男難の相3
(絶っ対、あの男に、協力なんかしないんだから!)
心の中で怒鳴って、ルオニアはねじり切りそうな勢いで雑巾を絞った。
「ど、どうされたんですか? 何だか今日のルオニアさん、怒っているみたいに見えますけど……」
まだ十代半ばほど、そばかすとおかっぱ頭が特徴的な年若の侍女が、おずおずとルオニアの顔を覗き込んだ。仮にもフィエルの筆頭侍女であるルオニアは、この部屋に仕える侍女たちにとっては上司にあたる。
気遣わしげに声をかけてきた侍女――テテナに「何でもないよ」と返して、ルオニアは引きつった作り笑いで言葉を濁した。テテナは胸の前で拳を握ったまま、不安げに様子を窺ってくる。その視線に再度ぎこちない笑顔を返してから、ルオニアはこっそりと嘆息した。
どうやら、他の少女たちに不機嫌が悟られてしまうほど、今日の自分は人相が悪いらしい。
(あの、カナンとかいう男……)
昨日のことを思い返せば、また苛々と腹の底が煮えくりかえってきた。既に汚れは落ちているのに、柱を不必要に力強くがしがしと擦ってしまう。
(フィエルが犯人だと疑われているのは確かに大問題よ、でもだからといって私があの男に協力する義理はないわ。こうなったら、私が自分で何とかしなきゃ……!)
鬼気迫る形相で床や柱を磨くルオニアを、テテナが気味悪そうな表情で眺めていた。
自分がどうしてこんなに苛立っているのかは分かっていた。痛いところを突かれたからだ。それに答えることができなかった自分にも腹が立つ。
(もしも、フィエルが、本当に犯人だったら、私は……)
指先が強ばり、雑巾に皺がよった。ルオニアは唇を噛んで項垂れる。結論が出せない未熟さに嫌気が差した。
部屋をあらかた掃除し終えると、ルオニアは腰に手を当てて盛大に嘆息する。テテナは戦々恐々としてルオニアの顔色を窺っていた。
「る、ルオニアさん、掃除道具は私が片付けてきますねっ!」
「え? いいよ、私が行ってくるって」
「いいえ、私がやります!」
半ば奪い取られるように箒や雑巾を回収され、ルオニアは手持ち無沙汰に室内で立ち尽くした。
「……怖がらせちゃったかな」
ただでさえ並より背が高いのである。立場も上だし、そのうえ機嫌が悪そうとなれば、小さなテテナが震え上がってしまうのも無理はない。後で謝っておこう、とルオニアは前掛けで手を拭きながら嘆息した。
フィエルはまた勝手にどこかへ『お散歩』に行ってしまったらしい。あれは口調こそ柔らかいが、案外融通が利かなくて頑なな女である。そこらの侍女では、諫めようにも押し切られてしまうらしい。
(あーもう)
考えるべきことが山積だ。ルオニアは誰もいないのを良いことに、両手の指を組み合わせて上に伸びをした。取りあえず毎日の仕事をこなすしかできないのが、勤め人としての悲しさである。
「――失礼。フィエル様はご在室ですか」
気を抜いていたところに、いきなりそんな声をかけられて、ルオニアは飛び上がって振り向いた。
「え、あ……今は外しております」
慌てて居住まいを正して、ルオニアは表情を改める。部屋を訪れた人物の顔には見覚えがあった。
室内に余人はおらず、部屋の中央に立ち尽くしていたルオニアは足早に扉の方へと向かった。元から開け放たれていた扉に手を触れず、彼は礼儀正しい仕草で待っている。
「あの、……何の、御用でしょうか……?」
血の気が引いた。まさかこんな来客があるなんて予想もしていなかった。何なら掃除のときの適当な服のままである。先触れがあればもう少しまともな格好をしていたのに……! ルオニアは内心で動揺しながら、目の前で微笑んでいる宦官をおずおずと見上げた。
セニフ・スエラテルス。このナフト=アハールを統べる首長アドゥヴァの最側近であり右腕、宦官長。そうした言葉が素早く脳内を行き来する。宮殿内でも並び立つ者がほとんどいないほどの高官である。
そんな人が自らの足で寵姫の部屋を訪れるなど、一体何の用なのか。予め分かっていれば、フィエルを縄でふん縛ってでも部屋に引き留めたのに……。
(これ、部屋に入れて飲み物とか出した方が良いのかな!? でも今部屋に私しかいないし、フィエルもいないし……こんな高官への応対なんて知らないわよ……!)
当惑して目を回すルオニアを前に、セニフは少し苦笑したようだった。
「ひとつご連絡をしに来ただけです。次の用事もありますから、長居はできません。お構いなく」
そう言って、セニフが扉の隙間から室内を見回す。
「うーん、そうだなぁ……フィエル様がおられないなら、筆頭侍女はいますか」
「あ、私です。ルオニアと申します」
「そうでしたか、失礼」
片手を挙げて合図すると、セニフは改めてルオニアに向き直った。一瞬たじろいでしまうような、どこか蠱惑的な垂れ目をしている。視線が重なった瞬間、どくんと心臓が跳ねた。宦官というのがどういうものなのか、ルオニアだって分かっている。完全な男というには柔らかい雰囲気だが、決して女ではない生き物だ。だがこのセニフは、本当に、輪郭の掴めない存在であった。何だかどきどきしてしまう、と寵姫たちが噂するのもよく分かる。
セニフは心持ち身を屈め、口の脇に手を添えて声を潜めた。どことなく苦々しげというか、言いづらそうというか、仕事で来たにしては微妙な表情である。
「――非常に急な話で申し訳ないのですが、今晩、アドゥヴァ様がフィエル様のお部屋に顔を出したいと仰っていて……」
(ん……?)
ルオニアはしばらくの間、無言で瞬きを繰り返した。どういうことなのか理解できず、その場に棒立ちになって首を傾げる。
連絡は終えたというようにセニフが姿勢を戻して、それから数秒後に、ルオニアは「え?」と声を漏らした。どくん、と心臓が跳ねる。驚愕のあまり、腰が抜けそうになった。
「ん? ……えっ?」
ようやく理解が届いて、改めて裏返った声で聞き返す。わなわなと震えながら、ルオニアは愕然としてセニフを窺った。
「そ……それって、『そういうこと』ですか?」
「……恐らくは」
主語のないやり取りで意思疎通を交わして、ルオニアとセニフは互いに顔を見合わせた。お目にかかりたくてもかかれないような高官相手だが、どうも似たような苦労人の風情を感じる。
「あの、すみません……私もこの立場になって日が浅いのですが、準備というか、そういうのは……」
「ああ……」
セニフは腕を組んで眉根を寄せる。
「実を言えば、アドゥヴァ様が寵姫のところを訪うのは、ほぼ前例がなくて、……私どもも普段から諫言申し上げているのですが、即位以来一度もお渡りがないまま、ここまで来てしまいました」
やれやれ、と言うように頭を振って、彼は困り顔で虚空を見上げた。しばらく黙ってから、小さく頷く。
「先代の頃から宮殿にいる侍女にあてがあります。あとでこちらへ来るように頼んでおきましょう」
「よろしくお願いします」
何とか仕事を果たさねばと応対する自分の声を、どこか遠くで聞いていた。頭がぐらぐらとするのは気のせいではあるまい。用を済ませて歩き去る宦官の背を見つめたまま、ルオニアは前掛けを強く握り締めた。
いつかこんな日が来ることは分かっていた。それでも、こんなにいきなりだなんて……。
何とか気を取り直そうと、ルオニアは両手でばちんと頬を挟む。
「……まずは、フィエルをとっ捕まえてこなきゃ」
そう独りごちて、彼女は外の掃除を任せてある侍女たちを探して歩き出した。
***
フィエルを探すのは難航した。
「あの子……っ、こんなときにどこをほっつき歩いているのよ……!」
歯噛みしながら、道行く侍女や宦官たちにフィエルの目撃情報を聞きつつ宮殿を巡ること半刻。宮殿の外れにある旧炊事場跡地にて、ようやくルオニアはフィエルの姿を捉えた。
「フィエル!」
叫ぶと、井戸端で何やら物思いに耽っていたフィエルが顔を上げる。一瞬虚を突かれたみたいに目を丸くして、彼女が「どうしたの?」と微笑んだ。
ルオニアは大股で歩み寄ると、フィエルの右手を掴んで強く引く。少し力が入りすぎたのか、フィエルが少し眉根を寄せた。慌てて手を離すと、ルオニアは彼女の耳元に顔を寄せて囁く。
「聞いてフィエル。あのね、今夜、アドゥヴァ様があなたの部屋を訪れるって……」
そう告げた瞬間、フィエルの整った顔に、ぴんと糸が張るような緊張が満ちた。鋭く息を飲んだ彼女の視線が、束の間虚空を行き来し、ややあってルオニアの顔へ戻る。しかしその焦点は合わず、瞬きを繰り返す仕草には動揺が滲んでいた。
「だから、」
「準備のために戻らないとだね」
ルオニアが言うよりも早く合点して、フィエルは迷いのない足取りで歩き出そうとする。まるで前から分かっていたかのように落ち着いた素振りだが、その顔色は蒼白で、表情は強ばって動かない。
「待って、フィエル」
咄嗟に友人の手を取り、ルオニアは彼女を引き留めていた。
「だ……大、丈夫?」
問うた言葉がつっかえた理由は分からなかった。返事はない。何も言わぬフィエルの全身から、研ぎ澄まされた針先のように冷え冷えとした気配が放たれていた。
「大丈夫も何も」と、それはまるで嘲笑のようだった。
「そのために、この宮殿に来たんだから」
そう言って口角を上げた友人に、ルオニアはつと言葉を失った。……この友人は、フィエルに成り代わることを命じられて宮殿に入ったのである。その美貌を生かしてアドゥヴァを籠絡しろ、と、分かりきった策である。
そもそもが決して安全な計画ではない。アドゥヴァの逆鱗に触れる可能性もあった。その上本物のフィエルは何者かに殺害され、彼女の立場は非常に危うい。きっと彼女は、顔だけで送り込まれたのではないのだ。顔だけの女ではない。
……それでも、彼女が顔を隠していた頃の方が、素直に付き合えていたような気がするのは、思い違いだろうか。
「行こう、ルオニア」
しなやかな歩調で歩き出したフィエルに追従しながら、ルオニアは友人の横顔をそっと見やった。腹が据わったような、追い詰められたような。厳しく唇を引き結んで、彼女は行く手を見定めていた。
***
「あ、アドゥヴァ様がいらっしゃるって、本当なんですか……?」
真剣な表情で見上げてくるテテナに「そうらしいよ」と答えると、彼女は「そうですか……」と口元を覆って瞬きをする。明らかに緊張気味のテテナの背を叩き、ルオニアはそわそわとしている居室を見回した。
侍女たちは皆どこか浮ついており、しかしルオニアもそれを叱ることができる状態ではない。変わらず続いていた日常に突如として投げ入れられた石が、あまりに大きすぎるのである。
フィエルは極端に口数が少なくなり、奥の私室に引っ込んだまま出てこようとはしなかった。閉ざされた扉をちらちらと見やりながら、ルオニアたちは常より念入りに部屋を片付ける。それくらいしかすることがなかった。
夕方に差し掛かった頃になって、扉が控えめに叩かれた。セニフが手伝いを寄越すと言っていたから、恐らくそれだろう。
「すみません、いきなりお呼び立てして」と言いながら応対に出たルオニアは、そこではたと立ち尽くす。
赤色をした夕陽が、斜めに射し込んでいた。目の前で微笑む小柄な女の顔を見た瞬間、ひゅっと、喉が音を立てて締まる。柔らかく細められた両目と温和な顔立ち、ふっくらとした女性的な曲線を持つ、やさしいひとである。
「ま……」
一拍遅れてルオニアは慌てて咳払いをすると、その場に跪いた。耳の奥で心臓の音がうるさく響く。今日はどうも、いつもと違う来客が相次ぐ日らしい。
それにしても、とルオニアは上目遣いで訪問者を窺った。どうしてこんなところに、この人が……。
「――ご足労いただきありがとうございます、王太后陛下」
呼べば、頭上で「あらやだ」と驚いたような声がする。肩に手が触れ、「顔を上げて頂戴」と柔らかい声がかけられた。ルオニアはおずおずと顎をもたげ、眼前で膝をついたその人を見据える。
「お忍びで来たつもりだったのに、気づかれてしまったわ」
照れ笑いを浮かべて、彼女は首を竦めた。ルオニアは曖昧な笑みで「すみません」と応える。いきなりのことに返事が固くなったのに相手も気づいたのだろう。少し慌てた様子で、ルオニアの顔を覗き込む。
「忙しいところにいきなり来たから、驚かせてしまったかしら。ごめんなさいね。私、別に何か怒りに来たわけじゃないのよ」
言いながら、彼女は背後をちらと振り返った。見れば、そこには数人の侍女が立ち尽くしており、心配そうな表情でルオニアの方を見ている。
「セニフさんから話を聞いて、うちの侍女をこちらへ派遣することになったの。あの子が初めて女の子の部屋へ行くっていうから心配で、こっそり紛れ込んで様子を見ようと思ったのだけれど……」
悪びれた様子もなくはにかむ様子を唖然と眺めていると、背後から近づいてきた侍女が身を屈めた。笑いを堪えたような声で、「マーリヤ様」と主人の肩を叩く。
「気づかれてしまったらお部屋へ戻るという約束でしたね?」
「……分かっているわよ」
照れ隠しのように呟いて、王太后――マーリヤは、ルオニアを助け起こして立ち上がった。
ルオニアの手をそっと包み込んで、マーリヤはにこりと微笑む。
「驚かせてしまってごめんなさいね。悪気はなかったの」
「は……はい」
心持ち首を傾げて見上げてくる彼女を、ルオニアはしばらくの間無心に見つめていた。マーリヤは優しい手つきでルオニアの片手を取り、その指先を柔らかく包み込む。
「……あなたは、ここのお部屋の侍女さん?」
「はい。筆頭侍女のルオニアといいます」
「そう」とマーリヤが笑顔で頷いた。それから、少し白髪の交じり始めた髪を耳にかけて、少し物怖じするように顎を引く。
「あの、……フィエルさんって、どんな方なのかしら? いきなりごめんなさいね、でもあの子が女の子に興味を示すなんて初めてのことだから、つい気になって……」
まるで少女のように頬を染めながら、マーリヤが声を潜めて囁く。ルオニアは思わず目を丸くして、「ええと」と頬を掻いた。
「……ちょっと変わったところもありますが、聡明で善良な子だと思います」
しばらく考えてから応えると、マーリヤは目を細めて頷く。「きっと素敵な方なのね」と言われて、ルオニアは「はい」と頷いていた。
「フィエルさんがお嫌でなければ、今度お話してみたいわ。……だってあの子のお嫁さんになるかもしれないってことは、いずれは私の娘になるということでしょう? 『お母さん』って呼んでくれるかしら……」
気が早いかしら、とマーリヤははにかみながら頬を掻く。
薄らと微笑んだまま、ルオニアは「そうかもしれないですね」と応じた。マーリヤは頬に手を添えてくすくすと楽しげに笑っている。
「フィエルさんのご負担になると良くないし、今日はこれ以上お邪魔しない方が良いわね。うちの侍女たちはどうぞ好きなだけ使ってくれて頂戴ね」
「いえいえ、そんな……」
恐縮して首を振ると、マーリヤの背後で侍女たちも笑っている。仲が良さそうな素振りでマーリヤが侍女たちと顔を見合わせる。その様子を、知らず知らずのうちに凝視している自分がいた。
声もなく立ち尽くすルオニアを、マーリヤは怪訝そうに眺めた。「あの」と声をかけられて我に返る。
「――もしかして、私たち、実はどこかで面識があったかしら? もしそうだったらごめんなさいね、私、物覚えが悪くて……」
心底不思議そうな表情と言葉であった。ルオニアは「いえ」と微笑で首を振った。
「申し訳ありません、少し疲れていたみたいで、ぼうっとしてしまいました」
「そう。……あまり無理をしないでね」
ぽん、と肩に手を乗せて声をかけ、それからマーリヤは微笑みを残して踵を返す。侍女に付き添われて帰って行く後ろ姿を、ルオニアは黙ったまま見送った。
「――さ、お姫様の準備をするわよ!」
ぱん、と年嵩の侍女が手を叩いたのを皮切りに、やにわに部屋は活気を帯びた。
***
「フィエル様、すごく綺麗……」
侍女たちが囁き交わすのを背後に聞きながら、ルオニアは「うん」と頷いて腰に手を当てた。
「お綺麗ですよ、フィエル様」
「あんまり立派な服って、何だか慣れないな……」
部屋の中央で、フィエルが照れくさそうに頬を掻く。マーリヤが派遣した侍女は皆、先代の王の頃から宮殿に仕える歴戦の侍女たちである。ルオニアを初めとするフィエル付きの侍女たちは為す術もなく、部屋の隅で固まっていることしかできなかった。
「よし、まあこんなものでしょう」
「あなた、サハリィ家のお姫様なんでしょう? もっとたくさん服を持ってくれば良かったのに」
「お父様にお手紙でも出してお願いしてみたら?」
立て続けに声をかけられ、フィエルは目を白黒とさせて年嵩の侍女たちを見比べている。なかなか答えづらい質問も混じっているので、ルオニアはそれとなく「ところで」と口を挟んだ。
「先代の頃は、お渡りがある際は大体どれくらいの時間にお見えになっていたんですか?」
「うーん、陛下はねぇ……早く来て早く帰って行かれる人だったから……」
侍女たちは顔を見合わせて首を捻る。
「移り気というか、多情というか……噂の絶えない方でしたわね」
何やら含みのある言い方に、ルオニアとフィエルは揃って首を傾げた。侍女たちは苦笑して、「いつ頃いらっしゃるかは、何とも言えないわ」と結論を出した。
フィエルの身支度を調え、その他細々とした手配を終えて、侍女たちは「じゃあ私たちはこの辺りで」と、部屋を辞そうとする気配になる。そんな、自分たちだけ残されても、何をどうやったら良いか分からない。狼狽えて引き留めようとするルオニアに、彼女らは「でも、ねぇ」と困り顔である。
「マーリヤ様に仕える私たちがここにいるのを見たら、きっとアドゥヴァ様のご機嫌を損ねてしまうわ」
そう言い残して、侍女たちはそそくさと部屋を立ち去った。取り残されたフィエルとルオニアは顔を見合わせる。
「どうしよう」と呟いたのはフィエルだった。「わたし、こういうときの作法だとか、何も知らないの」と不安げに眦を下げる。そう言われたって、そんなものルオニアだって知るわけがない。仕方がないのでルオニアは目を逸らして呟いた。
「うーん……なるようになるよ」
「もう、他人事だと思って」
適当な返事はあっさり見抜かれ、フィエルに恨みがましく肩を叩かれる。
「取りあえず、私が取り次ぐから、フィエルは部屋で待ってなよ。相手だって今まで他のお姫様のところに行ったことはないみたいだし、作法とかは大丈夫だって」
そう言って、ルオニアはとんと友人の肩を押した。根拠は全くないが自信ありげに親指を立てて頷いてみせる。先程からずっと真っ青な顔で立ち尽くしているフィエルは、どう見てもそろそろ限界である。さっさと座らせた方が良い。ルオニアの言葉にフィエルは素直に頷いて、言葉少なに自室へと引っ込んでいった。
他の侍女たちも数人を残して全員帰らせ、ルオニアは応接間の長椅子の上に寝転がった。扉は開けたままであり、この棟に来客があればすぐに気づくはずだ。
(はあ……疲れた)
背もたれに体を預ければ、ずるずると体が滑り落ちてゆく。ついには座面に上体を倒し、ルオニアは深々とため息をつく。疲労のせいか、目の奥がずきずきとして頭が痛い。
――少しだけ、ほんの少しだけと念じながら瞼を下ろした瞬間、意識は彼方、遠い離宮へと飛んでいた。




