流転3
ユインを歓迎する晩餐会は豪勢に催された。母と共に入城したユインはまだ十三、四程度の少年である。離宮では人の少ない環境でのんびりと育ったらしい。大勢の人間に迎え入れられ、心底震え上がった様子で母にしがみついていた。
(教育はこれからだな)
ウォルテールは内心で独りごちる。大扉から入ってきた二人は、盛大な拍手の中を通って正面の長机へと歩いて行った。
大広間は国の重鎮たちが勢揃いし、ユインとその母を品定めするように視線を向けている。その気配が子どもでも分かるらしい。ユインは気圧されたように蒼白な顔で、母の服の裾をきゅっと掴んだまま、しかし顎を引いて歩いている。姿勢を正し、気丈に前を向いて歩いているものの、その表情は今にも気絶しそうに張り詰めていた。
(エウラリカ様は欠席か?)
ウォルテールは皇帝の隣の空席を一瞥する。皇帝の右手にはユインとその母の席であろう空席が二つあり、左手には空席が一つ。エウラリカの席である。
ユインは緊張気味に皇帝の前へ進み出て、ぎこちない礼と共に挨拶の口上を述べる。必死に覚えてきたのであろう、がちがちの棒読みだったが、それを笑う者は誰もいない。
(次期皇帝、か……)
現皇帝の威信は、この二年で失墜していた。これまで暗君なりに傀儡として動いていたのが、エウラリカとの板挟みになった途端、傀儡としての役割すら果たせなくなったのだ。常に則れば、まだ皇帝の子はどちらも次代を継ぐには若すぎる。だが、その動きがあるのは公然の秘密だった。
――すなわち、エウラリカにつくか、ユインにつくか。
中立派を残して二つに分かれた城内では、それぞれの勢力が牽制を繰り返しつつ、様子を窺っては調整を図っていた。だがどちらも特に抜きん出ることなく、次の皇帝の座がどうなるかはまだ分からない。ここから状勢がどう動くかは、ユインの成長にかかっていると言えた。
宴もたけなわという頃に、突然、前触れもなく大広間の扉が開け放たれた。視界の隅で動いた扉を捉え、ウォルテールは弾かれたように振り返る。
会場がざわめく一瞬前、ウォルテールは確かにその姿を視界に収めた。
輝かしい照明の光を浴びて、腰まであるような長い金髪がきらめく。その人は音もなく微笑んでいた。
「エウラリカ様、」
ウォルテールは腰を浮かせて呟く。まさかその声が届くはずもなかったが、エウラリカは一瞬だけウォルテールを見たようだった。
相も変わらず整った容貌である。幼い頃から美しい少女であったが、ここ最近とみに娘らしくなった。可愛らしさが僅かに抜け、妙に色めいてきた。紅を引いた唇が弧を描く。一部が編まれた髪は花の形をした髪飾りで留められ、片手の腕輪がエウラリカの動きに応じて揺れた。控えめではあるが、着飾るようになってきたらしい。
エウラリカの背後にはぴたりと、ひとときも離れずカナンが付き従い、常に柔らかな笑みを浮かべていた。どこか甘えるような、不敵なエウラリカの微笑みとはまた違う。影のように控えたまま、じっと黒い目で会場を見渡した。
カナンが身を屈めてエウラリカの耳元で何やら囁く。エウラリカはかすかに顔を動かして応じた。
会場にいた参加者たちが、徐々にエウラリカの入室に気づき出す。ざわめきにエウラリカは少し肩を竦め、それからすたすたと会場の中央を横切るように歩き出した。
エウラリカが人前に姿を見せることは珍しい。参加者の中には、エウラリカを数年ぶりに見た者もいるだろう。匂い立つような娘となって現れたエウラリカに、感嘆のため息がそこかしこで漏れた。
大人びた眼差し――に見える目をして、エウラリカは迷いのない足取りで皇帝の元へと歩み寄る。皇帝と視線が重なる。……直後、エウラリカはそれまでの振る舞いをかなぐり捨て、満面の笑みで皇帝へ飛びついた。
「おとうさま!」
「エウラリカ、体調は治ったのか?」
「おとうさまに会うためなら這ってでも来るわ!」
そう宣言して、エウラリカは皇帝にぴたりと寄り添う。仲の良い親子の範疇を超えた振る舞いに、大広間の空気は凄まじく重いものになった。
ウォルテールは思わずため息を漏らした。
(外側が成長しても中身が伴わないんじゃあ、なぁ……)
皇帝は相好を崩し、抱きついてくるエウラリカを撫でている。その様子をどんよりと眺めていると、傍らで立ち尽くしているカナンが目に入った。カナンは何とも言えない顔でこの親子を見ている。
意識の外の癖なのだろう、その手がすいと持ち上がって首輪に触れる。そのとき袖口から覗いた腕輪に、ウォルテールは思わず目を丸くした。細い金属の細工がいくつも連なる腕輪――エウラリカとお揃いである。
それを確認して、ウォルテールは瞬きを繰り返した。
(仲良しだ……)
出会いこそ最悪だったが、何だかんだ三年以上一緒にいるのだ。随分と仲良くなったらしい。
エウラリカはちらとユインを一瞥した。腹違いとはいえ、血の繋がった唯一の弟である。多少なりとも情の籠もった目を向けるかと思ったが、エウラリカの表情は酷く無感情だった。
エウラリカの視線を向けられたユインはびくりと肩を震わせ、顔を引きつらせる。ユインのいた離宮にも、エウラリカの噂は届いていたらしい。まさか第二王子がエウラリカの機嫌を損ねたくらいでどうにかなるとは思わないが、エウラリカがこれまでに行ってきた所業を思えば無理はない。
カナンが椅子を引くと、エウラリカはすとんと席に腰を下ろした。肩に乗っていた髪を片手で払いのけ、小さく息を吐く。どう見ても機嫌が良いようには見えない。カナンの言う通り、『すっかりお拗ねになられて』いるらしい。
エウラリカのふて腐れようは凄まじく、公衆の面前であるのに、ずっと机に頬杖を突いたまま、文字通り頬を膨らませて、むすっとむくれている。いらいらと足をばたつかせ、落ち着きなくもぞもぞとしている様子はまるで幼子である。
(今いくつだ? ええと……カナンが十六だから、エウラリカ様は……)
ウォルテールは盃を取り上げながら、手元に目を落とした。少し考え、それから重いため息をつく。
(……十八歳、)
市井でなら、既にいっぱしの大人として認められる年齢である。結婚して子どもがいる者もいるだろう。
甘やかすだけ甘やかされ、ろくな教育も受けずに育った結果が、あの有様である。ウォルテールは憂いを含んだ吐息を漏らすと、ひと思いに盃を干した。
「それにしても、エウラリカ様は最近、なおのことフェウランツィア様に似てこられた」
隣にいた元上司の将軍、レダスが、顎髭を撫でつけながら呟く。若輩であるウォルテールは先の正妃の顔に思いが至らず、「そうなのですか」と聞き返した。レダスは「ああ」と頷いて目を細める。
「まさに瓜二つだ。振る舞いは別として、あの顔など、フェウランツィア様が輿入れしたときとまるで変わらん」
「お母上に似ているという話は聞き及んでいましたが……」
ウォルテールは小さく頷いて、エウラリカを見やった。退屈そうに虚空を眺める少女の横顔だった。
晩餐会が終わろうという頃、後ろに控えていた官僚のひとりがカナンの側へと近づき、何やら耳打ちした様子だった。さりげない仕草だったが、ウォルテールはその様子を目に収めて眉をひそめる。
カナンは小さく頷き、それから身を屈めてエウラリカに話しかけた。一言二言何やら言い交わすと、エウラリカは目を輝かせて頷く。カナンは微笑んで、腰を浮かせたエウラリカを促した。
(どうしたんだ?)
そのまま、エウラリカとカナンは人目を忍ぶように、大広間の脇の扉から退出する。あちらは庭である。それを最後まで見送って、ウォルテールは怪訝に首を捻った。
それから少しして、皇帝の従者たちが合図を出して参加者たちの注意を引いた。皇帝は重々しく立ち上がり、何かを語ろうというらしい。ウォルテールも食事の手を止め、皇帝を注視する。
皇帝はいくつかの定められた口上で参加への礼を述べたのち、「この場で報告することが一つある」と本題を切り出した。このように皇帝が何かを発表することなど、今までになかった。ウォルテールは表情を引き締めて皇帝を注視する。
「長らく水面下で進めていた話がようやく纏まった」
皇帝は一度咳払いをした。エウラリカがいた場所の空席に気づいている者は一定数いるようで、僅かに胡乱げなざわめきが広がる。
「二年前、余の長子が、さる大臣に暗殺されたことは聞き及んでいるだろう。その余波は今も続き、帝国内部には未だに動揺が残っている。現在、この新ドルト帝国は内外に様々な問題を抱えており、国内での体勢を強化することは火急の要件である」
朗々と、と表現するには些か弱々しい口調で、皇帝が語る。一体何を言い出すのか、とウォルテールは固唾を飲んで皇帝を見守った。
「王家と諸侯の繋がりをこれまで以上に強くすることで、これまで目の届かなかった範囲の状勢までをつぶさに把握することが出来よう。そのための手段の一つとして、」
皇帝ははっきりと苦しげな顔をした。そうしたところを取り繕えないのが、暗君が暗君たる所以のひとつだった。
これは皇帝の意志に基づく話ではない。誰もがそんな確信を抱いたはずだ。ウォルテールはため息を堪えながら、言葉の続きをじっと待った。
皇帝は重々しく告げる。
「余の娘の、婚約が決定した」
ウォルテールは口を噤んだまま、長い息を吐き、ゆっくりと瞑目した。
――皇帝に、娘はひとりしかいない。
以上で第一部【表層編】が一区切りとなります。
また、スケジュール調整のために更新を一週間おやすみさせて頂きます。よろしくお願いします。




