墓中にて
ウォルテールを連れてエウラリカの部屋を訪れたカナンは、その庭に設えられた墓を前に立ち尽くしていた。
既に墓石はどけてあり、眼前に口を開けているのは地面に掘られた穴である。冷たく吹きすさぶ風が髪をさらい、角灯の灯りだけが行く手を照らしている。
「何をする気だ」とウォルテールが硬い声で背後から声をかける。カナンは静かに微笑んだ。
エウラリカの墓を白い石で作らせたのは誰だろう。墓石を蹴り倒し、棺を収めるべく作られた石室への入り口を見下ろしながら、カナンは冷めた目で鼻を鳴らす。玄室に降りる階段は砂埃を被っており、中には灯りひとつない。一年前、ここにエウラリカの棺が収められたのだと思うと、悪寒にも似た身震いが襲った。
ここに来て、ウォルテールもカナンの目的を察したらしい。
「エウラリカ様の墓を暴く気か」
「ああ」
いくらエウラリカが死んだのだと言われても、事実を突きつけられても、カナンには全くと言って良いほど実感が湧かなかった。
「言っただろう。俺は今日ここに、エウラリカの墓参りに来たんだ」
帝国語を解さない兵は、黙ってカナンの背後で角灯を掲げている。ウォルテールは目を伏せ、カナンの横顔を時折一瞥した。
「……もう、一年も経っているんだぞ」とその言葉は腰が引けているが、同時に、案じるような声音も混じっている。カナンは薄らと口元に笑みを浮かべた。
「腐った死体を眺める経験は既に済ませてある」
それが、殺害された友人であるという事実を、ウォルテールはまだ理解できないだろうが。
角灯を兵の手から受け取ると、カナンは遂に下へ延びる階段に足を踏み入れた。狭く、天井の低い通路である。漂う埃臭さと、待ち受けるであろう棺の存在に、カナンは思わず息を止めた。知らず、壁に添えた指先が、微かに震えている。
この先にエウラリカがいるのだと考えるだけで、耳鳴りがするような緊張に襲われた。息ひとつつけないような心地で、カナンは、階段の尽きた地面を爪先で感じる。じゃり、と砂粒が足裏で転がった。唇を噛んで、カナンは顔を上げる。
……そうしてカナンは、エウラリカの入れられた棺を目の当たりにした。それは、まるで自身が発光しているかのように白々とした長櫃であった。
玄室は非常に狭かった。腰を屈めねば入れないような石造りの地下室は、角灯ひとつの灯りでその全貌を露わにする。白木の箱は蓋が閉ざされ、些か厳重すぎるほどに釘が打たれている。呼んでもいないのに背後からついてきたウォルテールが息を飲む。
耳の奥で、鼓動が激しく脈打っている。カナンは浅く息をして、奥歯を噛みしめる。
「手を貸せ」
振り返らずに声をかけ、カナンは棺の蓋に手をかけた。ウォルテールはしばらく躊躇う様子を見せたが、一睨みすると渋々降りてきて、窮屈そうに玄室に入ってくる。
角灯を一旦棺の上に置いて、カナンは剣を抜く。
(木箱をこじ開けるのも、初めてじゃないな)
蓋の隙間に剣の刃先を差し込みながら、カナンは思わずふっと笑みを漏らしていた。ウォルテールが心底気味悪そうに視線を向けてくる。
いやに頑丈な箱を留める釘を浮かせて、カナンは蓋に手をかける。ウォルテールに合図をすれば、彼はまた嫌々進み出て、蓋の縁に手を伸ばした。カナンは棺に乗せていた角灯を取り上げて一歩下がる。
降り積もった砂を落としながら、蓋が少しずつこじ開けられる。カナンは角灯を持った手を高く掲げる。ウォルテールは喉の奥で唸りながら、強く足を踏ん張る。その腕に筋肉が盛り上がるのが見て取れた。カナンも棺を片手で押さえつけながら手を貸す。
ばき、とどこかで木の繊維に亀裂が入る音がして、直後、蓋は大きな音を立てて棺から外れた。白木の蓋が床へ落ち、耳に痛いほどの騒音とともに数度跳ねる。
棺の内側が露わになっても、二人の間に言葉はなかった。カナンとウォルテールは、声を失ったまま立ち尽くす。
全身が打ち震えていた。カナンは汗が引いてゆくのを自覚した。冷たく湿った石室の中で、彼は大きく胸を上下させて息を整える。
エウラリカ、と息は声にならずに唇を擦る。ふらつくようにして膝をつき、棺の縁に手をついて項垂れる。額を押さえて目を閉じ、ややあって湧き上がってきたのは、苛立ちと呆れ、そして安堵である。
棺の底には、薄青色をした紙と、薄らと錆び付いた鍵が転がっている。紙片を取り上げれば、そこには見覚えのある手跡で、ただ一言走り書きがされている。小馬鹿にするみたいな、茶目っ気に溢れた言葉が、エウラリカの声を伴って耳の底に響く。
『 私が死んだと思った? 』
あはは、と堪えきれずに声が漏れていた。カナンは額を押さえ、肩を揺らす。全身から力が抜けてゆくのが分かった。棺の傍らに膝をついて、カナンはぎり、と歯ぎしりをする。次の瞬間、狭い玄室に激しい殴打の音が響く。ウォルテールが目を見開いて身構える。
もはや用のない棺を拳で殴りつけたあと、カナンは石の天井を仰ぎ、高らかに哄笑した。
――エウラリカの棺は空であった。




