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傾国の乙女  作者: 冬至 春化
灼ける砂国と伏流の矛先【後編】

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サハリィの街にて3



「そもそもの大前提としてお話しすべきは、アドゥヴァに関してですかね」

 当主は独りごちて、遠くを見るように顎を上げた。場所を移して、再び談話室である。気楽な様子で足を組むと、当主は事も無げに告げた。


「あれは先代の血を引いておりませんから、そもそも王子ではなかったし、王位継承権もない生き物です」

 あまりにも当然のように言われるので、カナンは一瞬その言葉を聞き流してしまった。一拍遅れてから瞬きをし、「え?」と聞き返す。


「ですから」と当主は焦れた様子もなく穏やかに繰り返した。

「あれの母親は名家の令嬢ですが、父親は王ではない。すなわちナフタハルの血を引いておらず、王となる権利があろうはずもありません」

 セニフの表情に変化はない。彼にとっても、これは既に明白な事実なのだと悟る。


「もちろん、従来の王家の血を引いていないからと言って君主になれないとは申し上げませんがね」とわざとらしい付言は、明らかにカナンに対する弁明だった。本心ではないのが見え透いた口調である。良い度胸だ。



「それでは、アドゥヴァ様の父親というのは?」

 アニナが硬い声で口を挟んだ。カナンが束の間苛立ちを滲ませたのを遮るように身を乗り出す。

「あの時代は宮殿も緩くてね、宦官と偽って普通の男子が宮殿に入ることも日常茶飯事でした」

 当主の声音は決して愉快そうではない。「私も『あの件』は本当に痛ましいと思っているのです」と吐き捨てて、言いづらそうにアニナを横目で一瞥した。


「マーリヤは、家柄はもちろん、美人で有名でしたから……。産まれながらに、王の妃になるべく育てられた娘でした。私も幼少の頃は身の程知らずに憧れたものですよ。割と年が近かったもので、何度か遊んでもらったことがあります、愛情深い人だった」

 マーリヤ、とカナンはその名を繰り返す。知らない名だった。話の流れからして、それがアドゥヴァの母なのは想像がつく。


 当主の目は懐かしむように細められていたが、ふと、その眉間に皺が寄る。

「……横恋慕したのでしょうね。ある晩に、『宦官』がマーリヤの部屋へ押し入って狼藉を働いたと聞いています」

 アニナが鋭く息を飲んだ。至極あっさりと告げられた内容に、カナンも目を見開く。

「この事実が公になるのを、彼女の生家は許さなかった。彼女自身も望まなかったはずです。おあつらえ向きだったのは、ちょうど王がマーリヤ付きの下女に執心だったことでした」

「まさか」とアニナが低い声で呻いた。肘掛けを掴む手が真っ白になっている。「そのまさかです」とセニフが吐き捨てた。


「――入れ替えたんですよ、父親を」

 王がマーリヤのもとを訪れ、下女は間男を誘い込んだ。もちろん完全に噂をかき消すことは不可能だが、新たに流布された情報はそれなりに浸透した。


「事件が起こって以来、マーリヤは極度の男嫌いになったと聞いています。無理もない。……それだけで終われば良かったのに、問題は、事件から一年経たないうちに彼女が男児を産んだことです。対外的には王の血を引くとされる子だ」

「それが、アドゥヴァですか」

「ええ」

 当主の態度に嘘をついている様子はなく、カナンは膝の上で拳を握ったまま黙り込んだ。


「その話の出所は?」

「妻から聞きました」と当主が答える。

「私の妻は、先王の姉でした。内々に秘された事実も把握していたようです」

 王族なら確かに、内部の事情に通じているだろう。でまかせとは考えられない。カナンは顎に手を添えて頬杖をついた。



「このことは、アドゥヴァ自身も知っているのですか」

「あれも馬鹿ではありませんから、それなりの歳になれば自分で気づいたのでしょう。……そうでもなければ、王家の血を引く者を根絶やしにする選択はすまい」

 当主の声は非常に冷淡であった。アドゥヴァに対する親しみなど一欠片もない、侮蔑の表情をしていた。

 ああ、と思わず声が漏れる。握り締めていた片手から力が抜けた。帝国で幾度となく向けられたものと同じ視線である。資格を持たぬ者に対する、冷ややかな眼差しだ。知らず知らずのうちに苦笑を浮かべていた。


「なるほど」と答えて、セニフに視線を滑らせる。

「それで、アドゥヴァを引き下ろそうという訳ですか」

 意図せず、当て擦るような口調になっていた。セニフは鼻白んだように目を丸くすると、「お言葉ですが」と強い声を出す。


「我々は、あの男がナフタハルの血を引いていないから認めていない訳ではありません。これまでの行いや現在の施政、そうしたものにおいて、あの男は王たり得ない。『セニフ』が仕えるべき王ではない」

 憤然と反論してきたセニフに、カナンは内心で狭量を恥じた。流石に子供じみた言い方だった。「すみません」と目を伏せると「いいえ」と穏やかな声が返ってくる。


「確かに我々が血統を重んじすぎているきらいはあります。……けれど、広大な砂漠に点在し、繋がりも薄い氏族たちをまとめるには、何か支えとなる一本柱が不可欠です」

 セニフは迷いなく告げる。アドゥヴァは南方連合を貫く背骨に相応しくないと言いたいのだろう。

 そうなのか、とカナンは内心で呟いていた。初めてあの男と相対したときのことを思い出す。あれほど得体が知れず、恐ろしいと思った相手は初めてだった。油断ならないと感じたし、今でもそう思っている。あれほどまでの威風を放っていても、民からは不適当とされるのか。


 どこかラダームを思わせるところのある男である。生き急いでいるような、己の意思一つで趨勢を動かそうとするような、不思議な引力のある生き物だった。

 自分があの男に対して抱いている感情は、判然としなかった。もしも、無意識のうちにアドゥヴァをラダームに重ねているとしたら、――たぶん、これは哀れみだ。


 祖国にいた頃に、兄と一緒に覗き込んだアリジゴクの巣を思い出す。巣に落ちた小さな蟻は、動けば動くほど暗い洞に落ち込んで、身動きが取れず、視野が狭くなってゆく。自分はそれを上から覗き込んで、無邪気に指を指すのだ。『可哀想に。でもアリジゴクだって、生きる為だから』と……。



「それで、実際にその算段はついているのですか」

 思いの外、凪いだ声が出た。セニフは一瞬だけ意外そうに眉を上げたが、すぐに「そうですね」と言いづらそうに苦笑する。

「実を言うと、少し難航しているところです」

 参った、と言うようにセニフが肩を竦めた。

「……アドゥヴァは、ナフタハルの血を引く者を、老若男女問わず根絶やしにした、と言われていますね」と、セニフが横目で当主を窺いながら告げた内容は、既に聞き及んでいることである。今回はどうやら続きがあるらしい。


「――生き残りが、ひとり、いるのです」

 セニフの眼差しはカナンを見ているようで、それより少し後ろの中空を見据えて動かない。

「先程言った、マーリヤ様付きの下女が産んだ王女です。表向きは間男の子とされていますが、紛れもなく王の血を引く娘だ。対外的には死んだとされている彼女は、先代によって逃がされました。アドゥヴァよりは年下で、もし生きていれば、歳の頃は恐らく総督閣下と同じくらいでしょう。僕はずっと、行方知れずになった彼女を探している」

 膝の上で両手の指を強く握り合わせて、セニフは唇をほとんど動かさずに告げた。


「……ルクレシア・ナフタハル。セニフが仕える、ただ一人の王の名です」



 また新しい名前が出てきた。これまでの情報を整理しようと天井を仰いだカナンの斜向かいで、アニナの眉間にきゅっと皺が寄る。同じく混乱してきたらしい。

「えっと、アドゥヴァ様は王の息子ということにされてるけど、実はそうではなくて、」

「その『ルクレシア』というのは、本当は王の娘だけど、そうではないことにされている?」

 アニナとカナンが揃ってセニフを振り返ると、「はい」と頷く。先程の『父親を入れ替えた』という発言が蘇って、カナンは腕を組んだ。


「ルクレシアが王の子であると公表したら、王と下女に関係があったと露呈して、不都合が出るのか。とはいえ年代的には少し開きがあるんだから、別にそれほど神経質にならなくても良い気がするが……」

「彼女の母親が拒んだそうです。主人であるマーリヤに、これ以上嫌疑の目を向けさせたくないと」

 当主の補足に、なるほどと頷く。カナンは足を組み、息を吐いた。

「では、そのルクレシアというのを見つけたらそれを旗頭にして、王に祭り上げると」

「言い方が悪いですね。そうです」

 文句を言いつつセニフがあっさり肯定する。「本人が拒否したら?」と追うが、セニフの微笑みは揺らがなかった。

「……それでもです」

 セニフが断言する。


「ご存知ですか? 『セニフ』というのは個人名ではなく、代々引き継がれてゆく役職の名なんですよ。襲名制とでも言いましょうか」

 いきなり何を言うのだろう。急な話題転換に面食らうカナンをよそに、セニフがにこりと小首を傾げた。

「『王に仕える者』。それが私です。それ以上でも以下でもない。王もまた同じです」

 それまで垣間見せていた感情を、きっぱりと断ち切って手放したかのような、平坦な笑顔だった。仮面じみていると言ってもいい。


「では、その『王』が見つからなければ?」

 セニフの顔が僅かに歪む。口角だけを持ち上げた違和感のある笑顔で、彼は告げた。

「空の玉座を戴きましょうか、それとも代用品で埋めましょうか」

 しん、と沈黙が落ちた。アニナは息もできない様子でセニフを凝視したまま固まっている。



「……客人の前で格好つけずとも良いでしょう、セニフ」

 聞こえよがしの嘆息でその場の空気を割ったのは当主であった。

「既に我々は、王女が何らかの理由で死去したか、あるいは自身の生まれを知らないまま生活していると考えています。王女はもう見つからない。失われた。彼女がどこかで生きているかもしれない、その祈りだけで十分だと結論づけている」


 と、そこで彼は耳を赤くしたセニフを一瞥した。

「それを唯一認めていないのは……誰でしたっけ?」

 ちら、とからかうように視線を向けられて、セニフは唇を引き結んだまま、恨みがましい目線を返したらしかった。



「――ルクレシア様は、絶対に生きている。僕の養父が、自身の命と引き換えに逃がした女の子です。彼女は僕の王だ。僕の、ただ一人の王なんです。……諦められない」

 きつく拳を握りしめて、セニフが言い放つ。迫真の告白であったが、当主はそちらを指して「と、彼はこう言っていますが」と気軽な調子で続けた。


「我々はもう待てません。次の王が見つからずとも、アドゥヴァをこのままナフト=アハールの首長の座につけておくことはできないと合意しました。準備は既に調っています。あとはセニフ殿の合意のみです。……何なら明日でもよろしいですよ」

 当主の語り口は悠然としている。勝利が約束された者の笑みだった。ナフト=アハールが晒されている脅威を悟って、カナンは固唾を飲んだ。まさか、それほどまでに緊迫した状態だったとは思わなかった。


「すみません、先程から言っている、『我々』って、具体的にはどなたのことなんでしょう」

 アニナが口を挟むと、当主はつと柔らかい笑みで振り返った。

「サハリィ家とオーサルク家、そして、それに連なる氏族すべてです」

 はっと息を飲んで、カナンはアニナを見た。彼女もこちらを振り返り、小さく頷く。――繋がった!



「……その計画は、ラヴァラスタ宮殿内部にまで関係していますか」

 掠れ声で問えば、当主とセニフは揃って意外そうに目を丸くした。

「よく分かりましたね」と怪訝な声に、カナンは曖昧に頷く。……ルオニアが予想した通りの展開だ。


 三つ編みを揺らした、少し不遜な女の言葉が耳の底に蘇る。ラヴァラスタ宮殿では、宮殿に害となるような人間が相次いで殺されている。被害者はサハリィ家とオーサルク家に関係している人間が多い。そして実際に、殺害された人間には、きな臭い点がある。


 ルオニアが危惧していた。南方連合でも最大とされる二家が、もしも、ナフト=アハールに反旗を翻したら、この砂漠は再び戦に包まれる。だから絶対に止めなければいけないのだと、そう語っていた。

 一体どうやって? 皮肉のつもりで投げた問いに、彼女は躊躇いなく答えたのだ。


『サハリィが兵を挙げるより前に、私が、アドゥヴァを殺すよ』

 アドゥヴァの喉元に突きつけられた矛先の数に、束の間身震いする。



「いつの間にか話が一周しましたね」と当主が喉を鳴らして笑う。言葉の意味が読めずに、カナンは目を瞬いた。

「ほら、先程お話ししたじゃないですか」

 愉快そうに指を立てて、男が目を細める。嫌な予感に、遠くで耳鳴りがした。唾を飲んで体を固くする。


「総督閣下がご執心の、あの娘です。能力はありませんでしたが、見目だけは良かったですからね」

 エウラリカ、と唇だけで呟いた。心臓が激しく脈打っているのが分かった。殺された本物のフィエルに成り代わって、フィエルとなった女。全ての記憶を失ったまま、言葉も通じない土地に放り出された女だ。

 当主は訳もなさそうに告げた。


「あの娘に命じたんですよ。ラヴァラスタ宮殿に入り、アドゥヴァを籠絡して、殺せ、と」



 ……周囲の音が、温度が、匂いが、景色が、急激に遠ざかる。まるでその場に縫い止められたみたいに動けなかった。

(エウラリカ)

 変わり果てた彼女の姿を思う。まるで罪なんて知らないような顔をして笑う顔が、瞼の裏に浮かぶ。それを内心で忌々しく思っていた自分のことも。


(エウラリカ……)

 元気でね、と彼女が薄らと笑う。それを思い出した瞬間、獰猛で暴力的な衝動が全身を貫いた。けれどそれは一過性のものでしかなく、カナンは突如その場に立ち上がったまま、何も言えずに当主を見つめていた。何を言おうとしたのか、自分でも分からなかった。当主は平然とした眼差しで、穏やかに座ったままカナンを見上げている。


 この男は、自分の持つ駒を利用しただけだ。彼にとって、エウラリカは、人間ではない。

(俺に、こいつを詰る資格はない)


「閣下」

 アニナが抑えた声で呼ぶ。カナンは渋々椅子に座り直し、険を帯びた眼差しを隠すように顔を伏せた。ぎり、と奥歯が音を立てる。

「……それが、策だと? 暗殺ですか」

「ええ。宮殿にはあの娘以外にも、こちらの手の者を複数送り込んでいます。相互監視の体制も整えていますから上がってくる情報は信頼できますし、連絡手段もあるので宮殿内部の状況は把握できています。もちろん他にも手を回している部分はありますよ。我々も大々的に戦端を開くよりは、できるだけ血を流さずに、内々に済ませたいですからね。可能ならば」

 当主が朗らかに微笑んだ。まるで善人のように語る、その表情の胡散臭さが拭えない。



「とまあ、こちら側からご説明することはこの程度でしょうか」

 当主は手を広げて、あっけらかんとした態度で話を締めた。カナンが剣呑な顔をしていることには一切触れず、どこ吹く風である。この豪胆さには脱帽する。

「総督閣下の方から、何かお話ししたいことはありますか?」

 まるで友好的な会談の場のように話を振られて、カナンは密かに嘆息した。頭を振って気を取り直す。


「……元々の用事では、宮殿内で相次いでいる殺人事件に関する話を伺いに来ました。犯人は明らかにサハリィとオーサルクを狙っている。心当たりは?」

「ありませんね。それで良いとも思っています」

 当主の答えはあっさりとしたものだった。セニフは異なるようで、「ゆゆしき問題です」と眉根を寄せる。


 アニナが当主に向き直って問うた。

「犯人が分からなくても良いというのは、どうして?」

「元より殺されて困るような者を送り込んでいないということもありますが、……犯人が、我々の企みに勘づいておきながら、それをアドゥヴァに報告している様子がないからです」


 確かにそれが不可解な点だった。犯人は明らかに、宮殿にとって『良くない』人間を粛正している。不明だった数名の原因も、サハリィとオーサルクが企てをしていると知った今では明瞭だ。犯人は宮殿、ひいてはアドゥヴァに利するように動いているのに、それを本人には報告していない。


「犯人は一体、何が目的なんでしょうか」

 セニフが顎に手を当てて低い声で呟く。部屋に沈黙が落ちた。



 王の子であると出生を偽られ、のちに王家の血を根絶やしにしたアドゥヴァ。アドゥヴァの首を狙う氏族。アドゥヴァの忠臣と見せかけて、サハリィと通じていたセニフ。セニフが探しているという、生き残りの王女。

 相次ぐ殺人事件。ハルジェルにいた、帝国を狙う『セニフ』。アドゥヴァは帝国に執着している。一体何の因縁がある?


 エウラリカはアドゥヴァについて何と語っていたか。アドゥヴァはハルジェルで何と語っていたか。

 どうして、エウラリカは、南方連合を目的地に据えたのだろう。


 点と点が繋がりそうなのに、思考はもやがかかったように立ち往生していた。額に指先を添えて、カナンは唇を噛んだ。こんなとき、エウラリカならきっと、難なく結論を導いてしまうのだ。鮮やかな弁舌で――。



 気づけば部屋はとっぷりと闇に沈んでいる。当主の申し出を受けて、一行はサハリィ家でひと晩を明かすこととなった。






cf.Dear my Femme Fatale - fragments「fiel 上」

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