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傾国の乙女  作者: 冬至 春化
灼ける砂国と伏流の矛先【前編】

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差し出される手3



「あの、ライア様、待ってください。実は、相談したいことがあって……」

 声をかけても、風に散らされたか聞こえないふりをしたか、ライアは振り返ろうとしない。ルオニアも女にしては背が高い方だが、ライアはそれより更に縦に長かった。正面を見据えたまま歩くライアに追いすがるようにして、ルオニアは一歩後ろを小走りについてゆく。

「……こ、この間、セニフ様とお話をして、そのときっ」

 何とかして話を切り出そうと口を開いた瞬間、ライアが弾かれたように振り返った。セニフの名に激烈な反応を示して立ち止まったライアに、ルオニアは思わずつんのめってよろめく。


「兄さんと話をして、……なに?」

「えっ、あ……」

 やはり今までの無反応は単なる無視だったらしい。正面から見据えられて、ルオニアは返答に窮した。特に何かを言おうと思っていた訳ではない。腹の前で十指を絡めながら、彼女は俯きがちに、そっと上目遣いでライアの顔を伺った。

「いえ、その、やっぱりセニフ様と、よく似ておられると思って……珍しいなって」

 あんまり真剣な顔をされてしまったので、自然と声も小さくなる。もぞもぞと小声で呟いたルオニアを、ライアはしばらく無言で眺めていた。品定めするように、その視線がゆっくりと上下する。怪訝そうな表情を向けられ、ルオニアは首を竦めた。


「血縁があるのだから、似るのは当然でしょう」

 随分と長い間を開けて、ライアは硬い声でそれだけ応えた。ルオニアは思わず苦笑する。

「兄妹だって似ない例はありますよ」と呟き、それから彼女は背の高い寵姫の顔を覗き込んだ。


「あの、……ライア様は、フィエルを犯人だと思っておられるのですか?」

 単刀直入に問うと、ライアは虚空に視線を滑らせてから、「当然」と頷いた。

「可能性はあると思っている。でもこの事件は他にもきな臭い点が多いから、怪しい人間は他にも大勢いるわ」

 その答えに、ルオニアは思わず安堵の息を吐いた。怪しい人は他にもいるのだ。……もしかしたらフィエルは何もしていないのかも知れない。胸を撫で下ろすルオニアに、ライアは首を傾げて少し口の端を上げた。


「友達なのね。あの子のことが大切?」

「はい。あの子がここに来たときから、ずっと一緒なので……」

 言いながら、視線が下がってゆく。目を伏せて、ルオニアは強く唇を噛んだ。風はいつしかますます強くなり、砂混じりの風が全身に吹き付けている。一束の三つ編みにしてある髪が絶え間なく煽られるせいで、頭まで揺られているような気分だった。

(……でも、フィエルが怪しい状況にあることに変わりはないわ)

 深く項垂れてから、ルオニアは気を取り直して顔を上げた。用件はそれではない。



「それで、あ……あの、ライア様に、折り入ってご相談があるんですけど、」

「なに?」

 ルオニアは腹の前で指を絡ませながら、上目遣いでライアを窺った。

「その、えっと、たとえばの話なんですけど……」

 どんどんと声が小さくなってゆく。顔が自然と下を向いた。

「宮殿内にいながら、ひ、ひに……」

「なに、はっきり喋りなさい」

 ライアは苛立ったように眉をひそめる。腰に手を当てて、彼女はじとりとルオニアを睥睨した。ルオニアは口角に力を入れて俯いた。顔が真っ赤になっているのが分かる。何だってこんな、さして面識のない相手に、こんなことを相談しなければならないのだ。だって他に相談できる相手がいないのである。


 意を決して、ルオニアは大変言いづらい気分を抱えながら、顔を寄せて口元を隠しながら囁いた。

「ひ……避妊薬って、どうすれば手に入れられますか?」

「ひ……?」

 それまでの冷淡な反応とは一転して、ライアの口から驚くほど間の抜けた音が漏れた。ちらりとその顔色を確認すれば、ライアは口を半開きにしたまま、呆然とこちらを見ている。耳にかけていた黒髪が、音もなく頬に落ちたのが、また間抜けであった。

「あ、あの、ライア様……?」

「……あなた、」

 と、おもむろに上腕をむんずと鷲掴みにされ、ルオニアはぎょっとした。見れば、ライアは血相を変えてこちらを睨みつけている。目をぎらぎらとさせ、鼻に皺を寄せて憎々しげに腕を引かれた。例がないほど乱暴な仕草である。まるでライアが別人になってしまったかのような気がした。訳が分からず、ルオニアは口を開閉させる。

 咄嗟に腕を振り払おうとしたルオニアに対して、ライアは一喝した。


「姦通を行っていたのはお前か、――このラヴァラスタ宮殿で、よくもそんなことを!」

「ええっ!?」


 いきなり怒鳴りつけられて、その内容の不可解さに愕然とする。その隙にライアはルオニアの腕を容赦なく背後にねじり上げ、強引に連行し始めた。



 ***


「あ、あの、あの、私本当に、何のことだか……っ」

 青ざめたまま狼狽して言い訳をしようとするルオニアに、ライアは「事情は追って聞くわ」とにべもない。入ったこともない棟の中に連れ込まれ、勤務していると思しき宦官たちの奇異な視線に晒されながら、ルオニアは為す術なく通路を引きずられた。


「兄さん、入るわよ」とライアは突き当たりの扉を合図もせずに開けると、そのまま大股で入室する。兄さんということは、ここは宦官長であるセニフの部屋なのか。そんなところに無理矢理入らされて、ルオニアはますます青ざめる。これは本当に大事になってしまったらしい。


 ほとんど蹴破るような勢いで入ってきた妹に、セニフは目を丸くして振り返った。外に出てでもいたのか、旅装を解いている途中らしい。外套の留め金に手をかけながら、セニフは目を瞬く。

「ライア、いきなりどうした?」

「お帰りなさい兄さん。さっきそこで怪しい侍女を捕まえてきたわ」

「待ってください! 本当に何のことだか分かりません、私はただ……」

 ライアに反駁しようとして、ふとセニフと目が合う。そうだ、セニフならルオニアと面識があるし、アドゥヴァによる『訪問』のことも知っているはずだ。ライアに取りなしてくれるかもしれない。



 咄嗟に「セニフ様!」と呼びかけると、彼は「え?」と意表を突かれたように瞬きをした。

「あ、あの、先日お会いしたときに、お話をしたと思うんですけどっ」

「待って。一旦落ち着こうか」

 セニフは片手を出してルオニアを遮ると、ライアに声をかけて手を離させる。それから外套を机の上に放ってゆっくりと歩いてくると、身を屈めてルオニアと視線を合わせた。


「先日ぶりですね」と丁寧な仕草で頷いたセニフは、そのまま妹を窺った。

「……ライア、何があったか説明しなさい。話はそれからだ」

 水を向けられたライアは、少し考えてから嘆息した。腰に手を当てて、ライアは「ルオニア」と短く呼びかける。言われたとおりに振り返ると、彼女は苦い表情をしていた。


「この間殺害された宦官が、実際には『宦官ではなかった』ことは既に知っている?」

「え?」


 ルオニアは目を丸くした。……宦官が、宦官ではなかった? それってどういうことだろう。

 怪訝に眉をひそめるルオニアを、ライアは品定めするように見下ろす。いつの間にかセニフが張り付くように、すぐ背後にぴったりと立っていた。そこはかとない威圧に身を縮めながら、「いいえ」とルオニアは小さな声で答える。

「まあ、まだ公表されてから間もない情報だから、知らないのも無理はないけれど……」

 返答を疑うように眉をくいと上げてから、ライアは腕を組んで続けた。


「――端的に言えば、被害者は宦官ではなく、単なる男だった」


 咄嗟に理解が追いつかずに固まったルオニアに対して、背後のセニフの反応は素早かった。「それは本当なのか、ライア」と声を尖らせ、表情を険しくする。ライアは腕組みを解いて腰に手を当てると、深々と嘆息した。


「ええ、残念ながら。……この宮殿が男子禁制で、宦官のみに入ることが許されている理由を鑑みれば、これは重大な問題だわ」

「――血統の正当性、ですか」

 堪えきれず、口を挟んでいた。兄妹が意外そうな顔をしてルオニアを見る。こうして見比べると、本当によく似た二人だった。その顔や立ち姿が、何よりも雄弁に、二人の間に流れた血の強い繋がりを語っていた。



「……先代の頃に、そうした事件があったと、人づてに聞いたことがあります」

 ルオニアは小さな声で呟く。……自分が疑われた訳はおおよそ分かった。

「手術を行わずに男性を宦官と偽って宮殿に入れ、寵姫を孕ませ、王の子であると偽る。先代は好色だったと言いますし、宮殿を取り仕切るべき宦官と、宦官を推薦する氏族たちの癒着もあって、事態が露呈するのが遅れたそうですね。本当に王の血を引いているかも怪しい王子や王女が大勢生まれたと」

「随分と詳しいのね」

「噂話にはついつい聞き耳を立ててしまう質なんです」

 ふぅん、とライアが腕を組んで目を細める。兄妹の目が、油断なく自分を眺め下ろしていた。


「つまり、先日殺害された宦官は、寵姫の誰かの間男として送り込まれた可能性がある……ということですよね?」

 念のため確認すると、ライアは無言で頷いた。ルオニアは「なるほど」と目を伏せる。


「話は大体見えました。ですが、私がご相談申し上げた件は、殺された宦官とは全く関係なくて……」

 努めて落ち着いた声でルオニアは切り出し、ライアに向かって目配せをする。……いくら宦官とは言え、男性であるセニフの前でこれ以上の話をすることには抵抗があった。しかしライアは一切合図を汲み取ることなく――単なる無視かもしれないが――「それで?」と続きを促した。

 これでは仕方ない。ルオニアは腹を括って、大きく息を吐いた。……スエラテルスである二人なら少なくとも、胎にいるかもしれないナフタハルを殺すために母親の命を狙うことはないだろう。



 長く息を吸って、ルオニアは眦を決して顔を上げた。

「……避妊薬あるいは堕胎薬、それに類するものが欲しいんです。アドゥヴァ様は産んで良いと仰ったそうですが、彼女にそのつもりはないみたいなので」

 どういうことですか、と呟いたのはセニフが先だった。瞬時にその眼差しが険しくなり、温和な宦官の気配が立ち消える。ライアは剣呑な顔をする兄を素早く制し、ルオニアをじっと見据えた。

「私もこの宮殿を管理する立場として、アドゥヴァ様がフィエルの部屋を訪れたことは聞き及んでいるわ」と前置いて、彼女は腕を組む。


「あなた、自分が何を言っているか分かっている? それを私たちが受け入れられるはずがないことを、あなたの主人は理解していないの?」

 質問は明らかに尋問の様相を呈していた。ルオニアは答えに窮して口を噤む。

「分かっているはずです。それでも……」

 狼狽えながら、ルオニアは必死で言葉を探した。兄妹の視線は一瞬たりとも離れずにこちらを見据えている。


 薬を求めているのが自分であることを悟られるわけにはいかなかった。露呈してしまえば、それはすなわちフィエルの不在を知らせるも同然の自白である。

(フィエルがあの晩に姿を眩ませていたことは、口止めされている)

 自分が彼と一夜を過ごしたことは既にフィエルに握られており、それは非常に危険な秘密だった。いざというときに、フィエルが誰にこの事実を伝えるかも分からない。

 このことが白日の下に晒されたら、もはや命の保証はないだろう。


 黙り込んでしまったルオニアに、セニフが柔らかい口調で語りかける。

「どうしましたか。――まさか、誰かに何か、口止めをされているとか?」

 まるで探りを入れるような眼差しに気づいた瞬間、ルオニアは総毛立った。息を飲んだルオニアに、セニフがにこりと微笑みかける。外套を纏ったままの彼の体から、一瞬だけ血の匂いが立ち上った。


 咄嗟に視線がその腰に向いていた。――剣を握らないはずの宦官は、外套の下に隠すように剣を佩いていた。

「剣?」

 声がぽろりと唇からこぼれ落ちた。はっと、セニフが息を飲む音が、部屋の中に鋭く響いた。目線が重なる。彼は切羽詰まった顔で妹の方を窺った。



「……分かりました。薬は手配させましょう」

 張り詰めた空気を気軽に割り開いて、ライアが呟く。軽く肩に触れられ、セニフとの間に割って入るように背後に回される。背の高い寵姫の体に遮られて、セニフが提げている剣は見えなくなった。

「帰還直後に悪かったわね、兄さん。ちゃんと身の回りを整えておいて頂戴」

「分かったよ、ライア」

 短く言い交わすと、ライアはこちらを振り返って嘆息した。

「言わなくても分かると思うけれど、たとえ産まれる前であろうと王の子を殺すのは一般的に重罪に当たるわよ」

 どこか疲れたような口調で、彼女はルオニアの目をじっと見て告げた。ルオニアは真剣な表情で頷く。


 それにしても、薬の件をいやにあっさり了承した。ルオニアは内心で首を捻ったが、続く言葉に得心がいく。ライアは声を低めて脅すように吐き捨てた。

「――ここで話したこと、見聞きしたことは決して他言無用。分かったわね」

 なるほどな、と口の中で呟いた。交換条件らしい。

(セニフ様が帯剣していることを、あまり知られたくないらしい)

 ルオニア自身も、穏やかで中性的な宦官長が剣を所持しているなど思いもしなかった。荒事に携わっているのだろうか、と疑問が浮かびかけるのを、彼女は無言で抑える。

「……もちろんです。誰にも言いません」

 何度も首を上下させるが、いまいちライアの表情に信頼の色は見えない。ややあって、「まあ良いわ」と彼女は嘆息して肩を下ろした。


 苦労人の風情を漂わせつつ、ライアはルオニアを部屋から追い出そうとするように背中を押す。開けられた扉を潜り、廊下を吹き抜ける風に前髪を揺らして、ルオニアは息を吐いた。……立ち去り際に振り返ると、ライアはそれまでの厳格そうな表情から一変、にこりと人好きのする顔で微笑んだ。


「私たちはあなたの味方よ、ルオニア。何でも相談して頂戴ね、――あなたの友人のことでも、何でも」

 その目の奥に油断のない光が宿っているのを見つけて、ルオニアは曖昧に目礼した。差し出された手に気づかないふりで「はい」と頷く。




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