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傾国の乙女  作者: 冬至 春化
墜ちゆく帝国と陥穽の糸【深層編】

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外遊-前1



「ハルジェール領への外遊、ですか?」

「その通りだ」

 真剣な表情で頷いたルージェンに、カナンは警戒を張り詰めさせたまま「それは一体どうして」と眉をひそめる。


 ネティヤではない別の人間によって呼び出され、向かってみればそこにいたのは件のルージェンである。このタイミングでカナンに声をかけてくることに、何の意図も含まれていないはずもない。


「ネティヤから聞いたよ。何者かによってエウラリカ様の命が狙われているそうだね。とても恐ろしい話だ」

 まるで他人事のような言葉に、カナンはひくりとこめかみを引きつらせた。よもやこの男も、カナンに怪しまれていないとは思っていないだろう。それでいてこの傲岸不遜な態度である。


 腹の底で澱むのは、苛立ちよりむしろもどかしさだった。指先を強く組み合わせたまま、カナンは仄暗い目でルージェンを見据える。ここでルージェンに詰め寄って反応を見てしまおうか。一瞬考える。……もしルージェンに直接迫るにせよ、エウラリカとの相談が必要だろう。カナンは腹の底で算段を組み立てながら「そうですね」と無難な相槌を返した。


「それで、どうして外遊という話が?」

「帝都の南に位置するハルジェール領のことは知っているね?」

「ええ」

 カナンは感情を覆い隠した微笑みで頷く。ルージェンは満足げに目を細めた。

「今夏そこで、帝国に組み入れられて二百年を記念した式典が催される。帝都としてもこの節目に対して仁義を切ることが求められるだろう。少なくとも大臣――あるいは王家の人間を伺わせるのが筋だ」

「それで、エウラリカ様を向かわせようと?」

「話が早くて助かるよ。……どうかな、カナン。現在、エウラリカ様にとってこの王宮は安全とは言えないだろう。それならいっそ、しばらくの間帝都を離れて避難するというのは。エウラリカ様も帝都の外に出たがっておられると聞いたよ」


 まるで心からエウラリカとカナンの身を案じているような、酷く気遣わしげな声音であった。僅かに眉根を寄せ、その表情と申し出はさも人格者のそれである。ルージェンの視線を受け止めながら、カナンも同じく控えめな笑みで眉を下げた。


「……少し、考えさせて頂いても?」

 これは明らかに一度持ち帰ってエウラリカに相談するべき内容だと思った。しかしルージェンは首を振り、「今この場で答えを聞かせてくれ」と身を乗り出した。

「――良いかな、カナン。自分の立場を勘違いしないことだ」

 ルージェンの細い指が机の天板を数度叩いた。鼓動のように律動する音が繰り返される。


 男は薄ら笑いを浮かべていた。

「エウラリカ様を向かわせるかどうか、それは君が決めることではない。君に求められているのは、可能か、可能でないかの答えだけだ。分かるね?」

 カナンは腹の底がふるりと震えるのを感じた。ここで自分が頷かない限り、ルージェンは決して自分をこの部屋から出すことはないだろう。それがありありと分かる圧力だった。


 カナンは浅い呼吸を繰り返しながら膝を見下ろした。

(どうする、)

 エウラリカに関わる大きな決断を、一人で下さねばならない。そんなのは初めてだった。ここで自分が迂闊に頷き、妙な条件でもつけられてしまえば、それはエウラリカの計画にとって大きな瑕疵となりかねない。

 何より、カナンは、エウラリカの指示なしで大きな行動を起こしたことなど一度もない。


(十中八九、これは罠だ)

 カナンは強く拳を握る。暗殺を仕組んでいる張本人が、暗殺から逃れられるようにと外遊を勧めてくる。それなら、そこに何か落とし穴があるに違いなかった。騒動もなく無事に他領を訪問して帰還できるとはとても思えない。

(簡単に頷けるわけがない。でもたとえここで俺が頷かなくても、ルージェンにはいくらでもやりようがある)

 もはや余裕ぶった笑みなど浮かべる余裕はなかった。背中を汗が伝う。ルージェンは微笑みを湛えてカナンの快諾を待っていた。


「……分かりました」

 しばしの黙考ののち、カナンはそれだけ答えた。ルージェンは歯を見せて笑い、「ありがとう」とカナンの手を取る。その指先のあまりの冷ややかなことに、カナンは密かにうなじの毛を逆立たせた。


(戻ってからエウラリカにすぐに報告すれば良いことだ。たとえあらかじめ相談したとしても、好戦的なあの女はこの話を引き受けただろう)

 カナンが内心でそう算段を立てた直後、ルージェンの手がやにわに力を増した。その顔に一瞬あからさまに狡猾な色が浮かび、カナンは咄嗟に息を飲んで手を引っ込める。


「そういえば、ネティヤに聞いて驚いた。カナン、君には私室もなく、エウラリカ様と二人で寝食を共にしているそうだね」


 予想だにしない話題だった。準備のしていない部分を突かれる予感に心臓が凍る。ルージェンが勝手に結論を出すよりも先に、カナンは素早く口を挟んだ。

「僕は奴隷の身分です。それ以上の待遇は求めません」

「いいや、いいや。それを聞いて放っておく訳にはいかないな。あまりにも可哀想だ。……それに、お互い良い歳をした男女だろう」

 ルージェンの口から放たれた下世話な視点にカナンは鼻白む。男女だから何だ。……その程度の、ありきたりで短絡的な関係性に嵌め込まれるのは酷く不愉快だった。


 しかし、それと同時にルージェンが言わんとすることを察して、カナンは指先が冷えるのを感じていた。そして彼はあっさりと告げる。

「暗殺の危険もある。今後は城内でエウラリカ様と君が二人きりにならないよう配慮しよう。君にも部屋を用意させておく」

 カナンは是とも非とも答えず、ただゆっくりと息をした。血の気が引いてゆく。別に生活がエウラリカから引き剥がされることは関係ない。しかし、他の人間の目がない状況を一切排除されるのはまずい。

(エウラリカとの相談なしで外遊へ出るのか? それはあまりにも……)



 カナンは苦し紛れに言葉を継いだ。

「僕がエウラリカ様に、その……手出しをするとでも仰りたいのですか」

「外聞が悪いんだよ。君は良くたって、エウラリカ様はそうはいかない。エウラリカ様はいずれ然るべき伴侶のもとへ嫁ぐ。事実はどうであれ、エウラリカ様は『清く』なければならない」

 ひょいと肩を竦めたルージェンが、ふとカナンの顔に目を留めた。そこでようやく、カナンは自分が酷く剣呑な目つきでルージェンを睨みつけていることに気づく。ルージェンはカナンの睥睨に一切臆する様子なく、さも不思議そうな顔で頬を吊り上げ、首を傾けてみせた。


「どうした、カナン。――まさか奴隷である君が、エウラリカ様と添い遂げられるとでも思っていたのか?」



 ***


 外遊の話を聞いて、エウラリカは寝耳に水といった態度で目を丸くした。それが本当に驚いているのかどうか、裏で話を通すことのできないカナンには分からない。

「わたし、ハルジェール領に行くの?」

「ええ。おおよそ一月後くらいでしょうか」

「それ、本当? おとうさまも良いって言っているの?」

「もちろんです」

 目を輝かせ、頬を紅潮させるエウラリカに、ネティヤが穏やかな態度で応じる。その様子を一歩下がったところで眺めながら、カナンは表情に出さないまま拳を強く握りしめた。


「今の話は本当?」

 と、そこでエウラリカがカナンを振り返って問うた。一瞬だけその双眸に鋭い光が浮かぶ。それはカナンに対して意図を汲むことを要求する目配せである。カナンはそれを受け止めて、「はい」と頷いた。それが精一杯だった。ネティヤが間に立っている。その事実だけで、喉がつかえるような心地がした。エウラリカが怪訝に瞬きをする。


「……いきなりの話だから驚いちゃったわ」

 妙な沈黙を誤魔化すように呟きながら、エウラリカの視線が邪魔そうにネティヤを一瞥した。早くこの件について詳しく聞かせろと言いたいのだろう。カナンはエウラリカの目を真っ直ぐに見て、そうはいかなくなったことを伝えようとするが、彼女にそれが伝わった様子はない。


 こほん、とエウラリカが咳払いをした。それはカナンを呼びつけるときの合図である。

「何だか少し風邪気味なの。休めば治ると思うから、もう今日はゆっくりしていて良い?」

 言外に出て行けとネティヤに告げると、彼女は「それは大変ですね」と目を丸くした。

「それでは、今日はこの辺りで失礼します。どうぞごゆっくり休まれてください」

 そう言って、ネティヤは慇懃に頭を下げる。彼女の視線が外れた一瞬だけ、エウラリカが面倒そうに眉を上げ、鼻から息を吐いた。それから彼女はカナンに目を移し、呼び寄せるようにもう一度咳払いをする。

 呼ばれたらすぐに反応するのが普段のやり取りだった。もう慣れきった流れだった。けれどカナンはそれに応えることができない。なぜならそれは他の人間に知られてはならない秘密の暗号であり、今はネティヤが同席しているからである。


 ――だからカナンは、エウラリカの呼びかけを無視して、ネティヤに続いて踵を返した。顔を背ける間際、エウラリカが瞠目したのを確かに捉える。

 扉に手をかけて、部屋を辞そうと振り返った。

「……今度から、自分の部屋を頂くことになって、」

 カナンは小さな声で告げた。別に、ただの報告として伝えれば良いだけのことなのに、どういう訳か上手く声が出なかった。エウラリカはネティヤの前であることを忘れたかのように、ぽっかりと表情の抜け落ちた顔をする。


 つと、冷え冷えとした沈黙が漂った。取り繕うようにネティヤが口を開く。

「エウラリカ様、お聞き分けください」

「別に、引き留めてなんていないわ」

 そしてエウラリカから放たれたのは、『我が儘なエウラリカ王女』ですらない無関心な言葉である。カナンは目を見開いた。


「……エウラリカ様」

 カナンが声をかけると、エウラリカは視線だけを寄越して瞬きをする。カナンはさりげなく首輪に手をやって、指先に鈴を触れさせた。偶然鳴ったかのようなささやかな音だったが、エウラリカは一瞬だけ鈴を窺う。彼女と意思が繋がったのを直感して、カナンは慎重に言葉を選んだ。

「今までの状態は外聞が良くないと言われて、新しい部屋を用意して頂きました。今後は二人でお話しすることも少なくなりますね」

「……そう、」

 ネティヤの前で許される範囲の中でできうる限りのことを語れば、エウラリカはそこに示唆されたルージェンの存在を確かに受け取ったらしかった。


「でも、この間あんな事件があったばかりなのに、部屋に一人でいるのは怖いわ」

「廊下に兵が立っておりますから大丈夫ですよ」

 ネティヤが柔らかい声で応じた。エウラリカはそれでも安心そうな素振りを見せずに、気弱に眉尻を下げて項垂れる。

「戸締まりを忘れずに。……そうすれば、鍵を持たない余人は誰も訪れませんから。外を出歩いてはいけませんよ。――夜間は特に」

 呟いて、カナンはエウラリカを見据えた。一呼吸の間だけ、視線が交錯する。それは痛いほどに強い眼差しだった。


「分かったわ」

 ややあって、エウラリカは小さく頷いた。カナンはぎこちなく頬を緩める。

 ――そうやって約束を取り付けることができたので、そのときのカナンは、夜にでも抜け出してこっそりとエウラリカの部屋を訪れようと考えていた。




 あてがわれたのは官舎の一室である。備え付けの食堂や風呂場もあり、他の兵や侍女たちも多く生活している建物だった。

 そして部屋の前には、当然のような顔をして兵士が二人常駐している。名目上はエウラリカ暗殺を受けての対応とされ、周囲の無関係な人間には詳細を知らされてはいない。

 しかし、まさかこの兵士が本当に自分を守るためのものだと思うほどカナンは脳天気ではなかった。

(くそ、見張り付きか……)

 ルージェンは本格的にカナンとエウラリカを引き剥がすつもりであるらしい。カナンが夜中に部屋を抜け出してエウラリカの部屋に忍ぶなどできそうになかった。


 部屋の中でひとり歯噛みし、カナンは寝台の上で丸くなる。エウラリカを庇ったときにできた傷はまだ塞がらず、悶々と目を瞑ればひりつくような痛みが絶えず襲う。真新しいシーツを強く握りしめ、カナンは何とか一夜を超えた。




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