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傾国の乙女  作者: 冬至 春化
墜ちゆく帝国と陥穽の糸【深層編】

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外遊-一脈2



 領主が演台で何やら立派な話をしている間、エウラリカの口角がずっと強ばっているのが、斜め後ろから見えていた。カナンも警戒を緩めないままその背後で控えてはいるが、冗長にも思える演説に、どうにも眠気が襲ってくる。ここにきて、主都についてからの疲労がどっと押し寄せていた。思えばこの二晩ろくに眠っていない。エウラリカだって似たような状況のはずだ。

 顔だけは領主の方に向けて話を聞いているような素振りを見せながら、カナンは時折こみ上げてくる欠伸を噛み殺していた。一拍遅れてエウラリカが俯く。ふ、と息を漏らした様子からするに、同じく欠伸を堪えようとしたらしかった。


(今日が終われば主都から脱出できる。そうすればひとまずは暗殺も落ち着く……か?)

 領主の演説は終わったらしい。盛大な拍手が送られる中、カナンも数度手を叩きながら、来賓席をついと見回した。視線が端まで行ったところで、彼は息を飲む。

(さっきの男……! やっぱり賓客だったのか)

 先程エウラリカの控え室に乱入してきた挙げ句、カナンにしてみれば散々な暴言を吐いて、エーレフの名を捨て台詞に置いていった男。あれから衣装を着替えでもしたのか、目を引く装飾の数々を身に纏い、悠然とした態度で背もたれに体を預け、ゆっくりと拍手をしている。

(末席か……)

 どう見ても末席にいる人間の態度ではない、という言葉を飲み込んで、カナンは黙って唇を引き結んだ。賓客の席順は、帝国の長たる皇帝、その娘のエウラリカを先頭に、家格の高い順に各領の領主あるいは名代が参列している。



 式典は進行し、見慣れない楽器を手にした男女がほど近くで準備を始めたのを見て取って、カナンは眉を上げた。目をやれば祭儀場の中央に衣装を着た踊り手たちが集まっている。なるほど何か催しがあるらしい。

「これより、ハルジェル領に古くから伝わる演舞を披露させて頂きます」

 その言葉を皮切りに、会場の空気がぴんと張った気がした。カナンが居住まいを正した直後、前列にいたエウラリカが小さく咳払いをし、顔を向けて目配せをする。

(何だ?)



「これはハルジェルの一部地域にのみ栄えていた土着宗教の儀式を元にした舞踊で、徐々に文化が広がるにつれ、宗教儀式は廃れたものの、舞踊のみが長い年月をかけて洗練されて完成された演舞でございます」

 代表として前口上を語る女は、こちらを向いて雄弁に語る。その語り口は人前で話し慣れた人間のそれである。カナンは思わず聞き入ってしまったが、それは女の語りが上手いからだけではなかった。

(……ハルジェルの、今は廃れた土着宗教?)

 それは聞き覚えのある話題である。エウラリカの合図の意味が薄らと見えて、カナンは厳しく眉をひそめた。


 女は紅を差した唇をよそ行きの笑みの形にして、丁寧に告げる。

「――かつて民は、神は死人をも蘇らせると信じておりました」

 その瞬間、カナンの脳裏に、イリージオ・アルヴェールの顔が蘇った。兄を殺したのは自分だ。自分が兄を毒殺したのだ。償いを――兄を生き返らせねば。罪悪感と狂気に苛まれて、男は暗い水に身を投げた。


 夏の真昼の熱気にもかかわらず、カナンは全身に水を被ったように身震いしていた。緩く腕を組んだエウラリカが目を眇める。


「これはその復活の儀を執り行う様子を描いたものです。剣を持った司祭役や、供物として捧げられる娘役、熱狂する信徒役など、演者それぞれが儀式における役割を与えられ、演舞の中でそれらを再現しております。どうぞ各人の動きにご注目なさってください」

 自然と呼吸が浅くなっていた。カナンは表情を変えないまま、腿の上で拳を強く握りしめる。司祭、供物、熱狂する信者。瞬きの刹那に、瞼の裏で地下の祭儀が浮かび上がる。女はなおも語っている。しかしその言葉はもうカナンの耳には入らなかった。


(馬鹿にしやがって……!)

 この儀式は、帝都の地下で繰り広げた人身売買、殺人の教唆、薬漬け、そうした全てを象徴するかのように執り行われていた。知っている者が見ればハルジェルの文化だとすぐに分かるようなそれを、しかし相手は、帝都で行わずにはいられなかったのである。帝都の地下に陥穽の糸を張り、網を作って落とそうとしているのは自分だと、ハルジェル王国が帝都を陥れているのだと、言わずにはおれなかったのだ。


 エウラリカの言葉が今になって真に迫って理解できた。相手はそうした『分かる者だけが分かる文脈』を作って悦に入っている輩なのだ。目も眩むほどに悪趣味だ。吐き気がする。


「ハルジェルの歴史を内包し、そして未来へと続いてゆく様を演舞にて表現いたします。――どうぞご覧下さい!」

 女が腰を折って礼をしたが、カナンは眉をひそめたままエウラリカの言葉を思い出そうとしていた。相手は悪趣味だ。そのあと、何と続いたっけ? そう、確か……『それだけに、読みやすい』。


 カナンははっと顔を上げた。鳴り響いた太鼓の音には聞き覚えがある。四肢に緊張と、好戦的な衝動が込み上がってくるのを感じていた。エウラリカは唇を引き結び、心持ち顎を引いて演舞を見据えている。カナンは腰の剣にそっと手を這わせた。

(この演舞、何もなしに終わるはずがない)



 まるで聞く者を酩酊させるかのような拍動であった。笛は見慣れない形をしており、息の多い、やや掠れたような響きをしている。囁きのように笛は低い音で旋律を奏でていたが、踊りが激しくなるにつれ徐々に響きを鋭くしてゆく。くぐもったような弦が爪弾かれて震える。剣舞が始まる。剣と剣が打ち合わされる金属音が響く。つんのめるような変拍子が時折挟まり、鳥の警戒音のように鋭い笛が高く長く吹き鳴らされた。


 カナンは身じろぎ一つせずに演舞を見つめていた。

 供物が我が身を差し出す。司祭は剣を振り上げる。

 不合理だ。筋が通っていない。何が? だって……。

 供物は何のために死ぬのか。

 彼女があんなに幸せそうな顔をして死ぬのは何故だ。

 それは、死んだ人を生き返らせたいから……。

 どうして? そんなの、


『――お前に命じることはただひとつ』


 命を捨ててまでその人を助けたい。

 破滅的なまでの自己犠牲を、ひとは愛と呼ぶのではないのか。

 自分の命を捧げて、愛する人を蘇らせる。

 ……会えないのに?

 言葉を交わすことも、触れることもできないのに?

 変だ。理解できない。そんなもの……。



 胸の前で指を組み、喉元を晒してうっとりと目を閉じている女の姿に、束の間エウラリカが重なった気がした。目の前が眩む。


(――あなたは、誰を蘇らせるための供物だ)



 直後、陶器が砕け散る激しい破砕音が耳に突き刺さる。深い水の底から引き上げられたように、カナンははっと我に返った。エウラリカが椅子を蹴倒して立ち上がる。その向こうに大きな男の影が見えた。


「危ないっ!」

 咄嗟に叫んだときには、ことは全て済んでいた。エウラリカが片腕で自らの頭を庇っていたのを下ろし、引っ掴んでいた花瓶を一瞥する。細身の花瓶は細くすぼまった首のところで割れており、破片が机の上や足下に散っていた。エウラリカの肩口にも光るものが乗っている。


「……あら、」と小さな声で呟いた、エウラリカの視線の先には尻餅をついた踊り手の姿がある。一目で理解できるような簡単な構図であった。

 エウラリカはゆっくりと呼吸をして、目の前の男を冷ややかに睥睨する。「あ……」と言葉を漏らして、男は青ざめた。失敗を悟ったのだろう。


「エウラリカ様、」

 カナンは平静を装って立ち上がると、エウラリカが掴んでいた花瓶を慎重に回収する。そうして、暗殺に失敗した踊り手を無言で見下ろす。公衆の面前でエウラリカを殺害し、そしてこの場で反旗を翻す心づもりででもあったのか。そうかもしれない、とカナンは目を眇める。ここには帝国内の重鎮たちが大勢集っており、……何より、二百年の忠誠を祝う会で反乱の意を示すのは、いかにも『やりそうなこと』である。

 エウラリカは袖や肩についた破片を指で摘まんではカナンの片手に積んでいた。手のひらの上に小さな山ができる。


「危ないところでしたね」

 カナンは微笑んで、暗殺者に声をかけた。「今後は注意なさってください」と、ことさら気遣わしげに眉をひそめる。相手は砕けた花瓶の尖った部分で腕を切ったらしい、前腕に血を伝わせたまま、呆然とエウラリカを見上げていた。ふん、とエウラリカが隣で鼻を鳴らす。……どうやらあの傷は偶然できたものではないみたいだ。



「言っておきますが――」

 カナンはエウラリカを背後に庇うように進み出た。会場を見渡す振りでぐるりと顔を動かす。末席の男は足を組み、面白がるように顎に手を添えている。領主と左大臣を順に睨みつければ、二人は鞭で打たれでもしたように肩を震わせた。

 低い声で吐き捨てる。


「――エウラリカ様のことをあまり舐めない方が良い」


 お前もね、とエウラリカが嫌味っぽく耳元で小さく囁いたせいで、脅し文句はいまいち決まらなかった。

 カナンは踊り手の手を強く掴んで立ち上がらせる。適当な会話で間を繋ぎつつ袖口を確認したが、これ以上の凶器は飛び出してこなさそうである。それでも思わぬ方向からの追撃を警戒しつつ、カナンはエウラリカの背に手を添えて会場を退出しようとした。係の人間が泡を食って駆けつけ、扉の方へ誘導する。それに目礼で応じて、カナンはエウラリカを連れて歩き出した。


 エウラリカもそれに追従して一歩を踏み出そうとして、――不意に素早く振り返る。すっと片腕が持ち上がり、緩く握られた拳と細い人差し指が空を切り、ぴたりと据えられた。エウラリカの視線は、未だ立ち尽くしたままの暗殺者に固定されている。

「さっきはとても怖かったわ」

 エウラリカは低く囁いた。叱るような口調で言いつつ、その指先は紛うことなく男の手元を指している。カナンはそちらを見やって、息を飲んだ。……懐に入れられた手が、何かを掴んでいる。


 にこ、とその唇が弧を描き、柔らかく目が細められた。エウラリカは薄らと微笑んだまま、優しい口調で付言する。

「――刃物を持つときは、気をつけてね」

 それは紛う方なき牽制だった。エウラリカの目が真っ直ぐに男を見据えている。身じろぎ一つ許さないような圧力がそこに立ちこめていた。




 エウラリカは数人の侍女に連れられて先程と同じ控え室に向かった。目顔で離れても良いかと問えば、彼女は不敵な笑みで小さく頷く。


「すみません、花瓶を捨てられる場所はありますか」

 手に陶器の破片を乗せたまま振り返れば、大慌てで担当の人間が飛んでくる。どれだけ肝を冷やしていることだろう。少し哀れにさえ思えてくる。帝都から来た王女が怪我を負わせられるところだったのだ。不祥事では済まない。

 案内された先で花瓶を捨て、そうしてカナンはエウラリカの待つ部屋には戻らずに別の方向へと足を向けた。


 式典は尻切れトンボに終わったらしい。通路では慌ただしくやり取りが交わされ、ざわめきが広がっている。その中を泳ぐようにして、カナンは悠々とした足取りで進んでいた。

「領主閣下はどちらに?」

 通りすがりの侍女に声をかけ、伝えられた方向へと足を向ける。果たしてそちらには慌ただしく周囲に指示を出している男の姿がある。カナンは笑みを作り、「失礼します」と声をかけた。


「少しお時間を頂いても良いですか?」

 朗らかに語りかけた先で、領主であるヘンドリーは青ざめた顔でカナンを振り返った。




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