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傾国の乙女  作者: 冬至 春化
灼ける砂国と伏流の矛先【前編】

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巡り出す歯車1


「にしても、この短期間でよく調べられたな」

「もっと褒めても良いのよ」

「強欲」

 ひとまず、殺された寵姫のうち数人に不義密通の噂があったことは確かである。そのことを報告すると、カナンは「まだ何とも結論は出せないが」と言いつつも興味深そうな顔をした。


「確かにそれなら、処置を行っていなかった宦官が殺された理由とも繋がるな」

「そうよね。多分その人も何かしてたんだわ」

 大きく頷いて、ルオニアは腕を組む。「多分ほかの被害者たちも、もっと調べれば何か出てくるよ。私もう犯人の目的を突き止めちゃったかも」

 尊大な仕草で胸に手を当てるが、カナンは「そうだと良いな」と冷ややかな反応である。変に丁寧な対応をされても気味が悪いだけだが、これはこれで腹立たしい。思わず半目になると、反対にカナンは少しだけ口角を持ち上げて微笑んだ。


「ところで、寵姫たちの不義密通はフィエルの動機に繋がるか?」

 満足げな声音に、ルオニアは顔を上げて目を丸くした。膝の上で拳を握り、自然と頬が上がる。

「……絶対ない!」

 断言して、ルオニアは身を乗り出した。誰が誰と繋がっていようとフィエルには関係のない話である。寵姫を殺したってフィエルには何の得もない。


「そっか、じゃあ犯人は、宮殿内のそうした行いを憎んでいる人、あるいは密通をする人間を殺すことで得をする人……ということ?」

「思い当たる節は?」

 ルオニアが言い終える前にカナンが素早く問う。その目が爛々と輝いているのが分かった。強い視線を受け止めて、ルオニアは顎に手を添えて考えこむ。


 咄嗟に思い浮かんだのはアドゥヴァの顔であった。しかし……あの人が闇に紛れて人を殺して回るとは考えられない。白昼堂々どんな理由でも人を殺すことのできる男である。絶対に有り得ないとは言い切れないが、可能性としては低い気がする。

(ある意味では、犯人は宮殿内の風紀を正している……とも考えられるのかな?)

 不義密通で怒りそうな人、と考えた瞬間、ひとつの顔がぱっと脳裏で閃いた。弾かれたように顔を上げ、ルオニアは大きく目を見開く。


『姦通を行っていたのはお前か、――このラヴァラスタ宮殿で、よくもそんなことを!』

 激昂して叫んだ彼女の姿が蘇る。掴まれた腕の痛みが残っている気がして、思わず上腕に手のひらで触れた。心臓が驚くほどに早鐘を打っていた。


「……ライア様」



 呟くと、カナンが息を飲んだ。思い当たる節があるらしい。腕を組み、記憶を浚うように視線が中空を彷徨う。カナンは小さく頷いた。

「そうか、確かにあの女は宮殿を管理する役目だし、規律に厳しそうではあった」

 それに、とカナンが付言する。


「あの女の手は剣を使う人間の手だ」


 もちろん決めつける訳にはいかないが、と続いた言葉は念のためのようだった。ルオニアは目を丸くする。ライアが剣を使うなんて聞いたことない。セニフと同様、それも初耳だ。

 ルオニアは膝に手をついて、大きく深呼吸した。。


(ライア様が犯人だったとして、……その告発を、アディが受け入れるだろうか?)

 ライアとセニフは兄妹揃ってアドゥヴァの忠臣である。誰よりも彼と距離が近い人間だ。そもそもライアがアドゥヴァに隠れて寵姫を殺す理由も分からない。

(やっぱり分からないな……)

 ルオニアは口元を手で覆って首を捻る。


「どちらにせよ、必要なのは証拠、よね」

「そうだな」

 顔を見合わせて頷き合う。殺された原因がまだ分からない寵姫もいる段階で、結論を出すのは早計だろう。



 ***


 庭園の中央では豊かに水を湛えた泉がさざ波を立てている。その波形は、風を受けた砂丘の模様に酷似していた。今よりもっと小娘だった頃に宮殿に入って以来、ルオニアは一度としてこの箱庭を出ていない。永遠に続くかのように思える広大な砂漠の景色も、今となってはとんとご無沙汰である。

 灼けるような砂漠をゆく行商キャラバンの隊列の輪郭を思い浮かべた。ルオニアは目を細めて水面を眺めてから、ふいと目を逸らす。


「そういえば、南方連合と呼ばれているこの地域は、そもそも国なのか?」

 フィエルの居室に向かう通路を並んで歩きながら、ルオニアはカナンの問いに「うーん」と中空を見上げた。

「国ではないよ。とはいえ、今の代になってから色々と例外的な条件もあるけれど……」

 カナンは「帝国ではそうした情報があまり入って来ないんだ」と肩を竦める。あまり意識していなかったが、そういえば彼は随分とこちらの言葉が堪能である。


 既に日は暮れ、辺りに人気はない。帰りが遅くなったことでフィエルが心配してはいないかと思いながら、ルオニアは帰路を辿る足取りを速めた。

「ナフト=アハールを収めるナフタハル家を王家として、この砂漠地帯に点在して暮らす各氏族が緩い繋がりで連帯する。とはいえナフタハル家はあくまで氏族間での諍いとかが生じた際の調停役くらいのもので、氏族にはそれぞれ自治が認められている……はずだったんだけど」

 言葉尻でいきなり声が小さくなってしまう。カナンは何事か察したような遠い目で、「ああ」と呟いた。


「簡単に言えば、アドゥヴァ様はナフト=アハールの主だけれど、南方連合の王ではない」


 風が冷たくなってきたのか、体がぶるりと震えた。外套を胸元でかき寄せるようにして、ルオニアは首を竦める。

「あの人は自分が王座につくために継承権を持つ他の人間を殺戮したし、大規模な粛正も行った。当然だけど氏族の長の大部分が、彼を王とは認めないと表明している。それもあって、今の代になってからナフト=アハールと氏族の関係が悪化したのは確かだわ」

 隣を大股で歩くカナンはしばらく沈黙して、「なるほどな」とこちらを向いた。黒い目が数度瞬いて、愉快そうに細められる。


「……アドゥヴァが王ではなく、『首長』と呼ばれているのはそのせいか」

「耳聡いね、そうだよ。彼はこの砂漠の王ではない」

事情を知らない様子だったのに、自分でそれに気づくとは恐れ入った。眉を上げて視線を向けると、カナンはひょいと肩を竦めた。「そうした事情には少し慣れている」と言って、得心がいったように頷いている。



 何やら考えこんでいるらしいカナンから目を逸らして、ルオニアは遠くを眺めた。

(どうして、アディは継承権を持つ人間を全員殺したんだろう)

 そんなことをしなくたって、あのときの彼は既に十分な実力を持っていたし、真っ当な方法で王座に即くことだってできたはずだ。無闇に人を殺せば、民からの反発が強まるのは当然のことである。

(……いつの間に、あんなに残酷な人になってしまったのかな……)

 重いため息をつくと、カナンが横目でこちらを見る。ルオニアはもの言いたげな視線を無視して、今度は音を立てないように息を吐いた。


「……フィエルは、昔はどんな人だったの」

「答えづらいな」

 カナンは少し苦笑した。苦笑してから、ふと憂いのある目をする。その横顔を見ながら、ふと、その顔の作りがフィエルとはまるで違うことに気がついた。似ていないという話ではなく、異国の人間のように全く異なっているのである。


「フィエルはすっかり変わり果ててしまった。前はもっと苛烈で孤高の人だったのに、今じゃまるで普通の女に成り下がったみたいだ」

 彼は柔和な表情で目を細めながら、低く吐き捨てた。棘のある口調に眉を上げながら、ルオニアは「以前みたいに戻って欲しい?」とさりげなく問う。


「当たり前だろ」

 返事に迷いはなかった。何を言っているのか、とでも言いたげな目だった。「でもさ」と咄嗟に食い下がる自分がいた。

「でも、もしも今の姿が、本来の性質だったら? 過去の方が、周囲に対して装っていた姿だったらさ、元のように戻って欲しいって思うのは、押しつけなんじゃないかな」

「お前、誰の話をしているんだ?」

 カナンは言い募るルオニアをあっさりと受け流して、首を傾げた。低い位置で結ばれた髪がさらりと揺れる。


「どちらにせよ、俺はあの人の本性を知っているんだから、その質問は何の意味もない」

 当然のことのように言ってのけたカナンを、ルオニアは複雑な思いで見上げた。自信満々にこんなことを言えるということは、彼とフィエルは余程深い繋がりだったのだろう。


「――あの人を分かってやれるのは俺だけだし、俺のことを分かってくれるのもあの人しかいない」


 まるで詩だか恋文だか分からないような、とてもではないが平然と口にするには小っ恥ずかしい台詞である。馬鹿じゃないの、と思わず呆れてしまう。引きつった顔をしつつ、でも、臆面もなくそう言ってしまえるカナンのことが、本心では少し羨ましいような気もした。



 ***


「ここまでで良いよ」と扉の前で声をかけると、カナンは見るからに不満げな顔をした。このまま成り行きで部屋まで着いていこうという魂胆だったらしい。まあ、ご親切にも部屋まで送ると自ら言い出したときからそんな気はしていた。ルオニアは腰に手を当て、びしりと手のひらを向ける。

「流石に寵姫の居室まで入り込むのは、いくら客人とは言え駄目だと思うよ」

「その通りだな」

 全く『その通り』とは思ってなさそうな表情で頷いて、カナンが腕を組む。未練がましい仕草で扉の方を窺う様子に、ルオニアは思わず半目になった。


「……挨拶だけでもしていく?」

「良いのか?」

「良くないけど、……一瞬だけだからね」

 目を見開いて食いついてきたカナンを横目に見ながら、ルオニアは突き当たりの扉に手をかけて体重をかけようとした。



「――近づかないで!」

 険しい声が響いたのに、彼女ははっと身を固くした。咄嗟に部屋の中へ飛び込もうとしたルオニアを、カナンが背後から取り押さえる。「静かに」と耳元で囁かれて、ルオニアは扉を半開きにしたまま動きを止めた。

「これ、フィエルの声だよ」

「分かっている」

 扉の隙間に耳を寄せて、ルオニアは唾を飲んだ。


「どうして、そんなことを仰るんですか?」

 扉の向こうで答えた声を聞いて、ルオニアは今度こそ大声を出すのを必死に堪えた。両手で口を塞ぎ、大きく目を見開く。

(……テテナ!?)

 おかっぱとそばかすが特徴的な、あの気弱な侍女の声であった。少しおっちょこちょいだが、悪い子ではない。あのテテナに、フィエルが声を荒げるなんて、一体何があったのだろう? 愕然とするルオニアの頭上で、カナンが真剣な表情で耳を澄ませている。


「わたしが、何か悪いことをしましたか……?」

 テテナが小さな声で問う。視界の隅で、カナンの喉が動くのが見えた。

「……わたしはただ、あの人のことを何か知らないか、聞いただけです」

「知らないと言っているでしょう。だいいち知っているとしてもあなたに答える義理はないわ。もう良い?」

 フィエルの口調は、これまでに聞いたことがないほどに辛辣で、にべもない。こんなぶっきらぼうな喋り方をするフィエルなんて見たことがなかった。絶句しながらカナンを窺うと、彼は何故だか両目を見開いて口角を上げている。その唇が何事か動いたが、彼が息だけで何と語ったのかは読み取れなかった。


 ルオニアは顎に手を添えて眉根を寄せる。

(どういうこと? テテナは何かを知りたがっていて、それをフィエルに聞いているんだわ。『あの人』って一体……? それに、フィエルの反応もおかしい)

 何より気にかかるのは、テテナの声音であった。いつも縮こまって人見知りであるテテナが、珍しく意志の強い口調でフィエルに相対している。



 と、どこかで笑いさざめく女たちの声がして、扉の前で聞き耳を立てていた二人は同時に反応した。薄く開いた扉の前でかがみ込んでいるなど、どこからどう見ても盗み聞きをしている場面である。特にカナンが目撃されるのはまずい。彼は身を起こすと、声を低めて囁いた。

「――フィエルから目を離すな。一瞬たりともだ」

 言われなくてもそのつもりだった。こくりと頷くと、カナンは短く首を上下させて素早く踵を返した。足音を立てることなく通路から中庭に降りて、茂みへと姿を消した後ろ姿を見送る。話し声はそれ以上近づくことなく遠のいていった。


 ルオニアは慎重に数歩下がると、「おっと」と大きな声で言いながら靴を直すふりをした。とんとん、と爪先を床に数度打ち付けてから白々しく姿勢を戻し、自然な仕草で扉を開ける。果たしてそこには向かい合った姿勢のフィエルとテテナがおり、揃ってぴたりと口を噤んだまま、こちらを振り返っている。

「ごめんね、ライア様と話し込んでたら遅くなっちゃった」

 夕飯の準備をしなきゃ、と焦る演技は上手くできていただろうか?


 一向に動く様子のない二人を眺めて、ルオニアは不思議そうに首を傾げてみせた。

「どうしたの? ……何か大事な話でもしてた?」

 フィエルとテテナは同時ににこりと微笑んで、「何も」とだけ答えた。



 ***


「フィエル、今日一緒に寝ても良い?」

 夜更け、枕と布団を胸に抱えながら扉を叩くと、フィエルは虚を突かれたように目を丸くしながら、「もちろん」と微笑んだ。

「なんか、少し前までは一緒の大部屋だったのに、お互い個室になっちゃったんだと思うと、突然寂しくなって」

「そうだね。わたしも一人で寝るのはあんまり好きじゃないから……」

 言いつつ、フィエルは扉を大きく開けてルオニアを受け入れた。ルオニアは「ありがとう」と声をかけて部屋に足を踏み入れる。ざっと部屋を見回すが、怪しい様子はなかった。


 ふわりと吹き込んだ夜風に、体がふるりと震えた。「フィエル、夜にもなって窓開けっぱなしは寒いよ」と言いながら、ルオニアは窓際に歩み寄って手を伸ばす。窓枠に両手で触れたところで、ルオニアはふと窓の外の地面を見下ろした。

 窓のすぐ真下だけに、明らかに人の足に踏まれた形跡がある。

(部屋から脱走しているのは、一度や二度ではなさそう……)

 外をじっと見下ろしてから窓を閉めたルオニアに、フィエルが「えへ」と白々しく誤魔化し笑いをした。


「フィエル、今はこの状況だし、誰も連れずに外に出るのは良くないよ」

 ついつい口調が咎めるようなものになってしまうのは仕方なかった。腰に手を当てて振り返ると、フィエルは気まずそうに目を逸らしてもぞもぞとしている。

「……大体、何の用事があって、一人で外に出ちゃうの?」

 咄嗟に「詮索は」と言いかけたフィエルに「分かってるよ」とルオニアは素早く答えた。


「フィエルが、多分、私の知らない何かの事情を抱えていることくらい、私にも分かってるよ。それを知られたくないことも理解してるつもりだよ」

 フィエルの手を取る。冷たい指先をしていた。彼女は何も言わず、身じろぎもせずに瞬きをした。それを見ているうちに何だか泣きたいような心地になって、ルオニアは思わず声を揺らしていた。

「それは、私にも言えないことなの……?」

「うん」


 彼女の返事に迷いはなかった。にこ、とその頬が持ち上がって、フィエルはそっとルオニアの頭に手を置いた。癖があってあまり好きではない栗毛を、フィエルの小さな手がゆっくりと撫で下ろす。

「……わたしが、何も分からないままこの宮殿に来たときに、優しくしてくれたのはルオニアだけだったね」

 不意に大人びた目をして、フィエルは優しい声で囁いた。そのとき唐突に、目の前の友人がいくつも年上の女に見えて、ルオニアは動揺した。


「好きだよ、ルオニア。わたしの顔が見えなくても、わたしが何者じゃなくても、わたしを好きになってくれたルオニアのことが、本当に大切だよ」

 フィエルは腕を広げて、ルオニアの背を慎重に抱き寄せた。「だから」と彼女が呟く。

「何も知ろうとしちゃ駄目。おねがい」

 初めて会った頃から少し伸びた、金色の毛先が頬を掠める。フィエルの肩口に顔を埋めて、ルオニアは肯定も否定もしなかった。何も言えなかった。


「ひとは、何も知らなければ幸せでいられるものなんだから」

 その言葉の意味するところは、正確には掴めない。




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― 新着の感想 ―
[一言] パッと見、普通の女になった(それを成り下がったと見なすのは傲慢な視点の気もするけどそれはさておき)とされるエウなんとかさん。 一方で「知らないまま大事にしてくれたあなたは好き」「知りすぎな…
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