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傾国の乙女  作者: 冬至 春化
墜ちゆく帝国と陥穽の糸【深層編】

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外遊-ハルジェル主都にて4



「……エウラリカ様は、左大臣閣下とどのような話を?」

「えっと……」

 宿泊棟までエウラリカを連行し、カナンは兵に対して、決して彼女から目を離すなと念を押した。それからカナンはウォルテールを問い詰める。ウォルテールはたじたじとしながら、しどろもどろに答えた。

「な、仲良くしましょう、とか」

「他には?」

「あー、ええと、帝都を出たいから、出奔に協力しろ……みたいな」

「出奔……」

 カナンは口元に手をやって考えこんだ。そんな様子を見ながら、何故かウォルテールが慌てふためきながら「そう怒るな」と肩を叩いてくる。何が『怒るな』だ、怒っているようにでも見えるのか? カナンは胡乱な目つきでウォルテールを見上げる。この将軍は心底心配そうな表情でカナンを見守っていた。


「……ウォルテール将軍、」

 カナンは思わず小さな声で呟いていた。波が引くように我に返り、自分が周囲からどう見えるかを初めて認識する。カナンは動揺していた自分を恥じて項垂れた。

「ごめんなさい、少し頭を冷やしてきます」

 口の中で呟いて、カナンは腰に提げた剣にそっと手を触れる。


「――すぐに戻ってきますから、エウラリカ様から絶対に目を離さないでくださいますか」

 低い声で告げれば、ウォルテールは鷹揚に「任せろ」と胸を叩く。カナンは曖昧に微笑んで、談話室でのんびりと寛いでいるエウラリカの方を一瞥した。人の気も知らないで、エウラリカは長椅子の上にしなやかな体を伸ばしてうたた寝をしている。


 カナンはくるりと踵を返し、談話室を離れると、そのまま足取りを緩めることなく玄関を通って外へ出た。行く先は決まっている。――左大臣を叩くなら今しかない。



 ***


 カナンはつかつかと廊下に靴音を鳴らしながら、剣呑な表情で前方を見据えていた。顎を引き、突き当たりの扉を睨みつける。エウラリカの幻影が視界に重なった。

(あなたが、俺の言うことをちっとも聞き入れないことが、よく分かった)

 カナンは片手を振り上げ、閉ざされた扉を叩こうと拳を緩く握った。

(あなたがそのつもりなら、俺が情報を掴んでくるのでも構わないだろう)

 ノックのあと、男の声が扉の向こうで返事をする。カナンは扉を押し開け、最大限の礼節を込めて深々と頭を下げた。


「先程はエウラリカ様がご迷惑をおかけしました、大臣」

 左大臣はカナンの姿を見咎めて、先程この部屋に飛び込んできた異国人だとすぐに了承したらしい。「ああ、」と呟いて、小さく頷く。

「いや、お気になさらず」

「いえいえ、そういう訳には」

 言いつつ、カナンは後ろ手に扉を閉じた。左大臣はぴくりと眉を上げる。その表情に警戒が見えた。カナンは大股でその眼前まで近づくと、にこやかに声をかける。



「エウラリカ様の従僕のカナンと申します。――ルージェンさんからは聞いていませんか?」

 朗らかな調子で告げた瞬間、左大臣は弾かれたように顔を上げた。反応は激烈だった。驚愕に目を見開き、絶句する。

 ルージェンの名を出されたことが衝撃だったか。そうだろうな、とカナンは内心で呟く。


「……ルージェン?」

「ご存知ないですか? ウォルテール将軍の兄君で、僕もよくお世話になっているのですが」

 カナンは白々しく微笑んだ。左大臣の目が探るように動く。カナンは笑みを崩さない。

 ややあって、左大臣は、カナンがルージェンと繋がりがあることを確信したらしかった。嘘ではない。カナンは確かにルージェンと面識があり、結託している。左大臣が誤認しているのは、その『程度』のみである。


 カナンは、ルージェンから計画の全貌を知らされたことは一度もない。しかし実際のところ自分は、表向き無関係な事件とルージェンが繋がっていると把握している。が、そのことをルージェンに明かしたこともない。腹を割った会話などしたためしはなかった。

 加えて先の暗殺騒ぎで、カナンとルージェンはエウラリカの進退を巡って完全に対立していた。しかしそのことをこの男に知らせる必要はない。



 ……左大臣は覚悟を決めたように長いため息をついた。とはいえ、すぐに自分とルージェンの繋がりを認めるつもりはないらしい。

「それで、そのルージェン殿が私について何か?」

「さあ?」

 カナンは薄笑いで返事を拒否した。しかし、それだけで彼には十分だったようだ。左大臣の表情が引き締まり、カナンに向き直って姿勢を正した。


「何の用だ。人に知られるような場で接触するなと言われなかったのか」

「緊急の用件ですので、申し訳ありません」

 慇懃に頭を下げて、カナンは左大臣の張り詰めた顔を真正面から見据える。心臓が早鐘を打ち、頭の中心がくらくらとした。それを悟らせまいとカナンはゆっくり息を吸う。自分は見られている。自分の一挙手一投足が相手に影響を与えている。その自意識が、まるで四肢に枷をつけたように重い。



 左大臣の反応を逐一窺いながら、カナンは慎重に切り出した。

「先程、エウラリカ様がこちらを前触れもなく訪問してしまったことは、僕の監督不行き届きでした。これからはエウラリカ様からは目を離さないように気をつけますので、もうご迷惑をおかけすることはないと約束します」

 カナンがそうまで言ったところで、左大臣は「いや、待て」と片手を挙げて話を遮った。カナンはぴたりと口を閉ざし、続く言葉を待ち構える。左大臣は机の上に肘をつき、顔の前で十指を組み合わせた。その目がカナンを見据える。


「……エウラリカ王女から、出奔への協力を持ちかけられた。これを利用しない手はあるまい」

「要するに?」

「『エウラリカ王女は自ら姿を消す』んだ。それなら誰にも非はないし、証拠も残らない。どんなに探しても見つかるまい」

 カナンは知らず知らずのうちに拳を強く握りしめていた。爪が手のひらに食い込む。大きく目を見開き、左大臣の顔から一瞬たりとも視線を外さない。左大臣は思い詰めたように虚空を睨んでおり、青ざめた顔で唇を噛んでいた。


「……君のことは報告を受けているよ。エウラリカ王女と関わりが深く、随分と信頼されているそうだね」

「…………どうも」

 カナンは最大限の皮肉を込めて応じた。左大臣は憔悴しきったぎこちない笑みでカナンを見上げる。

「ちょうど良かった。戻ったらエウラリカ王女に伝えておいてくれ、――貴女の申し出に応じる、と」

「待ってください」

 考えるよりも先に左大臣の言葉を遮っていた。カナンは全身の血が降りていくような心地で立ち尽くす。


「そ……その件ですが、ルージェンさんから言伝がありまして」

 一際大きく心臓が跳ねる。激しい鼓動が胸を内側から叩いていた。カナンは大きく息を吸う。

「エウラリカ様の処遇については、帝都側で予定されている手筈があり、こちらに任せて頂きたい」

 声も揺らさず、カナンは嘘八百をさらりと言ってのけた。左大臣は頭を振り、呆れたように嘆息する。


「そのような言い訳があの方に通用するとでも思っているのか。もう悠長に手をこまねいている暇はない。一刻も早く王女を消さなければいけないのだ。……暗殺者は既に用意してある」

「帝都であれだけ暗殺に失敗しておいて、まだそんなことを言っているのですか?」

 カナンは食い下がるように切り返した。左大臣の眼差しに懐疑的なものが混じる。まずい、とカナンは身を強ばらせた。必死すぎたか。



 必死になるのも当然じゃないか。カナンは内心で言い訳をする。今、目の前で、エウラリカを殺すための算段が繰り広げられているのである。ここで食い止めなければ、それは間違いなく実体を伴った驚異として襲ってくる。それは本意ではない。


 息を整え、カナンは冷めた表情を作って、目を伏せたまま低く吐き捨てた。

「――あの女がそんなに単純だと思わない方が良い」

 左大臣の表情が一瞬だけぴくりと動く。カナンの視線を受け止める両目に、僅かな動揺が滲んだ。

「言っておきますが、暗殺は失敗すると思いますよ」

 俺が失敗させてやる、とカナンは口の中で吐き捨てた。エウラリカに兇手など決して近づけさせてなるものか。いつしか全身を覆っていた緊張は薄布のように軽く、取り回しの利くものになっていた。握り締めた拳に力がこもる。


「それでは、ルージェンは王女を皇位争いの座から引き下ろすのにどのような手段を講じるつもりなのだ」

「それは、僕の口から『あの方』へ直接ご報告したく存じます。……申し訳ありませんが、どこに目や耳、口があるか分かりませんから。近日中に便宜をはかって頂けますか?」

 あのセニフという人間の素性を確かめねばならなかった。一体あれは何者なのだ。それをカナンが突き止めねば、エウラリカはまた危険に身を『捧げて』しまいかねない。


「馬鹿なことを言うな。……私は君のことを完全に信頼したわけではない。弁えなさい。君の進言については我々の方で吟味する」

「……そうですか」

 カナンはしばらく無言で考えこみ、そして、「分かりました」とあっさり引き下がった。相手は自分に、エウラリカを葬り去るための策があると思い込んでいる。今回はそれで十分である。エウラリカを殺すことができなければ相手は自ずと自分を頼るであろう。カナンにはその確信があった。


「それでは、また何かご用がありましたら、何なりと」

 カナンはことさら慇懃に礼をすると、余裕を見せた微笑みを残してくるりと踵を返した。扉を押し開け、そのまま廊下に出る。背中に左大臣の視線が強く突き刺さっていた。あの男の意識が自分に向いているのを感じる。自分は見られている。言い寄ってくるエウラリカを見ているときよりも、よほど鋭い眼差しで。



 ***


 城内に敷かれた道はやはり明るく、夏らしく溌剌とした空気が流れていた。暗い表情をしているのはカナンくらいのものだ。カナンは目を伏せたまま、重苦しい気分を抱えながら、エウラリカの待つ宿泊棟へ向かっていた。脳裏に浮かぶのは、先程までの左大臣との会話だった。


 ……カナンが吐いた言葉すべてが、全く立場を取り違えた的外れなものである。それはルージェンに確認を取ればすぐに露呈するだろう。しかしここから帝都に手紙を出しても、どんなに馬を走らせたとしても戻ってくるまでには半月近くかかる。それまでにカナンはハルジェル領を離れるのだから問題はない。


 しかし、今回ハルジェルで暗殺を免れたとしてどうなる? 自分がエウラリカとともに帝都に戻れば、カナンがここで虚言により左大臣を説得しようとしたことはすぐに明るみに出る。これはルージェンに対して真っ向から反旗を翻すのに等しい行いである。薄氷の上に立つような微妙な均衡が崩れることになる。そうすればルージェンは今後エウラリカの命を狙うのに手段を選ばなくなるだろう。


 誰を頼れば良い? 咄嗟に浮かんだのはウォルテールの顔だった。しかしカナンはすぐに頭を振る。これはウォルテールの実兄の話である。ウォルテールがカナンと肉親のどちらの言葉を信じるかなんて、考えるまでもない。



 帝都を丸ごと囲い込もうとする腕が見えるようだった。帝国の忠臣とされるハルジェル領は既に敵の手に落ち、帝都内にも多くの間諜が入り込んでいるだろう。それらは帝都を内外から攻め落とし、我が物にしようと手ぐすねを引いている。もしも帝国が今の王朝ではない人間によって統治されることになれば、その属国にあたる祖国ジェスタがどうなるかも分からない。

 だから自分がこの件に積極的に介入するのは、何もおかしなことではない。

 それが、誰なのかも分からぬ何かを納得させるための言い訳であると、気付いていた。


 狙われているのはエウラリカだ。およそ従順な傀儡にはなり得ぬ彼女を葬り去り、次期皇帝には自分たちの息のかかった第二王子ユインを据える。そうなれば帝国は主権を失い、もはやその形を保つことはできなくなる。国として成り立たない。



(エウラリカ――)

 カナンは思わず晴天を振り仰いだ。エウラリカに向かって放たれた網が、確かに狭められ、迫ってくる。その心象が鮮烈に思い浮かぶ気がした。否、それが、エウラリカがこれまで見てきた景色なのだ。あの人は俺より敏感で聡いから、きっと、俺よりよほどはっきり分かっているのだろう。自分の首が音もなく真綿で締め付けられるような、そんな感覚を、誰より鋭敏に感じ取っているのだ。


(どうして、こんな……)

 昏い洞のように虚ろな微笑が、目の前にぱっと閃いては消えた。……一体、いつから? いつからエウラリカは、こんな思いを抱えて生きてきたのだろう。




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