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傾国の乙女  作者: 冬至 春化
墜ちゆく帝国と陥穽の糸【深層編】

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外殻3



「……それで、説明して頂いても?」

 ウォルテールとオリルは既に慌ただしく立ち去ったあとで、部屋の中はもとの静けさを取り戻している。カナンはカーテンをぴったりと閉め、エウラリカに視線を向けた。薄暗い室内で、エウラリカが応じるように腕を組む。


「――私は、ハルジェル中央にルージェンと繋がる人間がいると踏んでいるわ。それはルージェンが外遊と称して私をハルジェルへ送ろうとしたから、そこに罠があると予想したのもあるけれど、……その前、薬物が帝都に持ち込まれた頃から、ハルジェルが帝都に対して企てをしているのは想定内だった」

「だからオリルを左遷と称してハルジェルへ?」

「ああ、あれは普通に目障りだったからもあるのだけれど……」

「ふーん……」

「……ゴホン」

 ぼそりと本音を漏らしたエウラリカに視線を向けると、顔ごと背けられた。これ以上の追究は怒られそうだ。エウラリカはいつにも増してわざとらしい咳払いで話題を濁すと、話を戻す。


「まあ、そうね。ああいう無駄に正義感に満ちた人間は、不穏な地域に送り込んでおくに限るわ」

 エウラリカは片手をひらりと動かして肩を竦めた。当然のように語るそれが、帝都の人事権をある程度自由に左右できる立場の証左である。

 と、エウラリカが「でも」と嘆息し、渋い顔をする。

「あの女なら絶対に何かを掴んで報告を上げてくると思っていたけれど、それすらもできない状況だったとは思わなかったわね。思っていたより大規模な企みみたいだし」


 苦い表情が、彼女の計算違いと苛立ちを表していた。カナンは首を傾げて次の問いを投げる。

「それにしても、どうしてハルジェルに?」

「簡単に言えば、トルトセアの原産地なのよね。とはいえ他の地域でも育てようと思えばそれほど難しいわけではないし……念頭に置いておく程度だったわよ。でも、あの地下での祭事で確信を抱いた」

 エウラリカは足を組み、聞こえよがしに嘆息する。


「かつてハルジェル王国の一部地域に見られた土着宗教の儀式。生け贄を捧げることで、神と繋がった司祭が死者を呼び戻す――復活の儀ね。後世の研究からそれは仮死薬を用いた……手品や詐欺のようなものであることが分かっている」

「帝都の地下で行われていたものとそっくり同じ段取りですね」

「ほとんど誰も気づかないだろうに、わざわざ過去の儀式と同じ手順で儀式を執り行うのがねちっこくて嫌らしいわね。ハルジェル文化に対する強い思い入れを感じるわ」



 そこまで言って、エウラリカが立ち上がって腰に手を当てる。

「ともかく、まずはこの街について調べるわよ」

 好戦的な笑みでエウラリカが胸を張るので、カナンも腰に佩いた剣を確認しながら頷いた。よもやお気楽な旅行とは決して思ってはいなかったが、まさか道中でこのようなことになるとは予想だにしていなかった。エウラリカが同行しているのだから当然か、と諦めの境地である。

「分かりました。じゃあウォルテールの足止めをお願いします」

「あら、お前、まさかお一人で行くつもり?」

「え? お一人で行くつもりですけど」

「…………。」

 カナンとエウラリカは数秒間、無言で顔を見合わせた。


「私も行く」

「駄目です」


 一瞬の間を置いて声が重なり、カナンは目を怒らせる。びしりと指を指し、不満げに唇を尖らせるエウラリカを睨みつけた。

「相手の素性も知れないのに、どうして自分から危険に突っ込もうとするんですか!」

「だってお前一人じゃ不安じゃない」

「はい? ……僕が危険を冒して勝手に死んでも何とも思わないでしょうに」

「私、無様な死に様を晒すような人間を側に置く趣味はないわよ」

 つん、とエウラリカが顎をもたげて不遜に告げる。身に覚えのあるやり取りに、カナンは思わず喉の奥で唸った。かつての自分の言葉を返されては立場が弱い。


「だいたい、エウラリカ様が丸腰で何かできるとは思えませんがね」

「あら、武器ならちゃんと持ってきたわよ。ほら」

 当然のように短剣を取り出したエウラリカに、カナンは項垂れて額を押さえた。……この女はいつもこうだ!

「……本当に手に負えない」

「負ってくださらなくて結構よ」

 得意げに頬を吊り上げるエウラリカの前に、カナンは敗北を悟って項垂れた。これもエウラリカの悪癖と思って我慢するしかない。エウラリカとて、易々とやられないだけの心得はあるだろう。



 しかし……。

(俺は背にもう一つくらい傷を負っても構わないけど、あなたは違うでしょうが)

 カナンは苛立ちのような、もどかしさのような危うさに歯噛みした。エウラリカはごく平然とした態度で、自分が危険に突っ込もうとしている自覚もないようにいそいそと支度をしている。その横顔を睨みつけながら、カナンは唇を噛んだ。


 ずくりと背の傷が疼く。身を挺してまでエウラリカを庇ったのに、エウラリカが戦わないで済むように守ったのに、結局、自らも血を流してまで暗殺者へと立ち向かっていったエウラリカの後ろ姿を思い出す。


 あのとき俺がどれだけ胸の冷える思いをしたか、この女は知りもしないのだろう。……どれだけ言葉を尽くしたって分かりもしないのだろう。



 ***


 カナンは意識して落ち着いた歩調で廊下を通り抜け、扉を指の節で数度打った。扉を細く開け、「準備は終わりました」と室内のウォルテールに向かって告げる。ウォルテールは「分かった」と応じ、視線を鋭くする。


 いやにしんとした宿屋の廊下を並んで歩きながら、カナンは小さく唾を飲んだ。自分たちがこれからしようとしていることを、宿屋側にも、ウォルテールにも勘づかれるわけにはいかない。

 これより、エウラリカを擁したウォルテールの隊はこの街を脱出する。見張られていることは百も承知であり、裏をかく目的でカナンは単騎でエウラリカを連れて先行する手筈となっていた。これを言い出したのはカナンだったが、それに賛同したのは意外にもアニナだった。

 何でも、自分がエウラリカの身代わりになって馬車に入ると言うのである。カナンは首を傾げたが、エウラリカが満足げに目を細めているので反論はしなかった。



 厩の前には兵たちが既に支度を済ませ、今すぐにでも出立できるように待機している。そこに足を踏み入れ、カナンはエウラリカを目で探した。先に裏庭に出ていたエウラリカが軽く手を挙げる。

「デルトが戻ったらすぐに追う。予定通り先に街を出ろ」

「はい」

 ウォルテールの言葉に頷き、カナンは素早く厩に歩み寄る。馬房脇で退屈そうにしていたエウラリカが無言で近づいてくるので、カナンは含みのある表情で微笑んだ。

「準備はよろしいですか」

 何の『準備』かは言うまでもない。エウラリカは「ええ」と不敵な笑みでフードを被った。目元に影が落ち、弧を描く唇が鮮烈に浮かび上がる。首元から金色の髪がこぼれ落ちているので、カナンは手を伸ばしてそれをしまってやった。


 異様に張り詰めた空気を感じてでもいるのか、馬は落ち着きなく耳を動かし、前足で地面を掻いている。その鼻先を撫でてやりながら、カナンは首の脇に立って手綱を短く握った。馬の体から立ち上る薄らとした汗臭さを感じながらエウラリカを窺う。

「そういえば、馬に乗ったことはあるんですか」

「何回か市井に出たときに、小間使いのふりで乗ったわ」

「何をしてるんですか」

 カナンが呆れ顔で言うと、エウラリカはふんと鼻を鳴らし、さっさと馬の背に上った。

「――私を誰だと思っているの?」

 高圧的な物言いで、文字通り上から目線で、堂々と王女様が宣う。カナンはこれ見よがしに肩を竦めた。



 次いでカナンが馬に乗ろうとしたところで、ウォルテールが緩慢な動きで近寄ってくる。

「そういえば、馬には乗れるのか?」

 不思議そうな顔をしているウォルテールに、カナンは思わずくすりと笑った。確かに、ウォルテールは知らないかもしれない。

「以前は、よく遠駆けに出かけたものですよ」

 エウラリカは、カナンが祖国の森を馬と共に駆けていたことを知っている。彼女も心なしか愉快そうな様子で、少なくとも口元は笑っているようだった。鐙を強く踏み、反対の足を振り上げて体を押し上げる。


「……俺を誰だと思っているんですか」

 先程のエウラリカの物真似で不遜に告げると、腕の中でエウラリカの肩が明らかに震えた。さりげなく口を覆うように片手が持ち上がり、どうやら笑いを堪えているらしい。まさかこれが悪ふざけだと分かるはずもなく、ウォルテールは虚を突かれたように目を丸くし、「そ、そうか」とこくこく頷いた。



「街の外で待っていてくれ」というウォルテールの指示に了承の意を返し、カナンは兵たちに見送られながら裏庭を出る。爽やかな風が梢に吹き抜け、さわさわとした涼しげな音をさせているのに対し、カナンの体は緊張に張り詰めていた。

 エウラリカは機嫌よさげに周囲を見回している。

「お前、あまりウォルテールをいじめたら可哀想じゃない」

「いじめてないですよ」

 カナンがしれっと答えると、「どうだか」と言いながら、エウラリカの頭がとんと胸元に触れた。カナンが警戒して周囲に睨みを効かせているというのに、彼女は実に平然とした様子である。後ろに乗っているカナンを背もたれ代わりにして、彼女は指先でついとフードの縁を持ち上げ、周囲を窺った。


 カナンは渋面になる。

「エウラリカ様、もう少し緊張感というものをですね」

「お前がそんなに怖い顔をしていたら何の意味もないのよ。街道が中心を突っ切っている以上、この街で留まることなく進んでゆく旅人なんて決して珍しくないはずだわ。おどおどしない、私たちは単なる通行人。分かったわね」

「……はい」

 厳しい口調で言い込められ、カナンは悄然と頷いた。エウラリカは満足げに頷き返す。



 言われたとおり、カナンはごく平然とした顔で目抜き通りの街道を進んだ。落ち着いてみると、住民たちの視線が絡みつくように向けられていることに気づく。相手に気づかれないようにそっと目線を向けるやり方は、通行人に興味を示して一瞥するのとは全く違っている。

「嫌な街だわ」

 ぼそりと呟いたエウラリカの後頭が、不意に肩口に乗せられた。カナンは仰天して目を剥き、まじまじとエウラリカの額を見据える。まるで甘えるような仕草でエウラリカは首をもたげ、カナンの表情を見やった。視線が重なり、カナンは思わず息を止める。頬と頬が一瞬、僅かに掠めるようにして触れた。背筋をぞわりと寒気にも似た感覚が駆け上がる。カナンは喉を鳴らして唾を飲んだ。うなじの毛が逆立つ。エウラリカは艶然と目を細めた。


 気づけば、住民たちの視線が外れている。さっさと姿勢を戻したエウラリカが、得意満面で鼻を鳴らした。

「他人の変な場面を見たくないのは万人に共通よね」

 その言葉に、これがエウラリカの悪ふざけであることを悟る。カナンは思わず脱力して顔を顰めた。胸元で寛いでいるエウラリカを見やって、聞こえよがしに嘆息する。

「……重いんですけど」

「あら、お前って配慮も何もあったものじゃないのね」

 完全にカナンの胸を背もたれにして、エウラリカがのんびりと長い息を吐いた。



 ***


 街を難なく出て、ほとんど柵に等しいような簡素な門を通る。しばらくそのまま街道を下り、人目がないことを確認すると、カナンは手綱を引いて馬の鼻先を横に向けた。道のりから外れ、木立の中へと入ってゆく。

「さてと、手短に終わらせるわよ」

「簡単に言いますね」

 言いつつ、カナンは立ち並ぶ木々の向こうを透かし見るようにして目を眇めた。街の外周沿いに進めば、先程確認したもう一つの門が見えてくるはずである。そのとき、ふとエウラリカの頭が離れ、小さな背が前のめりになった。


「――止まって、」

 エウラリカが低く囁いた。片手が鋭く宙に掲げられ、カナンは無言で手綱を引く。口を噤んだまま耳を澄ませると、前方から微かに人の話し声と、荷物を引いた馬車がごとごとと音を立てるが聞こえた。カナンは息を飲む。


「降りますか」

 身を屈めてエウラリカの耳元に問うと、彼女は小さく頷いた。するりと鞍から降りると、手綱を受け取って近くの木に結びつける。長い髪を手早く後頭でまとめ、エウラリカはフードを深く被り直した。その間にカナンも剣の具合を確認し、額に落ちてきた髪を払いのける。


 エウラリカが懐に入れた短剣の位置を確かめている。カナンはその様子を半目で眺めながら低い声で釘を刺した。

「念のため、エウラリカ様――戦わないのが前提ですからね」

「あら、私は傷も癒えないペットに喧嘩させるほど鬼畜な飼い主じゃないわよ」

「そういうことじゃないです」

 真剣な表情で語りかけるも、「ふーん」とエウラリカは聞いているんだかいないんだか分からない相変わらずの生返事である。



 ……不意に、エウラリカはくるりとカナンに向き直った。フードを目深に被られると、その表情は口元すらも窺えない。カナンの動揺を察したかのように、エウラリカの指先がフードの縁をついと持ち上げる。

「――『そういうことじゃない』なら、じゃあ、どういうことのつもりなの?」

 布の下から、探るような眼差しが差し向けられていた。カナンは思わず気圧されてその場で一歩下がる。別にそんな意味のある言葉じゃない、とか、そんな言い訳が口から滑り落ちた。しかしエウラリカはにこりともせずに、カナンを見据えている。

「ねえ、お前、もしも私が今この場で剣を抜いて自ら首をかき切ろうとしたら、……どうする?」


 尋常ならざる物騒な仮定を口にしておきながら、エウラリカの声音はどこまでも凪いでいた。カナンは呆然と口を半開きにする。知らず知らずのうちに片手が持ち上がり、首輪に触れていた。成長に伴って緩めこそしたものの、エウラリカに手ずから取り付けられてから一度として外されたことのない、鍵のかかった首輪である。少しばかり古びた鈴は、しかし相も変わらずに涼やかな音を立てた。


「それは……そりゃ、止めますよ。いきなり目の前で自害とかされたら困りますし」

「何が困るの?」

「だって……」

 間髪入れずに追って問われ、カナンは答えに窮した。しばし沈黙し、「王女殺しの罪を着せられます」と呟く。エウラリカは少し微笑んだが、そこには憂いが滲んでいた。



「じゃあ、その罪が絶対に着せられないと分かっているとしたら? 私が死を選ぶのを、お前は止める?」

 明るい林床には、夕暮れに差し掛かった頃の金色の光が柔らかく降り注いでいた。肩幅に開いた足を地面にしっかと突き立て、エウラリカは肩を開いてカナンに正対する。カナンはたたらを踏むように足を引き、更に一歩下がった。


「……分からない」

「どうして?」

 ゆるりと首を傾げたエウラリカの頬に、顔の脇の毛が一房、はらりと落ちる。エウラリカの目は明らかにカナンを品定めしている。

「だって、……そんなこと、本当にはしないでしょう? こんなところで命を捨てるなんてこと、あなたがするはずがない」

「忘れたの? 私はお前に、私を殺すようにと命じてあるのよ」

「だからです! ……無駄じゃないですか。あなたが、自身の死という何よりも大きな切り札をこんなところで消費するはずがない。何にもならないでしょう」

 咄嗟にカナンは食ってかかるように声を高くしていた。それが何より分かりやすい、不意を突かれた証拠であった。動揺をありありと示してしまったことに、また動揺する。しかしどうやらエウラリカはこの答えに満足したようだった。黙らせるように唇の前に指を立てつつ目を細め、小さく頷く。くるりと踵を返し、エウラリカはカナンに背を向けて歩き出した。



 エウラリカがいきなりこのような話をした真意が掴めず、カナンは悶々とした疑念を抱えつつその背を追う。慎重に森の中に身を潜めて進みながら、エウラリカは振り返らないまま、歌うように囁いた。


「……糸を張って、繰って、紡いで、策を弄して、自らとそれに付随する数多の往く道を詰んで、摘んで、整えて……それが私の選んだやり方で、それを完遂することに今さら疑いも躊躇いも抱かないわ。私は私を形作るすべてを蹂躙してやりたいし、もろとも歴史の粉塵と沈めてしまいたい。その為に私はありとあらゆるものを利用し尽くしてやる。そうやって生きてゆくって決めたのよ」

 目を伏せたまま、少女は囁くように告げる。


「そうやって、自らの道を丹念に敷きながら、でも、私は常に、それがいつ壊れてしまっても構わないとも思っている。いつか崩れると分かっている橋を直すこともせずに、ずっと石を積み続けているのね」

 エウラリカは薄らと微笑んでいた。そして、まるで怒っているかのような低い声で吐き捨てる。


「……めちゃくちゃになってしまえば良いと、本当にそう思っているのよ」


 カナンの脳裏に、己が首に刃先を突きつけるエウラリカの面立ちが浮かび上がる。それはまるで見たことのある光景のように思えた。けれど、そんなはずはないのだ。そんなはずもないのに。

 瞬間、目の奥に閃光が瞬いた気がした。カナンは目を細め、遠雷を聞くように悟っていた。その言葉通り、これはすべて本心なのだろう。

 身動ぎひとつできずに、カナンは立ち竦む。


 いつかエウラリカが、己の洞に食われて消えてゆくような予感が、静かに息づいていた。

「すべて壊れてしまうよりも前に――」

 エウラリカは歩きながらカナンを振り返り、肩に頬を寄せてちょっと目を細めてみせた。

「――お前、私のことを殺してくれる?」


 形になる前の、柔らかくて生暖かい未必の故意が、着々と降り積もってゆくような気がしていた。




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