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傾国の乙女  作者: 冬至 春化
灼ける砂国と伏流の矛先【後編】

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172/230

やがて、伏流の辿り着くところ



 比較的大きな街である。市場には活気が溢れ、色鮮やかな天幕と濃い影の下で商人たちが声を上げている。旅人や行商人が多く行き交う街らしく、カナンたちに気を留める者はいない。

 時間も良い頃である。昼食を摂るのに良い店はないかと辺りを見回すと、セニフが「それなら」と手を挙げた。



「あら若旦那、久しぶりだねぇ! そちらはお友達かい」

 大通りから路地に入って少し行ったところにある食堂である。扉を開けると同時に鈴が鳴り、店内から張りのある声が響いた。恰幅の良い女が、親しげな調子でセニフに手を挙げる。

「この辺りを案内している客人なんです。席は空いてますか?」

「ちょうど空いてきたところだよ。お好きな席へどうぞ、何たって選び放題だからね」

 からからと笑う女はどうやら店主らしい。セニフは勝手知ったる顔で「どうぞ」と扉を大きく開けて、一行に入るよう促した。街の中心部の喧噪から離れて、店内は適度な静けさを保っている。どうやらセニフの馴染みの店らしい。ちらほらと席に着いている客たちはこちらを一瞥するが、すぐに興味なさげな素振りで目を逸らす。無関心が良い雰囲気の店だった。



「この調子だと、明日の日暮れまでにはナフト=アハールに着きそうですね」

 席について、地図を見ながらセニフが言う。それに頷いて、カナンは何とはなしに頬杖をついて地図を見下ろした。帝国は地図の隅に帝都が見えている程度である。帝都からハルジェルには南下する街道があり、それが砂漠地帯の中心を貫く主街道に繋がっているらしい。

 帝都にて、ふたつの大河が交わり、ひとつの流れとなって南へと流れ下る。街道は主要な街を繋ぎつつ、この川とつかず離れずの位置で同じく南下しているようだ。


「この川は、海には流れ出ずに、途中で涸れてしまうんですか」

 砂漠の中ほどで絶えた線を眺めて、カナンは呟く。ひとつはジェスタのある東部文化圏から、ひとつはユレミア地方から流れてきた川は、帝都の真下、すなわち南端に接する地点で合流する。途中でいくつかの支流が分岐し、同じようにいくつかの支流が混じりつつ、川は南下してゆく。そうして辿り着いたその果てが、何もない砂漠の中心か。

 少しずつ細まりながら、徐々に勢いを失い、旱天の下でひっそりと消え失せるだけ。川ごときに感傷を抱いても仕方ないが、何となくもの悲しさを感じる果てであった。


「いえ、水は砂の下へ潜り、更に遠くまで運ばれる、……と、信じられています」

 セニフが小さく頭を振る。

「一説によれば、それはナフト=アハールに通じているとも言われていますね。あの都が拓かれたのは古代のことですが、あの都市が砂漠で最大の都市となったのは案外最近のことなんです。最近とは言っても数百年前のことですけど」


 始祖王ですよ、とセニフが人差し指を立てた。カナンは瞬きをして首を傾げる。訳が分かっていない様子に気づいたのだろう、セニフが突如として芝居がかった仕草で身を屈めた。


「始祖王、従者を伴いて泉に降り立ち、都を拓く。奇跡の水、都に満ちて王の訪れを祝福す――」

 まるで歌うように抑揚を付けて、セニフが語る。アニナと他の兵たちが、面白がるようにこちらに視線を向けた。カナンは少しの間セニフの言葉を反芻して、「つまり」と受ける。

「……始祖王と呼ばれる人間が、ナフト=アハールを水の豊かな場所にして、あれほどの大都市に広げた、と?」

「はい。あくまで伝説とされていますが、実際、始祖王が現れたとされる年には、上流において桁外れの降雨と鉄砲水が記録されている。飛躍的に技術が発展した形跡も見られます」

 意気揚々と都市伝説を伝授するみたいな語り口だった。楽しげである。あながち伝説じゃないかも、と言いながら、大して信じてもいない様子だ。



「はい、お待ちどおさん」

 どん、と重たい音を立てて、目の前に大皿が置かれる。店主が手振りで地図をどかすように合図をするので、カナンは慌てて地図を持ち上げた。豪快に次の皿が机に乗る。先程の会話が聞こえていたのだろう、店主が腰に手を当てた。

「あんたたち、ナフト=アハールに行く道中かい」

 どうやらカナンに話しかけている様子なので、「ええ」と頷く。気さくな態度からするに、相手はセニフの正体を知らないのだろう。


「つい最近、うちの息子がナフト=アハールに行ったんだけどさ、あっちも随分大変なことになってるみたいだねぇ」

「大変なこと? 事故とかですか?」

 セニフがすかさず食いつく。その声が隠しきれずに張り詰めているので、隣の机で談笑に興じていた兵たちが一斉にこちらを振り返った。アニナが瞬きをして聞き耳を立てる。

 一気に注目を浴びて気分が良かったらしい。店主は胸を張ると、声を大きくして得意満面になった。


「――何でも、サハリィ家のフィエルってお嬢様が、宮殿で襲われたんだってんだから、大騒ぎさ」


 きぃん、と耳鳴りがした気がした。カナンは身じろぎ一つできないまま、店主を凝視する。

(フィエルが、襲われた?)

 フィエル殺害。連続殺人の皮切りとも言える事件は、優に半年以上前のことである。そんな昔の話が、何故今更、驚愕の情報として流布しているのか。それに、『襲われた』という言い方。『殺された』ではなく?


 セニフも同じ違和感に気づいたらしい。辛うじて温和な微笑みを頬に引っかけ、「いつの話ですか?」と低い声で問う。


「いつって……つい最近のことみたいだよ。フィエルってお嬢様はとんでもない大怪我でまだ意識が戻らなくて、ほとんど半死半生の状態だって聞いたけど」


 硝子が砕ける音で、自分が水の入った器を取り落としたことに気づいた。これは間違いなく、半年前のフィエル殺害とは別の事件である。そう悟って、激しい動揺に襲われる。

「エウラリカ、」

 掠れた声で呟く。ごくごく小さな声だったが、アニナだけが弾かれたように立ち上がった。大股で駆け寄り、ぐっと体を寄せる。

「カナンくん、落ち着いて。まだエウラリカ様が襲われたって決まったわけじゃないわ」

 袖を引き、耳元で焦ったように囁く声も耳に入らなかった。心臓が激しく脈を打っている。全身が、鼓動に合わせて内側から叩かれる


「エウラリカが……」

 縋り付くアニナの腕を、慎重に振りほどく。あらゆる感情が渦巻いているのに、頭の中心だけがこの上なく冴え渡っている。

 瞬きの刹那に、エウラリカの姿が浮かんでいた。


「一番身軽な奴は誰だ」

 事態を把握できずに顔を見合わせている兵たちを見渡せば、ベリウスが「俺が」と手を挙げる。カナンは体ごと向き直ると、短く告げた。

「至急サハリィの街へ戻って当主に連絡してこい」

 は、と不思議そうな声が誰かの口から漏れる。カナンは顎を引いたまま、凍り付いたように動かない面々に視線を滑らせた。


「――『今すぐ、ナフト=アハールを落として頂きたい』と。さもなくば、今後の友好関係は約束できないと伝えろ」

 店内は、水を打ったように静まりかえった。


「何を、言っているんですか」

 セニフがゆらりと立ち上がる。伸びてきた腕が、容赦なくカナンの胸ぐらを掴んだ。

「報復行為は、まだ待つと……!」

「帝国と南方連合の平定の為にも、先の侵略行為に関する対応は先送りにすると言ったまでです。新たに起こった問題に対してはその限りではありません」

 鼻先が触れ合いそうな至近距離で、カナンは白々しく吐き捨てた。セニフの顔に血が上る。


「それでも、どうして、こんな、いきなり……!」

 憤怒のあまり言葉が出ないらしい。口を開閉させるセニフを冷然と眺めて、カナンは自嘲するように頬を緩めた。

「あなたに探し求めている姫君がいるように、あなたが守りたいと願う人がいるように、俺にも大切なひとがいるんだ」

 掴みかかってくる腕を振り払って、指先の震えを抑えるように手を握った。


「そのひとのためなら、俺は何だってできる」


 どうせ同じことである。元よりセニフとサハリィは、あの都市を落としてアドゥヴァを排除する心づもりだったのだ。カナンが一言指示をしてその機を早めさせたところで、何も変わらない。

 自らに言い聞かせて、カナンは長く息を吸った。これは自分の我が儘であると同時に、多くの民の行く末を左右する岐路である。間違うわけにはいかない。決して。



 これで良いんだろうな、と指先で喉元に触れた。

「――エウラリカが呼んでいる」



 ***


 カナンがサハリィへ発ってから、既に半月近く経つ。もう随分前に帰ってきてもいい頃なのに、一体どこで油を売っているのだろう。ルオニアは苛立ちを押し殺しながら、大股で廊下を歩いていた。

 早くカナンに帰ってきて欲しい。これは別にルオニアがあの男に焦がれている訳でも何でもなく、本心からの祈りであった。

(私には手に負えないわ、あの女……!)

 エウラリカの顔を思い浮かべながら、ルオニアは深々とため息をついた。



「ルオニアさん、フィエル様のご容態は大丈夫ですか?」

「うん、落ち着いてきたみたい。心配かけてごめんね。どうやら感染しやすい病気みたいだから、部屋には近づかないように、他の子たちにも言っておいてもらえるかな」

 フィエルの部屋に続く扉の前で、ルオニアは心配そうな顔をしている侍女に向かって微笑んだ。元気づけるように大きく頷くと、ほっとしたように胸を撫で下ろす。

「分かりました。ルオニアさんも、あまり根を詰めすぎないようにしてくださいね」

「ありがとう」

 そう言って、ルオニアは二人分の食事を手に、肘で扉を押し開けた。窓をぴったりと閉ざした居室に物音はない。部屋を横切り、続きの寝室に足を踏み入れる。


 机に向かっていたエウラリカが、足音を聞きつけて顔を上げ、ひょいと手を挙げた。

「あら、おかえり、ルオニア」

 机の上には大量の紙が散乱しており、いくつかは机から落ちて床を覆っている。ほんの数分で部屋を散らかすことにかけては、多少の才能があるらしい。ルオニアは呆れ顔で戸口に立ち尽くした。

「もう少し片付けたらどうなの?」

「あとでね」

「『ご病気で死にかけのご令嬢』は大人しくしてなさいよ。寝てるとか」

「布団にカビが生えちゃうわ」

 人のことを言えた義理ではないが、本当に口が減らない女である。作法を捨てて足で扉を閉めると、ルオニアは持ってきた食事を卓に置いた。


「何を書いてるの?」

 床に落ちていた紙を拾って机に戻しながら、ルオニアはエウラリカの手元を覗き込む。定規とコンパスが乱雑に紙の上に放置され、それらを用いて書いたと思しき図形が浮かび上がっていた。

「地図」

「これ……ラヴァラスタ宮殿?」

「そうね」

 二重円で表現された回廊が紙の中央に鎮座する。恐らくエウラリカはここから書いたのだろう。生真面目な直線が放射状に回廊から広がってゆく。渡り廊下である。二階部の高さに位置する通路の下を、地面に掘られた石畳の主通路が通ってゆく。回廊に沿う主通路と渡り廊下が、立体的な鳥瞰図で描かれていた。

「上手じゃない」

「どうも」

 結構本気の賞賛だったのに、エウラリカは意に介した様子もなく肩を竦めた。



 窓も扉も完全に閉ざされ、物音一つ漏れない部屋の中。エウラリカが流行病と偽って余人を寄せ付けぬ籠城を開始してから、今日で丸六日が経つ。

 エウラリカが人前に姿を現さないことから、宮殿内では『フィエルは酷い病にかかっているらしい』ということは周知の事実となっていた。


 ルオニアに指示して病の噂を流させておいて、当の本人はけろりとしたものだ。ルオニアが持ってきた昼食をぺろりと平らげ、「味が薄いわね」と文句をつける有様である。病人食のつもりで作られている食事なのだから、質素なのは当たり前だ。

「ねえエウラリカ、一体何が目的なの? こないだは宮殿を抜け出して『あんな噂』まで流して……」

「大きな声出さないの」

 エウラリカが人差し指を立て、叱るように遮った。ルオニアは一旦口を閉じたが、再びエウラリカを睨みつけて小さな声で問う。


「宮殿の外では、『フィエルが襲われて死にかけ』、中では『病気で死にかけ』。大嘘の噂をちょっと変えて流して、何があるっていうの?」

「時間差が欲しかったの。宮殿の内外では、伝わっている情報に大きな差異があるでしょう」

「そうだね。連続殺人のことだって、外にはほとんど知られていない……」

「明らかに情報が統制されているのよね。寵姫の外出は制限されているし、出入りできるのは宦官だけだと思えば、そちらに対しては厳しめに箝口令が敷かれていると思って良い」

 エウラリカは淡々とした口調で、地図の一点を指先で叩いた。宦官たちが勤めている棟である。


「にもかかわらず宮殿外で妙な噂が流れているとなれば、宦官たちはそれを上官に報告するわね。私が何者かに刺されて死にかけ、と。そして実際、私は何日も前から外に出ていない。そろそろ噂が宮殿内にだいぶ浸透したと思って良い頃だわ」

 窓には幕を垂らし、外の光は薄らと漏れてくるだけである。昼間にもかかわらず明かりを付けて手元を照らしているエウラリカは、昂然と額を上げて足を組んでいる。


「噂を聞けば、上層部は私を確認しに来るでしょう。宦官から報告が上がることを考えるとセニフは来るだろうし、セニフが来るならライアが来る可能性もあるわね。ちょっとした流行病にかかった寵姫を見舞いに来るにしては、そうそうたる顔ぶれでしょう。そう思わない?」

 妙な確信に満ちた語り口に、つい聞き入ってしまっていた。はっと我に返って視線を険しくすると、エウラリカが鼻先でふふんと笑う。微笑みは、悪戯を仕組んだ問題児のように賢しらである。


 と、そのとき、廊下の方から足音が近づいてくるのを聞き留めて、ルオニアは息を飲んだ。

「私が襲われたという噂は、その瞬間に真実味を増す。セニフやライアが『本当に病気だった』と説明すればするほど、何かがあったのだと有象無象は尾ひれを付けずにはいられない」

 扉が叩かれる。侍女の声が、焦った様子で自分を呼んでいる。エウラリカは机の上の紙類をまとめて引き出しに入れながら、にやりと頬を吊り上げた。


「二人目のフィエル・サハリィは、連続殺人の標的にされた被害者の中で、唯一の生き残りである。――犯人を知っている、ただ一人の証言者だ、ってね」


 寝台に腰かけて、エウラリカがにっこりと微笑む。病人の演技は得意なの、と白い頬を指さして得意満面である。

「私、死体のふりだってしたことがあるんだから」

 その言葉の意味を訊くよりも早く、扉がもう一度叩かれる。「あとで詳しく教えてもらうからね」と凄んで、ルオニアは大股で廊下へと向かった。




 エウラリカに連れられて、例の地下通路から再び宮殿を抜け出したのが、もう七日ほど前のことになる。市街に出て何をしたかと言えば、人通りの多い場所で盛んに話をしただけだ。

 ナフト=アハールから馬車が出る、都市の出入り口でのことである。

『何でも、宮殿内でフィエルっていうサハリィ家のご令嬢が刺されたみたいで、死にかけらしいよ』

 白々しい顔で商人たちに大嘘を吹き込むエウラリカの顔を思い出す。あんなに生き生きした顔で嘘をつく人間はなかなか見られるものではない。息を吐くように作り話をする、あれは絶対に慣れた仕草だった。

 それだけでも訳が分からないというのに、宮殿に戻ってきたら今度は『とても酷い風邪をひいたことにするわ』とエウラリカは部屋に籠もるようになり、ルオニアに口裏合わせを強要したのだ。



「ルオニアさん、お客様がいらっしゃってます」

 扉を開けると、侍女の一人が青い顔で立っていた。おずおずと背後を指し示す。ルオニアは嫌な予感に顔を引きつらせながら、視線の先を目で追った。

「ルオニアさん、こんにちは」

 柔和な微笑みで、セニフが軽く頭を下げる。しなやかで中性的な動きだった。

「いきなりで申し訳ありません。フィエル様がご病気で伏せっておられると聞いて、ご容態が心配で来てしまいました」

 穏やかに言いつつ、その目は鋭く光っており、セニフは部屋の気配を探ろうとするように扉の隙間を一瞥した。エウラリカの予想通りに現れたセニフを上目遣いに観察しながら、ルオニアは思わず舌を巻く。


(ま、ライア様の方は来なかったけどね……)

 負け惜しみのように内心で呟いて、ルオニアは部屋の中に耳を澄ませた。エウラリカが動いている様子はない。大丈夫だろうと踏んで、ルオニアは扉に手をかける。「どうぞ」と促すと、セニフはにこりと微笑んだ。


 ちらりと見えた手に目が吸い寄せられたのは、以前彼が剣を提げているのを見たからだ。今日はその腰に剣はなく、けれどセニフの手は、肉刺まめができては潰れを繰り返した、剣を持つ人間の手をしていた。


「……フィエル様は、どのようなご病気なのですか?」

「酷い風邪のようなものです。もう咳や熱は収まったのですが、まだ体力が戻らないようで」

 あらかじめ打ち合わせてあったとおりに答える。エウラリカに言い含められた嘘を口にしながら、ルオニアは内心でどぎまぎとしていた。あまり突っ込んだことを訊かれたら、しどろもどろになってしまいそうだ。

 ルオニアの不安は杞憂に終わって、セニフは「なるほど」と頷いただけで、そのまま寝室へ向かおうとする。宦官とは言え、寵姫の部屋に入るのに随分と躊躇いのない足取りである。


「失礼します」

 そう一言置いて、セニフが寝室の扉を大きく開けた。ルオニアは一歩後ろに立ったまま、体を固くする。エウラリカの小芝居が通用するものだろうか? 心配だ……。

 はらはらしながら覗き込んだ部屋の中で、エウラリカはぐったりと力なく横たわっていた。ひゅ、とその喉からか細い息の根が漏れる。

「……セニフ、さま、」

 彼女は掠れ声で呟き、緩慢な動きで頭を起こした。とろんとした目で瞬きをして、こちらを見る。

(なかなかの名演……)

 ルオニアは思わず半目でエウラリカを見下ろした。よくもまあ白々しく……。


「いきなり申し訳ありません。体調が優れないと耳にしたので、ご容態は大丈夫かと思って」

「ご心配おかけして申し訳ありません。だいぶ調子が戻ってきた頃です」

 エウラリカが儚く目を細める。そうした表情がやけに似合う女だった。セニフは枕元に膝をつき、細々と体調に関して質問を繰り返している。ほとんど尋問であることを隠そうとしない口ぶりである。エウラリカはそれに対して丁寧に答えてゆく。


 部屋の隅で腕を組んで立ち尽くし、ルオニアは顎を引いてセニフの背中をじっと観察した。やはりライアとよく似ている。中性的な立ち居振る舞いや容姿は、宦官という身ゆえだろうか。

(以前、セニフ様に会ったのは、セニフ様がどこかから帰還した直後のことだった。……一体、どこへ行っていたのだろう)

 しかし、セニフが用事で外出するという話は、あまり聞かないのだ。ライアに任されているのはこのラヴァラスタ宮殿の管理、セニフはアドゥヴァの側近として行動を共にする。

(アドゥヴァは宮殿を出ていない。南方連合の氏族を回る視察は三年前が最後で、あれ以来アディが長期に渡ってナフト=アハールを出たことはないはず)

 それなら、セニフは、ひとりでどこへ行っていたのだろうか?



 懐疑的に眉をひそめたところで、セニフは腰を浮かせて立ち上がった。

「いきなり失礼しました。容態が回復しつつあるようで安心しました」

 そう言って微笑んだセニフを見上げて、ルオニアは少しだけ目を眇めた。どうしてわざわざ、たかが一寵姫の部屋に足を運んだのですか。鎌をかけたい気持ちが胸の中で頭をもたげたが、曖昧な会釈に留めて押し殺す。

「それでは」

 一言告げてあっさりと部屋を去って行ったセニフを見送って、ルオニアは短く息を吐いた。緊張した、と知らず知らずのうちに呟くと、エウラリカが笑う。


「予想、当たったでしょ」

「ライア様の方は来なかったじゃない」

「意外よね。私、何ならライアの方が来てセニフは来ないかもと思っていたわ」

 つい先程まで弱った病人のふりをしていたくせに、エウラリカは既に元気な口調で布団を剥いでいる。寝台から足を下ろして腕を組み、満足げに頬を緩める。

「さて、噂が回るのにそれほど時間はかからないでしょうし、あとは待つだけね」

「……一体、何をしようとしているの? 確かに、これで他の人たちはあなたが単なる病気ではないと噂するだろうけど」

「さっきも言ったじゃない」

 エウラリカの目元に、幕の隙間から細く差し込んだ光が一筋、ひっそりと射し込んでいた。照らされた片目は、透明感のある色できらりと光っている。


「おびき出すのよ、犯人を」


 そう言って、彼女は小さく咳払いをした。その唇は弧を描いていた。



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