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傾国の乙女  作者: 冬至 春化
灼ける砂国と伏流の矛先【前編】

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序篇2



 南方連合の中核を担うナフト=アハールの中央には、巨大な宮殿がそびえ立っていた。傍目にはひとまとまりの施設に見えるが、内部では複数の地区に分けられて名がつけられているという。


 宮殿の中でも最も奥、首長やその妻たちの居住区にあたるのが、丸みを帯びた天蓋が特徴的なラヴァラスタ宮殿である。男子禁制とされ、宮殿を管理するのは千を越える下女たちや宦官たちだとか。


「……にも関わらず、俺がそのラヴァラスタ宮殿に招待されているというのは、これは一体全体どういうことか……」

 カナンは腕を組み、胡乱な目を応接間に走らせる。アニナも緊張気味の表情で、落ち着かない様子できょろきょろとしていた。強ばった肩のまま、おずおずとカナンの顔を見上げる。

「ラヴァラスタ宮殿って、男子禁制、なんですよね? ……え? カナンくんってもしかして、取」

「申し訳ないが、今はそういうおふざけはちょっと」

 付き合いきれない、とアニナを制して、カナンは眉をひそめた。



「どういうつもりですか!」

 そのとき、扉の向こうから厳しい声が聞こえて、カナンとアニナは揃って口を噤んだ。

「――よろしいですか、ラヴァラスタ宮殿は王とその妻のための住まいです。そこに成人の男を……それも、帝国の人間を入れるなど! 私には到底認められません!」

 女の声である。アニナが目を丸くして唇を引き結んだ。カナンは腕を組んで扉の方に目を向ける。


 ライア様、と呼ばれた女は、更に声音を高くして続けた。

「ただでさえ、ここ最近のラヴァラスタ宮殿では寵姫の殺害が相次いでいるというのに……っ」

 瞬間、隣のアニナが鋭く息を飲んだ。「寵姫の殺害?」とその唇が素早く動く。カナンは今しがた聞こえた音を反芻し、小さく頷いた。今までは通訳がついていたが、実のところナフト=アハールの言葉は、帝国語話者にとっては決して難しくない。強い訛りのように発音に多少の違いがあるだけで、カナンもアニナも会話に支障はなかった。……それを先方に伝えてこなかったのは、意図的なものである。



 そして、今しがた扉の向こうでは、確かに『寵姫の殺害が相次いでいる』という言葉が発せられた。カナンは顎に手を添えて首を捻る。

(……この宮殿で、連続殺人が起きている?)

 ライアの言い方からするに、どうも事件はまだ収束しておらず、下手人も見つかっていないような印象を受ける。謎めいた殺人と聞けば、咄嗟に浮かぶ顔はひとつである。

(エウラリカが何か噛んでいる……いや、まさかな)

 あまりにも短絡的な思考だ、と頭を振って、カナンは耳を澄ませた。


 カナンとアニナをここまで案内した役人は、腰が引けた様子でライアに何か言いつのっている。

「しかし、私どもはアドゥヴァ様に命じられて……」

 しどろもどろにそう言った男に、ライアがまた一言ふたこと返事を寄越す。しばし押し問答が続く気配がして、ややあって扉がゆっくりと開かれた。



「お待たせして申し訳ありません。ラヴァラスタ宮殿の管理を任されております、ライアと申します」

 流暢な帝国語であった。姿を現したのは長身の女で、豊かな黒髪を結い上げて簡素な衣装を身に纏っているのがよく似合う。隣で「かっこいい人……」とアニナが呟く。褐色肌は南方連合の人間の中でも一際艶があり、帝都圏とは異なった顔立ちだが、垂れ目ながら涼しげな目元の美人である。


「ラヴァラスタ宮殿内部での案内は私が引き継ぎます。よろしくお願い致します」

 先程までの言い争いがなかったかのように、ライアが胸に手を当ててにこりと微笑んだ。「どうぞこちらへ」と促す言葉に応じて立ち上がりながら、カナンはライアの立ち姿を上から下までざっと眺め下ろす。油断のない立ち居振る舞いであった。ちらりと見えた手は剣を握る者のそれで、姫君の指先ではない。

 真っ向から視線が重なった一瞬、ライアが目を眇めた。品定めするような眼差しは、睨みつけると言っても過言ではない鋭さがあった。

(……どこかで、見たことがある気がする)

 カナンは目を瞬き、既視感の正体を突き止めようと眉根を寄せる。が、ライアの方はカナンに見覚えはないらしい。淡白な素振りで顔を背けられ、結局結論は出なかった。



 ライアに先導されて宮殿の廊下を歩きながら、カナンは周囲を見回す。宮殿は広大で立派だが、この付近は特に歴史を感じさせる。表に近い地区の宮殿よりも、このラヴァラスタ宮殿の方が古い時代に作られたのだろう。

 一対の大きな柱の脇を通り抜けようとしたとき、ライアが軽く咳払いをして、横目でカナンを振り返る。

「よろしいですか。ここから先は、王とその妻たちが暮らすために作ら――」とライアが厳めしい表情で言いかけたとき、行く手でわあっと歓声が上がった。


「おかえりなさい、ライア様! その方は?」

「異国の方?」

「男の人なのにこちらまで連れてきてよろしいの?」

 まだ十代も半ばという年頃の少女たちが、まるで子犬が転げるように駆け寄ってきて、ライアを取り囲んだ。どうやらあの柱がラヴァラスタ宮殿とその他の区域を分ける目印らしく、一行がこちらに来るのを待ち構えていたようだ。興味津々に眺め回され、カナンは居心地悪く身じろぎする。


「アドゥヴァ様のお客様よ。ほら、下がりなさい」

 ライアは鬱陶しそうな口ぶりと手つきで少女たちを追い払ったが、彼女らは「はぁい」と楽しげな返事で、まるで堪えた様子がない。随分と慕われている様子である。

「でも、ライア様。アドゥヴァ様のところへお客様をご案内するのなら……もう少し後にされた方が良いかもしれません」

 一人が、口元に手を添えて内緒話のように告げる。ライアは顔色ひとつ変えずに「そう」と頷いて、カナンの方を一瞥した。


「申し訳ありません、急用ができまして……客間の方まではこの子たちがご案内しますね」

 心得た様子で数人の少女が一歩前へ出て一礼する。軽く会釈を返すカナンの斜め後ろで、アニナが「何かあったんだわ……」と呟いていた。



 ***


 案内された客間は広々としており、風通しが良い。カナンは部屋に入った瞬間に内部を隅々まで見渡し、身構える。何も動く気配がないのを確認すると、浅く息を吐いて部屋の中央まで歩を進めた。

 今夜には宮殿で晩餐会が開かれるとのことで、それまでは客間で休息を取ることをカナンが自ら提案した。側付きの侍女を断って、カナンは一人きりで室内を見回す。周囲に誰もいないのは久しぶりのことである。

 帝都を出たときから続いていた緊張がようやく緩み、カナンは肩の力を抜きながら剣を外して傍らに置く。忙しさにかまけて伸ばしたままの髪を結い直し、彼は豪奢な客間を一瞥した。



 アドゥヴァの誘いが、他意のない友好の証などであるとは、カナンとてちっとも考えていない。それではあの男は何の下心があって、自分を呼び出したのだろうか。

 明らかにきな臭い話だ。……エウラリカの名に釣られて、ほいほいとそれに乗る自分が愚かであることなど、今さら反芻しなくたって分かっている。


『この状況で帝都を離れ、あまつさえ数年前まで帝国を掌握しようとしていた人間の懐へ入り込むなど、正気ではない』

 その外遊は帝国のためにならない。だから俺は決して認められない。

 断固とした口調でそう言い放ったウォルテールの顔を思い出しながら、カナンは鼻から長い息を吐いた。半ば強引に帝都を出てきたことは間違いない。……だからこそアニナを人質として連行してきたのだが。

 帝都に戻ればまた浅慮を咎められることだろう。仕方ない、と嘆息をして、カナンは頭を掻いた。周囲の人間を黙らせる方法と言えば、この外遊でエウラリカを連れ帰ることくらいである。



 今しがた入ってきた扉の方を見やれば、中庭には見慣れない景色が広がっている。馴染みのない草木が生い茂る様子は生命力に満ち溢れ、祖国などとはまた違った趣があった。緑が濃く、葉に艶がある。


 気がつけば、随分と遠くまで来てしまった。不意にそんな感慨が胸に溢れて、カナンは目を細めた。旅装を解いて椅子に腰かけて、長い息を吐く。


 ……全部エウラリカのせいだ。



 ***


 ラヴァラスタ宮殿の大広間にて晩餐会が開かれるのは、優に半年ぶりほどになる。宦官から晩餐会の報せを聞いたルオニアは、大慌てで主人の姿を探していた。

(当日になって催し事の連絡を寄越すって、馬鹿なんじゃないの!?)

 内心で悲鳴を上げながら、連絡通路を急ぎ足で駆け抜け、人の気配のする方を探す。


(まったく、『あの子』は侍女も連れずにいつも一人でするりと抜け出して、どこかへ散歩へ行ってしまうんだから……!)

 ルオニアは目を怒らせて、日の当たる中庭の方へと歩を進めた。濃い影が落ちる廊下から、壁のない回廊へ踏み出した瞬間、眩しい陽射しに目が眩む。眉間に皺を寄せて目を細めながら、ルオニアは主人の姿を探した。



「――お許しください! わ……わたくしは、そんなことはつゆ知らず、ただ……!」

 回廊の上から広場を見下ろして、ルオニアは思わずうっと息を詰める。あまり見たくない場面に出くわしてしまった。悲痛な叫び声を上げた女は眼下で地面に膝をついており、髪を振り乱して言い募る。

「わたくしは、兄に言われたとおりにしただけで、あなた様に害を為そうとなど、決して考えてはおりませんでした! だから罰せられるべきはわたくしの兄であって、わたくしは、わたくしは……!」


 甲高く叫ぶ声に涙が混じった。しかし、その嘆願を黙って聞いている男は眉ひとつ動かさず、馬鹿にしたような薄ら笑いで女を見下ろしている。足元で無様に縋り付く女を眺め、彼は小首を傾げる。


「……それは、俺に関係のある話なのか?」

 地面に両手をついたまま、女の喉は引き攣れるような音を立てた。


「お前の兄が何を言おうが、お前が何と言い逃れしようが、お前が俺に毒入りの酒を飲ませようとしたことに変わりはないな」

「しかし、あれは実家から送られてきたものでっ」

「その通りだ。だから既にお前の生家にはアルス将軍を向かわせた。今頃お前の育った屋敷は火の海だろう」

 広場で繰り広げられる会話を、回廊に集った寵姫や宦官たちが恐る恐る眺め下ろしている。誰もが息を殺し、ある者は哀れむように、ある者は嘲るように様子を見ていた。



 そうした人影の中に主人の姿を見つけて、ルオニアは足音を立てないように、柱に姿を隠すようにして回廊を回り込む。日陰に入り、腕を組んで階下を眺めている彼女に歩み寄ると、ルオニアは主人の名を呼んだ。

「悪趣味ですよ」と一言告げると、彼女は目を丸くしてルオニアを振り返る。

「どうしたの、ルオニア。わざわざこちらまで探しに来るなんて、珍しい」

「探しに来させないでくれませんかね」


 思わず小言を零してしまいながら、ルオニアは腰に手を当てて囁いた。

「宦官からさっき連絡があって……今夜、大広間で晩餐会が開かれるんだって。支度にも時間がかかるでしょ」

「晩餐会? 随分といきなりだね」

 頬に手を添えて、主人は驚いたような顔をする。姫君らしからぬ言葉遣いは、多分自分の口調が移ったせいである。ルオニアは少しばつの悪い思いをしながら目を逸らした。


「だから、こんなもの見てないで、早く部屋に戻って――」

 ルオニアが言いかけた直後、回廊の下の広場で、獣のような絶叫が響く。その凄まじさにルオニアは思わず口を噤み、体を強ばらせた。どんなに普段お綺麗に着飾っている令嬢であろうと、たとえ薄汚れた奴隷であろうと、無力な犬であろうと――断末魔は等しく醜く壮絶なものであるらしい。


 胸を一突きされて絶命した女が、ゆっくりと地面へ倒れ込む。ルオニアは片手を挙げて目を覆い、その様子を見ないようにする。しかし傍らの主人は心持ち顎を引いたまま、無言で一部始終を見届けたようだった。



「アドゥヴァ様っ!」

 しん、と辺りに静寂が落ちた一瞬後、荒々しい足音とともに一人の女が姿を現す。

「寵姫の管理は私の管轄です! アドゥヴァ様の一存でみだりに処罰を下されないようにと先日も申し上げたはずですが!」

 相当急いで駆けつけたのだろう、回廊に走り込んできたライアは胸を上下させ、階下で剣を下ろしたアドゥヴァを睨みつけた。アドゥヴァがゆるりと顔を上げ、「ああ、遅かったな」とライアを見やる。

 ライアからの叱責などまるで気にした様子もなく、彼は身を屈めて、息絶えた寵姫の衣裳の裾で剣を拭った。


「相変わらず不仲なことね」と、傍で様子を見ていた寵姫の一人が呟く。ルオニアは無言で視線のみを動かし、肩を怒らせて息を整えるライアを密かに観察した。ライアの髪は一部だけが不自然に短く、それを認めた瞬間、するりと糸を解くみたいに記憶が蘇る。……あれはアドゥヴァに髪を切り落とされた形跡である。


 宮殿を管理する立場にあるライアと、その宮殿の長たるアドゥヴァの反りが合わないのは公然の事実であった。アドゥヴァの行動に関してライアが青筋を立てている頻度は相当に高く、しばしば舌戦を繰り広げている様子が観測されている。

(まあ、大抵ライア様ひとりの虚しい努力みたいだけど……)

 結局、アドゥヴァを諫められる人間なんていないのである。アドゥヴァの側近であり宦官長のセニフも、首長とべったり(・・・・)だともっぱらの噂だ。



 興味を失ったように、ルオニアの主人はくるりと踵を返した。

「……戻ろうか、ルオニア」

 淡々とした口調で告げて、彼女が歩き出す。そのすぐ背後に付き従いながら、ルオニアは「何があったんですか」と言葉少なに問うた。


 主人は一瞬の沈黙ののちに口を開いた。

「あの寵姫が、実家の兄から送られてきた酒をあの人に振る舞おうとしたみたい。その中に毒が入れられていたのね。……どうして露呈したのかは知らないけど、結局目的は果たせずに、逆に寵姫とその生家がもろとも粛正されたというわけ」

 陽射しが遮られた通路に入ると、気温が一気に下がる。首筋にひやりとした風を感じ、ルオニアは思わず身震いした。一歩先を行く主人は床に目線を落としたまま、重いため息をつく。


「……怖い話ね」と彼女が呟いたのは、果たして何に対する言葉か。ルオニアも思わず眉根を寄せ、目に焼き付いた光景を反芻する。



 気を取り直すように、彼女は両手で自身の頬を叩いた。

「……わたし、晩餐会に参加するのって初めて。色々と準備をよろしくね、ルオニア」

 ルオニアは微笑んで、「はい」と頷く。


「任せてください、――フィエル様」


 その名を呼ぶと、『フィエル』は皮肉げな笑みを口元に浮かべた。肩口で切り揃えられた髪は明るい金色をしており、顔を覆うものは何もない。彼女の美しさを隠すものは、もはやどこにも存在しなかった。

 照らし出される惨劇に背を向け、フィエルは額を上げる。半年ほど前とはまるで別人のように(・・・・・・)姿の違う女を眺めながら、ルオニアは唇を引き結んだ。


 ルオニアの主の名は、フィエル・サハリィ。ただそのひとつである。



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