復路
早朝、朝靄のかかる砂漠を窓から眺めつつ、カナンは指を組み合わせて前に伸びをした。昨日聞いた諸々を反芻しながら、寝台から足を下ろす。
帝国の安寧のためを考えるのなら、アドゥヴァを討たんとする勢力に与するのは、悪手ではない。積極的に援助を行っても利益は薄いが、簒奪後に実権を握るであろう相手と繋がっておけば何かと円滑に進むこともあろう。
……一個人として考えることが許されるなら、俺は、エウラリカさえ取り戻せればそれで良い。
「ああ、おはようございます」
簡単に身支度をして階下に降りると、セニフが我が物顔で食堂に陣取って朝食を摂っている。その斜向かいの席に腰かけながら、カナンは欠伸を噛み殺した。セニフが少し笑う。
「閣下は、朝は弱いたちですか」
「いえ、寝起きは比較的良い方だと思います」
答えつつ頭に浮かぶのは、寝汚いエウラリカの姿である。彼女が流行病にかかって寝台を移動してから気づいたのだが、あれは相当に寝起きが悪い。起こしても起きないし起きてもなかなか覚醒しない。思えば初めから、朝早く起きてくることは少ない女だった。
「比較的、ですか」とセニフが面白がるように目を細めた。「楽しそうなお顔ですが、どなたのことを考えておられるので?」
見透かすように言われて、カナンは思わず渋い顔になった。朝っぱらから真剣に相手をするには骨が折れる相手である。返答を誤魔化すように曖昧に目を逸らし、運ばれて来た盃に口を付けた。
「……そういえば、ハルジェルでの式典の際の、エウラリカ様のことを思い出したのですが」
ここにきていきなりエウラリカの話題である。流し込んだ乳が変なところに入り、カナンは盛大にむせ返った。「大丈夫ですか」とセニフが目を丸くする。
藪から棒に何なんだ。恨みがましく肩で息をするカナンを眺めながら、セニフがゆっくりと首を傾げた。藪蛇になっても腹立たしいので話を続けるように促すと、彼は静かな面持ちで呟いた。
「式典での演舞において、踊り手がエウラリカ様に近づきすぎて、あわや接触。それを王女殿下が自ら防がれた。あの場面は、私も客席から見ていました」
当時の光景を頭の中で再現しているのだろう。セニフの視線は中空を彷徨っている。
「……あれは、エウラリカ様が狙われていたのですか?」
厚顔無恥な問いに、一拍苛立ちを抑えて「ええ」と返す。セニフは眉根を寄せて目を伏せた。そうですか、と意気消沈した声である。
「これはセニフとしてではなく、僕個人としての言葉なのですが」
そう前置いて、彼はカナンに向き直った。深く頭を下げる。
「――大変、申し訳ありませんでした」
昨日は『軽率に謝罪することはできない』と語っていたのに、やけにあっさりとした手のひら返しである。彼が一個人として詫びるに至った経緯が分からずに、カナンは謝罪を受け入れることもできずに当惑した。
そもそもハルジェルで見かけたセニフに関する件は、まだ片付いていない。あそこで見た『セニフ』は誰だ。……おおよそ推測はついているが。
結局あれはどういうことなのか説明して欲しい。口を開きかけて、「ふわぁ」と呑気な大あくびが背後から聞こえた。
「あ……申し訳ありません、まさか、既にいらっしゃるとは……!」
口元に添えていた手を慌てて隠しながら、アニナがしれっと居住まいを正す。その場の空気が一気に緩み、それで話題はもっと気楽なものに変わった。
***
まだ涼しいうちにサハリィの街を発つことにした。セニフもカナンも、あまり宮殿を離れる訳にはいかない点は一致している。復路は連れ合いだ。
「お気を付けて」とサハリィ当主が裏門で微笑む。また嘘くさい笑みである。
「こちらの方でも準備を進めておきますので、宮殿でのことは任せました」
「はい。先日はありがとうございました」
「いえいえ、あれしきのこと」
セニフと当主が言い交わすのを聞きながら、カナンは、じっと当主の姿を眺めていた。
……この男は、一度だって、『民のため』『南方連合のため』といった言葉を口に乗せなかった。ひとが何を言い、行うかを見極めるのは容易い。一方で、何を言わず、何を行わないかは、見つけるのが難しいものだ。
――民のためでも国のためでもないのなら、一体何のために?
セニフとの会話が落ち着いたのを見計らって、カナンは独り言のように呟いた。
「あなたは、アドゥヴァを討ち、王になるつもりなのですか」
当主が、緩慢な動きでこちらを振り返る。不躾な問いにもかかわらず、柔らかい表情だった。
「……私に仰っているのなら、『いいえ』です。総督閣下」
帝国語を交えて、彼は答えた。拒絶の滲む声音であった。はっと息を飲んだセニフが、制止するようにカナンの腕を引く。だめです、と囁かれるが、それを片手で黙らせたのは当主の方だった。促すようにカナンを見据える。
視線を向けられたカナンは軽く顎を引いたまま、ひとつ瞬きをした。
「あなたは、自身の娘の代わりに、偽物を暗殺者として宮殿へ送り込んだのでしょう。本物のフィエルは既に殺されていたのに、以前訪れた際は、偽物の方を平然と『自分の娘』であると俺に紹介しましたね。初めから娘を入れ替える予定だった訳だ」
ルオニアから聞いた事情を反芻しながら、カナンは努めて落ち着いた口調で語った。そうでもしないと、声を荒げて掴みかかってしまいそうな自分がいる。エウラリカを使い捨てようとしたこいつを、しかし、今この場で責め立てる訳にはいかない。
「おや、随分とお詳しい」と当主の返答はおちょくるように軽々しかった。気の良い中年男のような顔をして、彼はにこにこと笑っている。
エウラリカに人殺しを命ずるだけのご立派な『理由』を聞かせてもらわないと帰れない。得体の知れない当主の態度に、声音は否応なしに剣呑になった。
「自分の、実の娘を犠牲にしてまで、一体何を目的に?」
「そうですねぇ、」
困った幼子を見るような苦笑だった。目を細めて、男が小さく頷く。「そうだなぁ」と呟いて、その頬にどこまでも穏やかな微笑みが浮かぶ。
「私に、実の娘などというものは、いないのですよ。もうどこにも」
……思い切り、頬をぶたれたような心地だった。ただ一言で、冷水を浴びせかけられたように全身が冷えた。カナンは声を失って立ち竦む。
「――私の妻は元王族でしたから、妻も娘も、どちらもナフタハルの血を引いていました。この説明で十分ですか?」
これ以上説明させるな、と静かな微笑みが告げている。正体が読めないような、つかみ所のないような曖昧な微笑みが、突如として恐ろしいものに見えた。確かに、この屋敷で、一度として女主人の姿を見ることはなかった。カナンは思わずその場でたたらを踏む。
「知らなければ仕方のないことです。気になさらないでください」
当主は笑顔を一時たりとも崩さなかった。雲ひとつない空の下、白い朝日を浴びて静かに微笑む姿の、ひとつ膜を隔てた内側に、底知れない憎悪と怨念が渦巻いている。今にも身を食い破って暴れ出しそうなそれを、己の強靱な意思ひとつで押さえ込み、細心の注意をもって計画に注ぎ込む。すべてを穏やかな笑顔の下に隠したままで。
朗らかな声が吐き捨てる。
「血統を理由に人を殺した人間を、血統を理由に殺して、何が悪いのですか」
***
市街に待機させていた兵と合流し、一行は再び進路をナフト=アハールに取って進み始めた。往路ではいなかったセニフに兵たちは興味津々で、セニフの話し上手も相まって休憩はやけに騒がしい。
初めにナフト=アハールまで行った際の案内役は、あまり帝国語が喋れなかった。流暢に帝国の言葉でやり取りができる現地の人間が面白いようだ。兵たちは珍獣でも見物するようにセニフを囲んでいる。
「そうですね。帝国に訪問した際は、ウォルテル将軍ともお会いして」
「ウォ……ああ、ウォルテール将軍のことか」
「旦那、帝国語がちょっとハルジェール訛りだな」
「ええ、そうですか?」
そんな会話を聞くともなく聞きながら、カナンは日陰を落としている岩壁に背を付けて水を呷る。隣に寄ってきたアニナが、「そういえば」とこちらを窺った。
「閣下、帝都で帝国語を学んだのに、ハルジェルのことは現地の発音ですよね。帝都の人って結構みんな『ハルジェール』って伸ばすんですよ」
「ああ……」
ハルジェル外遊の際に通り抜けた草原のことを思い出す。爽やかな初夏の風が蘇るような心地がして、カナンは少し目を細めた。エウラリカが得意満面に語っていた内容を反芻する。あのとき、彼女は何と言っていたっけ。
「古い帝国語では、三音節以下の単語において、現代より後方にアクセントが置かれて長母音化することがあるらしい」
「え、なに? 呪文?」
「発音の話だ」
アニナが視線を彷徨わせながら「うーん」と唸る。しばらくして人差し指を立て、得心がいったように頷いた。
「それって要するに、名字の末尾につく『ェル』の発音が、同じ綴りでも帝国とハルジェル圏で異なるのと同じ話ですよね? ほら、『ハルジェル』『コルエル』と、『ウォルテール』や『クウェール』とか、帝国圏では名字の後ろに『ェール』がつくでしょ。これ、どっちも同じ綴りなのよ。違うのは発音だけ」
そういうことねと満足げに胸を張ったアニナを眺めながら、「確かにそれも一例か」と呟いた。
「えへ、何だか懐かしい……」
理由は知らないが頬に手を当てて思い出し笑いをしているので、極力触れないことにする。顔見知り同士の惚気話を聞かされると、どんな顔をして良いか分からないので。特にウォルテールに関する惚気など、この上なく聞きたくない。
発音の違いを反芻しながら、カナンは『二人のセニフ』のことを考えていた。なるほどな、と内心で呟く。自分でも気づいていなかった違和感が腑に落ちた。地下にいたセニフと、今自分が見ているセニフの違いである。
そろそろ休憩も良い頃合いである。向こうの方では兵とセニフが随分と下品な話で盛り上がり始めたご様子、さぞや気が休まったに違いない。
***
サハリィの街からナフト=アハールまではおよそ三日。街道に異常はなく、行程は順調である。
宿屋の一階、食堂兼酒場は既に店じまいし、人気はない。ひとつだけ灯された燭台の隣に、人影が静かに留まっていた。歩み寄ると、緩慢な動きで顔を上げ、「ああ」と声が呟く。小さく震える炎に照らされて、滑らかな褐色肌が浮かび上がった。
「総督閣下も夜更かしですか?」
「……今朝、話し損ねた話をしましょうか」
有無を言わせずに隣の机の椅子を引いて腰かけ、カナンは視線を合わせぬように遠くの壁に顔を向けた。明かりの届かない壁は、年季の入った染みとともに闇に沈んでいる。
「俺がハルジェルの地下で見た『セニフ』はあなたとは別人だったと認めます。あのセニフは剣を使うのに長けていたし、それに、発音は『ウォルテール』だった。あなたとは別人でしょう」
セニフは体を固くして、半身になってこちらを見つめている。片腕を机に置いたまま、カナンもそちらに向かって体を開いた。視線が重なった刹那、ヂッと、蝋燭の芯が音を立てる。音もなく蝋涙が滴ってゆく。それがなければ、まるで時が止まってしまったかのような沈黙だった。
「それでは、あれは誰なのか。アドゥヴァと共に、帝国の内部へと積極的に手を伸ばし、罪なき子どもの死や人殺しを厭わず、帝都侵略を試みていた『セニフ』は誰でしょうか?」
いたぶるつもりはなかったのに、実際に声に出してみれば、言葉はやけに刺々しい。数多の執拗な策略が脳裏をよぎる。疲れたような顔でため息をつくエウラリカの横顔が目に焼き付いて離れない。彼女を庇って刻まれた背の傷跡が、未だに疼く。
「ご存知ですよね。お聞かせ願いたい」
瞬きひとつで見据えると、セニフはまるで幼子のように顔を歪めて頷いた。ぎゅっと唇を噛み、机に置かれたままの拳が震えていた。ゆっくりと、背が見えるほどに深く項垂れる。
「――ライア、です」
喉の奥で押し殺した泣き声であった。頭を垂れたまま、片手でその顔を受け止める。目元を開いた掌で覆い、彼は慟哭していた。
「……妹が傷つかない世界を作りたかったんです。ライアが何も知らないまま、手を汚すことなく、綺麗なところで笑っていられるなら、僕は何をしても良いと思っていた」
懺悔じみた言葉を、カナンは冷然と受け止める。自分たちの他には誰もいない真夜中の食堂に、セニフの嗚咽だけが密かに響いていた。
「そうして僕が甘やかした結果、ライアがアドゥヴァに与したとすれば、それは僕の責任です。まさかライアが『セニフ』に成りすまして帝国へ行っているなど、思いもしませんでした。どうしてなのかも分からない」
苦悩に満ちた呟きが、人気のない一室に落ちる。
「お師さまに顔向けできない。総督閣下にも、帝国の方々にも、南方連合の民に対しても……」
呻くように呟いて、セニフがしばらく沈黙する。カナンは無言で、柔らかな曲線を描く背を眺めていた。蝋燭の炎がもうすぐ下端につきそうだ。油皿に映った小さな灯火が、丸みを帯びた輪郭で揺れている。
「……俺にも、妹がいます」
そう言うと、カナンは慎重に天板へ手をついて立ち上がった。
「数年ぶりに会ってみたら、すっかり大人びて、まるで別人のようでした。守ってやらなきゃなんてのは、こちらの我が儘ですね」
セニフの横を通りながら、肩から落ちた外套を片手で引き上げた。こちらは随分夜が冷える。明日も早いだろうし、できるだけ休息は取っておいた方が良さそうだ。
無言で階段を上ろうとしたとき、背後で椅子の脚が床を擦る音がした。「総督閣下」と掠れた声が呼ぶ。肩越しに見返れば、セニフは立ち上がったまま蒼白な面持ちでこちらを見ていた。
「妹の罪は僕の罪でもあります。……どのようなご判断でも甘んじて受ける覚悟です。けれどどうか、この南方連合の平定までは、お待ち頂けませんか」
階段を二、三段上がったところで、カナンは体を捻ってセニフの視線を受け止める。向けられているのは、あらゆる感情を押し殺した眼差しだった。
「……サハリィの街で、その通りの協定を交わしたはずですよ」
努めて柔らかい声でそれだけ言って、カナンはそのまま再び前を向いて歩き出した。ふっと、蝋燭の炎が絶える。視線を外す刹那、暗闇の中にセニフの輪郭が佇立しているのが見えた。
血の繋がった家族が、知らないうちに人殺しになっているというのは、どんな気分なのだろうな。考えても詮無い思考が脳裏をよぎる。
暗い階段を足の感覚だけで進んでいる間ずっと、祖国にいる家族の顔が、行く手の深奥に浮かんでいた。帝都を落とすべくジェスタを発って以来、長兄以外の家族とは一度も会っていない。
***
「これは、何だ?」
中継地の街が前方に小さく見えてきた頃、なだらかな丘を下りながら、兵のひとりが首を傾げた。
「井戸じゃないですか、どう見たって」と舐めた態度でベリウスが指を指す。それはその通りである。カナンは示された方向を一瞥しながら頷いた。
地面に穴を掘って、石を積んで周りを囲み、簡単な木組みが設えられている。まあ、誰の目にも井戸に見えた。行く手に広がる下り斜面に視線を動かせば、街に向かって直線上に点々と同じものが続いている。
「ああ、これはですね」
セニフが後ろから距離を詰めてきて、井戸の脇で手綱を引いた。馬の歩調が緩む。
「簡単に言えば、灌漑施設です。地下水を掘り当てた位置から地表まで水を引くためのもので、地中に横穴が掘られています。この井戸は横穴の清掃なんかのための管理用に作られた縦穴ですね」
「へえー」
おもしれー、とベリウスが目の上にひさしを作って周囲を眺めるのを横目に、カナンは眉根を寄せた。
「ということは、横穴は人が入れる程度の大きさですか」
「私も入ったことはありませんが、狭い場所でも中腰程度で通れるそうですよ」
「なるほど」
ただ単に観光客が面白がるような素振りを保ちつつ、カナンはセニフに向かって低い声で囁く。
「……ナフト=アハールにも、同じものが?」
言わんとすることが分かったらしい。セニフは苦笑しながら、「いいえ」と首を振る。
「あそこは昔から自然と水が湧く場所なんです。だからこそ、砂漠地帯で最も古い街として栄えている訳ですが」
「そうですか」
落胆は見せずに応えると、セニフが頬を緩める。「まあ、包囲した方が手っ取り早いですけどね」と耳打ちされて、カナンはさりげなく遠くに視線をやった。セニフ、ひいてはサハリィの勢力は、ナフト=アハールを包囲できるだけの兵力があるらしい。
軽い合図で、一行は再びゆっくりと動き出す。井戸ひとつひとつを線で繋ぐように、隊列が縦に伸びて街へ向かって進む。
「言うか言うまいか迷ったのですが、」
街が目前に近づこうとしている中、セニフが気楽な調子で何気なく呟いた。
「ナフト=アハールの市街地の下には、灌漑とは関係ない地下通路があるそうですよ。井戸で繋がってるんです。……機密事項ですから、人に言っちゃ駄目ですよ?」
茶目っ気のある仕草で片目を閉じて、口の前で人差し指を立てる。「地下通路?」と声を漏らして、カナンはセニフを注視した。
(……街の下に、人が通るための通路が作られている?)
井戸、と口の中で呟く。瞬く間に、帝都の地下通路が頭の中に蘇る。市街地から城内に直接通じる通路である。水路が網の目さながらに広がる地表面さながらに、まるで蜘蛛の巣のように広がった複雑怪奇な地下街だ。
帝都を彷彿とさせる情報に、カナンは眉根を寄せる。偶然、こんなに遠く離れた二つの都市で、同じような構造が見られるものだろうか?
「総督閣下は、地下戦にお詳しいとお聞きしました。何か活用方法をご存知かと思って」
セニフがこちらを窺うので、カナンは思わず苦い顔になった。帝都陥落の話である。薄汚く姑息な手を使った、という誹りはこれまでにも数え切れないほど受けた。まるでどぶねずみだ、と、言いたい奴には言わせておけばいいが、愉快ではない。
「帝都ではそれしか手段がなかっただけです。他にもっと有効な策があればそちらを採るに決まっている」
咄嗟に返答には棘が含まれた。険しい表情で吐き捨てたカナンに、セニフが口を噤んだ。気まずい沈黙が落ちる。眼前に街並みが迫っていた。賑わいのある往来の騒がしさが耳に届く。
「……総督閣下は、ご自分のことがお嫌いですか?」
静かな微笑みで放たれた問いは、年長者の薫陶めいた響きを含んでいた。気づけば素直に「そうですね」と答えていた。
「人にある程度憎まれて、自分でも自らを否定する。……それくらいが、丁度良いとも思っています」
しばしの沈黙ののち、彼の相槌は「そうですか」と端的だった。




