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傾国の乙女  作者: 冬至 春化
灼ける砂国と伏流の矛先【後編】

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血塗りの王道3



 ルオニア(・・・・)とセニフが宮殿を発ち、玉座の間は恐ろしいほどの静けさに満たされていた。王は目を伏せたまま、規則的な呼吸を無言で数える。


 数刻が過ぎた頃、宮殿の玄関で、大扉が開かれる音がした。居丈高な足音が近づいてくる。足音以外には、話し声ひとつ聞こえては来なかった。現在この宮殿に留まっているのは、自らそれを申し出た者だけである。

 しかし、どうやら思いのほか多くの人間が、自分と命運を共にすることを選んだらしい。

(危険の及ばない場所に避難しろと言ったのに……)

 内心で苦笑した。心持ち俯いて瞑目し、王は足音の主が訪れるのを待ち構える。元より覚悟は決めていたが、いざそのときが来てみれば、思いのほか静かな心持ちだった。


 程なくして、重厚な扉が、ゆっくりと開かれる。そこに立っている青年の姿を眺めて、王は微笑んだ。

「よく来たな、アドゥヴァ。そろそろ人殺しには飽いたか」

 出会い頭に当て擦ると、彼はぴくりと頬を引きつらせる。見ないうちに随分と大きくなった。マーリヤは小柄な女だったから、父親の血だろう。


 離宮からは、数年前にアドゥヴァが姿を消したという報告を受けていた。特段珍しい話ではない。元々、それなりの年になれば独り立ちさせようと思っていたのだ。それが少し早まっただけで、気にするほどのことでもない。そう考えていた。



「方々で殺戮を繰り返したそうだな。俺の子どもを殺して回ったか」

「生憎、それしか手段がなかったものでね、『おとうさん』」

 含みのある口調で返したアドゥヴァに、王は鼻を鳴らす。「マーリヤに俺の息子を産ませた記憶はないな」と吐き捨てると、アドゥヴァは少しの間、唇を閉じて完全に黙り込んでしまった。

「……今となっては、関係ない話だ。生存している『王子』は俺だけだからな」

 言葉こそ断言の形をとっていたが、その表情は苦々しく、不安げである。


「あんたを殺せば、王となる権利を持つのは俺しかいない」

 そう言って剣を抜き放ったアドゥヴァを眺めて、王はこれ見よがしに嘆息した。

「好きにしろ」

 この宮殿は、恐らく既に包囲されている。アドゥヴァはナフト=アハールに到達するまでに、各地で王位継承者と、継承者がいる街を襲撃してきたという。上がってきた報告からするに、この宮殿が擁した軍備では、アドゥヴァの軍勢と交戦しても勝ち目が薄い。


 ならばと、開城を決めた。流される血は一人分だけで十分である。兵を引かせ、宮殿で働く者どもは全員家へ帰した。ナフト=アハールの市民たちにも、今夜は決して外に出てはならぬと厳命してある。

 さぞや不気味だったことだろう。人の気配の失せた街を物々しく行軍してきたに違いない。



「……どうしてお前は、そうまでして王になりたい」

 震える剣先を突きつけてくるアドゥヴァの、視線を捕らえる。数え切れない犠牲を出してまで、大変な苦労をしてまで、この青年は王座を欲しているのである。それが理解できなかった。――王など、それほど良いものでもない。

 見据えた先で、アドゥヴァは顔を歪めた。誇らしげに大義を語る顔ではなかった。そうした表情をすると途端に幼く見える。


「そうでもしなければ、俺は永遠に偽物のままだ」


 傲岸な台詞であった。あまりにも身勝手だ。悲しくなるほどに幼稚な理由だった。

「本物にならなければ、誰も俺を見ない。誰にも見向きされない」

 アドゥヴァの声音は、暗い水底で澱むように低迷している。返す言葉もなく黙り込んだ王を見下ろして、アドゥヴァは目尻を吊り上げた。


「馬鹿な理由だと思ったんだろう。下らない、取るに足らない些事だって。でもそれが、俺にとっては一大事なんだ」


 何も言っていないのに独りでに語気を荒げる姿が、どうしようもなく痛々しく思えた。哀れみを込めて目を細めた王に、アドゥヴァは更に剣を突きつける。喉元の皮膚に、冷たい金属が触れた。


「死ぬ前に、一つ訊いて良いか」

 王は目を眇めて、泰然と姿勢を正す。アドゥヴァは答えなかったが、一太刀で喉笛を刈ることもしなかった。無言の了承を受けて、王は冷然とした声で問う。



「――お前が動かしている軍勢、どこから調達した」


 己が王を継いで以来、出自の定かでない王子や王女が大勢誕生した。そのうちの一人に過ぎないアドゥヴァが、どこかの氏族を味方につけて軍勢を手に入れることは、まずありえない。マーリヤの生家も疑ったが、アドゥヴァとの接触は確認できなかった。


「お前が率いる兵は、異国語を語る者が大半だと聞いている。一体、どこの国の援助を受けた。まさか……!」


 王は低い声で恫喝するように、アドゥヴァを睨みつける。答えないアドゥヴァに向かって、「答えろ!」と声を大きくする。鼻に皺を寄せ、歯を剥き出しにして怒鳴った王に気圧されたらしい。青年は臆したようにたじろぎ、退く。

「それは、」

 彼が口を開きかけた瞬間、視界の隅で、きらりと何かが閃いた。息を飲んでそちらに視線を向ける。


 直後、重い衝撃とともに、太い矢が肩を射貫いて玉座に身体を縫い付けた。一拍遅れて、脂汗がどっと噴き出す。アドゥヴァの仕業ではない。それでは一体、誰が。急激に遠のいていく意識の中で、首を巡らせる。



「あまりぺらぺらと、考えなしに手の内を晒すものではありませんよ、アドゥヴァ」


 弓を下ろして、明るい髪色をした男が扉の影から姿を現す。アドゥヴァとさほど年齢の変わらない、若い男だった。アドゥヴァが振り返り、「エーレフ」と咎めるような声を出した。

「勝手なことをするのはやめろと、この間も……!」

「はいはい、申し訳ありません。王は自分の手で始末したいんでしたね」


(エーレフ……?)


 その名を反芻する。聞き覚えのない名だ。しかし、顔立ちやふとした発音からして、相手が異国の人間であることは明白だった。アドゥヴァとの気安いやり取りからして、浅い付き合いではなさそうだ。



「お前、まさか、帝国の人間か」

 唸るように問う。エーレフは微笑んだだけで答えなかったが、図星のように目を丸くしたアドゥヴァの反応で真偽のほどは知れた。激痛は全身に伝播して、指先ひとつ動かすことも叶わない。


 息も絶え絶え、吐き捨てる。

「お前がアドゥヴァに入れ知恵をして、唆したのか。――ナフタハルの血を引く者を残さず刈れ、と。それで、その仕上げを、見に来たわけだ」

 エーレフは笑みを深めた。アドゥヴァの顔には驚愕と当惑が浮かぶ。『どうして分かる』と、その表情が何より雄弁に物語っていた。


「どういうことだ。お前ら、通じていたのか……!?」

 アドゥヴァは踵を返し、戸口のところに立ったままのエーレフに詰め寄る。しかしエーレフは唇の端を持ち上げ、詰問を黙殺した。エーレフが見据えているのは王のみだ。

 金に近い髪色、明るい水色の瞳と、白い肌。帝国の人間によく見られる特徴だ。柔和な面立ちをしているのに、眼差しだけが異様に鋭い。それでいて、一瞬でも目を逸らすと記憶から消えてしまうような、印象の薄い青年だった。



「念のため訊きますがね、王。他に隠し子はいませんね? 生存している子どもを宮殿に匿っていませんか?」

「王の身空で密かに子を産ませることができると思うか。俺の行動など、昼夜問わずすべて筒抜けだ。子を匿うこともしていない。不安ならその辺にいる侍女や兵にでも訊いておけ」


 そこで一旦言葉を切って、王は心底の笑みを浮かべた。

「皆が答えるだろうよ、『自分は何も見ていない』と」

 帝国語を織り交ぜた一言に、エーレフが息を飲む。はっと、全身で背後を振り返る。開け放たれた扉の先、通路の両脇に並んだ人影は、いずれも深く頭を垂れたまま動かない。彼らは真実何も目にしなかっただろう。言葉通り、何も見なかったはずだ。誰を拷問にかけようが、ルオニアの名も容貌も出てこないに違いない。


 含みのある言い方から、生き残りがいることを察したらしい。エーレフの表情に憤怒が滲む。再び視線を王に戻して、青年は獰猛に唸った。

「……やりやがったな、てめえ」

 呪詛は地を這うような唸り声だった。愉悦が込み上げて、王は喉を鳴らして笑う。

「ざまあみろ。お前らの思い通りにはさせん」


 応戦するように吐き捨てると、エーレフは一瞬だけ口を開きかけた。しかしすぐに、反駁をやめて唇を引き結ぶ。返事をしないことが優位を示すと誇示するみたいな素振りだった。

 だから、これだけは言っておきたかった。奴らに勝利の美酒を味わわせてなるものか。

「お前らが何を企もうが、この血は決して消えてなくなりはしない」

 エーレフの額に青筋が浮かぶ。激しい苛立ちと焦燥感を覗かせた青年を睥睨して、王は荒い息を吐いた。



「あんた今、何て言ったんだ。なあ、さっきから何の話をしている? ……エーレフ、答えろ!」

 帝国語を聞き取れなかったアドゥヴァだけが狼狽え、困惑を露わに青ざめていた。

「お前、まさか、俺を嵌めたのか」

 声は情けなく戦慄いた。部屋に足を踏み入れたときのような、圧倒的な侵略者の自負は霧消している。アドゥヴァは怯えるように後じさり、胸を上下させて息をした。


 ほんの少しの間に、アドゥヴァは一回り小さくなってしまったようだった。額に汗を滲ませて落ち着きなく視線を動かす青年を一瞥し、王は短く告げた。

「お前は利用されただけだ、アドゥヴァ。この男にまんまと乗せられて、片棒を担がされるどころか主犯にまで仕立て上げられたか。哀れな男だ」

「それ以上の無駄口は、ご遠慮願いましょうか」

 エーレフが再び弓を持つ手を挙げ、矢をつがえる。弓がしなり、弧を描く。弦がぴんと張る。


「アドゥヴァ殿は英雄だ。帝国としては、新たなる王とは今後とも良好な関係を築きたい」

「英雄だと? 未熟な我が儘のために人を殺した人間が、良き王になるなどと抜かすなよ」

 矢の先端が、真っ直ぐこちらに向けられる。逃げるつもりはなかった。もはやここまでだ。


「お前の主に、伝えておけ」

 胸に抱いた娘の温もりが、刹那的に蘇る。不安げな、縋るような目をした幼子だった。あんな小さな娘を、ただ一人で遠くの街へ放逐しなければならなかった無力さに、砂を噛むようなやるせなさが押し寄せる。

 ルオニア、と唇だけで囁いて、それから彼は昂然と額を上げた。エーレフを睨み、強い口調で言い放つ。


「――俺は、クウェール家を永遠に呪い続ける、とな」


 矢が放たれる。弦音が高い天井に鳴り響く。どこかで押し殺した悲鳴が上がる。そのあとに訪れたのは、長い沈黙であった。誰も、何も言わなかった。




「……残念ながら、」

 エーレフは弓を下ろして大股で玉座に歩み寄ると、手を伸ばした。王の肩を背もたれに縫い止めていた矢を、力任せに引き抜く。支えを失った身体はずるりと座面を滑るように崩れると、床に墜ちた。

「死体が何を言おうが、我々には聞こえないものでね」

 足下で徐々に熱を失ってゆく王の顔を見下ろして、彼はせせら笑う。呆然と立ち尽くすアドゥヴァを一瞥すると、エーレフは悠然とした足取りで踵を返した。もはやあの男に用はない。


 玉座の間を出たところで、こちらを睨みつける少女と目が合う。どこか茫然自失としたような気配を漂わせながら、顔を歪めて、凄絶な眼差しでこちらを睨んでいた。長い黒髪が特徴的な、手足のすらりとした少女であった。

 確か、アドゥヴァがどこかで捕らえた捕虜だったはずだ。易々と逃げられているようでは先が思いやられる。アドゥヴァにはそうした詰めの甘さがあった。鼻で笑う。


「どういうこと? あんた、今、王様を……」

 譫言のような問いに嘲笑のみを返して、エーレフは少女から視線を外した。取るに足らぬ存在である。少女から放たれる憎悪を背中で小気味よく受け止めながら、彼は颯爽とその場を後にした。



 ***


「ナフト=アハールを即刻封鎖しろ!」

 宮殿を出たところで鋭く怒鳴ると、忠実な兵たちは心得たようにすぐさま持ち場へ向かう。王の血を引く子が生存しているのなら、それを見逃す訳にはいかない。

 たとえそれが、何の力も持たない幼子だとしても、だ。


 市街へと散っていった兵を見送って、エーレフは鼻を鳴らす。今回の仕事は随分と骨が折れた。

 じきに、王の子が捕らえられて運ばれてくるだろう。それを始末したら、さっさと帝都へ戻る予定である。

 心地よい夜風が吹いていた。運良く剣を交えずに目的を達成できた。今夜の空はほとんど死臭がしない。


「……長いこと帝都を離れていたから、今頃エウラリカ様が拗ねておられるかもしれないな」

 賢く愚かで可愛らしい姫の姿を思い浮かべて、エーレフはちょっと楽しい気分になって微笑んだ。……エウラリカ・クウェール。最近とみに哀れでいじらしくなった、愛すべきお姫様の名である。

 王の死に際の言葉を思い出す。あんなもの、何の実もない捨て台詞である。とはいえ――

「――エウラリカ様に、変な呪いを継がせるわけにはいきませんからね」

 根は、確実に絶たねばならない。



 果たして、ややあってエーレフのもとに運ばれて来たのは、街角で頽れていた男の死体のみであった。先程弑した王の側近だという。全身の火傷跡は、傷を負ってから既に何日も経っているように見える。熱傷がじわじわと身を蝕んだか。これまでの襲撃で街に火を放った箇所を思い返しながら、この男がどの街から来たのかを思案する。炎上させた都市や離宮は数え切れない。簡単には特定できなさそうだ。


 セニフと呼ばれる男の死体を庭の片隅に転がして、エーレフは舌打ちをした。決して完璧な首尾とは言えないが、大体の目的は果たした。その旨を報告するためにも、一度は戻らねばならないだろう。




 既にナフト=アハールを離れた馬車の中で、ルオニアは寝息を立てて丸くなっていた。がたごとと、貨物が入った木箱が些細な振動で触れ合っては音を立てている。その隙間で身体を折って、穀物の入った麻袋を枕にして、少女は深く寝入っていた。夢も見ない眠りだった。




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― 新着の感想 ―
[一言] 今も横暴的なふるまいをしていながらも不満があるような感じを漂わせていることからすると、アドゥヴァの「本物になりたい」という欲求が叶っているのかは… この時の黒幕、エーレフかいな…こうやって…
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