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傾国の乙女  作者: 冬至 春化
変革せし帝国と手繰る系譜【花香】

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189/230

一通目 1



「お噂はかねがね聞いておりましたが、いやはや、何と美しい……」

「言い過ぎではないかしら」

「いいえ、まさか! 私の語彙では殿下の美しさを表すことなど到底叶いません」

 麗しい貴公子たちに囲まれて、エウラリカは曖昧な微笑みを浮かべている。きらびやかな大広間の中央を眺めながら、カナンは無言で酒を口に運んだ。


「――随分と余裕そうですね、閣下」

 傍らで立ち止まった足音に視線を向けると、面白がるような表情のユインと目が合う。

「余裕も何も、俺にとっては他人事だからな」

「意外です。僕はてっきり、閣下は姉上に懸想しておられるものだとばかり」

 にこ、と目を細めて、若き皇帝がカナンを見据える。どうにも正体の読めない笑みであった。


 ユインは即位以来、常に従順で、カナンの決定に決して口を出さない。しかし、こちらの意図を見透かそうとするような眼差しは、どこか空恐ろしく、得体が知れなかった。


「下衆な勘ぐりはやめてもらいたい」

「いえいえ、まさか! 僕が下世話な予想をしているんじゃなくて、ごく一般的に囁かれている噂ですとも」

 表情豊かかつ饒舌である。真正面から向き直ると、ユインの目の高さはカナンとほぼ同じだった。

「僕もね、姉上には幸せになってもらいたいと思っているんですよ」

 自身の地位からすれば目の上のたんこぶのはずのエウラリカを、ユインが穏やかな視線で振り返る。薄らと微笑みまで浮かべているユインに疑いの目を向けると、「あはは、本当ですよ」と首を竦められた。


「どうせ結婚するなら、姉上のことを愛していて、かつ姉上を支えられるような人が良いでしょう?」

 てらいなく口に出された単語に、思わず指先がぴくりと動く。知らず知らずのうちに、カナンの視線はエウラリカの方を向いていた。結婚、と口の中で転がす。


 生まれも育ちも良い青年たちに囲まれ、整った笑みで相槌を打っているエウラリカの姿を見た。エウラリカを取り囲むのは、揃いも揃って帝国の名だたる貴族家の子息たちだ。その中で一体どれだけの輩が、彼女自身を見ていることか。


 ――エウラリカの降嫁。この、何となく聞き覚えのある話題が、このところ帝都圏の注目を集める一大事であった。



 エウラリカが帝都に帰還し、城には無数の釣書が舞い込むようになった。何せ、前皇帝の娘であり、現皇帝の姉、おまけに総督の元主人である。現状、唯一の皇位継承者でもある。エウラリカ本人も失笑してしまうほどに権力が集中している現状に、ありとあらゆる方面から接触を図ろうとする輩が絶えない。

 城内に侵入し、迷子を装ってエウラリカの前に現れた輩を、カナンは既に十人は連行している。完全に城内警備の妨げである。

 各方向からの圧も強まり、個別に対応しているのでは切りがない。


 そうした事態を踏まえた協議の結果、エウラリカの婿捜しを名目にした夜会を開くことと相成った。



 控えめな身振りと態度を貫いているエウラリカを眺めて、ユインが首を傾げる。

「それにしても、自分から夜会への参加を受け入れた割には、随分と不機嫌そうですね。やっぱり本心では嫌だったんでしょうか」

「いや、あれは相当愛想が良い」

「あれで?」

「あれで」

 余人に聞かれぬように小声で頷くと、ユインが目を疑うようにエウラリカを凝視する。エウラリカは薄い笑顔で、次々と訪れる子息たちの応対をしている最中である。初対面の人間に対して、彼女にしては随分と穏やかな様子だ。


 しばらくまじまじとエウラリカを観察してから、ユインが心なしか呆れたように呟いた。

「素晴らしい社交性ですね」

「……こんな場に顔を出すだけで大進歩なんだ」

 心底の感慨を込めて返し、カナンはしみじみと息を吐いた。隣でユインがやや引き気味の顔をしているのは見なかったことにする。以前のエウラリカであれば、この夜会に少しでも飽きた瞬間に席を立って会場を後にしていたことだろう。それをぐっと堪えて社交を続けている様子は、何だか涙ぐましいものがあった。



 エウラリカは人嫌いである。『生前』のエウラリカこそ人前では人懐こい様子を見せていたが、あれも一種の鎧だろう。好かない相手へ媚びを売ることがどれだけ彼女を消耗させていたことか、想像に難くない。


 ふと、エウラリカの横に立っていた男が、さりげなく彼女の腰に触れる。手に気づいて、エウラリカが身じろぎをして避けた。その一部始終を睨みつけていると、ユインが更に笑う。

「あなたが行けば、一発で全員蹴散らせますよ」

「俺は別に妨害がしたいわけではなくて、帝国のために、変な輩が近づかないか監視しているだけだ」

「はは」

 何がおかしいのか、ユインはけらけらと声を上げて肩を揺らした。言わんとしていることは薄らと分かっているが、その話題に乗る気はない。


「王侯貴族にしてはややとうが立っているとはいえ、姉上はまだ若く美しい。倫理が許すなら僕が娶りたいくらいですよ。閣下はどうです?」

 思わず、盃を持つ手がぴくりと動く。極力動揺を示さず、カナンはさらりと応じた。

「腹違いのきょうだいは結婚できるのか」

「どうでしたっけ、法に詳しい者に訊いてみないと……いとこは大丈夫だったはずです。帝都圏でも意外と話は聞きますね。あと周囲から眉をひそめられる可能性はありますが、叔父や叔母、あるいは甥や姪も、一応」

 へえ、と頷いて、カナンは既に空になっている盃を手持ち無沙汰に口に近づける。


「ところで僕、義兄は黒髪の人なんて格好いいと思うんですけど」

「ウディル州知事にでも頼んで融通してもらうか。諸手を挙げて黒髪の貴公子を用意してくれるに違いない」

「わあ強情」

 にこにこと屈託のない笑顔で、ユインが顔を覗き込んできた。少女のように丸い目を瞬いて、じっとカナンを見上げる。

「姉上が、閣下以外の人を選ぶと思いますか? 僕はこの夜会は不毛だと考えています。まとまるべき話なら引き延ばさずにとっとと片付けて欲しいものですよ」

 笑みを絶やさないまま、ユインが小首を傾げる。カナンは思わず眉根を寄せた。


「……エウラリカは、俺は望まないだろう」

「では、姉上が了承すれば問題ない、と」

 本心の読めない笑みで、まだ少年のような若き皇帝陛下は頬杖をついた。

「どうです、景色が綺麗で良い雰囲気の離宮を用意しておきましょう。前庭は近隣住民に開放していて、恋人同士の逢い引きにもよく使われているらしいですよ。何でも、有識者によれば成功率九割だとか……」

「何のだ」

「そりゃもう、プロポーズ、ですよ!」

 片目を閉じながら、ユインが口元に手を添えて耳打ちしてくる。ついにカナンは額を押さえた。深々と嘆息した。


「ちなみに僕が幼少の頃にいた離宮なんですけどね。気候も穏やかで住みやすいところですよ。五、六年くらい住んでみませんか」

「隙あらば追い出そうとしてくるんだな」

 低い声で毒づくと、ユインは悪びれた様子もなく小首を傾げた。

「あと数年もすれば僕も成人しますし、そうなると現体制では色々と支障が出てくるでしょう? 側近に特権が認められるのは、皇帝の政治能力に問題があると見られる場合にのみという原則だったはずです。僕が成人した後にも、同じ前提が適用できるとは思えないなぁ」


 まるで甘えているかのような声音と態度で、しかしその双眸は油断なくカナンを見据えている。差し向けられる視線を間近で臆せず受け止めて、カナンは冷然とした表情で鼻を鳴らした。

「それも、前皇帝の差し金か?」

「いえ、ここのところ父上からは、ほとんど連絡が来ませんよ。具体的に言えば、姉上と閣下が帰還した頃から、ですかね」

 にこ、とユインが目を細めて人差し指を立てる。「そんなに警戒しないでくださいよ。僕、こう見えて閣下のことは結構信用しているんですからね」と、全く信用できない言い草で顔を覗き込んできた。


「だから、そろそろ聞かせて欲しいなぁ」

 言いつつ姿勢を正したユインの視線は、広間の中央で人に囲まれているエウラリカへと注がれている。彼女の周囲にいるのは、いずれも帝国でも有力な貴族たちばかりである。まるで舐めるような視線にも不興を見せず、エウラリカが微笑んでいる理由はただひとつだ。

 何としてでも、帝都圏における影響力を強めなければならない。


 若き皇帝が微笑む。

「――どうして、南方連合に行っていたはずのお二人が、現在は北部にいる父上を警戒しているんですか?」



 約十年前、南方連合において大規模な政変が起こった。当時の王の息子とされるアドゥヴァが、自身の王位のために他の継承者を虐殺したのである。それだけならまだしも、アドゥヴァの背後にはエーレフがおり、エーレフはクウェール家の何者かから命を受けていたという。

 クウェール家に属する人間と当時の状況を考えれば、エーレフに指示を出し、かつ帝国の兵を動かせる者はただ一人しかいない。

(前皇帝――ルイディエト・クウェール)

 エウラリカの親世代で、十年前当時に生存していた者は前皇帝しかいない。前皇帝には元々皇太子とされていた兄がいたが、十代の頃に事故死。繰り上げのような形で即位したのがルイディエトであった。


 新ドルト帝国という名が示す通り、その前身として、いわばドルト帝国があったという説は、専門家の間では既に囁かれているものである。

 そして、エウラリカ・クウェールによれば、現在の帝国はクウェール家が簒奪を行った後、その事実を揉み消して築き上げられたものだという。簒奪以後、クウェール家は数百年に渡って、絶えず旧帝国の痕跡を消すことに腐心していた、とも。


 南方連合に赴いて明らかになった事実は二点ある。

 先述の通り、クウェール家が当地の王位継承者の虐殺に関与していたということ。

 もうひとつ、南方連合を治めるナフタハル家が、旧帝国の王家の末裔だということである。貯水池の底から発見された遺跡や宮殿の構造はこの上ない証拠であり、恐らくは調査が進めば他にも出てくるだろう、というのはエウラリカの言だ。


 これら全てが明るみに出れば、新ドルト帝国にとっては非常に旗色が悪いと言えた。南方連合との関係は確実に悪化する。そもそも、クウェール家の淵源だけでも帝国内でどれだけの反発があるか。想像するだに頭痛がしそうだ。

 幸い――と言って良いかはともかく、アドゥヴァによる帝都への内政干渉があったことも事実である。南方連合との対話に際してはそれを逆手に取って有利に進めることもできようが、話題の中心となるルイディエトを放置したままではいられない。


 譲位を済ませて退いた後も、彼の名のもとに口出ししてくる者は少なくない。自らの意思を滅多に口にすることのないルイディエトは、貴族や官僚たちの体の良い傀儡であった。……そう思っていたが、事態は変わった。

 ルイディエトを見くびる訳にはいかない。クウェール家を排斥しようとする動きを気取られれば、逆にこちらの喉笛が食い千切られかねない。


「どうされました?」

 視線を受けて、ユインがにこりと微笑む。その顔を見下ろしながら、カナンは拳を握りしめた。

 じきにユインは成人し、『皇帝の側近』という立場に認められた特権も危うくなる。帝国民にとってみればカナンは余所者である。ユイン本人にご丁寧に解説して頂かなくても、百も承知だ。


 エウラリカとカナンの意思は一致している。――ユインが成人するまでの数年のうちに、すべてを片付けねばいけない。



 ふと、ゆるりと、滑らかな動きでエウラリカが体を反転させた。緩慢な瞬きひとつが終わると同時に、視線が重なる。距離があるにもかかわらず、目が合ったと確信する。それを認識して一瞬、互いにそんなことは予期していなかったように息を飲む。

 思わず、弾かれたように顔を背けていた。視界の端で察するに、相手も同じ反応を示したらしい。何故か早鐘を打つ心臓の上に手のひらを重ねながら、カナンは長い息を吐く。


「あー、何なんだこの人たち、めんどくせ……」

 どこで学んだか分からない粗野な口調で、ユインが頭の後ろで手を組む。

「こんなのに割り込む男がいたら、それこそ稀代の大間抜けか狂人だよなぁ」

 聞かせようとしているのか定かでない声量の独り言を、カナンは素知らぬ顔で黙殺した。



 ***


 散会ののち、既に時刻は真夜中といえる頃だった。人気の少ない城内を、エウラリカが小気味よい歩調で歩いていた。

 疲れた様子で首を回す後ろ姿を、じっと見つめる。妙な言い方だが、容赦なく(・・・・)着飾ったエウラリカは、遠目に見るとまるで別人のようだった。遠い存在のようにさえ感じられた。

 エウラリカの歩調に合わせて歩幅を小さくしながら、ユインが微笑む。

「どなたか、姉上の目に敵う方はおられましたか」

 口調ばかりは恭しく問われて、エウラリカは隣を一瞥したようだった。

「前にも言ったはずだけれど、私、誰かと結婚する気はないの」

 涼やかな視線で、彼女が短く断言する。その言葉を一歩うしろで聞きながら、カナンは形になる前の曖昧な鬱屈と優越を持て余していた。


 今日の夜会で目をぎらぎらさせていた青年たちの誰も、エウラリカに選ばれることはない。

 だが、エウラリカがカナンを選ぶこともない。


 彼女が最も愛している人間の名は知っている。彼女が、それを決して口にできないことも知っている。彼女の思いが受け入れられることはないと、カナンは知っている。

 この上ない禁忌、理に逆らった邪恋である。



「どうしてそう意固地になるんです。別に、気に食わない相手と結婚しろなんて言っていませんよ、姉上ならどんな男でも選び放題でしょうに」

 ユインが食い下がるのを、カナンは片手で制した。既に数歩先をゆくエウラリカの背中から、剣呑な気配が漂っている。


「……私は」

 低い声で、エウラリカは呟く。

「誰とも連れ添うつもりはないし、子を産むつもりもない」

 触れなくても、その肩が強ばっているのが分かった。覗き込まなくたって、どれほど彼女が昏い目をしているか分かる。

「普通の女が望むような普通の幸せなんて、私には必要ない。あなたに案じて頂く必要はないわ」

 そう言い放って、エウラリカは曲がり角でくるりと体を反転させた。カナンを見据え、短く嘆息する。一瞬だけ彼女の表情に弱気が覗いたが、ユインが見ていると気づくとすぐに引き締められる。


「おやすみなさい」

 目を伏せて、エウラリカはそれだけ言うと踵を返した。



 侍女に付き添われて自室に帰って行くエウラリカを見送りながら、ユインが唇を尖らせた。

「まあ、閣下が焦っていない理由は分かりましたよ」

 目配せをしてくるユインを一瞥して、カナンは「何のことだか」と白々しく眉を上げた。通路に足音が規則正しく響く。落ち着いた脈拍を感じながら、カナンはゆっくりと息を吐いた。


「――でも案外、ああいうことを言っている人ほど、運命的な恋に落ちてしまうのかも……ね?」


 こちらの動揺を狙っているのが見え透いた一言だった。カナンは平然とした口調で「それならそれは喜ばしいことだろう」とだけ応じる。

「ふーん……」

 目を細めて、つまらなそうにユインが腕を組んだ。疑いの視線に気づかぬふりで、カナンは無言で拳を握りしめた。


 どくどくと、荒々しい鼓動が胸を打つ。耳の奥で血が流れる音がしていた。

 ……もしも、そんな日が来たとして、

(何も抗う必要はない。エウラリカにとって、何よりのことじゃないか)

 知らず知らずのうちに、言い聞かせるように唱えていた。彼女が幸せになるのなら、どんな選択肢だって厭わない。そう決意したはずだ。


 だから、エウラリカが誰の手を取ろうが、自分は、それを喜んで祝福できるはずだ。






ご無沙汰しています。第3部1章の更新を開始します。

1章は全12話前後の予定です。なお第3部は全4章(か3章)構成を予定しています。

よろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
[一言] 父親への愛情が、男女のそれなのかと言われると若干違う気もしますがねえ……(エウラリカやカナンが違うと思っているかどうかは別として)。 >> あー、何なんだこの人たち、めんどくせ…… ユイン…
[一言] 父親への気持ちが恋慕の情かというと微妙な気はするけれども、それが某かの愛に類するものであり、それにより恋をする気がないのなら、結果的には同じことではあるか。 幸せになるならどこかで隠遁生活…
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