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傾国の乙女  作者: 冬至 春化
灼ける砂国と伏流の矛先【前編】

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差し出される手2



「あら、一体どこを悠長にお散歩されていたんですか? もう随分前に朝食が来ていますよ」

 まるで母親か姉のような口ぶりで小言を言ってくるアニナをいなして、カナンは冷めた朝食の乗った机へと歩み寄る。椅子に腰を下ろし、深々と息をついた。

「……今朝、人が殺されているのが発見されて、その様子を見てきた」

「えっ!?」

 文句を言いながら部屋を出ようとしたアニナが、くるりと振り返って目を丸くする。

「それ、本当ですか!? 大事件じゃないですか!」

 泡を食って駆け寄ってくるアニナを眺めながら、カナンは思わず感心してしまった。


(そうだよな、これが普通の反応だよな……)

 ルオニアは人死にに慣れ切ったような態度だし、現場に押し寄せていた女たちも恐怖に狂乱する様子はない。やはりこの宮殿は異常である。凄惨な現場に慣れすぎだ。



「犯人は、見つかっているの?」

 アニナは眉根を寄せ、胸の前で不安げに手を握り合わせた。答えづらい質問に、カナンは目を伏せて黙り込む。

「……犯人が見つからなかったら、エウラリカ様が犯人にされちゃうのよね?」

 無言で頷くと、アニナは唇を引き結んだ。アドゥヴァから持ちかけられた取引に関しては、その場にいたアニナも知るところだった。そのせいで彼女が気を揉んでいることも分かっている。

「勝機はあるの?」

「厳しい状況になった」

 実際は、厳しいどころか『最悪』の部類である。言葉少なに答えたカナンをしばらく眺めて、アニナはおずおずと口を開く。


「ねえカナンくん、帝都に連絡をしましょう。エウラリカ様がナフト=アハールにいることを伝えて、帝国として正式に申し入れをすべきだわ。これは個人の問題じゃない。……新ドルト帝国の趨勢を左右するような一大事だし、ことによっては戦争にもなり得るわ。エウラリカ様はあなたの大切な存在かもしれないけれど、帝国にとっても重要な方なのよ」

 真剣な表情で言い募るアニナに、カナンは思わず苦笑した。肘掛けに頬杖をつき、口の端をつり上げてアニナを見やる。


「ウォルテールの教育の賜物ですか、すっかり施政者の思考になっておられる」

「その言葉、ひっくり返してそのままお返しするわ。……総督閣下、あなたが守るべき帝国のために賢明な判断を下してくださいませ」

 アニナは憤然とした様子で目を怒らせた。叱りつけるように言われて、小さく嘆息する。アニナの言うことは確かだった。


「しかし、外交に持ち込めばどんな条件を出されるか分からない。『首長の妻』を他国が要求する構図は、こちらに分が悪いだろう」

 低い声で吐き捨てると、アニナも腕を組んで「うーん」と唸る。

「エウラリカ様がご自身のことを忘れてらっしゃるのが問題ですよね。事故などが原因なら、ふとしたきっかけで記憶を取り戻す事例もあると聞いたことがありますが……」

 エウラリカ――フィエルの姿を思い返しながら、カナンは難しい顔をした。


 そもそもエウラリカが南方連合を目指した理由が分からないのである。ここにいる理由も分からない。恐らく何らかの経緯でサハリィ家に拾われ、その容姿を見込まれて宮殿に送り込まれたのだろうが……。

 まんまと前後不覚の記憶喪失に陥った挙げ句、また何か厄介ごとに巻き込まれるとは、あの女も一体どういう運命なのか。歯噛みしながら知らず知らずのうちに片手が持ち上がり、喉元で指先が空を切る。


「……ひとまず、ナフト=アハールに滞在している兵に現状を伝えておこう」

 カナンはそう結論づけた。頬杖から顔を上げて嘆息する。

「最悪の場合、エウラリカの身柄を確保して帝都まで強制的に連れ帰る。帝都に入りさえすればあれが『エウラリカ』であることは簡単に押し通せるし、そうなれば正当性はこちらにある」

「まあ、最悪の場合ですよね。この宮殿、ざっと見て回りましたけど、ラヴァラスタ宮殿が居住区として穏やかな雰囲気の割に、少し外に出れば警備が厳しいようですし、帝国の兵を宮殿内まで引き入れるのは難しそうです。となると、宮殿の外までは私たちだけで何とかしなきゃいけません」

 事も無げに返したアニナを、カナンは勢いよく二度見した。しばらく唖然として、その言葉を反芻する。普段アニナが何をしているのかは知らなかったが、まさかラヴァラスタ宮殿の外にまで足を伸ばしていたとは思わなかった。人質の分際で大した行動力である……というか、


「護衛もつけずに一人でうろついていたのか?」

「今まで日中に殺人事件はなかったと聞いていますし、人気のないところに立ち入ることもしていませんよ」

 アニナはごくごく平然とした態度で、顔をしかめるカナンの様子など意にも介さない。顎先に指を当て、反応を窺うように彼女は首を傾げた。


「――私、この宮殿を巡回している兵とは既に顔見知りですし、怪しまれることなく外に出ることができますが、いかがされますか? 外の兵と連携を取るには適任だと思います」

 判断を迫るみたいな満面の笑みで、アニナが顔を寄せてくる。カナンはしばらくそのにやけ面を睨んでから、「……頼んだ」と渋々頷いた。

「うん」とアニナが微笑む。


「どうせこちらでは私たちが余所者で、他に頼れる人もいないんですから、お互いに信頼して使えるものは何でも使いましょう。私も協力しますよ!」

 どんと胸を叩いて背を反らしたアニナを見上げて、カナンは束の間呆気に取られた。……人質として連れて来られたくせに、この女、どれだけおめでたい頭をしているんだろう。



 ***


 いやに風の強い日のことだった。足音もなく厨房の扉がいきなり開かれて、ルオニアは弾かれたように振り返る。

「あ、ルオニアったら、こんなところにいたんだ。何してるの?」

「あなたの昼食を作っているの」

「ええ? 何で」

 厨房に顔を出して目を丸くしたフィエルに、ルオニアは曖昧に微笑んだ。ぎこちなさを悟られぬよう、わざと粗雑な手つきで切り終えた芋を鍋に放って、ちらと窓の外を見やる。

「普段料理番をしてくれているエクリさんが腰を痛めてしまって、医務室に行ってるって」

「ああ、確かにもうご高齢だもんね……」

 納得したように頷いて、フィエルがいそいそと厨房に入り、ルオニアの隣まで近づいてきた。その気配が肩に触れそうになった瞬間、僅かに口元に力が入ってしまったが、フィエルは気づかなかったらしい。普段通りの口調で首を傾げる。


「他の子は? 当番制だよね?」

「テテナが当番のはずなんだけど、帰ってこないのよね」

「ええー……」

 そばかすとおかっぱ頭が特徴的な少女を思い浮かべながら、ルオニアは嘆息する。簡単なお使いに行かせただけのはずなのに、まさか迷ってでもいるのだろうか?

(まあ、確かに他の侍女たちに比べると、結構最近に宮殿入りした子ではあるけど……)

 壊滅的な方向音痴なはずはなかったと思うのだが、と首を捻る。ルオニアが眉をひそめているのをよそに、フィエルは「わたしも手伝うよ」と意気揚々と袖をまくった。


 ルオニアは思わず眉をひそめて身構える。

「ええ、あなた料理とかできるの?」

「分かんないけど、多分できると思う。こう見えても結構器用なんだよ、わたし」

 拳を握って息巻いているフィエルを胡乱な目で眺めて、ルオニアは手にしていた包丁をちらと見下ろした。……彼女が犯人である可能性は、未だに消えていない。果たしてここで気安く包丁を渡して良いものか?

 彼女が本当に犯人であろうとなかろうと、自分がフィエルを疑っていると知られるのはよろしくない。フィエルの様子を窺いながら、ルオニアは包丁を慎重に差し出した。

 フィエルは包丁を受け取ると目をまん丸にして、興味深いものを観察するようにまじまじと刃先を見つめる。何だか見ているだけで危なっかしい。はらはらするルオニアを振り返って、フィエルは胸を張ってみせた。



「もしかしたら昔のわたしが料理人だった可能性もあるでしょ? 体が覚えているかも」


 ……そう宣言してフィエルが得意満面に造形した芋の残骸を見下ろしながら、ルオニアは半目になった。結論は単純である。

「フィエル、少なくともあなた料理人ではないね」

「……うん、わたしもそんな気がする」

 そう頷き合ったところで、ふと耳慣れない音を聞きつけて、ルオニアとフィエルは同時に顔を上げる。誰かが泣いているように聞こえるけれど……。


 目を見開いて「テテナの声だよ」と即答したのはフィエルだった。一目散に厨房脇の扉から外に出てゆくフィエルを追って、ルオニアも足早にそちらへ向かう。どこか怪我でもしたのだろうか?



 果たして、テテナは厨房からほど近いところで、肩を振るわせて泣きじゃくっていた。しかし、一人ではない。テテナの傍らに背の高い寵姫の姿を認めて、ルオニアは身を固くする。

 方向の定まらぬ強風の中で、微動だにせずライアが立っている。しゃくり上げるテテナを捕らえるように肩を掴み、何か問い詰めているように見えた。

 一つに括られた長い黒髪が大きく揺れ、飾り気のない衣装が風を孕んでは絶え間なくはためいている。強く引き結ばれた口元は険しく、思わず臆してしまうような威圧的な気配を放っていた。


 寵姫という身分ではあるが、宦官長セニフの妹かつ宮殿の管理を任されている人間である。その立場はおよそ普通の姫君と同等ではなく、ライアは管理人として宮殿の実権を握っている。



 その言葉が風に乗って届く。

「――自分の立場を考えることね。隠し事や嘘はやめて、知っていることを全て吐いたらどうなの」

 恐喝するような口調であった。哀れにも標的にされたテテナは喋ることもできない様子で、激しくしゃくり上げては零れる涙を拭っている。


 その様子を見て、ルオニアは咄嗟にフィエルを背後に回していた。テテナを睨みつけている女をじっと見据え、慎重に口を開く。

「……申し訳ありません、ライア様。うちの侍女が何か粗相でもしましたか」

 痩せて小柄なテテナの肩に手を置いていたライアが、ゆるりと頭をもたげる。一瞬だけ目を細め、女はルオニアに向かって微笑みかけた。

「ああ、あなたのところの侍女だったの」

 呟いて、ライアはまるで滑るような足取りでルオニアの前に現れる。背後に庇ったフィエルを鋭い眼差しで一瞥し、彼女はルオニアに顔を寄せる。


「ルオニア、――この間、宦官が殺害された件に関して、何か知っていることはない?」

 少し低めの声が、滑らかに問うた。どこか差し迫ったような様子であった。声は辛うじて穏やかであったが、その表情は険しく、焦燥感が浮かんでいる。


 ライアの目が、背後のフィエルを見据えていることに気づいた瞬間、手足が硬直して総毛立った。

(この人、フィエルのことを疑っている、)

 ルオニアは息を飲んだ。思わず足が震えたが、ライアの目を真っ直ぐに見つめて、「いいえ」とはっきり答える。唇を引き結んで首を横に振ったルオニアを、彼女はしばらく油断のない目つきで観察した。


 が、ややあって失望したように息を吐く。

「そう。……悪かったわね」

 顔を伏せると、長い睫毛が覆い被さるように目元に影が落ちた。ライアは唇を噛み、苛立った様子で腕を組む。

 所在なく立ち尽くしているテテナに「昼食の準備をお願い」と声をかけたが、彼女は足が竦んでしまったように動かない。その表情に怯えが浮かんでいるのを見て取って、ルオニアはそっとテテナの背を撫でてやった。背に隠れるようにテテナがぴたりと寄り添ってくる。


 ライアは地面を睨みつけたまま、何も喋らなかった。風の勢いは一向にして弱まることはなく、彼女はまるで柱が佇立するかのように微動だにしない。吹き付ける砂を払いながら、ルオニアは何と声をかけて良いものか躊躇った。気まずい沈黙が落ちる。



「――犯人を見つけないと、あなたが咎められてしまうのですか」

 唐突に口火を切ったのはフィエルであった。ぎょっとして振り返ったルオニアとテテナに対して、フィエルとライアはどちらも動じた様子を見せずに視線を合わせている。


 ライアは目を細めてフィエルを眺め下ろすと、含みのある口調で頬を上げた。

「こんにちは、『フィエル』」

「お久しぶりです、ライアさん」

 フィエルの声音は淡々としている。大抵いつも笑っているフィエルが無表情になると、一瞬息が詰まるような威圧感があった。


「アドゥヴァ様に命じられているんですよね、犯人を早く見つけるようにって。それなのにみすみす何人も殺されてしまって、きっと酷く折檻を受けているんでしょう」

 確信めいた口調であった。ライアが目に見えてたじろぐ。目を見開いた表情に、初めて若い女らしい率直な感情が現れた。一瞬だけ動揺を見せたが、しかしライアは「あなたには関係ない」と頑なな素振りで頭を振る。にべもなく対話を拒絶したライアに、フィエルは小さく微笑んだ。


「関係なくないです。だってライアさん、わたしのことを疑っておられるでしょう」


 風が強いですね、とでも言うような、気楽な口調であった。ライアは僅かに目を見開くだけで言葉を飲み込んだが、ルオニアがはっと息を飲んでしまったのが全ての答えだった。フィエルはその反応に動じなかったが、ルオニアに目を向けることもなかった。

「わたしが怪しいことは自覚しています。でもわたしだって、犯人扱いされるのは好きではありません。身の潔白を証明するためなら、どんな協力も惜しまないつもりです」

 毅然と背を伸ばして言い放ったフィエルを、ルオニアは些かの驚嘆とともに受け止めた。彼女がこんなにはっきりと自分の意思を示すのを見るのは初めてだ。テテナも胸の前で手を握ったまま、呆然とフィエルを見つめている。


 ライアはたっぷり三呼吸分ほど黙ってから、「結構」とだけ応えた。鋭い双眸がフィエルを見据える。

「懐柔しようとしても無駄よ。私、誰かと馴れ合うつもりはないの」

 嘲るように吐き捨てて、ライアは頬を吊り上げた。ひょいと肩を竦めた仕草は気障な青年めいていて、それが妙に様になっている。

「怪しまれたくも殺されたくもないなら、夜は部屋に鍵をかけて決して外には出ないことね」

 形式的に言っておく、とでもいうように指をさして、ライアはくるりと踵を返した。そのまま大股で遠ざかってゆく後ろ姿を呆然と眺めてから、ルオニアはふと「あ、」と呟いた。


「……ごめん、先に戻ってて」

 テテナとフィエルに言い置くと、ルオニアはライアが歩き去った方向に足を向けた。




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