「取りあえず、全員を談話室に集めましょうか」

 カナンの言葉に頷いて、一同は自室に留まっている面々を呼び出しに動き出した。




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― 新着の感想 ―
[一言] ユイン、登場した当初は何を考えているのか分からない奴という印象でしたけど、今となってはただの愉快で面白い子といった感じですね。
[一言] 逃げられなくなったシチュエーションで起きる殺人事件、繰り広げられるサスペンス…でも起きそうな流れよのう… というかユイン食堂のあたり、流れが平和すぎて作風が変わったかと思ったワ…
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