帝都陥落0
商人のふりをして帝都に入ることは非常に容易い。街角の安宿に一室を借りて数日、カナンは目立つ髪色が見えぬように帽子を目深に被り、雑踏に紛れて跳ね橋の傍に来ていた。
跳ね橋の前には検問があって、馬車ならば中身を検め、帝都を出入りする人間の出身と名前を記録する兵が立っている。カナンは検問所から距離を取った道の端で立ち止まり、人待ち顔で様子を窺った。検問を終え、幌馬車を牽いて目抜き通りへ歩み出てくる数人の男がいる。
カナンはそれとなく合図を送ると、何も言わずに脇道へと姿を消す。幌馬車についていた男たちが、一人を残して馬車を離れ、さりげなくカナンの後を追う。人気のない路地に入ると、カナンは地面に埋め込まれた碑を持ち上げた。
少しして男たちは追いつくと、カナンに軽く目礼したのち、地下へ続く縦穴を目の当たりにして息を飲む。
兵を帝都に送り込むにも、徒党を組んで武装した男が入ろうとすれば橋で止められるのは、火を見るより明らかだ。だから行商人の格好をした兵を少しずつ帝都へ呼び込み、地下へと潜伏させる。この作戦には半月ほどを要し、最初の頃に帝都に入った人間は間諜として市街地に紛れ込ませた。後続の兵は地下で待機となるが、相手である南方連合が地下の存在と構造を把握しているのも事実である。そのため、潜伏と侵攻は慎重を極めた。
身軽な斥候を隧道へ先んじて送り込み、人の気配を探りながら城に向かって距離を詰める。同時に非常時の抜け道の周知を徹底、いざというときは兵を複数の班に分け、それぞれ別の道から地上へ抜け出ることになっていた。夜間には武器や装備が地下へ運び込まれ、少数精鋭の軍は着々と準備を調える。
何年もの間エウラリカのもとで練り上げてきた計画を、カナンは非常に冷静に進めていった。
今夜にも城を落とせる状態を調えた夕暮れ、カナンは堅牢な城壁を見上げることのできる路地で、ふらりと立ち止まった。早く地下へ戻らなければいけないのに、何故か、足が動かなくなったのである。
泣きじゃくる妹や、無力感に顔を伏せる兄姉たち。魂が抜けてしまったかのように身じろぎしない母の横顔と、絶望に頭を押さえつけられた父の背中。そうした光景が、驚くほど鮮やかに目の前に浮かび上がった。
あのときカナンは、本当に怒っていたのである。何もしていないのに、まるで罪人のように捕らえられ、人前に引きずり出される。そのくせ折檻は加えようとはせず、ただ自らが優位にあることを示すのだ。丹念に誇りと意地を打ち砕き、自らの意思で膝を屈するのを待つやり方は、本当にいやらしかった。幼かったカナンの目には、ウォルテールの顔が、まるで怪物か何かのように見えていた。
きっと当時のカナンは、相手の意図を理解できる程度には成熟していて、自分の状況を理解できない程度には幼かったのだ。その絶妙な隙間を突いて噴き上げた憎悪と激怒が、今はどこか色あせて遠ざかり、くたびれた疲労の中に埋もれていた。
ひとはこれを復讐と言うかもしれない。何も知らないひとは、これをかつての再来、再現だと言うかもしれないけれど、カナンにとってはまるで違う代物なのだ。
「エウラリカ……」
呟いた声は嗄れていた。何かの言葉が口をついて出そうになったが、結局何も出てきはしない。彼は唇を噛んで深く俯いた。
――エウラリカが死んで、もうじき一年が経つ。
カナンは垂らした腕に力を込めて、拳を握りしめた。宮殿を取り囲む尖塔の数々や、中央にそびえる丸天井。かつて両腕を拘束されて馬車に荷物のように乗せられ、妹と見上げた城が、今もなお目の前に立ち上がっている。
(今夜だ。……あと数刻で、すべて終わる)
エウラリカが死んだと聞いたあの瞬間から、ずっと、悪い夢を見ているような心地だった。地面に足がついていないような、息が吸えていないような、そんな気分が続いている。
(皇帝の首を獲って、帝国を我が物にすれば、俺はようやく解放されるのだろうか。ルージェンを殺せば、何かが変わるのだろうか……)
まとまる様子のない思考の中で、カナンはぼんやりとそんなようなことを考えた。
「――おい、カナン! お前、カナンだろ!?」
そんな声とともに肩が強く掴まれたのは、カナンがゆっくりと瞬きを終えた直後のことだった。カナンは弾かれたように振り返り、外套の下に隠し持っていた短剣に手を伸ばす。と、その瞬間、彼は呆気に取られて立ち尽くした。
「良かった、カナン、お前、ちゃんと生きてたんだな……!」
がし、と両肩を正面から捕まえられ、カナンは目を丸くして体を強ばらせる。見慣れた軍服は帝都の警邏の制服である。肩幅の広い大柄な体の上に、人なつこく快活な顔が乗っている。その顔が、今は口元や眉間をくしゃくしゃにして、数秒後には赤子みたいに泣き出しそうなほど歪んでいた。
「……バーシェル、」
一瞬の混乱ののち、カナンはやっとのことで友人の名を思い出し、呟いた。バーシェルは大きく頷き、それから身を屈めてカナンの顔を覗き込む。
「カナン、この一年、ちゃんと飯食ってたか?」
「ああ」
「そうか」
バーシェルはにかっと歯を見せて笑うと、それから、またすぐ眉を下げてカナンを見つめた。その眼差しがいやに気遣わしげで、カナンは思わずたじろぐ。
「お前がいなくなったってノイルズから聞いてさ、俺もうずっと気が気でなかったんだよ。だって、ほら、お前……」
エウラリカ様のこと、とバーシェルが小声でもそもそと呟いた。カナンは目を伏せて、この話題を拒む態度を見せる。バーシェルは敏感にそれを感じ取ると、曖昧な語尾で言葉尻を散らした。
一年ぶりの再会だというのに、浮き足立つような盛り上がりはあっという間に消えてしまう。その場に沈黙が落ちた。
「……エウラリカ様が亡くなって、悲しいな」
しばらく黙って、バーシェルはそう言った。カナンははっと顔を上げる。彼は眉を下げて、本当に切なそうに微笑んでいた。そこには紛れもなくカナンに対する気遣いと同情が滲んでいる。
それでカナンは気づいたのだ。この一年の間、誰も、エウラリカの死を悼んでくれる人はいなかった。――自分自身も含めてだ。血の気が引くような思いがした。
(俺は、エウラリカが死んで、悲しいんだろうか、)
どこか痺れたみたいに動きの鈍い感情を、探る。腹の底を炙るような切迫感と、怒り。憎悪や疑念、一抹の不安といった泥をかき分ける間、カナンはずっと立ち尽くしていた。バーシェルは穏やかな表情で、静かにカナンの返事を待っている。カナンは呆然としたまま、記憶の底を浚う。
エウラリカが死んだと聞いたとき、俺は、咄嗟にどう思ったっけ?
「お前、エウラリカ様のこと、本当に大切にしていたもんな」
バーシェルが呟く。その瞬間、まるで火が触れたように、胸の内に痛烈な哀哭が突き上げた。
「僕は――」
エウラリカが死んで以来、思うように動かなかった表情が、大きく歪む。バーシェルは大人びた表情で手を伸ばした。無骨で大きな手が、肩を強く抱く。
「エウラリカ様が、……エウラリカが、」
文にならない言葉が口をついて出た。何を言おうとしたのか、その正体はおよそ掴めず、カナンはうわごとのように数度、エウラリカの名を呼んだ。
「僕はただ……」
何か言い訳を並べようとした声が、掠れる。喉が締まったように息苦しく、頭が痛い。
「僕はただ、あの人を救いたいだけだったんだ、本当に……」
息を詰まらせながら、カナンは友人の肩に縋り付くようにして呟いた。バーシェルの手が戸惑い気味に、少々強すぎる力で背を叩く。その手の平の温かさを感じるにつれ、エウラリカの言葉のひとつが、鮮明に浮かび上がってきた。
『でも、お前は、ほんとうに恵まれているのよ。お前を気にかけてくれる人がどれだけいるか、考えてご覧なさい』
お前は、多くのものを持っている。その言葉の意味を、カナンは今さら理解した。家族の顔や、帝都で出会った友人たちの顔が思い出される。どこか苦笑したような、諦めたようなエウラリカの目が浮かんだ。
しばらくして面倒になったのか、ばしん、と友人が一際強く背を叩いてきた。ひりひりする肌に顔をしかめながら、カナンは苦笑いで居住まいを正す。
「悪い、取り乱した」と頬を掻き、それから、彼はバーシェルの目を数秒間見上げた。
「……なあ、バーシェル。今夜空いているか? 俺も結構忙しくてさ、今夜を逃すともう時間が取れなさそうなんだけど、ノイルズも呼んでどこかに飲みに行かないか。話したいことが沢山あるんだ」
にこ、と微笑むと、友人はぱっと顔を輝かせた。大きく頷く様子は、よく人に懐いた甘ったれの大型犬を思わせる。
あいつは今日は夜番らしいけど、きっと誘えば他の兵に担当を代わってもらって出てこれるはずだ。バーシェルが弾んだ声で語る。それを朗らかな笑顔で相槌とともに受け止めて、カナンは無言で目を細めた。
帝都の隅、城から対極にあるような遠くの酒場の名を上げても、バーシェルは文句一つ言わなかった。輝かしい笑顔で、カナンの肩を叩く。
「また後でな!」
そう言って、本来の業務である巡回に戻った友人を、カナンは凍り付いたような笑みで見送った。
――何だ。今さら、情なんてものに流されたのか?
この一年ずっと表面化し続けていた己が、胸の内で嘲るように吐き捨てる。記憶の中のエウラリカが嗤う。お前、何を悲しんでいるの?
分かっている。カナンは目を伏せて苦く笑った。
***
その足で地下へ戻り、カナンは作戦開始を待った。壁際に立って兵たちを見回せば、暗闇の中で神経の研ぎ澄まされた彼らの目が、数本の蝋燭や角灯の中で爛々と光っている。淡々と武装を調える彼らの横顔には隠しきれぬ緊張が見えている。
当たり前だ。どれだけ歴戦の兵だろうと、こんなに特殊な用兵のもと奇襲を仕掛けた経験などない。それは当然カナンにとっても同じだったが、それを窺わせてはならないことは誰に言われずとも分かっていた。
胸の前で拳を握りしめる。体の内側で、心臓が暴れるように跳ねていた。恐ろしさに腹が縮む。地下に運び込まれた保存食を口に入れるが、ろくに喉を通らなかった。
怖いのだ。ただ暗い中にいるだけで恐ろしいというのに、これから先に待ち受けるのは前代未聞の急襲である。その成功如何がまるっきり自分に乗っていると思えば、今にも叫び出したいほどの恐怖であった。
それでも時は満ちる。カナンは時計を一瞥し、時が既に夜半と言ってもいいような刻限にさしかかっていることを確認した。おもむろに立ち上がり、彼は壁際の一段高いところに立つと、決然とした口調で呼びかける。
「諸君、」
声を張らずとも、カナンの言葉を受けて、一気に注目が集まった。カナンは暗い地下室の中で適当な燭台を手に取ると、その口元に歪んだ微笑みを浮かべた。唇が非対称な弧を描く。
「予定通り、作戦はあと五つの刻を回った頃に開始する」
はっきりと宣言した瞬間、その場の空気が一気にぴんと張り詰めた。向けられた視線が熱い。カナンは泰然と胸を張り、伏せがちの目で周囲を薙ぐ。
「長きに渡って潜伏生活を共にしてくれた者にとっては、待ちわびた進軍であろうと思う。しかし、ゆめゆめ浮き足だって羽目を外さぬように。我々はあくまでも侵略者であり、作戦の要は相手の不意を突いた奇襲だ。僅かな気の緩みが隙となる。……裏を返せば、こちらがどこまでも冷静に作戦を遂行する限り、失敗は有り得ない」
次いで、カナンは後方に控えている年若の兵たちを一瞥した。
「ここ数日の内に到着した者は、まだ心構えができていない者もいるかもしれない。作戦開始までの数刻で覚悟をしておいてもらいたい」
彼らは暗がりの中で、その両目をいっぱいに見開いてこちらを見つめている。自分よりいくつか年下の、十五、六の少年たちである。しかし、少数精鋭のみが選ばれたこの隊に名を連ねているのだから、いずれも実力者であることに間違いはない。カナンが自ら選んだ兵たちだ。
磨き抜かれた剣や鎧が、光を浴びてちらちらと光っている。揺れる炎に照らされて、兵たちの影が石の壁に大きく映し出され、踊るように揺らめいていた。
「帝都は現在、人を人とも思わない夷狄どもの手にかけられようとしている。それはすなわち、ジェスタの命運を左右する侵略である」
カナンの声は地下道に朗々と響いた。岩の壁に声が反響し、わんわんと木霊して頭が痛くなるようだ。
「我々は祖国を救うためにここに来た。この作戦が完遂した暁には、我々はジェスタのみならず、この広大な帝国を護った英雄となる」
カナンの声に力がこもる。それにともなって兵たちの顔は徐々に上気し、その眼差しに意思が宿る。
「忘れるな。――我々の肩に、多くの人間の安寧と幸福がかかっている。祖国に残してきた家族や友人の顔を思い出せ。隣国に知人がいる者もいるだろう。そうした全てを守るために、我々は今こうして、ここにいるのだ」
ゆっくりと、重々しく、カナンは告げた。生来の声からしてウォルテールのように太くて低い声は出ずとも、激励を込めた言葉は確かに響いたらしい。歴戦の兵は目を伏せたまま薄らと口元に笑みを浮かべ、年若の者はその目に鮮やかな忠誠心を浮かべてカナンを見上げている。
「俺はこの帝都で、いかに奴らが悪行の限りを尽くして跋扈しているかを何度も目の当たりにしてきた。それはたとえば横領であったり、罪なき人間の殺害であったり、違法薬物の売買や、その代金が払えぬ人間に対しては、我が子を質として質として迫ったり――とてもではないが口に出したくもない惨劇が、この帝都で繰り広げられてきたのだ」
かかる残虐な蛮族どもの手に帝国が落ちるのをみすみす見逃す訳にはいかない、とカナンは眉根を寄せ、心底悩ましげに呟いた。
「だが、俺一人では、奴らの企みを完全に阻むことはできない。だからお前たちの力を借りて、人々を救いたいと思っている」
カナンは段を降りると、兵の中でも特に経験豊富な、まとめ役とされている兵に歩み寄った。頭髪に白いものが混じり始めたような男であったが、カナンが眼前に立つと、僅かにたじろぐような様子を見せる。
「お前は、俺に手を貸してくれるか?」
低く囁くと、一拍遅れて「はっ!」と言葉が返る。カナンは目を細めて微笑むと、満足げに頷いた。男の返答に続くように、まるでさざ波のように、周囲の兵が決然とした表情で口々に肯定の言葉を乗せる。暗い地下室の空気が、大きくどよめくように動き、その場に熱が満ちた。武具がぶつかり合うような金属音と、鞘の石突きを地面に打ち付けるような音が響く。
それらの熱気を浴びるように、カナンは昂然と額を振り上げ、作戦開始を告げる。
「――正義は我らにある。それを疑う必要はない。これは大義のための戦いだ」
カナンは行く手に光のない隧道の奥を睨みつけた。とっぷりと沈むような、とろみのある漆黒に向かって、ゆっくりと歩を進める。地下道をゆく間、ずっと心臓が痛いほどに暴れ、早鐘を打っていた。
兵に語りかけた言葉が建前であることは、自分が一番分かっていた。それを見抜いたのは唯一、妹のウーナのみである。
やがて地図通りの道の先に、涸れ井戸の上から射し込む僅かな月明かりを見咎めて、カナンは強く拳を握りしめた。
俺は、何も間違っていない。
――そうだろう、エウラリカ。
***
カナンが率いるジェスタ軍は、計画通り地下道と涸れ井戸を経由して城内に侵入すると、瞬く間に制圧を終えた。夜半かつ警備の交代直後ということもあって、城内に配備された兵は少ない。カナンの手勢はいずれも城内の配置を完全に把握しており、必要最低限の制圧のみで皇帝の寝所までの道を切り開くと、一刻足らずでその身柄を拘束した。
皇帝を捕らえたという合図の光が、尖塔の窓から三度振られる。それを確認してから、カナンは悠然と城内の廊下を闊歩し始めた。
一年間離れていたとはいえ、城内の様子は笑ってしまうほどに記憶のままだ。カナンは瞬きひとつの間に、いくつもの記憶が浮かんでは沈んでゆくのを自覚した。
「ゼス=カナン殿下」
どうされますか、とこちらを窺ってきた兵の言葉が、少しの間入って来なかった。
『あら、』と声が聞こえたのは、空耳だろう。そのはずだ。それなのに、今にも目の前にエウラリカの姿が飛び出してくるような気がして、束の間、息ができなくなる。
「あ……」
並び立つ列柱の間に、曲がり角の向こうに、軽やかな金髪が踊るような気がしてならない。驚くほど鮮やかに蘇る記憶は、どれも緩急に富んでいる。きっと、ジェスタの人間は誰もが、カナンはこの場所で酷く虐げられてきたと思っているはずだ。
カナン自身は何度も説明を試みた。帝都で暮らした四年間は、辛いだけのものではなかったのだ。しかし、両親を初めとした家族たちも、カナンがこの城で腹を抱えて笑ったことがあるなどと信じる気はないらしい。
……別に、それはそれで良いのだが。
打てば響くような、軽快な調子で投げ交わされるエウラリカとの会話を、ふと懐かしく思った。些細な機微を拾い上げ、言葉の裏に潜ませた意味合いを含み笑いで了承する。一瞬重ねられた視線のみで一蓮托生であると、弧を描いた唇が愉悦を示す。自分はそうしたやり取りに、一種独占欲のような優越感を覚えていたのだと、今になって気づく。
「……確認したい場所がある。ついてこい」
「は」
短く応じた兵たちを引き連れて、カナンは皇帝の元へ行こうとしていた足を、別の方向へと向けた。向かうは城の最奥、『あの部屋』である。
そのとき、ひゅうっと音を立てて、目の前を矢が横切った。一本を目で捉えたのを皮切りに、何本もの矢が降り注ぐ。間違いない、複数の射手を統率して、こちらを迎撃しようとしている人間がいる!
出所は恐らく中庭を挟んだ反対側である。そちらを振り返るよりも先に、素早く列柱の影に身を隠す。やがて矢が尽きたのか、攻撃の手が緩んだ瞬間に、カナンは「捕らえろ!」と叫んでいた。精鋭たちが弾かれたように駆け出すのを追って、カナンも眉間に皺を寄せる。まだ残党がいたのか。
程なくして武力解除され、中庭の地面に膝をついて並べられた面々の中に、カナンは見覚えのある顔を見つけた。それを目にした瞬間、カナンは息が止まるのを感じた。それから、頬がゆっくりとつり上がる。声を上げて笑ってしまうのを堪えながら、カナンは一歩前へ歩み出た。
すらりと剣を抜き放ち、カナンは「下がれ」と他の兵に声をかける。ざわりと夜風が吹き込み、夜露に濡れた芝生を揺らしてゆく。胸の底が冷え冷えと静まりかえっていた。
それは、笑ってしまうほどに、記憶のままの。
カナンは剣を持った腕を差し伸べ、その首にそっと剣の腹を押し当てた。無様に跪き、敗者として顔を歪める男を見下ろす。
最大限の親愛と、侮蔑と、憧れを込めて。何も知らないままに、綺麗な真実ばかりを享受してきた男へ。
「――お久しぶりです、ウォルテール将軍」
兄と慕うには少し年の離れている、致命的に優しい友人へ、カナンは柔らかく語りかけた。
「どういうことだ。説明しろ――――カナン!」
その目に当惑と屈辱、そして疑いようのない憎悪の色を見咎めて、彼はできるだけ冷淡に見えるように目を細める。
もはや自分たちが、今まで通りの形では決していられないことを、カナンは本当に残念に思いながら微笑んだのだ。




